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    マーレ

    @mr61030129

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    マーレ

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    ##SS

    心頼 テルムは大きな街だった。高台に位置する城から外を見下ろしても、視界よりもずっと先まで街が続いている。王城を中心に幾重にも渦を巻くように家々が並ぶ。内側に近いほど階級が高く裕福で、貧民は最も外側に追いやられ身を寄せ合うようにして暮らしている。
     グリューゲルにある生家の窓から見た景色とはあまりにも違う。いつの日かこの街を出てどこか別の場所に住むことになるかもしれない、という少女の頃の夢想よりも遥かに遠い場所にレスリーはいた。
     歯車が動き出したのはヤーデで再会した時からか。それともグリューゲルで初めて彼に面と向かって意見した時からか。いずれにしろ、彼女の時間は彼と共に刻まれてきた。そして、これからもきっとそうなのだと思っていた。
     グリューゲルからヤーデへ。ヤーデからワイドへ。
     ワイドからテルムへもそう変わらない。どこかでそうではないとわかっていたのに、そう自分に言い聞かせていた。
     東大陸を統べるフィニー王国。その玉座におさまるつもりは無いと本人は言っていたものの、周りの人間はそうは見ない。実際、正当な後継者がいないフィニーのまつりごとは現在ギュスターヴの手の内にある。術不能者としてさげすまれていたとしても、おいそれと無視できない存在であることは確かなのだ。
     レスリーは自分の手のひらを見た。
     少し前まで彼は手を伸ばせばすぐ触れられる距離にいた。同じ食卓を囲み、肩を並べて同じ本を読んだことも、思いがけず抱き寄せられたことだってある。
     そんな彼がどこか遠くにいってしまったように感じる。いや、寧ろ今までが近すぎたのだ。本来なら出会うこともないはずの、雲の上の存在。東大陸に来ることによって、それまで見えていなかった彼との間の隔たりが浮き彫りになっただけ。
     こんなところまで来て何をしているんだろう。何ができるというのだろう。その先には何も約束されていないどころか、望むべくもないのに。覚悟を決めたはずが、目前に突きつけられた現実に打ちのめされ、いとも簡単に揺らいでしまう自分の弱さに嫌気がさす。
     あるいは、ワイドに残るべきだったのかもしれない。今ここで、手を離すべきなのかもしれない。彼の目の前には彼女が想像することも叶わない、広大な世界がひろがっているのだから。
     
     誰かが廊下を走るような足音が聞こえてレスリーは、はっとして目線をあげた。
    「レスリー!」
     心無しか少し息を切らしたギュスターヴが彼女を見つけて駆けてくる。
     あぁ、とレスリーは思う。この顔に自分は弱いのだ。嬉しそうに笑う彼を見たら、何もかもが些末さまつなことに思えてしまう。
     彼の笑顔を護れるなら。ずっと近くで、手を伸ばせばすぐ届く距離で——
    「どうした?」
     服の裾を掴まれたギュスターヴが、いぶかしげに問う。ぎゅっと力を込めた指先をレスリーはそっと開いた。
    「……ごみが、ついていたから。きちんとしなさいよ。あなたはもう、」
     彼女は精一杯の嘘をつく。一国の主たる彼の身だしなみを整えてくれる人ならもう周りに沢山いるのだ。ヤーデで世話を焼かされた少年はもうここにはいない。
     ゆっくりと離れたレスリーの指先を、ギュスターヴの手が追いかけるように包み込んだ。
    「ギュス?」
     優しく、それでいて確かな力で握られ、彼女は戸惑う。自分の行為に彼自身も驚いたようだった。ギュスターヴは曖昧に笑い、言葉を探して続ける。
    「その、なんだ。ここのところ顔を合わせてなかっただろう?」
     どうにも調子が狂うんだ、と彼が呟いた言葉が静かにレスリーの耳をうつ。
    「今ちょうど時間があるんだ。どこかで話さないか?」
     レスリーはギュスターヴの瞳を見た。そこには彼女に乞い願うような眼差しがあった。
     
     ——君はどうするんだ、レスリー。ついてくるのかい?
     
     あの時、彼がそう望んだから。はっきりと言葉にしなくても、目を見たらわかったから。
     どうしようかな、と誤魔化した言葉とは裏腹に、あの瞬間彼女の心は決まっていたのだ。
    (——馬鹿ね)
     レスリーは不安に揺れた心を自嘲した。
     答えはもう出ていたはずなのに。離せるものならとっくに手離していた。
     彼が望む限りは、そばにいるのだと。それがつまりは、自分の願いでもあるのだと。
    「ええ。いいわよ」
     レスリーは笑って、気づかれない程度にそっと指先に力を込めた。今だけはその極上の笑みを独り占めできる幸せを感じながら。

     
    「なぁ、ケルヴィン」
     テルムの執務室でギュスターヴがぽつりと呟くように口にした。部屋には彼ら二人の他にはムートン、ネーベルスタンがいた。それぞれが書類の山を前にしている。彼らの元に届く前にある程度は仕分けられているとはいえ、各種報告書、陳情書など、片付けねばならぬことは文字通り山積みだ。政務が順調に回り出すにはまだ時間がかかりそうだった。
     ギュスターヴはよくやっているほうだとケルヴィンは思う。ワイドにいる頃はムートンが全てを掌握していたため、ギュスターヴは曖昧に頷くだけでも政務が滞ることはなかった。だが、東大陸となると何かと勝手も違う。ギュスターヴが自ら決定を下さないといけない事柄も多く、執務室に篭もりっぱなしの日々が続いていた。いい加減、うんざりしてきても仕方が無い。愚痴のひとつでも出る頃合いだ。
    「……レスリーは元気か?」
     続いた予想外の言葉に、ケルヴィンは驚いて目線をあげた。
    「元気か……って、会っていないのか? 」
    「うん。見かけても、どこかよそよそしいし」
     ギュスターヴは不貞腐れたように口を尖らせた。先ほどまで神妙な顔で政務の決断をしていたかと思えば、うってかわっての子供っぽい表情にケルヴィンは内心苦笑する。
    「それは、立場をわきまえているからだろう」
    「なんだよ立場って」
     レスリーはグリューゲルの名家の出とはいえ、貴族ではない。表向きではケルヴィンの侍女という形で東大陸まで来ている。侍女にしかすぎない彼女が公の場で王族と気安くすれば、階級意識が強いフィニーでは悪目立ちしてしまうことだろう。
    「お前は、この国の主だぞ?」
    「そんなつもりはない、と言っているだろう」
    「お前にそのつもりが無くても、実際そうなのだ」
     問題はその『王族側』の意識の問題だ。ギュスターヴには口うるさく言っているものの、彼はなかなかその事実を受け入れない。彼の意識がフィニーに無いのは仕方がない。それでも落ち着く先が見つかるまでは、それらしく振舞ってもらいたいものだ、とケルヴィンにとっては頭が痛い問題だった。
    「今日はもうこれくらいで終わりにしましょうか?」
     また口論が始まりそうな具合になって、ムートンが横から口を挟んだ。
    「いいのか?」
    「たまには良いでしょう」
     昼はとうに過ぎているとはいえ、まだ日も明るい。まるでご褒美を得たようにギュスターヴの目が輝く。ケルヴィンはやれやれと肩をすくめたが、休みの申し出は疲れた心身には有難く、素直に受け入れることにした。
     
     
    「……ムートンは甘いな」
     ネーベルスタンが軽く書類を整えながら口にした。
    「将軍こそ、私が言わなければ休憩を提案していたのではないですか? それに、ギュスターヴ様には必要な時間でしょう」
     政務を潤滑に進めるためにも、とムートンは付け足した。
     扉の向こう側でバタバタと走り去る音が聞こえる。先王時代からの従者ならば何事かと不安になりそうなものだが、彼らにはもう聞き慣れた音だ。
     ネーベルスタンとムートンは顔を見合わせて、ふっと笑みをこぼした。
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