2曲目は聴けない 足も腰も怠く、到底動き回れそうもない。
無事な腕と口を動かし「思うに……」と呟く。
そこでピンクは気付いた、喉は“かろうじて”無事だ。
あんなに泣いたり叫んだりすれば、当然のように喉は枯れる。
「私が、思うに……」
掠れた声で言い直す中、情事をした相手が服を着終わる。
静かな声で返事をして、寝そべったままのピンクを見おろす。
この部屋で、このベッドで、あんなことをしたというのに。今や、彼の表情はいつものものだった。
ピンクは、自分ほど乱れなかったカエルの顔を見つめ返す。
「楽器というのは、自分が楽器だとは思っていないんだ」
思いもよらぬ言葉を聞いて、カエルは疑問符のついた返事をする。
「それはなぜだ、ピンク?」
「鳴らされてみるまで分からないんだ。自分の身体から音が響くだなんて思いもしないよ」
暗い室内に、気怠く掠れた声が響いた。
部屋の光源はひとつだけ、淡く光るピンクの肌だけだ。
「それもそうだな、楽器には腕が無いのだから」
カエルはピンクの話を興味深そうに聞いていた。
彼の興味はピンクの話の本質にあった。
自分との交接で、何らかの知見を得たようだ……とカエルは思っているのだろう。
「腕はあるけれど、私は楽器と同じだった。貴方に抱かれてそう思ったよ。少なくとも、僕は……」
ピンクは言葉に詰まり、ベッドの上で身じろぐ。
乱されるがままのシーツが流動的にその形を変えてゆく。
光源である彼が動くと、部屋の明暗も揺らぐ。
はっきりとはしない輪郭の中、影と光がさざ波を立てる。
「聞かせてくれ」
察してはいるだろうが、カエルはきちんと言葉として欲した。
カエルが今しがた発した言葉と同じ言葉を、ピンクは何度も聞いている。
ピンクはもう分ってはいる。
言葉と声を持つ者なら、きちんとそれらで表現するんだ……ということを、散々ここで理解させられた。
(僕はきっと、物分かりが良い方じゃないんだ)
ピンクはそう思いながら言葉を探す。
カエルがこの部屋で教えてくれたことは分かってはいるが、それに馴染めるわけではない。
「あんな声が、僕の喉から出るとは思わなかったんだ」
きっと、彼の予想通りだったのだ。カエルは笑っている。
部屋の明暗がまたもや波立って、ピンクは頬の熱さを感じた。
目を逸らしたピンクの頭に、カエルの手が慰撫を落とした。
しっとりとした大きな手が、柔らかな髪を撫でる。
「……僕は、貴方の楽器になっていた」
ピンクは溜息を洩らし、肌に震えを感じる。
腰の奥に、両足の間に、尻の丸みと背中の反りに、うなじと耳朶に。
彼から与えられた質感が、リフレインする。
「貴方は紛れもなく演奏者だった、あんな声も言葉も、僕は知らなかったはずだ」
自分の身体はまぎれもなく、目の前のカエルと交接した。
確かな事を、ピンクは何度も頭の中で繰り返す。
今、発光する身体にあの質感が再生されるように。脳裏にも感情を再生させる。
この快楽を、容易く忘れさせやしない。
「カエルさん、ここでアンコールを叫んだらもう一曲弾いてくれる?」
カエルは頭を撫でる手を止め、困ったように笑っていた。
「演奏者として実に光栄だが、私は君ほどタフではないんだ」
「嘘だろう?貴方ほどタフなカエルは居ない」
ピンクはそう言ったが、カエルは肩をすくめただけだった。
実現不可能な事ではないが、わがままなことを聞き流すように。
(僕はきっと、聞きわけも良い方じゃないんだ)
ピンクも分かっていた。アンコールをねだったところでタフな自分の身体が持たない。
気乗りしない演奏者の様子を見て、聞きわけよくなろうとする。
「分かったよ。でも、ギターを弾いて欲しい」
そうしてねだってみれば、カエルは困った笑いも肩をすくめることもしなかった。
ピンクの目にも見知ったギターを、暗がりの中で弾いてくれる。
静かな部屋に、弦の振動音がよく響いた。
窓の外で降り積もり続ける雪のような音だった。
音は重たげな眠りを誘い、ピンクの瞼がゆっくりと落ちてゆく。
薄く開いたままの目が、ギターを弾く手元から離れられない。
(僕を弾くときも、こんな手だった)
そう思いながら、ピンクはふと笑う。
ギターの音色が、子守歌のように彼の目を閉じさせる。
(ギターに嫉妬しただなんて、口が裂けても言わないぞ)
(私は、物分かりも聞きわけも良くない魔法使いなんだから)
(ほんとうのところは、カエルさんだって隠し通してる)
耳に届く音色は、眠気に阻まれ段々と遠のいてゆく。
瞳も耳も使い物にならない中、頭だけが妙に働いた。
(この夜の事を忘れないうちに、アンコールをねだるんだ)
(きっと、私が聴いたこともない音色がするんだ)
(貴方の、見たことのない顔だって、声だって、もういちど)
演奏者のいちばん近くで、いいや、にばんめに近くで。
ピンクは眠りに落ちていった。