怪□セイント・◯ールパロクロは、怪盗姿の俺がすきなんだよ。普通の俺なんか、多分ぜんぜん興味ないし。そう呟きながらも、唇の先が拗ねるように尖っているのは、多分気のせいじゃない。その指先が手持ち無沙汰にくるくると前髪を弄ぶのも。
「ねぇ、夜久くん、聞いてる?」
「聞いてるだろって。つか、ここ礼拝堂だからな。愚痴ならあとにしろー」
「ちょっとくらい聞いてよ。シスター見習いでしょ」
「牧師見習いだっつの」
小さく睨むと。だって、と拗ねたようにもにょもにょと言葉を萎ませる。人前では絶対見せない素の表情を見せてくれるのは嬉しくもあるが、その言い間違い――に託つけた揶揄は当然許容できない。
むぅー、とブスくれるその小さな少年が、まさか世間を騒がす怪盗だなんて、言ってもとても信じてもらえそうにないなと思いつつ、ご機嫌取り宜しく個包装の小さなアップルケーキを投げて寄越す。
「……アップルパイがよかった」
「やなら食うなー?」
零れる文句に取り上げようとすると、大きな瞳がひゃっと開いて、慌ててその包装を剥がしに掛かる。勢いのまま一口、ぱくりとそれに食いつくと、とたんに、研磨の表情はふにゃりと弛んで――どうやら、わずかながらにもささくれだっていた感情が収まったようだ、と様子を見ていた夜久もほっと笑みをこぼした。
最近、この一級下の後輩は殊、そのご機嫌がよろしくなく、度々今日のように夜久に八つ当たり紛いの絡み方をしてくる。原因はよくわかっていて、――怪盗稼業の研磨を追いかけてくる警察官、黒尾。研磨の古い幼馴染みであり、夜久の悪友でもあるその男が、対怪盗対策本部に着任したことで、仕事が酷くしづらくなってしまったのだ。
「つか、お前、黒尾と幼馴染みだろ。文句は本人に言え」
「言えるわけないじゃん」
正体ばれる、と呟いて、研磨はその小さな頭をくたりと椅子の背もたれへと預ける。
「まー、そうよな。」
「そもそもクロに言えてたら、怪盗なんて、してない。」
言いながら、研磨が細い手首をくるりと回す。と、なにもなかった筈の手のひらの上に、しゃらりと現れる、大きなダイヤモンドのネックレス。何カラットあるかもわからないそれを、惜しがるでもなく、研磨は夜久に向かって差し出した。
「依頼人に、返しといて。」
「ん、りょーかい。」
受け取ったそれは確かに――先月、この礼拝堂の懺悔室で『宝石を騙し取られた』と涙に暮れていた、婦人のものだ。騙しとった犯人は、詐欺紛いのことを繰り返していた宝石商だ。
詐欺の証拠の様々をネックレスの代わりに現場に残したおかげで、悪徳宝石商が逮捕されたことは、今朝の朝刊にデカデカと載っていたから夜久も知っている。
何だかんだで悪いことを見逃せないのは皮肉ながらも――今、研磨の機嫌を下降させている、その幼馴染みの影響に違いなくて。それがなんともいじらしい。
「次の依頼の――例の絵画は、明後日だっけ?」
「や、来週でいい。展覧会が始まってからの方が、出し抜けてカイカン、だろ」
「夜久くんも、大概性格いいよね」
わるい牧師さまになりそ、と薄く笑う研磨に、何とでも言え、と笑って返す。
じゃ、またね、と小さく告げて踵を返した猫背を見送って、それから、先ほど受け取ったお宝に目を落とす。義賊みたいな真似をしていること自体に、研磨はなんの罪悪感も抱いていない。それは、研磨と組んで幾ばくか経つ夜久もよく知っていて。
多分、研磨が何より恐れているのはその幼馴染み――黒尾に正体がバレてしまうことだろう。
もし、幻滅されたら、嫌われたら。そう考えてはその肩を強ばらせている。なんでもない顔をして。
そんな研磨をかわいそうだとは思うけれど、だからといって、辞めるわけにもいかない。この街にはまだ、“聖なる仔猫”の加護が必要なのだ。
杞憂だといいんだけどなー、と夜久は小さく一人ごちる。気がかりなのは、ついこの間、ふりりと現れた悪友の、懺悔みたいな呟きだ。
『あのコソ泥が研磨に見えてさぁ――』
俺、超重症じゃねぇ?と道化るように笑った黒尾に『ま、加護があらんことを』と軽い口調で返したが。これは由々しき事態になったと夜久は内心、冷や汗をかいた。
幸い、黒尾は自身の疲れか、若しくは件の怪盗の妖術かなにかと信じていて(研磨が使えるのは妖術ではなくマジックの類いなのだが)、今のところ研磨自身を疑う様子はない。
このまま気づかないで居て欲しいんだけどなぁと思うものの――あいつの観察眼の鋭さは侮れない。ここまで撒いた情報操作と研磨の敷いた印象操作がどこまで保ってくれるか。
気がかりは多いが、なるようにしかならない、とも思ってはいて。
自分にできることは、研磨が無事に戻ることができるよう、手助けのためのちょっとした仕掛けを施してやることと、協力者たちの力を借りて情報操作を行うこと、それくらいだ。そこが大きな武器になる程度にこの街には“聖なる仔猫”に救われた人間が多い。
黒尾も研磨も、互いに想い合っている。だからこそ、互いに罪悪感を抱いている。研磨は正体を隠していることに。黒尾は別の誰かに目を向けていることに。それを隠して笑い合う。幼馴染みという関係を言い訳に、近すぎる距離で。
きっとなにか違えば、こんな日常も紙切れのように吹き飛ばされる。
その覚悟は勿論あるし、研磨だってそうだろう。それでも。
この苦くも甘い日常が、もう少しだけ続いてほしい。怪盗稼業にいそしむ研磨のサポートも、牧師見習いとしての毎日も、黒尾の悪友としての立場も、まあ、それなりに愛してはいるので。
窓の外は、きれいな青空が広がっている。
「みなに神の加護があらんことを。」
祈りは、小さな礼拝堂のなかで淡く響いた。