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    madowarSan

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    madowarSan

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    ひか星2 フィガ晶♂ 展示小説

    あなたに降る灰 最初は靴紐。次はボタン。三個目はネクタイピンで、その次にネクタイにしよう。

     最後は何をもらおうか。何がいいかな?
     全部欲しいけど、欲張りは駄目だ。謙虚に、ゆっくり、そうでなければ気づかれる。
     気づかれれば、石にされる。それは、冷たくて、痛くて、いやだ。

     やさしい賢者と噂される人は、いつもいつも「賢者の魔法使い」と共にいる。
     しょうがないのだろう。賢者様はだって、弱々しい。攫われれば、いなくなれば、この世の危機だ。
     だが、気に入らない。鬱陶しい。つまらない。どうして、なぜ私ではだめなのだろう?
     私はなぜ選んでもらえなかったのだろう。こんなに焦がれるのに。会いたかったのに。

     誠実な口調に、友好を結ぶいたみを知らない手のひら。良いも悪いも見据えるあの瞳。
     ……ああそうだ、そうだ。最後はそうだ、瞳がいい。あのふたつの瞳。太陽と月の交わる、あの落ち着いた青紫色。

     奪ってしまおう。与えてもらおう。
     寂しいなら、与えてもらおう。
     埋めあえるはず。私も、賢者様も。
     賢者様の寂しさを、埋めてあげるから。私の寂しさをどうか、理解して。

     さあ飛んでいきます、あなたの元へ。あなたの覚えのある姿に似せて、傍で、一緒に。
     見ていてください、私の翼。ひとときの逢瀬でも、今は構わない。
     いつかあなたは私のもの。そう思えば、今なんて一瞬は塵にすぎないのだから。




    ⭐︎


     深緑いろのうつくしい鳥が飛んでいる。一羽でゆうゆうと、のびやかに。
     あれはなんという鳥だろう。どこかで見たことがある気がするけど、思い出せない。
     もしかしたら日本で見かけたのかも? と考えて、寂しくなる。
     そんなこと、あり得るはずがない。そう思えば、寂しい心の穴はより大きくなった。

     西の国での調査を終えて、晶はクロエの箒に乗せてもらっていた。
     穏やかな道のりで、晶はゆっくりと眼下を眺める。賑やかに彩る街並みに、遠く霞む山の群れ。太陽が溶け落ちる海は茜が波打って、黄金にも見えた。栄える街、豊かさを覚えた国のざわめき。異国のような異世界の風景が広がる。
     賑やかな色彩に負けず、鳥はなおも飛んでいた。木々の緑を思わせる色合いは自然を忘れるなと言っているようだ。
     
    「……そう長くはないこの村が、終わる時まで。やれることなら全てやってやる。ただで終われるものですか。ここは、私たちの村なのですから」

     帰り際に村長がぽつりと落とした言葉が、今も晶の耳にこびりついていて離れない。
     今回の依頼は西のはずれにある村で起きた、野菜が結晶化する現象の調査だった。村の人々も困っていたからか、あまり邪険にされずに、むしろ好意的に話を聞けた。村の周りを歩き回り、畑を眺めて、土を口に含もうとするムルをどうにか押さえたりして。歩くうちに歌が自然と生まれたり、魔法合宿めいた楽しい雰囲気が流れて、しまいに皆で吹き出して笑うことも少なくなかった。
     けれど調査が進み、あたりの地形を見渡すためにとシャイロックに伴われて空へ飛び、見えた光景は無惨にもごっそりと削れた山肌だった。
     山は黄土の地肌をさらけ出し、伸び伸びとした山脈はぽっかりと行先を失っている。俺はむきだしになった山々の痛々しい姿に一瞬言葉を失って、傍のシャイロックはああやっぱり、と言いたそうな、「仕方ない」と飲み下す笑みをたたえていた。
     その表情は、晶の好きな人が浮かべる、諦めることに慣れた表情によく似ている。

    「ここは山から吹き下ろす風で、甘みを強くしたルージュベリーが取れたんですよ。山頂に降る雪のおかげで美味しい水にも困らなくて、それは香り高いワインが作られたものですが……。すみません、つまらない昔話でしたね」

     言葉が見つからなくて、口をついて出たのは
    「つまらなくなんて、ないです」なんて、笑えるくらい細い声だった。

     結晶化は、山が切り崩されて歪んだ地脈によって行き場を無くした精霊の仕業だとわかった。そこから骨が折れたのは精霊との交渉だったが、シャイロックやラスティカたちが言葉を尽くして解決してくれた。クロエは二人の姿に瞳をキラキラさせて、「見習わなくっちゃ!」と息を巻き、ムルはくるくると自在に動き回りながらも的を射た質問で調査を進めてくれた。調査の流れとしてはスムーズで、日が暮れる前に終えられたのだ。
     ことの顛末を村の人々に話すと、寂しげな雰囲気は拭えないまでも、安心したのだろう。よかったよかったと言いあっていた。村長は何度も礼を重ね、「すこしお待ちください」と納屋から何かを持ち出してくる。抱えられたそれは、慎重に晶へと手渡された。
     ひんやりとした瓶の中で、たぷりと濃色が揺れる。見覚えのあるサイズ感に、晶はシャイロックと顔を見合わせた。

    「ワイン、ですか?」
    「ええ、以前うちでつくっていた特製のワインです。もう残り少なくて、最後に出荷しようと思っていたもののうちの一つです」
    「え?! すっごく貴重なものじゃないですか!」
    「おじいさま、私からもこれは確かな価値のあるものとお見受けしますが、なぜ? もうすでに、私たちは別で報酬を受け取っていますよ」
    「そうですねえ……」
     
     村長は村の人々と顔を見合わせて、やさしい笑みを浮かべる。村には年嵩の人が多く、みんな目元に皺を寄せながら笑っていた。
     
    「心ばかりの感謝ですよ。賢者様、魔法使い様。とくにあなたはお酒に詳しいようだから。ここが酒の名産であったと覚えて、どうか長くお伝えください。私たちはこれからも、出来うる限り、作り続けますから」

     今度は花を育てて、蜂蜜に漬け込んだシロップを作るのも楽しそうだと思っているんですよ、と村長は楽しげに話す。
     衰えるばかりでなく、自らのできることから新たな道を見つけようとしているのだ。子どものように話す村長に、晶は目を奪われる。
     シャイロックは試作品ができたらぜひ教えてくださいと微笑みながら告げた。

    「カクテルのように仕上げるのも、きっとワインに負けず美味しいでしょうね。楽しみにしています」
    「素敵なアイデアだね。紅茶に入れても美味しそうだ。そうだ、お花を育てるのならいつかここでお茶会を開きましょう。その時にはぜひ、僕の花嫁も連れてくるよ」
    「甘くて寂しいお茶会を開くの? 俺は蜂蜜の色って好きだよ! 厄災が溶け出したみたいで、飲み干すとドキドキしちゃう!」
    「ピクニックみたいで楽しそう! うわあ、なんのお花を育てるの? 色とりどりのお花なら、蜂蜜に色が写って綺麗だろうなあ……。楽しみで、もう胸がいっぱいになっちゃいそう」

     花が開いたように明るい空気が満ちる場に、晶は安堵する。そして、すごいな、と思った。
     悲しさも寂しさもくるりと反転して、喜びや楽しさに変わる様はうつくしかった。
     西の国は煌びやかなのにどこか昏くて、豊かなのに枯れつつある。不思議な均衡で保たれている空気感は、国だけでなく、人や魔法使いに浸透している。危うくてドキドキするのに、不思議な高揚感は恋に似た感情で、自然と胸がときめいているように感じられる。
     失うことが寂しいのに、抑え切れないほど楽しいのは虚勢ではなくて、埋めてくれる新たな何かを心待ちにしているから。生きることは苦しいのに、止まれぬほど楽しいと声を上げる様は眩しかった。
     
     鳥が晶の足元をぴゅうと飛んでいく。
     楽しいことが過ぎ去ると、無性に寂しくなるのは人の性だった。といっても、晶はここ最近、寂しくなることが多い。想い人が一筋縄でいかないことも、理由の一つだろう。
     この世界で、俺は自分の寂しさを埋めてくれるものを見つけられるだろうか。もし見つけて。……受け入れてもらえたとして。この世界から離れるときに俺は、ちゃんと手を離して、さよならを言えるのだろうか。
     冬の海の色をした髪と、榛色の瞳を想う。繰り返す日々の中でも、いまだに捉え所のない彼を想うたびに、いつか届く恋を夢見ながら、遠からず訪れる別れに躊躇ってしまう。
     互いの寂しさだけでなく、穏やかに続く安らぎをずっと分け合うことができたなら、すこしはこの悩みも解消されたのだろうか。
     フィガロの寂しさは、俺には測りきれないものだけど、教えて欲しいと思う。そして、少しでも埋められたらいいのに、と願うのに。叶わないことばかりで。

     晶は視線を胸元に落とす。考えても仕方のないことだと、蓋を落とした。
     
     やめやめ、と雑念を払うように晶は頭を振るう。
     とにかく、帰ったらおいしいご飯を食べて、お風呂に入ったら報告書を書いて……とやることを数えているうち、ん? と晶は思った。
     なにやら、違和感がある。
     視線を落とす、自身の胸元。そこにあるはずの見慣れたものが、すっかりない。
     晶はぱちぱち、と目を丸くさせる。
     何度見やっても、触れても、ならばと探るポケットの中にも抱えたリュックの中にも見つからない。やっぱり無い。
     あれ? 
     ぱ、と航路を振り返るも、過ぎ去る街の間にひらひらと落ちる白い姿はない。
     そもそも晶は外した覚えもないし、落ちていくものがあれば後続のラスティカが気づいて声をかけてくれているはずだった。
     日中外すことはなく、なくなればすぐにわかるはずのもの。目立ちやすいはずなのに、服装で右に出るものはないクロエにさえ指摘されなかった。魔法のように消えてしまったけど、今日は他の魔法使いに出会ってもいないはず。
     晶の脳内を既視感が駆け抜ける。
     精霊がもっていってしまった? でも今日は念の為とムルに精霊避けの魔法をかけてもらっていたのに。

    「今日はみんなといたのに。またなくなってる。おかしいな……」
    「どうしたの? 賢者様。あっ、なにか忘れ物とか、寄りたい場所があった? 今なら全然引き返せるよ!」
    「ああ、違うんです。いや、違わないのかな……?」
    「…………?」
    「ネクタイがなくなってるんです。まるっと、すっかり」

     ええ!? と声を上げるクロエの後ろで、あはは……と困惑する晶の胸元を冷たい風が撫ぜていった。


     

    「精霊の悪戯というわけではなさそうだね。ムルが気づかなかったのに加え、シャイロックも、ラスティカさえ感じ取れなかった。魔法に反応したらしい跡も見受けられない。でも、そうだね……。ここに、ほんの僅かだけど魔力を感じ取れる。間違いなく魔法使いの仕業だろう」

     帰宅の挨拶もそこそこに、晶は念の為にと自室に運び込まれていた。
     引っ張り出されたフィガロも最初はええ? と不審そうな顔をしていたが、経緯を聞くなり真面目な顔つきになり、そうして手早く診察に入った。
     ここに、と指さされた胸元に手を置いてみる。晶には何も感じ取れないが、痕跡があるらしい。頭を傾ける晶に苦笑しながら、「他に痛いところとか、不審なところはない?」とフィガロが視線を合わせてくる。

    「ありがとうございます、フィガロ。痛むところはありませんよ。でも、魔法使いの仕業……ですか」
    「悪意はないみたい。だけどそれよりもっとタチが悪いやつかな。いやあ、俺たちの賢者様ったら隅におけないね」
    「あ、あの……?」
    「あの村には姿も気配さえもありませんでしたが、……認識阻害でもかけて潜んでいたんでしょうか。把握しきれず、すみませんでした」
    「俺も、一緒の箒にいたのに気づけなくて……。役に立てなくてごめんね」

     経過を見ていたシャイロックが困り顔で謝り出す。クロエも居心地悪そうにしていて、晶はとんでもない! と両手をぶんぶん振った。

    「いえ! 俺がぽやぽやしてたのが悪かったんです。これは俺の落ち度ですよ。シャイロックたちは任務で大活躍してくれて、だからこそ早くに終えることができたんですから。今日は皆さんと一緒で、ほんとのほんとにすっごく楽しかったです! ありがとうございます」
    「これは長い間じっくりじっくりかけられていたものだから、気づけなくて当たり前に近いかもしれない。古くて陰気な、魔法というには粘着質すぎるものだね。呪いに近いかも。……まったく、魔法使いの煮詰まった情念って、側からみればこんなに見苦しいのか」
    「フィガロがそれを言うの? 変なの〜」
    「ええ? 俺もきみには言われたくないかもしれないなぁ」
    「うちのムルがすみません……といいたいところですが、私も同意するところがありますね」
    「愛は偉大ですから。どんな形になっても、素敵だと思いますよ。けれど、労りのない愛はすこし疲れてしまうかも」
    「言ってくれるねえ、きみたち」

     恨めしそうに見やるフィガロへ、年長の西の魔法使いたちはだって事実でしょう? と言わんばかりに笑っている。
     おろおろとしているのはクロエと晶で、それも「ではあとはフィガロ先生に任せましょうか。任務の報告書は私たちのほうで軽く作りますから」とシャイロックが手を叩くと、皆サッサと部屋から出て行ってしまった。
     クロエは去り際、「頑張って!」と晶にガッツポーズをして見せたが、こればかりは晶も頑張りようがわからない。
     残されたのは未だ剣呑な目をしたフィガロと晶の二人。そろり、と晶がフィガロを見やると、彼はなにか考えている様子だった。静かに深呼吸をして、晶は口を開く。

    「今日はありがとうございました。体の不調もありませんし、大人しく寝ますので、フィガロも戻って大丈夫ですよ」
    「ねえ賢者様。前にもこうやって物をなくすことなかった?」
    「え?」
    「胸元だけでなく、足元にも魔力が蟠ってる。腹部にもついているし、……盗られたのはネクタイだけじゃないはずだ。覚え、あるでしょ? 気づいたら物がなくなっていること」

     確信を持って尋ねるフィガロに、晶は喉がひくつくのがわかった。覚えは、ある。
     一つ目は靴紐。猫ちゃんと遊んでいるうちに転けてしまって、見ると片方の靴紐がなくなっていた。猫が遊んで取ったのか、とも思ったが見当たらず、仕方ないから替えの靴から紐を取った。
     二つ目はボタン。朝起きてシャツを着ようとしたら、留めるべきボタンが端の方だけ欠けていたのだ。下方のボタンで、目につかないから大丈夫かとそのままにしていた。
     三つ目は、ネクタイピン。一日を終えて着替えようとしたら、なくなっていた。ベストの下で、ズボンに落ちたのかと探しても見つからなかった。

     どれも自分が無くしたものとばかり思っていて、相談していなかったのだ。
     迂闊すぎただろうか? とんでもないことだったのかと青ざめながら晶はそれら全てを打ち明ける。「魔法舎に何か異変が起きたりするんですか……?」と怖々聞く晶にはフィガロはため息を一つつき、「厄介なものに好かれたものだなあ……」とつぶやいた。意味深な答えが、晶にはまたとても怖い。

    「その、そんなに大ごとだったんですか?」
    「なんでもない失くしもの、だと思うよね。最初から髪の毛やら爪やらを取りに来てないからわかりづらかったけど……これは結構なアプローチだよ。ペンとかちょっとだけ使う物じゃなく、衣服とかいつも肌に触れているようなものばかり。フィガロ先生ちょっと怒っちゃうかもしれないなあ」
    「ご、ごめんなさい」
    「いや、うーん……。これは、俺がきみとの間に、相談しあえるだけの信頼を築けてなかったってことかな? 悲しいなあ。夜に内緒のお仕事する仲なのに」

     わかりやすく意地悪な言い方をするフィガロに、こればかりは言い返せないと晶は黙る。小さなことでも綻びにつながる、と日々のなかで知っていたはずなのに、「俺の勘違いかも」と言い出せなかったのは自分が臆病だったからだ。
     言い逃れをするつもりも、できる気もしていない。
     悪いことをしたのだと知らしめる視線と、これから怒られるのだという予感がびしびしと肌を刺していて、晶はすこしだけ泣きそうだった。じっと自身の膝を見つめる。
     好きな人に怒られる、というのが、また情けなさに拍車をかけてた。

     一方で、しゅんとしょげた晶を前にしたフィガロは、堪えきれない喜びで内心ほくそ笑んでいる。嗜めるような「良い大人」の表情でいるものの、それもうっかりしたら満面の笑みをしてしまいそうだからと繕った結果だ。
     賢者さまが、俺に怒られそうだからとちいさくなっているのが、たまらなくいじらしい。
     笑顔でいることがバレたらどうしよう? 賢者さまは、どんな顔で俺を見るだろう。
     驚愕でも嫌悪でも、不審でも何でも面白かった。なにせ、フィガロは賢者が自分を憎からず想っていることを知っている。それこそ情動にいやに聡い西の面々に「お前が言うか」と言われるほどだ。
     フィガロも晶を想っていた。犯人の魔法使いに負けないだろう、いやそれ以上にわかりづらく、粘着質で陰気な感情で。
     想っているが故に怒りはある。取るに足らないどこぞの魔法使いに、賢者にまつわるものが盗られてしまったという鬱陶しさに近い怒り。しかも賢者自身に干渉されているのだ。
     安穏と生かしては置けない。
     しかしそれはあとあとどうにかできる類のもので、悩むものですらないのだ。蟻も集れば邪魔だが、踏み潰すには容易い。
     うっとりと、賢者のつむじから爪先まで眺め見る。
     目の前で、賢者が俺を思って感情を持て余しているのがわかる。すこし意地悪しただけで、ひどくちいさくなってしまった賢者の姿は、ぞくぞくするほどあわれでかわいい。
     皆の賢者さまが、今は俺だけを見て、俺の機微に敏感になっている姿。
     ……これではいけない。俺は今、賢者様を叱る良い魔法使いなのだから。

     椅子に座り直して、気分を作り直したフィガロは賢者の手を取った。冷たい手の平に、賢者の手がそっと置かれる。

    「……賢者様。俺は怒っているし、その原因は賢者様でもあるけど、こんな姑息なことしてくる奴にもなんだよ。そして、そいつがこんな行動をしてくるのは、賢者様が好かれているからだ」
    「好かれ、……嫌がらせではなく?」
    「はは! たしかに嫌がらせとしか思えないけど、紛れもなく好意からだね。煮詰まりすぎた利己的な好意は、悪意とそう変わらないかもしれない。さ、どうやら犯人は、魔力を通じて、賢者様の感情も増幅させているみたいだよ。どう? 最近、何かつよく感じる感情ってない? 好きで好きでたまらない、とか、反対に憎くて憎くてたまらない、とか」
    「え、っと……、それってその感情が高まった時に、物が取られる仕組みってことですか? それなら、……」
     
     晶は目を伏せて、今日のことを思い出す。
     えぐられた村の惨状に、鮮やかな街並み。諦めた笑みと、子どものように笑う人々の姿。太陽と海の溶け合う中に、ゆうゆうと飛んでいく一羽の鳥がいる。たぷりと揺れるワインの瓶に、広がる未来への展望。
     別れを告げる過去と、いつか出会うことを心待ちにする未来。それは煌びやかで昏く、思いがあふれるくらい楽しくて、

    「……たまらなく寂しい」

     いつか別れてしまう未来。
     
     途端、フィガロの手元で光が跳ねた。眩しさに目を瞑ると、パチン! と静電気が弾けたような音が響く。晶がくぐもった声をあげると、もういいよ、とフィガロの声が聞こえた。
     ちかちかと光の飛ぶ視界の中、「成功だ」と笑うフィガロが見える。

    「何が起こったんですか? っていうか、何かするなら言ってください……」
    「ごめんね。今やったのは、呪詛返しみたいなものだよ。事前に伝えると、賢者様の感情に隙が生まれて、上手くいかない可能性があったから……。犯人は賢者様のなかにある、寂しい感情の昂りを通じてものを取っていた。だから、さっき賢者様が思い出した感情の揺らぎを通じて相手にお返ししたんだ。さすがに盗られたものはかえってこないけど、……これで懲りるといいな」
    「……、さすが、フィガロですね。ありがとうございます」
    「でしょう?」

     誇らしげにしている彼に、痛みはないのだろうが念の為、と晶は重なったままの冷たい手をさする。
     晶が知覚できる限り傷らしい傷も、熱さもない。ひんやりとしたいつものフィガロの手だった。晶はそれに安心する。
     自分を助けるために、フィガロが傷を負うのは嫌だった。彼ほどの魔法使いならなんなく済ませられる他愛無いものだとしても、思わずにいられない。侮りでも憐れみでも畏怖でもない。きっと、分不相応な感情なのだろう。伝わらなくて良い思いだな、と自嘲して、それでも手を離しがたい。

     繋がれたままの手のひらから伝わる温度に、フィガロは声を出さず、静かに笑った。かわいいことをするな、と重なった手を解く。びくりと逃げていきそうな賢者の指を絡めとって、繋ぎ合うと大人しくなった。逃げたりしないのにね。
     
    「賢者様。これから寂しいな、と思った時には俺を呼んでよ。そばにいて、不埒な動きがあったら俺が消し去ってあげる。それに、築けていない信頼も積み上げたいことだし、ね?」
    「……、…………。すっごい、とってもありがたいし、お言葉に甘えさせてもらいますが……」

     怒りの影は消え、にこにこと笑うフィガロに晶はそろそろと視線を合わせる。絡められた指はぎゅうと握り締められて、恋人のようだけど。

    「これも、籠絡の一つだったり、しますか?」
    「…………これって、自業自得の極みなのかなあ……」

     
     想われているのは確かだし、両想いのはずなのになあ? 
     フィガロは天を仰ぎ、絡めた指を強く握った。
     晶から控えめに握り返される手のひらは、同じ体温になっているというのに。

    「俺は賢者様なら、何でも受け止めてあげるのになあ」





    ⭐︎





     燃えた、凍った、砕けてしまった。全部、全部消えた。
     大切にしていたのに。大事にしまっていたのに。眺めるのも触れるのも日に一度にしていたのに。靴紐も、ボタンも。全部、ぜんぶ。
     身体のうちが、溶けそうに熱いのに、砕けそうなくらい冷たくて、よくわからない。どこ? 繋いだ感情線すら、擦り切れてしまった。静かに飲み込む波のような、痛く凍てついた魔力。あれは、覚えがある。
     羽根が燃える。毛並みが凍る。
     会いたい。話したい。やさしい声音を私に与えて、全てゆるしてほしい。
     許せない。あの、冷血な北の魔法使い。人の真似事をしても、やさしいふりをしても血のどす黒さは隠せないというのに。
     でもわかった。わかった。感情を通して、賢者さまはあの男を想っていることがわかった。敵わない思いは、つらいでしょう。私もそうだから、わかりますよ。大丈夫。私はあなたの寂しさを、受け入れますよ。私とあなたの寂しさをわけあって、埋めあって。一緒にいますから。
     骨が砕けても、血管が割れても、どうにでもなる。次は、壊れないものを手に入れる。
     羽を縫って、骨を溶かしてくっつけよう。

    「けんじゃさま」

     最後はあなたのお腹の中がいい。
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