12/17 & 1/7新刊② 涼拓♀小説 青紅葉が秋名山を美しく飾り、伊香保温泉街でも見られる色に心が安らぐ。初夏の日差しに当てられながらも、清々しさを感じさせる新緑に囲まれる日々になった。
この季節を愛おしく思う藤原拓海が社会人の仲間入りをして、早ふた月を迎えようとしていた。
クルマに携わる仕事がしたいと地元の運送業者に就職したが、当然トラックを運転すればハイ終わり、ではなく、色々指導を賜りながら忙しない日々を過ごしていた。
そしてまた、かの白い彗星、群馬最速のストリートキングである高橋涼介が結成したプロジェクトDのチームメンバーとしても常に勉強の日々だ。
クルマに対して商売道具以上の感情がなかった学生の頃よりは整備(メカ)に詳しくなったとは思うが、それでも精鋭に囲まれている中ではまだまだ序の口。初めての峠でホームとしているチームに打ち勝ち、関東制覇を成し遂げるチームに所属する身としては圧倒的に不足している。尤もそれを補うべく所属している訳であるのだが、若干どころではない肩身の狭さを感じていることは事実だ。
ただこれも全ては己がため、且つ知識を持たずとも技術(テクニック)を見染てチームに誘ってくれた涼介の期待に応えるため、拓海は日々の意識をクルマへと向けるのであった。
そんな拓海が従事している運送業に定休日はない。シフト制で公休は自己申請式。
入社一年目の下っ端である拓海は、プロDの遠征日程だけは公休を確保するべく頑張っている。世間様の公休日と被るのだから休みたい従業員は多い。家庭持ちの先輩たちは特にだ。故に、遠征のない週は積極的に週末出勤するようにしていた。
今日はそんな日々の中での公休日。タイミング良く朝の配達は父親の当番だったので、通学する小学生の元気な声が静まった頃にのそりとベッドから起き上がり、一日の活動を開始した。
担当している家事を終え、朝元気に通学していた小学生が再び通りがかる頃にはさぁやることがなくなったと拓海が向かった先は、幼馴染の勤務先である拓海の学生時代のバイト先のガソリンスタンドだった。
敷地内の隅には先輩の愛機である180SXが停まっており、考えることは一緒だなとふいに笑みが溢れた。倣うように自分の愛機を停めれば、出迎えてくれたのは親友である武内樹だった。
「よォ拓海! 今日は休みか」
「うん。GW終わって落ち着いたから連休もらえたんだ」
離れた場所で話していた先輩ふたりに視線を送り、軽く頭を下げたら相手方も手をあげて返してくれた。
「拓海んところは忙しかったろ」
「まぁな。おかげで仕事をそこそこ覚えられた気がするけど」
「ハァ〜社会人になったとはいえ、オレはバイト上がりだから新社会人気分も抜けちゃったなあ〜……」
イツキらしい気の抜け方で、どこか生意気な口ぶりも憎めない愛嬌があるのだから不思議なものだ。
やはり馴染みの側だと息が軽くなる。ココに来て良かった。
「オレはまだまだ慣れないよ。新人だってのがすぐバレちまう」
「そりゃ拓海はそうだろ。全く違う仕事してるんだから。……なあ、オマエの職場、可愛いコいないか?」
耳打ちをするようにこそこそ尋ねて来たイツキだが、そんな隠すようなことでもない気がする。埼玉から来ていたひとつ上の女の子への恋が淡く砕けてしまったダメージは回復することが出来たということか。それはそれでめでたいとは思う、が。
「おまえ恋人ほしいのかよ……」
「なに?」
思わず漏れ出た声に、少し距離があった筈の健二の耳には届いたようだ。
友人であり拓海にとっては頭が上がらない先輩である池谷を従え、ズンズンとこちらに向かってくる。
「おい、ロンリードライバーイツキはどうした」
「それはそれ、これはこれっス! 出会いってのは積極的に作ってかなきゃないんスよ!」
ジト、と目を細めながら掛けられた健二の言葉に怯むことなく、グッと拳を握ってやる気を満ち溢れさせながらイツキは力強く言い放った。
「うっ……イツキのくせにまともなことを……」
メラメラとその心意気を表す炎が瞳からちらつき、堪らず健二は唸ってしまった。言っていることは最もである。
「俺はもうしばらくいいんだよ……」
そして、それを健二の横で聞いていた池谷はダバーッと涙を溢れさせていた。
いつかの釜飯屋の看板の下で散ってしまった淡い恋を未だに引きずっているようで、イツキとは対照的だった。
そんなやりとりをぼーっと眺めていた拓海はぼそりと呟く。
「オレは恋人欲しいんですよね……」
「そうだよな、おまえは欲しいよな…………え?」
拓海の言葉にうんうんと頷いていた健二は、会話が己の想像とズレが発生していることに気付き、思わず目を点にして拓海を見つめた。
「なあイツキ、ってお前に聞いてもダメか」
先輩の点になった視線に気付いてないのか親友に問いかけた拓海だったが、そもそも自分が学生時代にお世話になっていた職場であるし、交友関係もおそらく変化がないだろうと自己完結したようだ。
『えっ……えーーーーッ⁉』
日本のまんなか渋川市。
そこの小さなガソリンスタンドに男三人の悲鳴がこだました瞬間だった。
「ど、どういうことだ⁈ 拓海が恋人欲しいなんて!」
池谷は先程までのダメージが吹っ飛んだようで、思わず拓海に詳細を問いかけた。
拓海が異性に関心を持つなんて、予想外も予想外だ。イツキは常にカッコつけたがり、それはまだ見ぬかわいいかわいいカノジョを射止めるための行動だと理解している。それが空回りしているのも。
いつか、拓海に聞いたことがあった。『イツキはああ言ってるけど、拓海はどうなんだ? 一応年頃の女の子だろ。恋人とか興味ないのか?』と。それには『うーん……おれはあんまり興味なくて。学校でやりとりも見ますけど、色々めんどうそうじゃないですか』と実に拓海らしい回答を貰った。
そんな拓海が、恋人が欲しいと言った。健二も長くない付き合いながら、拓海の質(たち)はある程度理解していた。幼馴染のイツキは正に寝耳に水だろう。
拓海自身も三人が驚きを隠さないことへの自覚はあるため、人差し指でカリカリと頬をかきながら頬を赤らめて衝撃発言の真相を告げた。
「なんか働き始めてからすごく言われるんですよ。それがめんどうで」
高校まではそんなことなかったんだけどなあ……と、面倒ごとを嫌う拓海はぼやかずにはいられなかった。
入社時は先輩方に、配達では客先で『コイビトいるの?』と聞かれ、正直に答えたらそこで会話が終わる訳がなく。今は『まだいないならどう?』と勧められる始末。正直放っておいてほしいが、それを先輩、ましてやお客様に言えるわけがなかった。
「そりゃイツキが横にいたからじゃないのか?」
年頃の男女が四六時中一緒にいれば、周りがその仲を察することは想像に容易い。……が、健二が言うことは真っ当なようで、その実的を射ていなかった。
拓海は高校時代、数ヶ月に一度は何かしらのカタチでアプローチを受けていた。結果としてそれを一回も正しく理解せずに断っていただけの話である。人と多く関わらないゆえに意図せず回避し続けられたことは、最早奇跡に近いだろう。ゆえに本人は自身が好意を抱かれやすいことを自覚せずに十九年生きている。
◆
「――ってわけなんですが、どうすればいいと思います?」
「涼介さんが忙しい人なのも啓介さんがモテる男なのもその通りだけど、なんでそれをオレに相談した?」
珍しく急に連絡寄越して何かと思えば、と拓海の向かいでケンタは頬をピクピクと痙攣させながら悪態をついていた。
数日前に馴染みの人たちに相談してから少し拓海も考え、ふとケンタの存在が頭に浮かんだ。高橋兄弟には無理でも、あの人ならば話せるだろうと。であればと連絡してみたら「夜なら赤城にいるから聞いてやらんこともない」と言われて山道長い赤城山を愛機と共に上ってきたのである。
そんなわけで赤城山山頂のスタート兼ゴール地点の観光案内所奥のテラスにて、年少二人組は肩を並べて――拓海にとっては――密談を繰り広げていた。
「だって、涼介さんにも啓介さんにもこんなくだらない話出来るわけないじゃないですか」
「俺にはいいのかよ!」
そのくだらない話を聞かせてるんだ、とケンタは柵に預けていた身を離して感情のままに勢いよく拓海へと向けた。その拓海は特に表情を変えることなくその丸い瞳をケンタに向け「ダメでした?」と尋ねてくる。
「ケンタさん話しやすいんで。涼介さんには本当こんなことに時間割いてほしくないですし、啓介さんはキッパリ断ってるんだろうし……」
「だ、ダメとは言ってないけど……」
あまりにも素直に、且つ、見目は整っている年下に上目遣いで頼られ、ケンタはあまり意識していなかった異性の部分を感知してしまい、さっきまでの勢いが消沈した。
(そういえばコイツ、女だったな……。見た目こんなんだし、あまりにも違和感なさすぎて忘れてたけど……)
頭の輪郭に沿った丸みがあるショートカットに、一切の化粧気を見せない顔。単調色なロングTシャツに随分とゆとりのあるジーンズ。峠で見かける自性を主張する女性たちとは雰囲気がガラッと変わり、華やかさには欠ける。が、意識すると、少し抜けているが――バトルを除いて――激しい性格ではなく普段の表情にも如実に現れており、瞼を厚くしている大きな丸い瞳、筋の通った鼻に膨れる唇、淡く色付く頬を見て、ケンタは僅かに体温が上がったことを自覚した。
「そもそも話を深掘りされるの嫌なんで既成事実がほしいんですよ。はじめて恋人が欲しいって思うようになりました。ケンタさん恋人はいます?」
「オレはクルマ乗り始めてからQ's(コイツ)が恋人みたいなモンだからな……」
そっか、と納得する拓海を前に、尊敬する啓介に準えて如何にもな理由を答えてみたものの、そもそもそんなトラブルないし……元から恋人欲しいし……とは言えなかった。さすがに年上と男の見栄がある。
思案している様子の拓海は、少しの沈黙を保ち、「あの……」と口を開いた。
「ケンタさん嫌じゃなかったら、おれをケンタさんの恋人にしてくれませんか?」
「は――?」
◆(小説版書き下ろし部分)
「よし、じゃあ今日はここまで。また来週末頼むな」
外報部長の一声で本日のミーティングは締められた。
季節は初夏から本格的な夏へと移り変わろうとしており、秋名湖での――拓海にとっては――衝撃イベントから早ひと月が経過することを示していた。
涼介が基本的に多忙だということはチーム内全員の共通認識だ。国立医大の六年生であれば、時間を惜しむことが多いんだろうと拓海ですら理解出来る。その涼介の時間を貰うことに申し訳なさもあるが、伝えなければいけないことがどうしてもあった。
意を決し、ぞろぞろと解散し始めたメンバーから抜け、FCに向けて歩いていた涼介に早足で歩み寄って声をかけた。
「涼介さん。すみません、少しだけ時間いいですか」
「藤原か。あぁ、大丈夫だよ。何かあったか?」
気付いてくれた涼介が拓海に応えて向き合ったことで、かんばせの美しい彼と真正面に対峙してしまった拓海は例の如くふわっと頬を熱らせた。
プロDで集まっている時、拓海から涼介に声をかけることは多くない。聞きたいことは史浩やハチロクチームの松本に尋ねて事が解決するから。
それを理解しているからこそ、バラバラと己がクルマに向かっていたメンバーたちがこぞってふたりに視線を送ったのだが、唯一事態を察した啓介の「ケンタ! 何本か流すぞ」の一声で各々行動を再開させるのであった。
◆
残暑もようやく落ち着き、過ごしやすい気温になってきた。赤城山も少しずつ色付いて、季節の変わり目を視覚で楽しめる時期に移り変わる。
まだ走れるが、あとふた月もすればこの峠(やま)も静かになっていくだろう。
高橋涼介は春からの半年、〝公道最速理論〟完成への過程として少数精鋭チームであるプロジェクトDを結成し、無事関東制覇の目的を達成することが出来た。
本日はその労いとして、赤城大沼で解散会と称したバーベキューパーティーを行っていた。みんなが食材を味わい、多めに準備されたアルコールは消費され、年少組は酔いつぶれて隣のベンチテーブルに伏している。
涼介も久々に摂取したアルコールで体が火照り、少し酔いを醒まそうと水際でカルデラ湖を眺めていると、隣に並ぶ人物がいた。
「随分と露骨になりましたね」
プロジェクトDでハチロクチームのメカニックを担当した松本だ。
「……意味は成してないがな」
主語はないが、ふたりの会話を成立させるには十分だった。
(サンプル 終)