ユキヒョウ獣人(僕の後輩)は小さくても凛々しい秘境の調査に行ったアルハイゼンは、謎の地脈異常の影響を受け、身体が子供の姿に戻ってしまった。記憶こそ失われていないものの、凛としたユキヒョウ獣人はふわふわの子猫ちゃんとなり、今は僕にひっついて不貞腐れている。
「アルハイゼン、そんなに落ち込まなくても……僕はどこにも行かないから」
「ようやく馬の骨どもが君に寄り付かなくなったというのに、よりによってこのタイミングで……」
失策だ、と幼く弱弱しい声が響いた。シルバーグレーの耳はぺしょりと垂れて、いつも元気に跳ねている特徴的なくせ毛はすっかりしおれている。本気で落ち込んでいる彼には申し訳ないのだが、身体の小ささも相まって、こちらが見ている分には大変可愛らしい。教令院で出会ったころは既に青年に近かったので、アルハイゼンの本当に幼い姿というのは見たことが無かった。ざっくり推定すると四歳か五歳ごろだろうか。走り回る分には問題ないが、まだまだ非力で親に守られるべき年頃である。耳や尻尾の毛はぱやぱやしていて、柔らかそうな頬ときゅるんとした瞳が愛らしさに拍車をかけていた。
「こんな身体では何かあったときに君を守れない……番失格だ」
「君のせいじゃないだろ。それに、数日で元に戻るって言ってたじゃないか」
声をかけても、アルハイゼンは彼らしくもないじめじめした気配を漂わせている。なぜ彼がこうも落ち込んでいるかというと、いろいろとタイミングが悪かったからだ。
実は僕たちは一カ月ほど前に交尾を経て、番になったばかり。両思いのまますれ違ったり、余所の獣人に襲われたりと色々あったが、ようやく収まるところに収まった。そして、アルハイゼンが秘境に出かけている最中、僕のお腹に子供ができたことが発覚したのである。孕みやすい体質の兎の獣人であるから交尾した時点で可能性は考慮していたけれど、確定すると嬉しいものだ。彼が帰ってきたらすぐに告げて喜びを分かち合うつもりだったのに……なんと本人が子供の姿になって戻ってきた。
「(本当なら今頃父親になった事を喜んで、張り切ってたんだろうなあ……)」
機械のようだと言われるアルハイゼンだが、彼は人間らしい感情をしっかりと持ち合わせており、むしろ独占欲や獣人特有の縄張り意識はかなり強いほうなのだ。何も感じていないように見えるのは、理性で覆い隠しているだけである。当然、番としての責任感は非常に強く、正式にパートナーとなってからは僕が変な連中に狙われないよう毎日共寝をしてマーキングをするくらいだ。
「どんな姿でも君は君じゃないか」
「子どもの匂いではマーキングも意味をなさない。身重の君が襲われたら、俺は……」
家族を守るという役目を負ったにもかかわらず、自身が非力な子供に戻ってしまい、このように意気消沈してしまったというわけだ。庇護欲の強い彼の事だから、余計にショックだったのだろう。よっぽど不安なのか、アルハイゼンは幼い身体で僕に抱き着き、胸に顔を埋める。記憶はそのままだというが、もしかしたら思考が身体に引っ張られているのかもしれない。本来の彼なら、たとえどんな姿になろうと構わず堂々としているだろうから。
「ふふっ、くすぐったいぞ……せっかく戻ってきたんだから、いつもみたいに耳と尻尾の毛繕いをさせてくれないか? 番のケアはパートナーの役目だし、君は僕の傍にいられる。いいだろう?」
我ながら良い提案だと思ったのに、顔を上げたアルハイゼンはますます悲しそうに眉を下げる。それどころか、悔しそうに唇をかみしめていた。
「君は俺の尊厳を破壊する気か」
「どうしてそうなるんだ」
「ただでさえ不甲斐ない身体になってしまったというのに……君に世話をされてしまったら、俺はどんな顔をすればいい」
彼は目をふせ、ふみゃ、とか細い声を零す。これは本来唸り声だったのだろうが、身体が小さいゆえに子猫のような音しか出せないようだ。
「(か、かわいい……! なんだそのふにゃふにゃの鳴き声、頭がどうにかなりそうだ!)」
打ちのめされているアルハイゼンとは対照的に、僕は母性がむくむくと湧きあがっている。大人のアルハイゼンも可愛げがあるのだが、これは僕が全く知らない、純粋な幼さゆえの愛らしさだ。
「本来なら俺が身の回りの世話をすべきだろうに、この身体ではキッチンにも立てない。君に変わって荷物を持つどころか、棚の本を取ることすら……」
彼は悔しそうに自身の小さな手のひらを見つめる。今すぐ抱きしめて頭を撫でたいのだが、彼のプライドを考えて我慢した。
「別にいいじゃないか。ご飯はいつも僕が作ってるんだから」
「……このままでは、俺は君の手料理を食べる事すらままならない。冷蔵庫にあった肉はステーキ用だろう?」
「うっ、見つかっちゃったか……」
彼の喉からまた弱弱しい鳴き声が零れた。獣人は大人になれば普通の人間のように色々な食べ物を食べられるようになるが、子供のうちは受け継いだ動物の主食がメインとなる。ユキヒョウの主食は肉であるが、消化器官が未発達な今のアルハイゼンに油っこいものは厳しいのだ。油分を少なめにすることはできなくもないが、小さな口と未熟な牙では分厚い肉をかみ切るのは難しいし、味も落ちてしまう。
「そんな悲しい顔しないでくれ、ステーキは君の身体が戻ったら必ず作るよ。それに、小さな君のためにご飯を作れば、僕が子供用のご飯を作る練習になるじゃないか!」
「…………」
アルハイゼンはしばらく黙っていたが、何かを決意したかのように顔を上げた。そのまま僕の目の前で両手を振り上げ、自分の頬をばちんと強く叩いた。
「アルハイゼン!?」
「……気合を入れなおしただけだ。現状を憂いたところで得られるものは何もない。情けないところを見せてすまなかった。俺はどんな姿だろうと君の子のために全力を尽くす」
「……!」
子どもの話を出されてスイッチが入ったのか、雰囲気はすっかり元のアルハイゼンに戻っている。
決意を秘めて煌めく瞳に、きゅっと吊り上がった眉。幼くもしゃんとしたその姿は、確かに肉食獣人の勇壮さを秘めていた。凛とした視線に射抜かれ、愛らしさに溺れていた思考が一気に切り替わる。
「君ってやつは……こんなに可愛い顔をして、急にかっこよくなるなんて、ずるいじゃないか」
「自分の役目を思い出したまでだ」
そう言うと、彼はぐいっと身を乗り出して、僕の鼻先にちゅっと口付けを落とす。ぶわっと全身に震えが走り、瞬く間に頬が赤く染まった。やっぱりアルハイゼンはアルハイゼンなのだ。
「それで、君は今日子供用の食事を試しに作ってみて、俺が試食をすればいいんだな?」
「うん。実は前から一度作ってみたかったメニューがあって……」
「ほう」
かっこいい番の姿に射止められたばかりだけれど、こてんと首をかしげる姿はやはり可愛さが勝る。そう、実は彼が子供に戻ったと知ったときから考えていたメニューがあるのだ。
「うまくできるかわからないけど、どうしても作ってみたくて」
「構わない。君が作りたいものを作るといい」
「それじゃあ……」
作りたいものを作れ、と言質は取った。これを言ったらまた不機嫌になるかもしれないが、子供のアルハイゼンにご飯を作る機会なんで二度とないだろうから、今回ばかりは許して欲しい。
「お子様プレート……作ってもいいかな?」
言い終わったとたんアルハイゼンは僕にじっとりとした視線を向け、きゅっと唇をかんだ。
***
「できたぞ! さあ、味の感想を聞かせてくれ!」
「むう……」
アルハイゼンはスプーンを手に、眉間にしわをよせている。彼の目の前には、色とりどりの食材が並んだお皿。レストラン等で出てくる子供用プレートそのものだ。
「肉食獣人も四、五歳くらいならお米や乳製品を食べられるはずだ。葉物の野菜はまだ難しいみたいだけど、食べやすいように工夫してみたよ」
合い挽き肉のハンバーグ、目玉焼きの乗った甘口のチキンカレー、こんもりと盛られたご飯には小さな旗が刺さっている。デザートには手作りのパティサラプリンとスムージー。ビタミン補給のために野菜のスープも添えている。野菜の消化が不得意な肉食獣人の子供に負担がかからないように、しっかりペーストした。
「子供用のプレートは稲妻発祥らしい。どうかな、僕としては結構上手くいったと思うんだけど」
「見た目は申し分ないが、わざわざ旗を指す意味があるのか」
彼の見つめる先にはアランナラの絵が描かれた旗。ちなみにこの絵は僕が自ら描いたもので、存外うまく描けたので結構気に入っている。
「もちろんさ。食事に集中してもらうには、味だけじゃなくこういう遊び心が必要だからね」
幼い子供はひとつの物事に集中するのが難しく、食事中にふざけたり、席を立ってしまうことも多いという。旗をさしたり、ひとつのプレートに色とりどりの食材を配置するのは、食事に興味を持たせるための先人の工夫ではないかと予想している。
「君を子供扱いしてるわけじゃないぞ。本当の子供用を意識して手を抜かなかっただけさ!」
「……そういうことにしておこう」
アルハイゼンは納得しきっていないようだったが、スプーンでカレーをすくって口に含んだ。このカレーに辛みスパイスはほとんど入っておらず、鶏肉はそぼろ状に細かくして入れてある。
「甘い……が、たしかに今の俺にはこの程度があっているようだ。どうやら味覚にも影響があるらしい」
「ふうん、やっぱり味覚って年齢で変わるものなんだな……」
僕が見つめる中、アルハイゼンはスプーンを動かし続ける。流石に小さい子向けの食器は用意できなかったので、彼の手に持つスプーンがやけに大きく見えた。
「……どうした?」
「いや、なんでもない。この調子で味の感想を聞かせてくれ」
まだ口が小さいせいだろうか。カレーをほおばるアルハイゼンの頬には、なんとごはんの粒がくっついている。食べ物を口元につけている姿なんて滅多に見られるものじゃない。拭ってやりたい気持ちを堪えつつ、こっそりとメラックの録画機能をオンにした。
「ハンバーグはどうかな。たまねぎはいつもより細かく刻んで、口当たりがよくなるように工夫したんだけど」
「……うん、うまい」
ハンバーグを口にしたとたん、彼の表情が分かりやすく明るくなった。ハンバーグは大人の彼も好物であり、本来ならスパイスたっぷりで四百グラムほど焼く。時には上にチーズをかけたりしてアレンジするのだけれど、今回はケチャップをベースにした甘めのハンバーグソースだ。子供の口には合ったようで、彼は頬を緩め、もごもごと満足そうに咀嚼を続ける。だが、続けてスープを口にしたとき、彼はぎゅっと顔をしかめてしまった。
「美味しくなかったか?」
顔を覗き込むと、アルハイゼンはむうと唸りながら味を確かめている。
「カーヴェ、今の俺くらいの年齢だと、野菜の青臭い風味があまり得意ではないようだ。野菜はそのままスープにするより、カレーなど別の風味で打ち消せるものに混ぜるのがいいんじゃないか」
しょんぼりしながらも、彼は的確に味のレビューをする。もう一口口に含んだが、やはり口元を歪めてしまった。
「貴重な感想ありがとう。スープは苦手なら残してもいいけど……」
「いや、食べる」
大人の彼に好き嫌いは無いので、苦手な物に顔をしかめる姿もまた珍しい。ちびちびと野菜スープを啜る姿からは、僕のご飯を残したくないという意地と健気さが伝わってくる。いずれうまれてくる子供たちも、苦手な物を頑張って食べてくれるといいのだけれど。
「うまかった。スープには改善の余地があるが、その他は申し分ない」
デザートのプリンを食べ終えたアルハイゼンは、けふ、と小さく息を吐いた。
「全部食べたのか、すごいじゃないか!」
「いつもの食事量の半分にも満たないんだが……やはり子供の身体は不便だ」
そう言って、彼はぷす、と頬を膨らませた。本当なら今夜は分厚いステーキをかみしめていたはずなので、彼の気持ちはわからなくもない。
「元に戻ったらなんでも好きな物を作ってあげるから……あ、ちょっとこっち向いてくれ」
「?」
「はい、取れたよ」
「……!?」
さっきまでわざとそのままにしておいた口元のごはん粒を拭う。何が起きたのか察したアルハイゼンは、顔を青くしたり赤くしたりしながらぷるぷると震えていた。
「……カーヴェ!」
「すまない、あんまりにも可愛かったから、つい……頑張って食べてる君の姿を見ていたら、ずっと眺めていたくなっちゃったんだ」
いつもならグルルと喉を鳴らして唸るところだろうに、未熟な声帯からは子供らしい高い音しか出なかった。ぼわっと膨らんだ尻尾が唯一彼の怒りを主張している。
「そんな怖い顔しないで、一緒にお風呂に入ろう? な?」
「…………」
完全に機嫌を損ねてしまったのか、アルハイゼンは一緒にお風呂に入っている間も唇をとがらせ、僕が背中を洗おうとしても拒んでしまった。浴槽に浸かっている間も収支僕と反対の方を向いていたのだけれど、小さい体で浴槽に座ると口まで沈んでしまい、悔しそうにぶくぶくと泡を吐いていた。
このままそっぽを向いて本でも読むのかと思いきや、入浴を終えたアルハイゼンは僕の手を引き、まっすぐに寝室に向かおうとする。寝るには早い、と声をかけようとして、彼の睡眠時間が幼児基準になっていることを察した。
「(機嫌を損ねていても共寝はするんだなあ……)」
しみじみしながら彼の隣に身体を横たえると、アルハイゼンはいつも通りに尻尾を僕の身体に巻き付ける。といっても、短くなってしまった尻尾は巻き付くというより、僕の身体の上に乗っかっているというのが正しい。小さな体でも精いっぱい番として振舞おうとする姿に、愛おしさが募った。
「ふふ、君が僕の腕にすっぽり収まるなんて……」
「まだ言うか」
「いや、もしも子供が生まれたら、こうやって添い寝するのかなと思ったたけさ」
「……!」
アルハイゼンはもぞもぞと身体を動かし、僕にぴったりと寄り添う。そして小さな手を僕のお腹にそっとあてた。まだお腹は薄いままだが、確かに命が宿っている。ここで何度も彼の精を受け止めた夜のこと……肌の感触に息遣い、滴る汗の感覚、与えられた快楽もこの身体でしっかりと覚えていた。
「身体が戻ったら、今の分まで番の役目を果たす」
「たかが数日のことじゃないか。それに君は夕飯の感想を聞かせてくれた。今でもちゃんと役目を果たしてるよ」
毛布の中で小さな手を握ると、アルハイゼンはしっかりと指を絡めて握り返してくる。寄り添って体温を感じていたら、いつもより早い時間なのに、自然と瞼が重くなった。隣からは、すぴすぴと愛らしい寝息が聞こえてくる。
「(今のアルハイゼンみたいに可愛い仔ユキヒョウが生まれるんだろうか……それとも僕と同じ兎の獣人かな……)」
生まれる子のことをぼんやりと思い浮かべながら、僕も穏やかな心地で眠りについた。
後日、大人に戻ったアルハイゼンは僕への過保護と子供服の買い過ぎで叱られるのだが、それはまた別の話。