まちぼうけ くん、くん。なにかいい匂いがする!
「これどうやろ? お客さんからもらったんやけど」
「おさむ、これ、なぁに?」
治は、白と黒のふかふかした三角の何かを両手に持って帰ってきた。
「クッション」
「くっしょん?」
そう、と治が言いながら床の上にボフン、とそれを置いた。スン、と鼻を動かしてみる。
「おさむ、これいい匂いすんで!」
「匂い?」
ぼくのマネをして治もくっしょんに鼻を当てるけど、そぉか?と首をかしげた。
「俺にはわからんなぁ」
「なんかな、おさむのおにぎりの匂い」
「あぁ! 昼間、配達のおにぎりと一緒に車に載せててん。それで匂い移ったんかな?」
おにぎりはパックに入れとったんやけど、と独り言を言いながら、治はぼくにおにぎりを出してくれた。今晩はおかかとしゃけだった。
「いただきます!」
ぼくはおさむが作ってくれるおにぎりが大好き。冷めてても気にならないくらいお米がふわってしてて、甘くて、おいしい。
「よく噛んで食べてな」
でもね、治のことのほうがもっともっと大好き。
「後で一緒にお風呂入ろうな」
そう言って口いっぱいにもぐもぐしてるぼくの頭をポンポンと優しくたたく。ポンポンの日もあるし、なでなでの日もある。どっちも好き。
「きょうは忙しかった?」
「おかげさまでな」
「そっか! おさむはてんちょーやもんな」
ふふっと笑って治がテーブルから離れる。おみそ汁の匂いがしてたから、きっとお椀に入れて持ってきてくれるんだ。今日は、お揚げに小松菜と…あとは、キャベツかな?
「ふーふーしたるから、待っててな」
ぼくは熱いのがすごく苦手。前におみそ汁を飲んだとき、舌をやけどして泣いちゃったことがある。それから治はたくさんふーふーしてくれる。
「なかみ、見せて」
「はい、どうぞ」
「わ、せいかいや」
「何が正解?」
「おみそ汁の具、あってた」
「へぇ、すごいなぁ!」
治がふーふーしてくれる間、しゃけおにぎりを食べ終わった。あ! さっきのくっしょんの黒はのりで、三角のかたちはおにぎりなんかな。
「おさむ、さっきのくっしょんって、もしかしておにぎりなん?」
「せやで。気に入った?」
「おん!」
ごはんを食べ終わったらくっしょんの上に乗ろう。ふかふかしておにぎりの匂いもして気持ちいいんだろうな。それまではちゃんと座って食べんねん。
それから、おにぎりくっしょんはぼくのお気に入りになった。
◇
「だいじょーぶ…だいじょーぶ」
おにぎりを食べ終わってお皿とおみそ汁のお椀を台所に下げた。
大丈夫、大丈夫。
朝、治が行ってきますを言ったとき、帰りは遅くなると言っていた。お祭りみたいなところで、お店やさんするんやって。治のおにぎりは大人気やから、大変だ。きっと大忙しに決まってる。だから、こんなに帰りが遅いのは、しょうがない。
「ふぁ〜〜」
あくびが出た。時計のながい針が2、みじかい針が9のところ。いつもはもうお布団に入ってる時間や。
「おふとん…」
いつもは治が敷いてくれるし、ぼくが寝るまで一緒にお布団に入ってトントンしてくれる。ときどきそのまま一緒に寝てまうって、前に笑って言ってた。
お時間になったからちゃんと寝たほうがええんやろうけど、寝るお部屋を見たらお布団は畳まれたままで、暗くてシーンとしてて、なんだか寒そう。
「きっと、すぐ帰ってくる!」
遅くなるって言うても、たぶんもうすぐそこまで来てるんちゃうかな。帰ってきた治にお疲れさまって言うと、笑って、疲れがふっとぶー! っていつも言うから、治の疲れをふっとばすために、もう少し起きていよう。
「…」
治が買ってくれた、おにぎりがついたおもちゃをフリフリしてみる。このおにぎりのとこ、押すとプーって音が出るねん。治が「おもろい音!」って、たくさん笑ったから、僕もおかしくなって笑ってもうた。
両手でぎゅってして押してみる。
プーッ。
「フフッ! やっぱおもろいな」
しばらく押したり、フリフリして遊んでたら、さっきよりももっと眠たくなってきた。
「ふぁ〜」
でも、まだ治は帰ってこん。ながい針が7のとこになってもうた。
座ったままなのもしんどくなって、おにぎりくっしょんの上にゴロンってする。やっぱりおにぎりのホコホコした匂いがする。あと治の匂いも。
「おさむぅ、まだかなぁ〜」
こんな大きいおにぎり食べたら、どうなってしまうんやろ。お腹ぱんぱんになってまうなぁ。でも治は大人やしたくさん食べるから、これくらい大きくても大丈夫なんかな?
「…おさむ」
治がにこにこ笑っておにぎり食べてるのんを思い出した。いつもぼくに、おいしい? って聞いてくれる。そしたらぼくはいつもおいしいって言う。だって、治のおにぎりは世界一なんやもん。
「まだかなぁ…おさむ」
早く治に会いたいな。帰ってきたらいつもギュッてしてくれんねん。治の体は大きくて、あったかくて、いい匂いがする。
「グスッ…おさむ…」
なんだか、悲しくなってきた。でも、お留守番やから、泣いたらあかん。ちゃんとせな。
「グスッ…グスッ…」
でも、止まらん。止めたいのに、目ぇから勝手に涙出てきよる。たのむ、止まってや。
「うっ…グスッ」
まだ帰ってこんの? ぼく、ちゃんと待ってんで。
「おしゃむ…」
おにぎりのおもちゃをギュッて持って、おにぎりのクッションもギュッてして。そしたら早く帰ってくるかな?
「はよ…」
会いたいなぁ。治に早く会いたいな。
「おしゃ、む…」
ギュッてしてもらいたいな。
◇
「…ん?」
伸びをしようとしたら、すごく狭くてできなかった。何がぶつかったんだろ。しかも、すごくあったかい。
くん、くん…あ、この匂い!
「おさむ?!」
ごろんと回って後ろを向くと、治が寝てた!
「おさむ、おさむ!」
「ん? …んーっ」
治の体をゆさゆさ押すと、ぐーっと伸びをしてちょっとだけ目を開けた。
「おはよ」
「おはよう! …あれ? ぼく、おにぎりくっしょんにいたのに…」
「ふふっ。遅くなってほんとごめんな」
「…」
「おにぎりクッションのほうが良かった?」
「…うっ」
「えっ!」
「ぅっ、うっ…うわ〜ん!」
治の顔を見たら、涙が出てきた。いっぱいいっぱい出てきた。
「おしゃむ…帰って…こんから…ぅ、うえ〜ん!」
「わー! ほんっっまごめんな!」
治がギュッてした。
「帰りに渋滞になってしもうて…。もっと早く帰ってきたかったんやけど」
「うっ…おしゃむの、あほぉ!」
治の手がぼくの頭をなでなでした。
「ほんま、ごめんな。寂しい思いさせたな」
「うっ…うっ…」
今度はお背中をポンポンしてくれた。ゆっくり、たくさんしてくれた。
「遅くまでお留守番させて、ごめんな」
「うっ…うん…」
「おにぎりクッションで待っててくれたん?」
「う、ん」
「ありがとぉな」
「うん…グスッ」
「俺も早く一緒にお布団で寝たいな思って、こっちの部屋連れてきてん」
「グスッ…うん」
「ほんま、ごめんな」
「…うん」
「まだ寝る?」
「ううん」
「ほな、もう少しギュッて暖まろうか」
治がまたギュッてしてくれた。
「…おさむ」
「ん?」
「お店やさんで、おにぎりうれた?」
「ふふっ。おん。たーくさん売れて、売り切れてもうたで」
「ほんま? すごいな!」
治のおにぎりは、やっぱり大人気なんだ。
「お土産もあるで」
「えっ! ぼくに?」
「おん。見る?」
「うん!……あ、おさむ」
「なん?」
ぼくは謝らなくちゃいけないことがあった。
「あの…さっき……あほって言って、ごめんなさい」
「ええよ」
「おさむ、いっぱいてんちょーがんばってたのに、ぼく、あほって言ってもうた…」
「気にしてへんよ。そんくらい寂しい思いさせて、ほんまごめんな」
「ううん」
「仲直りのギューしようか」
「うん!」
治がぼくをまたギュッてして、ぼくも治をギュッてした。
「よし、お土産やな」
「うん!」
治に抱っこしてもらいながらリビングに行くと、初めて見るボールが転がってた。
「なに! これ!」
コロコロ転がしたらとっても楽しそう!
「これな、バレーボール。小さい子向けやから、多分痛くないで」
治がぼくにポーンってボールを投げた。
「わっ! 取れへん」
ぼくの後ろに転がったボールを追いかける。わぁ、すごく楽しい!
「バレーボールはな、手で取らんねん。ポーンって返すんやで」
「かえす? むずかしい?」
治にボールを投げたら、治は腕を伸ばしてボールを上に上げた。天井につきそうになった。
「難しくないで。とぉーっても楽しいで」
治が楽しいっていうなら、きっと楽しいんだ。
「おさむ、すごい! じょーず!」
「やってみる?」
「うん!」
「そしたら、まずは朝ごはん食べて、そしたら公園行こうな」
「うん! ぼく、おかお洗ってくる」
急いで水道のところに走った。そのあとはトイレにも行ってお着替えして、そんで朝ごはん食べて、歯磨きして…あー、とっても忙しい! 早くボールやりたいのに!
「焦らんでええよ。ちゃんとひとつずつやったら、バレーボールも上手になるよ」
「はぁい!」
ぼくはお返事をして水道のお水を出した。
昨日さびしかった分まで、今日は治といっぱいボールで遊ぶんだ!
◇◇
「重くなったなぁ」
昨日寂しい思いをさせたからだろうか、今日はいつも以上にはしゃいで遊んでた。バレーボールは難しそうやったけど、なかなかいい線いってるんちゃうかな。
「よい、しょ」
軽く弾んで、この子を抱え直す。
公園で夕方まで元気よく遊んでまだ帰らんってしばらく駄々こねて、おにぎり一緒に作って食べようと提案すると、やっと納得してくれたまでは、よかった。
「もう少し重くなったら、抱っこで俺の肩いわしてしまうな…」
家までの道の途中で抱っこを控えめにせがんできた。遠慮がちな言いようがとても可愛くて、すぐにOKを出した。そして、ほんの1、2分のうちに、
スー…スー…。
なんと、寝息が聞こえてきた。
「遊び疲れたんやろうな。…うっ寒っ」
春の入り口とはいえ、夕方になると気温が下がる。二人して風邪をひいてしまわないように、抱きつかれたままパーカーのジップを上げた。
「あったかぁ」
まだ体が小さいからできることだ。パーカーに二人とも入ってる状態になって、よりぬくぬくと温まる。
肩口に顔を載せてるのでその表情は見えないが、穏やかな寝息からは安心して寝ているのだろうと推測できる。
「ふふっ、かわええなぁ」
さて、家に帰ってからそっと下ろさなければ。お気に入りのおにぎりクッションがいいだろうか、おにぎり柄のお布団がいいだろうか。
「…おなか、すいたなぁ」
いや、この子もお腹を空かせているだろうから、すぐに起きるかもしれない。それまでは抱っこしたままソファに座っていよう。
さて、帰ったら準備してある炊飯器のスイッチを入れよう。炊き立てのご飯の匂いが好きなこの子のために。
「一緒に、おにぎり作ろうな」
パァッと明るく弾けるような笑顔が、目に浮かぶ。