大学入学を機に、一人暮らしを始めた。
引っ越した際に挨拶をした隣人は自分と同じ一人暮らしで、その日以降「作りすぎたから」と頻繁におかずを持ってきてくれるようになった。
料理なんて自分のために作る気もなく、ましてや好きでもない。適当に腹に入ればいいと思っていた自分にはもったいなく感じたが、正直ありがたいものはありがたい。人より体格が大きい自分はいくらあっても足りないくらいなので、ありがたく頂戴していた。そんな日が続き、胃袋でも握られてしまったか、想いを寄せるのに時間はかからなかった。
「これ今月の食費です」
「えっ??」
封筒にバイト代でためた金額を入れ、食器を返すついでに無理やり押し付けた。
できたての卵焼きがまな板の上に乗っている。これから一口サイズに切られるのだろう。ホカホカと湯気がたっていた。
「えっ、だ、だめだよ!受け取れない。学生さんなんだから、そんなこと気にしないで?」
困った顔をして封筒を押し戻される。正直ちょっとかわいい。が、顔をニヤけさせる訳にはいかない。いつもどおりの表情で再度封筒を渡す。
「俺の気持ちの問題です。いつももらってばかりは性に合わない。なんつーか、フェアじゃない。そういうのは嫌だから、受け取ってくれ」
ぶっきらぼうになってしまった。女性に慣れていないのもあるが、特にこの人を前にするとつい憎まれ口になってしまう。まぁ、そんな事をこの人は何も気にはしないのだが。
「そっかぁ……じゃあ、もらいます。おいしいの、もっとつくるね。」
そう言ってニッコリと笑った。かわいい。耳が熱くなるのを感じる。バレないように、何か話題をと探した結果……
「つ、つーかよ、作り過ぎなきゃいいんじゃねーか?俺作ってくれって言ってねぇし……いや、うまいし、めちゃくちゃ助かるけどよ……。自分の分だけ、作ればいいじゃん」
やはり憎まれ口になってしまったことを、すぐに後悔した。
「……まだね、慣れないの。一人分作るの」
「前に一緒に暮らしてた人がいたから」
「つい作り過ぎちゃうんだぁ……」
だめだねー、と笑う。
左の薬指にはめられた、サイズが大きすぎる指輪がいやに目立ったように見えた。
「でも!最近はワルくんが食べてくれるから、気にならなくなっちゃって!今日もたくさん作ったから食べてね。はい、味見!」
そう言って一口サイズに切られた卵焼きを、口の中に突っ込まれる。
彼女の作る卵焼きは少ししょっぱい。ご飯といっしょに食べるとちょうどよくなる塩加減だ。
誰の好みの味かは、なんとなく気づいていた。
左手にある、サイズが合わない指輪の理由も。
いつも2人分作ってしまう理由も。
甘いものが好きな彼女が作る卵焼きが、少ししょっぱい理由も。
自分以外の誰かが、彼女の生活に根強く未だに生きている。そこに自分は、どうしたって介入できない。
「どうかな、おいしい?」
朗らかな笑顔で聞いてくる。焼き立ての卵焼きは中がまだ熱かった。
「…おい、しいよ」
本当は、俺、甘い卵焼きが好きなんだ。
その言葉は、しょっぱい卵焼きと一緒に飲み込んだ。