毒りんご” プシュ ”
フォルドの夜明けに所属する大人達が夜、待ってましたと笑顔で缶ビールを開ける音によく似た音が、渡り廊下中に響き渡った。しかも4限の授業が終わってすぐ、おねぇちゃん探してくる!と走って出ていったソフィの後を追うように、食堂へと歩いていたノレアのすぐ背後で。
「・・・」
ノレアが振り返ればそこにはニコニコと無邪気な…いや邪気しかない笑顔の捨て駒ことペイル寮寮長、エラン・ケレスが前屈みの状態で小ぶりなガラス瓶を手に持ったまま立っていた。
さらに振り返った時に広がってきた爽やかな匂いも合わせ、何となく何をされたか察しがついたノレアだったが、される理由が分からないので
「…私に何をしたんですか」と声を低くして問う。
問われたエランは、よくぞ聞いてくれた!とばかりに人差し指を立てて鼻高々にどうでもいい事まで話してきた。
「いや〜実はさっき会社の人からさぁ〜僕をイメージした香水を貰っちゃってね?どうしようかな〜って思ってたらたまたま丁度、目の前にノレアがいたから」
「だから私にかけたと?」
「うん」
「氏ね」
私が吐き捨てると本人は1ミリもそう思ってないクセに「酷いな〜」と言いながら私の背後に回り込もうとしている。こんな開けた公共の場で抱きついて嗅ごうとしているのか?
「酷いのは貴方ですよね。それに近づかないで下さい。気持ち悪い」
すぐさま私が距離をとると、「つれないな〜」
なんで逃げるの、なんて顔に書きながらまた近づいて来る。それ以上近づいたら殴ってやると息巻いて拳をつくるとエランの背後から
「お〜いエラン。決闘委員会の事で話があるんだが…」と廊下の離れた所でプリンス…じゃなくてシャディクが片手を振っている。
それを見たエランは「残念。じゃあまたね、ノレア・デュノク」とヒラリと片手を振ってシャディクのいる方へ向いたが、すぐに顔だけ振り返り「そうそう、君ってば目の下のクマ、酷いよ」と教えるように自分の目尻に手を当てやっといなくなる。
(はぁ〜…1から4限の授業より疲れた気がする…)
私はため息を吐いてソフィのいる食堂へと向かった。
「ノレア〜!こっちこっち〜!」
少量の食べ物の入ったトレーを受け取り、各座席の横を通り過ぎていると奥にソフィがブンブンと手を振っているのが見えた。ソフィのいる席に来ると「おそ〜い!」とソフィが口を尖らせて怒ってくる。私はごめんごめんと謝ってソフィと向かい合うように座った。
「ノレア聞いてよ!おねぇちゃんがいる教室に向かったけどおねぇちゃんいなくてさぁ!聞いても皆知らないっていうの!」
ソフィがスレッタ・マーキュリーに向かう時点でどうせ例のお嫁のとこに行っていて教室にはもういないだろうと予想はしていたが、どうやら思っていた通りだったようだ。
私は頂きますと呟いてから「はいはい、残念だったね」とパックにストローを刺していると、ソフィはバンっと机を叩き「ちょっと軽くあしらわないでよ」と前のめりになった。
私は謝ろうとソフィへ顔を向けると、ソフィはさっきの怒りは風で飛んでいったかのように真顔でこちらをじっと見つめている。
ちょっと不気味で思わず「な、何?ソフィ。どうしたの…?私の顔に何かついてる?」と聞くとソフィはスンスンと鼻を鳴らし、「…なんかノレアから変な匂いがする」と眉を寄せた。
改めて肩あたりをグイッと引っ張って嗅ぐと、さっきまであった爽やかな柑橘系の匂いから仄かに花の甘い匂いに変わっている。
「……ここに来る前にエラン・ケレスに香水を吹きかけられた。本当に最悪」
「うぇぇまじ?あのキモイのおねぇちゃんだけじゃなくノレアまで狙ってんの?まじ外道じゃん」
嫌そうな顔のソフィだったが、パッと笑顔で
「じゃああいつから最初に殺そうよ」と言ってきた。
フォークにブロッコリーを刺しながら「そんなことしたらすぐに私達だとバレるでしょ」
と言って口に入れる。
「んぇえ〜…んじゃあじゃあ!えっとあれ…決闘!あいつと決闘する!そして勝って〜おねぇちゃんと家族になるでしょ〜あいつをおねぇちゃんから遠ざけるでしょ〜ノレアとも離して〜」指をおって数え始めたソフィに私は最後のカットされたキウイフルーツを口に含み、「1回の決闘にたくさんの願いは叶えられないよソフィ。そんな事より早くうどん食べないとのびるよ?…もうのびてるけど」
私が指摘するとソフィは慌てて啜り始めた。そんなソフィを尻目に私はご馳走様と呟いて立ち上がる。
「もう食べ終わったの?少なすぎじゃないノレア」
「私はこれぐらいでいいの。…ソフィは食べ終わったらどうせスレッタ・マーキュリーのとこに行くんでしょ?」
ソフィは口からうどんがのびたまま、うん!と頷く。
「…私は適当に過ごしてるから何かあったら連絡して」
ノレアはトレーを返却口へと戻しに向かった。
ノレアは一旦地球寮へと戻り、ほんの少しだけ湿らせたタオルでポンポンと上着の背中を叩く。ノレア達は不正に入ってきた為、制服は2着しかなくかといって他の誰かに借りを作るのも嫌だったのですぐ乾くように着ている制服を軽く洗ってみてはいるが、結局昼休みの時間ではしっかり落としきれなかった。
そのまま午後の授業受け、放課後ソフィはまたスレッタ・マーキュリーの所へ。ノレアは地球寮に戻って来た。寝室へと続く廊下の途中にある談話室のような部屋に視線を向けると、談話室にあるホワイトボードに「放課後、外の倉庫裏で義足のテストと撮影をします!」と丸っこい字で書かれていた。どうやらこの寮の中にいるのは私一人だけのようだ。寝室に向かったノレアは、ぼふんとベッドに頭から倒れ込んだ。そして後から風によって食堂で嗅いだのとはまた違う匂いがノレアの周りを包み込んでいく。(あぁ…制服脱いで早く洗わないと)そう思うものの今日おきた出来事による疲れか、はたまた匂いがほんの少しフォルドの夜明けにいた時の匂いと似ているからか、ふわふわと夢の中へと誘われていった。
「ノレア!起きて!!起きないとノレアの分まで私食べちゃうからね!」
「ぅぅん…?」
ソフィの声が聞こえ、ゆっくり目を開ける。
「やっと起きた!早く来ないと食べちゃうからね!」と再びソフィの声が聞こえ、扉の開閉音と足音が消えていく。
ノレアはのそりと上半身を起こすとかかっていた薄手のタオルケットが滑り落ちる。
そのまま眠りこけてしまったようだ。窓を見ると既に外は真っ暗だった。
(久しぶりによく寝れた気がする…!)
ノレアはグググっと伸びをしながら冴えてきた頭で、寝る前の事を遡りある事に気が付く。
こんなに深く寝れた原因があの匂いだと分かった瞬間、ノレアはみるみる内に顔が紅くなり衝動的に手元にあった枕を思いっきり壁に投げつけ、肩で息をする。
肩で息を吸う度に背後からあの匂いが鼻をくすぐり、ノレアの顔は熟れた林檎のように真っ赤だった。