吸血鬼4「おやすみ、茨、愛してる」
「おやすみなさい、俺も、愛してます」
キスをして、俺は棺に入る。
閣下があくびを噛み殺した。
「……ねてらっしゃらないんですか?」
「……うん、ちょっとね」
「一緒に眠ります?」
「嬉しいけど、茨が寝ている間にやることがあるから」
閣下は微笑んで、そっと俺の髪を撫でた。
「……おやすみ」
棺が閉じられる。太陽が到来する。夜の終わりに、しばしのお別れ。
早くまた閣下に会いたかった。
***
「紹介する。日和くん。私の昔馴染み……どうかな、茨」
「ふぅん、君が茨だね? 随分人間のままなんだね」
「……」
宵の口に、閣下が人間を連れていらっしゃった。若葉色の髪に宇宙色の瞳。綺麗な人だった。
「どうかな、とは?」
「……つまりね、血を飲むのはどうかな、ということ」
「志願者ですか?」
たまにいる、吸血鬼に血を吸われたい人間。処理に困らない人間はそのままころしてしまっているし、面倒なものは記憶を改竄して返している。
「志願なんてしないね。ぼくの高貴な血は対価。巴の家を敵から守ってくれたらあげるね」
「はあ……、しかし、獣の匂いがしますが……?」
「ジュンくんだね! ジュンくんも君と同じで生まれたままの獣人のあかちゃんだから心もとないね。赤ちゃん二人ならまあ、安心材料にはなるからね?」
「呼びましたかぁ?」
現れた夜色の髪の男は月色の目をしていた。どうやらこの殿下――閣下のお友達だから殿下、だ――殿下の飼い犬らしい。
「……ジュンはいい子だよ。友達になろう、茨」
「閣下がいうのなら……」
友達なんていたことがないからむずむずする。
「うんうん! 仲良くするのはいいことだね! じゃあぼくの血を一滴、あげてもいいね」
殿下は指先をジュンに噛ませて、小さな傷を作る。それを俺は下賜される、というわけだ。
――あまい。
「……気に入った?」
「ええ。殿下の血筋はデザートの類ですね」
「これで契約成立だね。戦争をするときはよろしくね」
それから四人で夜を過ごして、深夜、殿下はジュンに守られて屋敷へ帰っていった。
「閣下」
「うん?」
「どうしたんですか?」
突然人間を連れてくるなんてこと、いままではなかった。
「……私がもし居なくなっても、これで茨の喉は潤う」
「え?」
「非常食は大切でしょう?」
閣下は多分、一番大切な朋友を、俺に売った。
多分それは冷酷がなければできないことだ。
「……きて」
手を引かれて、屋敷の地下へと連れていかれる。
その部屋には、ひかる巨大なフラスコの容器が並べられて――その中には人間が入っていた。
閣下。
「……これは」
「これは私のクローン体たちなんだけれど。意識を持つかはわからない、けれど新鮮な血はちゃんとたっぷりある」
きっと魔術のホムンクルスの手順で作ったんだろう。ゆらゆらと揺蕩う銀夜の髪が、閣下の柔らかさを彷彿とさせる。
「いつでも食べていいよ。もう十分に血はあるから」
「なるほど、自分のためにこのようなことを……勿体ない褒美であります」
「うん。……喜んでくれた?」
「ええ、欣喜雀躍の境地であります」
「よかった」
閣下はやさしくわらって俺を抱きしめる。
その匂いに、安心し切ってしまったのが、いけなかったのかもしれない。
***
目覚めたときに、今夜は閣下がいなかった。
どころか、屋敷に気配がない。
閣下の部屋のテーブルに、「少し出かけます」とだけ書き置きがある。前にも何日か出かけていたことがあるから、今回もそのようなことなんだろう。
二夜がたち、五夜がたった。
しかし、目覚めたとき、閣下は棺のそばにはいない。
「……」
閣下の部屋のベッドの匂いが薄れていく。
急に不安になってしまった。
逃げてもいいと、確かに云った。
だって多分、選ばれていたら、帰ってくる。人間はそういうものだと知っていた。
もしかして、日和殿下と一緒にいるんだろうか。
俺よりも、人間の日和殿下がいいのか。
「……閣下」
俺はまだ十七年しか生きていない、まだ感覚は人間と同じだった。
「……ずっと、そばに、いるって、いった……のに」
籠の中に閉じ込めておけばよかった。
俺だけの閣下。
愛を教えてくれたひと。
閣下のベッドにうずくまって、その匂いに溺れる。
「……かっか……」
「呼んだ?」
ふわり、と気配が現れる。太陽の目、銀夜の髪。
「……ただいま、茨」
俺の閣下。
「閣下、……ど、こへいって……? あれ……?」
血の匂いが変わっていた。闇の匂い。――人間ではない匂い。
「閣下、なにを……?」
「朔間くんに血をもらっていたんだ」
その意味するところは、人間が吸血鬼になる、ということ。その為には、二人以上の吸血鬼の血が必要だった。
吸血鬼同士では、吸血ができない。
「ど、どうして? 俺が血を飲むのが嫌になったんですか? お、俺に、飽きましたか? 催眠を使うから……俺が、嫌いに、なりましたか?」
「そうだね、もう私には催眠は効かないね、茨」
ああ、この人は、もう自由なんだ。
俺は、閣下に縋って、みっともなく叫んだ。
「嫌だ、捨てないで、置いてかないで、ひとりに、しないで……っ」
縋りついて震えていると、そっと抱きしめられる。
「茨、泣かないで、……ずっとそばにいるために、私は魔物になった」
「……へ?」
「これで、千年の夜を亘っていける。茨をひとりぼっちにはしない。もう人間じゃないから」
顔を覗かれる。その目が妖気を帯びている。強い力を感じた。
「茨の血を頂戴。本当の吸血鬼になるために。そうしたら、ずっとずっと一緒だよ」
「……かっか……」
くちづけをされる。そこに尖った牙があった。それに噛まれたい、それに愛されたかった。
「……おれを、たべて……」
「……うん」
闇が深まる。二人して堕ちていく。
今、ここに夜を描く。魔物が二つ、死んで、生まれた。
(220122)