「先輩、新木場さん。――そこまでです」
鋭い静止の声が、探偵社の静寂を裂いた。
目の前の書類、その次の項を記入しようとしていた手を、ぴたりと止める。
「もう、そんなに経ちますか」
新木場さんがしみじみと呟いた。読み込んでいた文献を閉じ、立ち上がる。
自分は品川君を見る。彼は強い意志を秘めた顔で大きく頷き。
「昼休憩の時間です」
きっぱりとした声で、そう告げた。
◆◆◆
「いやはや、いつも申し訳ない」
「お手数おかけします」
「どういたしましてー」
凝り固まった体を伸ばしつつ、3人で給湯室に移動する。
探偵社の昼休憩は、いつも品川君の一声で始まる。
自分や新木場さんは仕事に没頭してつい時間を忘れてしまうからだ。
給湯室の壁掛け時計を見る。現在時刻、12時40分。
いつもより10分ほど遅れているのは、自分の作業が一段落するのを待ってのことだろう。彼の時報は有無を言わさぬ物言いではあるが、その実時間だけで区切っているわけではないとわかる。
彼はそういったところに気を配るのが上手いのだ。狙うべき期を逃さない、ともいうべきか。
「はい、どうぞ」
席に着くとすぐに、品川君が新聞包みを配ってくれた。自分と新木場さんはお礼を言いながら受け取り、包みを開く。中は見慣れたアルミの箱――弁当箱だ。
「いただきます」
3人で手を合わせて唱和したあと、蓋を開く。その中身を見て、新木場さんが嬉しそうに呟いた。
「今日はまた随分と豪勢ですねぇ」
たっぷりと詰められた白飯の上に、うるめと梅干し、たくあんが乗っている。三分の一程度に区切られた一画には、煮物と、ふんわり巻かれた卵焼き。
新木場さんの言う通り、豪華な内容だ。
――品川君はいつからか、自分と新木場さんの分まで昼食を作り持って来てくれるようになった。なんでも、自分達が昼食に関してあまりに無沈着なのを見て、これは自分がなんとかしなくてはと思ったとか……。
探偵業務の都合上出先で食べることも多いからか、彼が作ってくれる昼食は、常にお弁当の形をしている。その心遣いには頭が上がらない。
「いつもありがとうございます」
あらためてお礼を告げれば、品川君は照れくさそうに頬をかく。
「そんな大したものじゃないですよ。ほとんどがただ焼いただけか、昨日のおかずの残りを詰めただけですし」
「それでも、毎日作るのは大変でしょう。負担になってはいませんか?」
「全然問題ないっす。弟や自分のを作るついでですし……むしろジブンが勝手にやってることなのに、お金までいただいていて、少し申し訳ないというか」
途中でわずかに曇った品川君の雰囲気。それを察知し、お弁当に夢中だった新木場さんが顔を上げた。
「品川君のお弁当は、いわばうちの社食ですから。当然です」
そう言うと、真面目な顔で重々しく頷いて見せる。一方でその手元はいそいそと動き続け、ご飯の上に何かを乗せていた――煮物の下に敷かれていた鰹節だ。
つゆをたっぷりと吸ったそれをご飯と一緒に口に運んで、彼はへにゃりと破顔した。
――品川君が全員の昼食を作ってきてくれるようになってから、新木場さんは給料とは別に、調理手当としていくらかを支払っているらしい。新木場さんらしい計らいだ。
それなら自分もと思ったのだが、品川君からは「これ以上は受け取れません」と断られ、新木場さんからは「これは社長の仕事です」と言われてしまった。
それでも何かを返したいという思いから、自分は微力ながら、食べ終わった後の片付けを担当させてもらっている。
「それにしても、君は料理が上手ですね。
この卵焼きなんてほら、ふわふわで、甘くて、お出汁の香りも効いてて」
ふわふわの卵焼きを頬張りながら、ふわふわと笑う新木場さん。
「卵焼きの作り方は、昔母から教わったんです。弟にも好評で」
「品川家のおふくろの味ですねぇ」
「久しぶりに焼いたのでちょっと崩れちゃったんですけどね」
照れくさそうに返しながら、品川君は自身も卵焼きを口に運んだ。自分はというと……少し迷ってから、沢庵に箸を向ける。
――品川君のお弁当には、これまでにも何度か卵焼きが入っていたことがある。彼の作る卵焼きは、新木場さんの言う通り、やさしい甘さで――
「……」
ふと、思考が中断された。息を吐く音が聞こえた気がして顔を上げれば、こちらを見ていた品川君と目が合う。
「午後から備品の買い出しに行こうと思うんですけど、お二人は何か必要な物とかありますか?」
彼はいつもの調子で、梅干しを口に放り込みながら言う。
「僕は特にないかなぁ」
「でしたら、糊を買ってきて貰えるでしょうか?先ほどの作業で残り少なくなってしまって……」
他愛ない会話とともに、新木場探偵社の昼休憩は続いていく――
◆◆◆
※少しだけ品→大風味になった後半もあります
キャプションにリンクあり