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    ワース・マドルとふたつの星 言い訳だろうが言わせてもらう。『こんなはずではなかった』のだ。
     顔の回りをブンブン飛び回る小鳥を追い払い、今日も今日とて空を見上げる。夜空にある無数の星たちを杖先で示しその角度を測り距離に予測を付け、ワースは地面に広げた羊皮紙に書き込んでいく。手元しか灯りのない高野より更に高い山の上で、人はどうにも目立つらしく魔動物は興味深そうにワースを見つめていた。
     
     ただ一匹、この鳥だけはどうにもならない。初日からブンブン飛んでいたが三日目の今日ともなればわざと頭に当たってくる始末。
     こういうのを許しちゃいけない。ワースはよく知っている。『舐められたら終わり』で『小物を相手したら面倒』だ。人間社会もそういうもの。ワースはよくよく、よく知っているのだ。
     元々、此処には仕事で来てるんだから手っ取り早い方がいいだろう、何事も。ワースは再度頭部を狙ってきた小鳥を片手で掴むとそのままギリギリと締め上げた。妙に手のひらが温かかった。
     
     「テメェ~、こっちが大人しくしてりゃずっと邪魔しやがってよォ」
     「ピィ~~」
     「いいかァ、オレはあと七日くらい此処に居るぞ、んでずっとこうして仕事してンだ。文句あったらテメェらのボス連れてこい。此処は自然だからな、力くらべの勝者の言うことはぜった~い!だ。分かったか!おらいけ!」
     「ビィイイ」
     投げ捨てられた小鳥は一目散に森の奥を目指していく。ワースは鼻息荒くそれを見届け、またも星を写し取る作業へと戻った。ああ、もうなんでこんなことになっているやら。それは、そう。全くもって『こんなはずではなかった』のだ。

    ***
     さて、最初こそあーだのこーだのあったランスとワースであったが無事同棲を初めてからは落ち着いたものだった。なんせお互い仕事が忙しく仲違いする暇もない。疲れ果てたワースは立派な家のバルコニーから夜空を見上げることも増えた。別に何か恋しいからじゃない。何か星空に重ねているわけでもない。ないったらない。
     ただそうして見上げているうちに優秀な頭はちょっとした違和感を感じ、勤勉な性格は手元にアストロロジー、つまり星占いの本を引き寄せた。
     魔法使いからしてみれば天体を読むというのは立派な学問だ。ワースだって授業は受けたしテストも満点だった。だから、気付いてしまったわけだ。随分と、まあ、悲惨なことで。

     気付いて、ついでに思考がまとまったところでランスとの食事会なんてものが入っていた。惜しくもこうしてちゃんと時間が取れたのは三週間ぶりなことでランスはそれはもう楽しみにしていた。毎日挨拶のように確認してくるくらいには。
     嗚呼、でもこの場で言った方がいいのだろう。世界を考えたら間違いなくそう。しかし、この食事会だって意味がある。そこに仕事の話を持ち込むのは、ああ、こんなはずじゃなかった。なんで気付いてしまったのか。ぐちぐち言っても仕方が無い。
     
     そうして、この街でも最高級ホテルの最上階、あまりにも立派すぎるレストランで、ワイングラスを鳴らして、酒でちょっと喉を潤したところで、「あのよお」と切り出した。

     「貴様、まさか、今仕事の話を始める気じゃないよな?」
     「そのまさかだ」
     「貴様が散々ごねたオーター・マドルへの挨拶の下見だぞ?その場で本当に仕事の話をするんだな?おそらく星の神杖としてのオレに?本当にそれでいいんだな?」
     「オレだって好きで宣戦布告したい訳じゃねェんだわ」
     「よし、受けて立とう」
     「ハァ~~」

     レストランの鏡越しから見える星空は今日も美しく輝いている。その光を瞳に携えた男は随分と冷たくワースを睨むのだから困ったものだ。耳元の惑星が微かに揺れた。
     説明は簡潔だ。大陸移動による天体の位置、そして今まで培ってきた天体解釈のズレの指摘。家のバルコニーから描きうつした星図を広げればランスは少しばかり険を解いて意外そうにワースを見たものだ。やめろ、何もないから何も言うな。何もないったらないのだ。

     「先に天文台の奴らへ一報送ったんだがな、キノコ頭くんのせいで神話解釈とその精査で手が回らないとさ。やりたきゃ上から勅命もらって勝手にやれってこった」
     「なるほど。現在のアストロロジーだと何が読み取れるんだ?この凶星は理解できるが」
     「そっちの凶星とこっちの星が並ぶと崩壊や喪失。繋がっている物を全部言うなら大陸、波、人、沈む。大規模な災害と見て取れる。んでこっちは同時期に人災だ」
     「悲惨だな。でもズレが生じている可能性がある」
     「そ、早くて五日。遅くて十日。それを見定める為に時間と場所が欲しい。星図を作るなら国営の保護区みたいな場所がいい」
     「……ところでワース。十日後に何があるか分かってるか?ン?」
     「兄貴へのご挨拶」

     ランスに睨まれても仕方ない。此処までは予想の範疇だ。『早くて五日』が見向きもされなかったのが痛手だったが、ちぇ。ランスはもうワースの出張が短くなることなどないと分かっているのだ。理解があって何よりである。
     しかし、ランスも事のほのかな緊急性は分かっていたのか『検討する』という段階を踏まず、メイン料理が届くころにはOKを出した。もっと味のない食事を口に運ぶことになると思っていたが柔らかで上質な肉はそれはもう美味だった。ランスも口角を上げて息をつく。
     
     「食事会は夜だが昼からサロンを予約している。貴様を風呂に入れ、衣服の準備となると……当日の朝五時、オレが目を覚めて貴様が家に居なかったら……分かるな?」
     「ウス」
     
     やっぱりデザートの味は分からなかった。

    ***
     こうしてワースは星の神杖の勅命の元、魔法局が管理している山へと踏み入った。管理していると言っても「人の手を加えない」という管理だ。ワースも観測スポットまで箒で飛び、動物や植物に影響を与えないテント生活を送っていた。

     が、四日目の朝、寝起きと共に現れた巨大なファイヤーバードにテントを焼かれそれも無くなった。
     ああ、こんなはずじゃなかった。昨晩シメた小鳥がその後ろで笑っているのを見てこめかみも切れる。徐々に迫りくるタイムリミットに頭は最愛と難関な兄でぐるぐるしていたというのに。うっかり兄を意識しすぎて自身の泥を圧縮した技で応戦していたワースはそれに気付いて「ああ、もう」と唸った。
     どうにもこうにも、こんなつもりじゃない!ファイヤーバードを泥で締め上げ、その眼前に杖を突き付けてこう言った。

     「もうタイムリミットまで一週間切ってんだよオ!」

     さて、動物というのは言葉がなくとも伝わるものは伝わるのである。ワースの必死さ、そして強さ。自然界において力比べの勝者の言う事は絶対だからファイヤーバードもワースに歯向かうことは、もうない。
     それどころかテントの代わりに、とでも言いたいのかその大きな羽をいくつか置いていった。柔らかな温かさは寝袋なんて目じゃなく、一際強く風だって物ともしない。あまりに最高な贈り物にワースは満面の笑みを見せた。
     その夜からは魔動物も協力的になったと言える。お馴染みになった星空観察は動物たちがもってきた果物とナッツ類を摘まみながらとなり身体を震わせればもこもこの毛玉たちが取り囲んでくれる。
     ただ一匹、どこぞの小鳥だけはワースへと用意された軽食も突くし、他人の頭に潜り込むしで散々だ。まぁ、温かいから許すが。

     ワースは今日も星空を見上げる。最初に見上げたのはいつだったか。アストロロジーを知った日に己の運命を見ようとしてテラスに出たのかも知れない。いつか、ちゃんと価値を得られるだろうか。神覚者となった兄のように。
     しかし、そこに広がる点と点はワースの頭に浮かばず、ただ一つ、見事の輝きに視線を奪われた。
     
     夜空の中でも一番明るい星。いま青白い星はあの時、確かに黄金に見えた。兄の砂粒のような黄金はその星の名の通り、ワースの目を焼き焦がしたのだ。
     セイリオス。おおいぬ座シリウスが二つの星から成るものだと知ったのは悔しくもアイツに負けた後だったが。ふとした瞬間に星空を見上げ、青白い星を追うようになってから。
     
     ああ、こんなはずではなかった。星の細事に気付くほど焦がれるはずではなかった。どこまで行っても最初に惚れた方の負け、ワースはいつだって完敗だ。しかし、それを最初に目を焼いた男に紹介するのは、これが、なんとも。ワースの心境なんて時間の前では些事も些事。日は刻々と進んでいく。

     さて、残すところあと一日となったある日のこと。ファイヤーバードの羽に包まれ、ついでに動物たちを抱きしめ寝ているとズゥンと地響きが鳴り響く。ついでにファイヤーバードの羽音と周辺からは焦げた匂い。ワースは目元を擦って立ち上がると目を凝らした。
     此処は魔法局が管理している山である。人の手が入らないとなれば外敵は獣同士のはず。しかし、どうにも魔力の気配が濃く、どことなく覚えがあるから冷や汗も流れる。そんな棒立ちのワースにスコンとぶつかってくる影がひとつ。そうだ、こいつはいつだってそう。ファイヤーバードの小鳥は焦ったように何度もぶつかるとビイビイ鳴いてワースの腕を強く引っ張る。
     
     「おいおいおい」
     「ビイ~~ビィッビィッ!」
     「なんだってオイ」
     「ビッ!ピッ!ビッ!」
     
     人の背中を蹴りだしてなんとか前へと歩かせようと必死だ。ワースは杖を掴むと小鳥の案内に導かれるように歩き出そうとして、ドオンと派手に吹き上げる『砂』を見た。昼だというのに天高く舞った砂粒がワースの頭上できらりと輝いた。

     「ビィイイ」
     「あ、これ無理だ。絶対無理な奴。無理無理無理、オレはまだ心の準備が出来てねェ」
     「ピイ!ピイ!」
     「いや、オレここのボスじゃねェし!そりゃお前の親だろうよオ」
     「ピイ~~~~~~~~~~~」
     「いいかガキ。人間界にも序列ってもんがあるんだわ。結局力が強い奴が全てってこと」
     そう、いかなる社会も強者は強者。ワースはばっさばっさと大きな羽音が此方に近付いてくるのが薄っすら聞こえていた。
     勇ましかったファイヤーバードはその首に砂の首輪を付けられ背には鞍。酷く疲れた様子でふらふら飛んできたかと思ったらワースの目の前でぺしゃんと潰れた。
     ぐる、グルワア。まるで後は頼んだぞと言いたげだがワースはゆっくり首を振る。無理なもんは無理。目が合わないうちに逃げてしまおうと杖を握ったがざらりとした感触のちボロッと崩れた。砂だった。

     「」
     「可笑しいと思わないか、ワース。お前から大事な話があると予定を入れたが何故か招待状はランス・クラウンが直々に持ってきた。退勤後のプライベートタイムを狙ってだ。中身を見ればお前とランス・クラウンの連名、その場で問い詰めれば「今言ってもいいのですがせっかく席を設けたので」と言いつつ杖を出してきた。止めてくるライオと宥めるカルドと笑い転げるレナトスも相手していたらすっかり時間が掛かってしまった。さて、ワース」

     兄の瞳がぐるりと回る。思わず頬に抱きついてきた小鳥をワースも抱きしめ、ワースは震えながらも尋ねたのだ。

    「で、あの、ランスは?」
    「救護室だ」
    「じゃあ、あの、明日ァ」
    「わ、あ、す?」

     人間界含み自然界の掟は「勝者絶対」だ。戦う事すらできない、というより心の準備も間に合ってない心臓バクバクのワース・マドルは目の前の脅威に頭を下げることしか出来ず、なとか明日、明日全部言うので、あの明日まではと延命を望んだが、ああ無情、オーター・マドルにはそのどれも届かなかった。
     小鳥を抱きながら崖の上で正座をし、ランスとの馴れ初めから語る弟を兄がどう思ったのかは分からない。しかし、「明日は余分なワインと替えの服を用意しておきなさい」とワースに言いつけるとファイヤーバードに跨りきっかり帰っていった。
     はあ、『こんなはずではなかった』。もうくたくただというのに世界の端から世界は色を変えていく。濃紺が滲む空にひとつの明るい星。誰よりも早く輝く星。

    「勘弁してくれェ」

     ワースはまずは彼の無事を祈って星をしかと描きうつした。

    ***
     さて、まずは彼の功績を言うべきだろう。ワース・マドルが仕上げた新たな星図は随分と役に立った。ついでのメモと掛かれたズレへの範囲、そして旧解釈と新解釈の在り方は現存する全ての予言に影響与えるほどだ。
     しかし、アストロロジーというのは直ぐに答えが出る学問ではない。幾星霜から成る積み重ねの学び。蓄積が全ての天体の歴史書。ワースの解釈もこの一時この瞬きのひとつに過ぎない。
     だからワースは専門にしない。何か、いや別に何もないけども、ちょっとばかし心が暗んだときに空を見上げるくらいで丁度良い。そうして明るい星を目に映すくらいが良い。見すぎたらきっと焼き焦がれてしまうのだ。

     と、ワースは複雑な気持ちでその日その時を迎えることとなった。見たことも無い最上級の正装を持ち出したボロボロのランス・クラウンはワースに聞いた。

     「神覚者のローブの方が格が上か?どちらの方が権力を見せつけられる?」
     「相手は先輩神覚者だからなア」
     「なるほど、コチラだな」
     「替えは神覚者のローブにしとくぜ」
     「ああ、決闘場の予約も入れた。今度こそ殺るぞ」
     「程々になア」

     こうして揃った食事の席。神覚者ローブとマドル家が贔屓にしている高級テーラーという合わせ技で仕上げてきたオーター・マドルはランスを鼻で笑うと着席した。粛々と進む食事の席では隠しもしないチクチク言葉で互いの痛い腹を突き合う。その放蕩息子という言葉はどちらに言っているものやら。ワースばかりが胃を痛めているだけだ。
     そしてデザート後のコーヒーとこれこそメインの「大事なお話」。ワースが手をぎゅっと握る。ああ、ここにあの小鳥が居たらどんなに心強かったか。
     
     「だから、ランス・クラウンと同棲してます」
     「違う。結婚を前提にお付き合いしています、だ。」
     「……同棲?……結婚?」

     既に殴る準備をしていたオーター・マドルが困惑の末、拳を解いて眼鏡を直す。現状の報告じゃないのかと思っているワースに結婚の報告だと思っているランス。何も知らないオーター・マドルはどこから反応すればいいのか分からない。
     同棲なんて知らない、聞いてない。それどころか、結婚?
     
     こんなはずではなかったが、彼の中で結果は変わらない。不可である。用意された余分なワインを瓶の口ごと切り払ってランスの頭からぶっ掛ける。
     
     こういう格下の勝手を許しちゃいけない。オーター・マドルもよく知っている。『舐められたら終わり』で『小物を相手したら面倒』だ。人間社会はそういうもの。オーターの方がワースよりもよくよく、よく知っているのだ。あーあ、と見上げるワースの横でランスはキレて立ち上がった。
     
     「食べ物を粗末にスルナァ!」
     「え、そっち!?」

     そのままホテルの決闘場へ向かったふたりを追って辿り着いたのはホテルの屋上。なんと星空の下。ワースは「こんなはずじゃ」と独り言ちて、すっかり慣れた様子で星空を見上げた。一番明るく輝く星はゆらゆらと色を変えて、この一時を見守っていた。


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