あの子がまだ生きてたのなら少女は、血止まりの中で呆然と上を見上げていた。彼女は自分の両親の血に塗れて、両親を殺した男を見つめていた。
男は、少女に手を伸ばす。そして――。
これは、少女がマグダラにも、阿部ウェザーフィールドコンボイ瑞貴にもならなかった物語。
扉越しに聞こえてくるのは、女の啜り泣く声と、それに混じる嬌声。男たちの欲を孕んだ息遣い。
それらを聞きながら、それらが途切れぬために、彼女は扉を背にして座り込み、手元の青龍刀の汚れを拭き取っていた。
これが彼女のここ最近の日常であり、退屈と嫌悪を感じる苦痛な時間だった。
彼女は、両親が殺された夜、男に、黄によって連れ去られ、その日から彼によって育てられた。彼に服従し、決して反抗など出来ぬよう、徹底的に教育されたのだ。
しばらくして、扉が僅かに開かれる。
顔を出したのは、黄だった。彼は、目線だけで命令する。『来い』と。
手元の作業を止め、部屋に入る。予想通り部屋の中には汚物まみれになって転がる女と、醜悪な肉塊がいた。
一歩、足を進めるごとに一枚衣服を取り払う。
ハラハラと布を落としていく彼女は、肉塊の元にたどり着く頃には裸体を晒していた。
そうして、いつも通り、彼女は吐き気と嫌悪しか感じられない肉塊へと、身を委ねるのだった。
ぼやける視界が捉えたのは、見慣れた天井だった。彼女は先程までの記憶を、痛みによってはっきりとしない思考で手繰り寄せた。
そうだ、突然、亜侠によって襲撃を受けた。それで、自分は負けたのだった。
体は僅かに動かすのも億劫なほどボロボロで、戦いの行く末を確認するために、彼女は首だけを横に動かした。
その先には、黄が、亜侠の青年によってトドメを刺される寸前の光景があった。
パッと血が舞う。そして、致命傷を負った体はそのまま倒れ伏した。
「…なぜ」
呆然と、呟く。
彼女は、恨んでいた。憎んでいた。いつか殺してやりたいと、思っていた。
はずだろうと、思っていた。
黄の目の前には、己を庇って倒れる、彼女の姿があった。
「君は、」
続きの言葉は、血に濡れた彼女の手が頬に添えられたことで止められた。
「あの日、あなたはわたくしの全てを奪いました。」
ゴボリという水音混じりの微かな声で彼女は言う。
「ならば尚更、どうして庇った…!」
心底分からない、と混乱する彼を、焦点の合わない目で見つめて、彼女は言った。
「わたくしは、あの日から、あなたに全てを奪われたままなのです。」
それを最期に、彼女は途絶えた。
微笑みを浮かべた、満足気な顔で。
これは、少女がマグダラにも、阿部ウェザーフィールドコンボイ瑞貴にもならなかった物語。
そして、彼女が彼を愛したお話。