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    tak1_tam1

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    tak1_tam1

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    LM 375
    指差し確認的な小話。

    #ラストマン
    #皆護

    境界線 アストラルホテル東京。最上階のプレジデンタル・スイートルーム、3601号室。
     このドアの前に初めて立った時には、平静であると思っていながら、その奥深い部分には苛立ちが横たわっていたことに、今更ながらに気づく。このドアの前で何度、ため息をついただろう。ありとあらゆる種類のため息だ。
     それでも、日に何度もこのドアをくぐり、この部屋に滞在しているあの男と顔を付き合わせるうちに、このドアの前でため息をつくことも減ってきた。
     減ってきたというだけで、いまだにため息はつく。
     ただ、そのため息の種類が変わった。
    (今つくため息は、安堵に似ているのかもしれない)
     このドアの向こうのスイートルームに滞在している男は、ワシントンから送られてきた資料通りの、いやそれ以上のスペックを持った人物だった。
    (味方であれば、これ以上なく頼もしく。もしも、敵であったのなら……)
     護道心太郎は、ふいに脳裏に浮かんだ考えを、どうにか打ち消す。
     あの日、ベランダで彼の作った肉じゃがを食べながら、利用し利用される関係である、ということを確認したはずだった。それは互いに。
    (けれど、だから大丈夫であるというわけでもなく)
     あの男との関係をどう進めたらいいのか。自分でも、わからなくなることがよくある。
    (何を考えているのかがよくわからないのは、彼の目が見えないからなのか。それとも)
     そんなことを考えながら、気づけば心太郎はため息をついていた。そのことに気づいて、口元を歪めて笑っているのか苦虫を噛み潰しているのかわからない表情を浮かべる。
     それでも。
    (彼との捜査は、やりやすい)
     嘘もつけば、味方であるはずの警視庁さえも韜晦する。違法捜査も顔色ひとつ変えずに行う。
     以前、ICPOに出向していたことのある護道の父親の知り合いからは、君はステイツ向きだとはっきり言われたことがある。そうでなければ、私の下に来るか? と。
    『心太郎、君の好きに捜査をさせてやる』
     そんなことを、心太郎に耳打ちした父親の知り合いは、あの頃、《チヨダ》を率いていた。今で言う《ゼロ課》だ。
    (公安。あの時、なぜ頷かなかったのかといえば……)
     この警察の中でも、公安のやり口が、護道家で心太郎が学んだ《正義》というものとはかけ離れている、そんな気がしてならなかったからだ。
    (あんな無茶をするような、彼の《正義》は自分に近い……とでも、思っているのか?)
     そう考えながらもまた、ため息をつく。
     そして、心太郎は口元をゆるめた。このため息が安堵から発露したものだと理解できたからだ。
     自分を納得させるように、ちいさく頷く。そして、ドアベルを鳴らした。
     ドアベルが鳴り響くとすぐに、ドアの向こうからは人が近づいてくる気配が感じられた。すぐに鍵が外されて、目の前に見慣れた顔が覗く。
     部屋の中は真っ暗だった。
     彼は、皆実広見。交換研修で来庁している盲目のFBI捜査官だ。
     相変わらず、人当たりのよい表情に、何を考えているのかわからない笑みを浮かべる。
    「どうぞ」
     そう迎え入れると、すっかり慣れた様子で、入り口の壁を手のひらでたどる。照明のスイッチを入れようとしている。
     彼には灯りというものは必要がない。ひとりで部屋にいるときは、灯りは点けないと、本人も言っていた。
    『奇襲を受けた時にも、有利ですしね』
     皆実は、冗談なのか本気なのかわからない表情で付け加えた。
     一瞬だけ、ぎょっとしたが、表情には浮かべずに『そんなもんですかね』と適当に相槌を返した。
     今にして思えば、彼には表情を隠しても無駄だったのだと思い知る。
     自分たちが如何に、視覚情報優位の生き方をしているのか。それはそんな瞬間にも浮かび上がる。
     思わず、心太郎は手を伸ばしていた。
     皆実の手に自分の手を重ねた。室内の照明を点けないように、彼の手を押しとどめた。心太郎は、自分でもどうしてそんなことをしたのかわからなかった。
     この重なっている手のひらからだって、感情を読み取ってしまいそうな男のことだ。なにかを言葉にして発してしまえば、わからないという感情が動揺となって溢れてしまい、それは皆実に伝わってしまうだろう。
     ただ、頷いた。
     見えない相手にそんなことをしても意味はないのに。
     皆実は一瞬だけ、表情に空白を乗せると次の瞬間、薄い唇を弓なりにしてしずかに微笑んだ。そして、頷き返した。
     手をスイッチから離すと、皆実はすっと右の肘を曲げると心太郎の脇腹を突く。
     思わず、あっと声を上げた。皆実は穏やかな口調で言った。
    「どうぞ」
     その言葉に、引き寄せられるようにして心太郎は皆実の腕にそっと手を乗せた。
    「Let's go. Cindy」
     耳元で低く囁くと、皆実は喉の奥で笑いながら足を踏み出した。普段ならそんな皆実に対して、呆れたように片眉を上げるはずだ。けれど、この日はそんな気分にはならなかった。逆転の立場というのも面白く感じられた。
     すこしだけ、心太郎の口角もゆるむ。
     皆実のエスコートに歩調を合わせて、暗い廊下を抜ける。
     それでも、廊下の先に広がるリビングはかすかな光で、浮かび上がっているのがわかる。
     青白い夜の光。
     昼間のそれのように強い光ではなく、夜の闇を抜けて届く光だ。東京の夜を照らすのは、商用のイルミネーションや数々の窓からもれる生活の光。道路を行き交う車のヘッドライトの灯り。
     そして、中空には満月が昇っていた。
     まるで、水底に沈むような感覚だった。闇の底に沈んでいる。
     海に潜ったことがある。子どもの頃のことだ。葉山の海岸で、義兄の京吾と一緒に海に潜った。潜れば潜るほど、光は消えて海は闇に包まれる。一瞬だけ、あの頃の夏の透明な光を思い出した。
     暗いはずの世界は、すこしだけ明るさを取り戻す。この程度の光源があれば、心太郎も迷わず歩くことができる。
     そのことに気づいたのか、皆実はリビングのセンターに鎮座するテーブルの端に、心太郎の手を預ける。
    「ワインを飲んでいたところです。シンディ、あなたも一緒にいかがですか?」
     にっこりと微笑む。そして、慣れた様子でキッチンからワイングラスを一脚、持ちだすとテーブルに戻る。
     闇に近く慣れた場所でなら、皆実はまるで目が見えているかのような動きを見せた。まるで、魚が水を得たかのように。
     皆実は耳元にグラスを持ち上げて、音を聞きながら器用にボトルからワインを注ぐ。
     そして、適量に注いだグラスを心太郎へと差しだすと言った。
    「……電気は、つけなくてもいいんですか?」
     そんなことを聞くから、心太郎はすこしだけ口角を上げると頷く。
    「今日は、あなたの世界へ歩み寄りたい気分なんです」
     言いながら、グラスを受け取る。思ってもいないことを口にするとまるでそれが、真実であるように響いてしまう。動揺が沁みだしそうになるのを、心太郎はどうにか抑えこんだ。
     皆実は満足そうに微笑むと、椅子を引いて腰をおろした。
     ゆっくりと自分のグラスを掲げると、ウィンクをする。
    「ようこそ、こちらの世界へ」
     そんな皆実に引き寄せられるようにして、心太郎は掲げたグラスにグラスを重ねた。ガラスの澄んだ高い音が、部屋に響く。
     柄でもないことをしているという気持ちに突き動かされるようにして、心太郎は口を開いた。
    「とは言え、今日は満月なので、意外と世界は明るいんです」
    「そんなふうに、自分の気持ちを誤魔化さなくとも大丈夫です。わたしは、あなたが歩み寄ろうとしてくれた気持ちが、うれしいです。とてもね」
     ふふふと満ち足りた表情を浮かべて、皆実はグラスを傾ける。まるで見えているような仕草で、グラスを回しながら言う。
    「こちらの世界はいかがですか? シンディ」
     葉山の海が脳裏をよぎった。
     今しがた、心太郎の心の奥から湧き上がったあの光景だ。青い光が身体を取り巻いて、深い闇に沈んでいく。それでも、まだ辺りには光がかすかに届いている。
     まるで、この場所のようだ。
     彼の世界と自分の世界が交わる場所。
    「……あ、いや」
     思わず口ごもると、皆実は熟練の教誨師のような口調で促す。
    「どうか、思ったことを素直に口に出してみてください」
     躊躇を孕んだ心の奥底の言葉は、あっさりと引きだされてしまう。心太郎はゆっくりと口を開いた。
    「……海の底に沈んでいるようにも思えます。光がなくなるだけで、こんなにも静かだとは思わなかったですね」
     それでも、心太郎はすぐ、自分の言葉に我に帰る。
    「意外なこと言うって思っていますよね。いいんです。馬鹿にしてください。自分でも自分らしくないって……」
     けれど、その言葉は遮られる。皆実のすこしだけ鋭さを内包した穏やかな声に。
    「わたしがそうした言葉尻をとらえて、あなたを馬鹿にしたことが今までに、一度でもありましたか?」
     こんな瞬間、目の前の男の正しさというものを強く感じてしまう。気圧されるように素直に返していた。
    「……ありません、ね」
    「よかったです」
     満足そうにうなずいた皆実は、グラスのワインを飲み干してから、ゆっくりと口を開いた。
    「ご存知かと思いますが、色というものを知覚できるようにしているのは、光なんです。海が青く見えるのは水による光の吸収と拡散によるものです。太陽光線は七色の光が集まったものです。それぞれの色には異なる長さの波長があります。波長が長いと、吸収されやすく、拡散されにくい。短ければ、吸収されにくく、拡散されやすい」
     言いながら皆実は、ゆっくりと立ち上がると、窓側へと歩みを進めた。東京のすこしだけ騒がしいイルミネーションに照らされた夜の青。窓際に立つ皆実の姿は、まるで水底に沈んでいるかのように見えた。
     皆実は続けた。
    「水中に入った光は赤から吸収され、青が残る。そして、青はよく拡散するので、全体が青く見える。それでも、もっと深く光の届かない深海になれば、色は失われます」
     寄せて返す、波の響きのような口調で。
    「ある意味で、今のような光と闇の混ざった状態というのは、互いの世界の境界線上にいる。とでも言えるのかもしれません」
     おどろいて、息を飲む。
     心の奥深い部分までを、皆実に覗かれてしまったのかと思ったからだ。
     声に感情を乗せないように、繰り返す。
    「境界線」
     皆実はちいさく頷いた。そして、続けた。
    「この場所が、あなたに取っても、穏やかな場所であれば良いのですが」
     表情は闇に沈んで見えなかった。
     けれど、心太郎には皆実がどんな表情を浮かべているのか。それが、見えたような気がした。気配を感じた。
     それは、今後この部屋の前でドアベルを鳴らす前には、絶対にため息に憂鬱を乗せることはない。
     心太郎にそう思わせる。そういう種類の表情だった。
     見えなくても、それは気配だけでも、彼の呼吸や息遣いだけで伝わるのだ。心太郎にも。
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