鼓動に溶ける 傍らの温もりが優しかった。横たわった身体の全てが褥に覆われているというのに、その温もりは一等暖かくて、離れがたく愛おしい。
「…阿国さん」
自分でも恥ずかしくなるほどだった。呼んだ声はうっとりとしていて、甘ったるい。こんな声を出してしまう自分を七緒はこれまで知らなかった。こうして阿国と情を交わすようになるまで、こんな女の部分を七緒は知るよしもなかったのだ。
「…ん?どうかしたか…?」
少し微睡んだ声が頭上から返った。同時に馴染んだ掌が七緒の長い髪をすく。包み込むような優しい声と温もり、肌に当たる指先が堪らなく気持ちいい。
返事の代わりに七緒は頭を阿国の固い胸に擦り付けて、彼の腕の中に収まるように竦めていた腕を背中に回した。女よりも整った容姿のせいだろうか。男にしては華奢な印象がある阿国だが、無駄のない筋肉が付いたしなやかな身体は滑らかでも逞しく大きい。七緒に触れる手や呼ぶ声はしっかりと男のものなのだ。だが指に絡まる下ろした彼の髪、それはやはり女よりも艶やかで絹のように上等な手触りだ。それらは彼の平素の姿のように二面的な複雑さを表すが、しかし七緒にはそれが阿国の真実で、彼の本質であることを知っている。
「七緒…?」
先ほどよりも醒めた声がする。頭に置かれていた手は一時離れて、どこに行くのかと探っていた気配は同じく背中に回った。七緒はもう一度腕に力を込める。ぎゅ、と抱き締めれば、阿国の戸惑いが身体の僅かな緊張から伝わった。
「本当にどうしたんだ?珍しいこともある…」
笑い含みに言った阿国は、身動いで七緒の頭に今度は口づけを一つ落とすと、不意に一段声を低めた。
「…あんな甘えた声で人を呼んでおいて、なのに何も言わず可愛いくすり寄って…。それはつまり…まだ私を誘惑している、ということか?」
少し掠れて囁くような声は、甘さを多分に含んでいる。それは先ほどの七緒と大差がない。七緒の身体は俄に熱くなってしまう。だが、それでもこの温もりからはやはり離れがたく、請うのではなく否を意図して頭を胸に押し付けるように振った。
「違い…ます。ただ…阿国さんが…」
「私が?」
「阿国さんが大好きだなぁ…て…。もっとくっ付きたいなって……それだけです…」
どうにか尻つぼみにはならずに済んだ。ただ言葉にすると羞恥はどうしても湧く。どれだけ日頃想いを伝えていても、こういう場に置いてだけはいつまでも慣れない。普段はするりと出る感謝の言葉さえ少しの勇気を要する。だがそんな腑抜けでも優しい阿国はいつも正しく受け取ってくれる。人を労り、愛しいものを愛しいと素直に言える阿国は、いつも全てを承知して包み込んでくれる。言葉以上の愛情を返してくれるのだ。
暖かい両腕が背中に回り、優しい腕に抱き竦められて更に密着する。阿国の鼓動がまるで自分のものになったかのように身体の内に響く。七緒は身を委ねてゆっくり息を吐いた。このままもっと全身で阿国を感じていたい。
「…なら、今宵はもうおやすみ。私の顔を見ないように、このまま目を閉じておいで。一晩中でもこうして抱き締めているから…」
照れているのだろうか、安心感にぼんやりと思いながら、ゆったり訪れる睡魔に身を任せる。愛しい温もりに包まれて眠りに落ちるこの時が、七緒はいつも幸せだった。
「おやすみなさい…阿国さん…」
明日も笑顔と愛情に満ちた一日を──今宵もそれを願って、二人揃って目を閉じる。有り余る幸福を縒り合わせるよう二人は一つとなって、夜の帳に呼吸は溶けた。