バイトとある理由でどうしてもお金が必要になったぼくは、ねこ娘に紹介してもらった某ハンバーガーショップで働いていた。
職種は接客。日雇いのアルバイトだ。勤務時間は11時から17時。
わからないなりになんとかこなしていた……のだが、今日の業務もあと少しというところで。ぼくは迷惑客に絡まれてしまう。
「まさか我が生きがいにこんなところで会えるとは。なぁ鬼太郎?」
「………………。いらっしゃいませ」
レジ前に陣取ってニヤニヤと笑うこの迷惑クソジジイ……おっと……今は一応お客様?は、言わずとしれた悪妖怪の総大将、ぬらりひょん。
男はさも偶然来ましたとでも言うように、わざとらしく驚いた顔をした。だがそんなはずはない。そもそもこの男がハンバーガーなんて柄か?絶対に違う。
察するに、どこからか噂を聞きつけて来たのだろう。相変わらず底意地の悪い悪趣味な宿敵だ。
「……ご注文はお決まりですか?」
だが向こうが客として来ている以上、こちらから手を出すことはできない。たとえ今すぐにでもぶん殴りたいほど、ふざけたニヤケ面を晒していたとしても。
言いたいことを全部飲み込んで、ぼくは淡々とマニュアル通りの対応で返した。
さっさと注文して帰ってくれ。あるいはいっそ何か問題でも起こしてくれたら……いや、よそう。やっぱりできるだけ速やかに帰ってくれ。
ぬらりひょんはそんなぼくの葛藤を楽しむかのように、やたらともったいぶった動きでメニュー表を手に取った。ちらちらとぼくを見ながら、わざとらしくアゴに手を当てて考え込むフリをする。
「うーむ、どれにしようか」
ーーなんでもいいから早くしてくれ。
「種類が多くて悩んでしまうなぁ」
ーーどれだって一緒だろ。どうせ朱の盆辺りにでもあげるんじゃないのか?
「メニューが細かくて見にくいぞ、なんとかならんのか?」
ーーそれはぼくに言われても困る。
ぬらりひょんの独り言に心の中では悪態をつきながら、それでも表面上は無言を貫いていた。ここで余計なことを言ったら最後、絶対に面倒なことになることがわかっているからだ。……だが。
ぬらりひょんのどうでもいい言葉を聞き流しつつ、ぼくはちらりとその後ろを確認する。今並んでいるのはぬらりひょんを入れた二人。この時間帯はあまり忙しくないから、レジに入っているのはぼく一人で応援もない。さっさとこの迷惑な客を終わらせないと、後ろの人を待たせることになる。
……仕方がない。
「そんなに決まらないならあれにしたらどうだい?……ですか?」
放っておいたら延々居座りそうな宿敵に、いやいやながらも声をかける。適当に指をさしたのは、期間限定商品のポスター。
男はちらりとそちらを見ると、ふむ、と小さく頷いた。
「ではそれを一つ、セットで頼もう。飲み物はお前の好きにしろ。
ああそれと……氷は抜き、ソースは多め、ポテトは揚げたてでな」
……おいコイツ、絶対わかってやってるだろ。
「……かしこまりましたぁ〜」
握りしめた拳を体で隠しながら、そそくさとレジを離れる。厨房に注文を伝えた後、近くにある機械でジュースを注いでいると、後ろから声をかけられた。
「鬼太郎よ。このままごとは何時に終わるんだ?」
「個人情報は教えられないんですよ〜」
「あと10分か。人間に混じってあくせく働くとは、お前も大変なことだ」
「ちょっと何言ってるかわかんないですねぇ」
明らかに弄ばれていることに苛立ちを感じつつも、動きは止めない。一刻も早くこの茶番を終わらせたい一心で、てきぱきと注文の品を袋に詰める。
レジに戻って金額を告げると、普通に財布を出して精算された。……全く問題ないはずなのにどうしても癪に障る男だ。
しかしなにはともあれ、これで終わった。ようやくこのめんどくさい状況から解放される。あとは商品を渡すだけだ。
そう思い袋を差し出したのだが……なぜか、ぬらりひょんは一向に受け取ろうとしない。
「鬼太郎よ。あれを一つ、追加だ」
訝しむぼくに、男はニヤニヤしながらレジ横のパネルを指さした。そこに書かれているのはあの有名なキャッチコピー。”スマイル0円”。
……正気?
「ほら、さっさとせんか」
もう一度、ぬらりひょんの後ろを見る。並んでいるのは……五人。もはや悩んでいる余裕はない。
「…………」
ぼくは一度大きく深呼吸すると、あらゆる感情を押し込めて……いや、逆に全部を、表情に乗せて。二度と来るなという気持ちを込めて。
「ありがとうございました!!!」
とびっきりの笑顔で、男に商品を押し付けたのだった。
●おまけ
あのはた迷惑な客を追い出してから、15分後。退勤し裏口を開けた瞬間に見慣れた後ろ姿を見つけたぼくは、特大の溜息をついた。
「なんでまだいるんだ」
咎めるような声で問えば、男はわざとらしく肩をすくめて。
「頼んだ品をまだ一つ、受け取っていないからな」
そう言って、持っていた袋を差し出してきた。
「え?そんなはずは……」
反射的にそれを受け取り、中をあらためる。
見慣れたロゴマークが付いたその袋の中身は、期間限定のハンバーガーと、わざわざ揚げ直してもらったポテト、適当に入れた氷抜きのジュース――すべて、さきほど受けた注文の通りだ。
「全部ちゃんとあるじゃないか。
いったいなにが、」
首をかしげながらも袋を返そうとしたほくの体が、ぐらりと傾いた。ジュースをこぼさないように慌てて袋を持ち直す。
腰周りに感じるのは、がっしりとした腕の感触――ぬらりひょんの小脇に、抱えられたのだ。
「なにするんだ!?」
「だから、注文の品を待っていたと言っただろう」
「はぁ!?」
注文の品とはいったい、とまで考えたところで、はたと気付く。この男の、最後の追加注文を。
「おまえ……」
もはや呆れてものも言えないぼくをしっかりと捕まえたまま、男は満足そうに笑った。