パッションフルーツ ガラス一枚隔ててくぐもった雨音が、部屋を包む。カイは台所に立ち、サクと音を立てて紫色の果実に刃を入れた。
「何切ってるんだ?」
自室にいたキリュウが、カイの居る場所にひょっこりと顔を出した。
「パッションフルーツだって」
「なんか、名前は聞いたことある」
「オレも食べたことはないな〜」
果実を半分ではなく、ヘタに近い部分を切ってそのまま小さな皿に盛り付けた。
「はい、スプーンと持っていって」
「さんきゅ。これスプーンで食べんの?」
「そう聞いたよ」
カイは自分の分も用意すると、ダイニングテーブルに向かう。彼が席につくと、テーブルを拭いて待っていたキリュウが話しかける。
「んで、これどうしたんだ」
「昨日のバトル、モズク農園だったって言っただろ? バトル終わりに知り合いに会ったんだ」
ふわりと芳醇で甘い香りが漂う。「種ごと食べられるってよ」と教えて、カイは種ごと実を掬った。
「まだ試作段階だから売れないけど、食べてみてくれって。感想が欲しいんだってさ」
そこまで説明すると、大きく口を開けて一口。完熟には至っていない実は、酸味が少なく爽やかな甘さだった。種はつるつるしてのどごしが良い。初めての味を感じつつ飲み込む。顔をあげれば、向かいの彼はおそるおそるというように、少しの量を口に入れたところであった。ゆっくり咀嚼し、のどを上下させた。
「どう?」
「ん……慣れない甘さ」
「つるんって食べられたよな!」
「うん、ちょっと面白い」
カイが感想を求めれば、率直に返ってくる。さして大きくない実の中身はあっという間に胃に吸い込まれる。しかし、カイが食べ終わったころ、向かいの彼の分はまだ半分ほど残っていた。彼の一口は小さく、飲み込むのにもゆっくり時間をかける質なのだった。
まだ時間がかかりそうだと判断し、先に使ったものを洗ってしまおうかと席を立つ。カイの意図を察した彼は「置いといて」と声をかけた。
「ああ、ありがと。頼んだ」
「ん」
彼はまた一口、目を伏せて口に運ぶ。そんな量で味がわかるのだろうか、とカイは思った。お言葉に甘えて片付けは彼に任せることにする。カイはイカホを手に取って、明日の天気を確認する。夜中の内に雨は上がり、明日は一日晴れの予報だ。よし、と内心頷いて、そのままナワバリバトルのステージ表のページを開く。
ガチマッチに行きたい。できればホコが良い。そんな思いの元、ページをスクロールする。ぴたりとその指が止まった。午後三時、ガチホコ、どちらも得意なステージだった。ただし、ガチマッチではなくリーグマッチである。
きりゅーに頼めば行けるかな。
明日は彼にも予定は入っていないはずだ。何かあれば言ってくれるし、バトル関係ならばカイも一緒に誘われることがほとんどである。
ぱっと顔を上げる。向かいの彼はいつの間にか食べ終わっていたようで、カイが脇に寄せていた食器を自分の分と重ねて台所に立った。声をかけようと開いた口はただ、は、と息をついた。誘うのは後でも良いか、とイカホをスリープさせる。目は台所の彼をぼんやりと追っていた。
彼がちょうどスポンジを置いて、食器をすすぎ始めた時だ。手に持ったままのイカホが震えて音を鳴らす。テーブルに置かれた彼のイカホも視界の端でちかちかと光っていた。手元の画面を確認すると、メッセージを受け取ったと通知が表示される。二人とも入っているグループからだった。
『明日クラスメイトとバトル行くんすけど、みんなも来ませんか!』
通知欄からメッセージを読む。文字を追うカイの指がぴく、と動いた。
『きーさんと同じブキを使うやつもいるんで来てほしいです』
ちらりと彼を見る。タオルで手を拭いた彼は、自分のイカホが光っていることに気がついてこちらにやってくる。目が合ったカイは自然と口を開いていた。
「コウからバトルのお誘いだよ」
「いつ」
「明日だって」
ふうん、と生返事をよこし、彼はイカホに目をやった。
……先越されたな。明日は空いてるし断る理由はない。同じブキのヤツがいるなんて言われたら、尚更だ。……ああほら、目が輝いてる。
羨ましい、とカイは思った。先約ができてしまえば、責任感の強い彼を後から誘うのは難しい。でも、今更ほかの人を誘うのも嫌だった。
再びイカホが震える。
『時間は決まってる?』
キリュウからである。当の本人を見ると、その指は文字を打つと言うよりも何かをスクロールしているように見えた。
すぐに返信が返ってくる。
『決まってないです! どうしようか話してるところです』
コウのことだ、一日中バトルをするなんてことも十分有り得る。
「カイ」
名前を呼ばれて、顔を上げる。
「ん? 明日何時から行く?」
当然、誘いに乗る話だと思って問いかける。
「それも行くけど……リグマ行かないか?」
3時からの、と彼は続ける。へ、とカイは気の抜けた声を漏らした。
「好きだろ、その時間のステージ」
「え、でも、ナワバリは」
「あいつ、知り合い多いから合流できるかわからないし。俺たちが抜けたところで問題ないだろ。最悪何試合かできれば十分」
彼は淡々と理由を連ねた。で、と小首を傾げる。
「どう?」
「……行きたい、リグマ」
「うん、じゃあ返信しとく」
彼はわずかに頬をゆるめてイカホに目を落とす。カイはふいと顔を逸らした。
「ずるい」
「なんか言った?」
「ううん、なんにも」
こういうところだけは、酷く鋭いのだ、彼は。きっとリーグマッチに行きたいと思っていたことを見越して誘ったのだろう。そうやって見透かすようなことをするくせに、その底にある気持ちには気づかない。
羨ましい、ずるい、とそう思っていることを。……嫉妬していることを。
自分が恐ろしかった。そんな感情を抱く権利など、自分にありはしないというのに。それなのに、この気持ちは狂おしいほどに心を突き動かすのだ。