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    さなこ

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    さなこ

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    五+七を書くつもりが夏五/灰七になった話。
    ハッピーな世界線!

    おとなになってもきみがすき 一人いなくなっただけでこんなに静かになるもんかね、と家入硝子は息を吐いた。毎日毎日、微妙に遅刻しては夏油と夜蛾センに怒られて、ヘラヘラ笑っていたこいつも、ただの人間だったんだなぁと思った。もちろん家入はそのへんのモブと違って五条を近くで見て会話をしてきた人物なので、多少は五条への理解もあった。最強の術式とセンスを持って産まれてきた化け物だと、そう決めつけたことはない。入学当初の全てを見下した瞳を思い返すたびに、丸くなったよなぁ、と少しは可愛らしく思えてきたところでこれだ。
     親友兼恋人、唯一あの五条悟の隣を歩いてきた男は、家入も気付かぬうちに高専を去ってしまった。もう少し気をかけてやるべきだったとは思うが、この超多忙を極めるクソみたいな繁忙期の中で自分ができることなんてほとんどなく、ただ、ただ、もう少し私たち学生にも、先生たちにも、呪術師たちにも、心の余裕があったらと思うばかりだった。

    「ねえ硝子、傑みたいな巨根ディルド知らない?」
    「ウケる、いい度胸してんじゃん」
     夏油が高専を去って三日。言葉を忘れてしまったように静かだった五条が突然笑顔を見せた。前みたいに(もしくは前より)親しげに話しかけてくる姿に鼻で笑ってやる。
    「こぉんなイイ男をヤリ捨てなんてさ〜! アイツもいい度胸してんじゃん! もうケツでしかイけないわけ。どうしてくれんのこれ」
    「知らん。掘られに行けば?」
    「え〜相手してくれないよ絶対。だってインポみてぇな雰囲気出してたもん。機能不全ってやつ?」
     ——もう戻らないよ
     突然退学届を出した夏油を探し求め、街中で見つけた彼にどういうつもりだと問えばそう返ってきた。両手に女児を連れた姿を見た、次の日のことだった。
     二人で最強やって楽しく生きていたはずだったのに、自分にはなにも告げずに目の前から消えた。そんな夏油の退学を「そうなんだ〜」で済ませられるわけもなく、難しい顔をした夜蛾に止められるも、五条は反射的に床を蹴った。
     あんなに楽しそうに笑っていたくせに、意地悪に五条を追い詰めた夜だってあったくせに、いつのまにか夏油は、何の為に生きているのか分からないと零すほど、心が壊れていた。そのことに五条は全く気付かず、彼がいなくなったあとでようやく分かったのだ。最強だと思っていた自分たちに、自分に、足りなかったものを。なにも見ていなかったことを。
    「は〜ぁ、ダルッ」
     頬杖と同時に悪態もついた五条をちらりと盗み見した家入は、少し、ほんの少し感心した。五条は強い。何者にも縛られないほど強い。彼の我儘な性格を思えば、「俺も一緒にいる!」と言って夏油の隣をぶん取ってもおかしくなかった。なのに彼は高専を辞めるつもりはないらしい。夏油を追いかけず、ただ一人で最強になる道を選んだ。偉いものだと思う。五条家の当主としての自覚か、親友への贖罪か。どちらにせよ、ほとほと丸くなったなぁと目を細めるしかなかった。


     灰原が呪術師を続けられない体になったことを、五条は四年生になった春に知った。今までお世話になりました、と頭を下げられてキョトンとしているうちに灰原はさっさと高専を中退してしまった。通信制の学校で高校卒業の資格を取って、行けたら大学に行くとか言ってた(気がする)。
     五条を愛してくれた親友も、素直に尊敬してくれた後輩も、失ってしまった。でも、呪術師として生きていれば当然であることを、五条はよく知っていた。
    「もう七海でいいから掘ってくんない?」
    「帰ってください」
     特に連絡もせず部屋を訪れたが七海は一人で部屋にいた。ラフな格好を見るにすでに入浴済みで、就寝前の読書の時間らしい。
     一人きりの三年生になってしまった七海だが、別に五条が寄り添う意味もないので、正直に性欲に従って頼んでみればこれだ。この後輩は、高専を去ってしまった後輩と違って対応がひどく冷たい。
    「七海のケチ! 愛がないとセックスできないとか言うつもりか!? お前は挿れて気持ち良い、僕も挿れられて気持ち良い、ウィンウィンじゃん!」
    「誰が貴方で気持ち良くなるもんですか」
     ギギギ……、とドアを軋ませながら七海が押し返してくる。それに対抗しながらなんとか部屋に入り込もうとすると、その部屋の中に灰原の姿を捉えた。もちろん生身の灰原ではなく、一枚の写真に写る姿である。
     五条は、夏油との写真を飾れないでいる。
     自分たちと、後輩たち。離れた現状は同じでも、それぞれの関係性は違うのかもしれない。
    「おまえ、未練タラタラなの」
     突然の冷静な声に首を傾げた七海だったが、五条が自室の中の一点を見つめていることに気付き、もご、と口をまごつかせた。
    「会いに、行きますよ」
    「あ? いつ?」
    「……ここを卒業したら」
     それまでは、連絡も取りません。
     そう呟いたので目をパチパチさせて覗き込んでやる。金色の髪の隙間から翠の瞳が不機嫌そうに歪められた。
    「別に、取れば良くね」
    「……貴方には関係ないでしょう」
    「喧嘩でもしたわけ?」
     一瞬、ほんの一瞬、泣きそうな目が揺れた。すぐにキッと強く五条を睨み上げると「帰ってください」と二度目の帰れコール。なんとなくめんどくさくなって「もう一人で尻の開発に勤しむか」とパッと手を離した。
    「貴方たちの性事情なんて知りたくありませんでした」
    「健気でしょ? ジャンケン負けて初回で尻を捧げたのが運の尽きだったね」
    「——掘って欲しいなら、上手い人に頼めばどうですか」
    「おまえだって灰原のことアンアン言わせてたんだろ」
    「言わされてました」
     バタン。
     閉められたドアを前にして五条の頭に宇宙が広がる。あの尻尾を振って懐いてきた灰原が、目つきの悪さだけで人を殺せそうな七海を、アンアン言わせていたらしい。マジ?
    「……無理じゃん」
     かくして『七海ディルド化計画』はものの数分で幕を閉じた。


     随分と灰原の存在に依存していた。そう七海が気付いたのは、灰原を失ってからである。たとえば今まで賑やかだった教室がぽつんと一人だけの席になっていたり、眠る時に感じていた体温が一切消えてしまったり、そうした時に、腹の底から寂しさが溢れ出して泣きそうになった。

     当たり前のように隣で笑っていた彼は体をぐちゃぐちゃにされて、数ヶ月は生死の境を彷徨った。家族は息子の姿にひどく憔悴して、意識が戻った途端に高専側に退学届を叩きつけた。当然である。

     灰原は優しい青年だった。同時に、自分にできることを精一杯やることに喜びを覚える、前向きで輝かしい青年だった。危険な目に遭ったとしてもまだ呪術師は続けたい、そう思いもしたが、育ててくれた両親がぼろぼろに泣きながら辞めてくれと頼むので、灰原は頷くほかなかった。
     携帯電話の存在が大きかったのかもしれない。
     目を覚ましたらいなくなっていた夏油ともメールのやりとりをしていた(五条には連絡ひとつ寄越さないくせに、灰原とは連絡を取り合っていたのである)。七海はもちろん、五条も家入も、メールアドレスを教えてくれた。呪術高専の生徒でなくなってしまっても、都合が合えばごはんぐらい行けるでしょ! そう思って元気に一般の高校へ足を踏み入れようとした直前、もう呪術高専とは関わるなとお達しが出た。しばらくは、呪力のある君が道に背いた行為をしないか監視も入ると言われた。
     時折、傷跡の残った顔を悲しげに見つめてくる両親の目に、罪悪感が募った。自分のせいで辛い思いをしていることを自覚していた。しかし灰原はそれ以上に、たったひとり高専側に残してきてしまった彼を想い、ぎゅっと胸が締め付けられた。決定的に生きる世が変わってしまったことを、受け入れられないままでいた。

     思い合う二人と対称的に、夏油と五条の関係は冷めたものであった。ただ、心までそうかと問われれば、実は違う。
     五条はずっと夏油を待っている。呪術界に戻ってきてほしいという意味ではない(もちろん彼が戻ると言うのなら受け入れるが)、疲れ切った顔をした彼にまた二人で最強やろうぜ、なんて言えなかった。夏油にはただただ楽しく自由に生きていてほしいから。でも自分の隣に戻ってきてほしいとは思う。恋人が無理なら親友、それすら無理なら友達で。五条の何もかもを受け止めて笑ってくれるあの顔を、当たり前のように享受したかった。
     だから、もし、もしも夏油が「呪術師に出戻るよ」と言ってきた際、またこの世界に失望することがないようにしたかった。戻ってきた夏油に「強くて逞しい子がたくさんいるよ」と言ってやりたかった。呪術師はなにも、非呪術師のために命を消費するだけの存在じゃない。何のために存在するのか、それは学生の頃おまえが教えてくれたじゃんとニヤリと笑って言ってやりたかった。

     灰原とは連絡をとっていた夏油。無事に灰原の意識が戻ったことには安心したが、かと言って彼の不幸を「運が良かったね」なんて一言で片付けられるほど狂っちゃいなかった。しかし呪術界はそんなふうに狂っていないとやってられないのだ。
     呪術の全てを知っているような青年に、清らかな正論を並べて諭す時間が意外と好きだった。正論嫌い、なんて言いながら夏油の言葉を無視したことはなく、むしろ「こういうときってどうすんのが正解なの」と自ら質問してくるようになったのだ。五条悟は良識ある青年へと着実に変わっていった。
     その成長を施したのが自分であると、誇らずにはいられなかった。こんな可愛い生き物を育てたのは私ですと世界中の人に自慢したかった。五条と隣立って好き勝手に世界を操るのが心地良くて最高だった。
     その世界に心がついていけなくなったのは、一人の少女の死があってからだ。
     たとえば呪霊に殺されてしまっただけなら、夏油もこんなに混乱しなかった。助けられなかった命なんてたくさんある。任務が回ってきた時点ですでに死人が出ていることも珍しくない。ではその人たちの死と天内の死がどう違うのか。何も変わらない、命は命で同じ重さだなんて言うつもりはないが、そこにあるのは死だけだ。もちろん夏油にとって「護りたかった存在」が「護れなかった結果」も心に影を落としたが、それ以上に知りたくなかった事実が目の前に現れたのだ。何も知らない非呪術師の、馬鹿でクソな気持ち悪い拍手が、ずっと耳から離れない。何の罪もない女児を牢に閉じ込めて「赤子のうちに殺しておくべきだった」と後悔を漏らす村人の声が離れない。そんな人間とはとても思えない奴らが生み出した呪い。それによって自分たちは疲弊して、ついに身近な後輩が足首を掴まれた。自分たちが守らなくてはいけないものが何なのか、分からなくなった。
     それでも。高専を離れて一般社会の隅っこで生き始めた夏油は、認めざるを得なかった。猿どもは確かに存在する、それは夏油がどんなに嫌悪感を抱いても変わらない事実だ。しかし非呪術師はなにも全員が全員猿なわけではない。互いを思い合って幸せを願い、誰かの死を悲しむことができる、暖かい人がいること。

     だから、別に君のことを嫌いになったわけじゃないんだよ、悟。



     五条悟と七海建人はデキてるらしい。そんな噂話を耳にした家入は声を上げて笑った。
     高専卒業生として二級呪術師を肩書きに持つ彼女。どこかおっちょこちょいな性格だが根は真面目なので家入は彼女のことを気に入っていた。
    「なんですかその笑い! まさかマジですか!」
    「なわけないだろ」
     家入が彼女を気にいる理由もう一つ、それなりに酒が飲めること。
     かなり酒を飲み進めたが二人の顔色はひとつも変わっていない。
    「でも学生の頃から仲良いんですよね」
    「学年一つしか変わらないしね」
    「七海さんて昔細かったらしいじゃないですか。美形同士惹かれなかったんです?」
    「気持ち悪いからやめて」
     まあ、実際その気持ち悪いカップルが二組もいたことは彼女には内緒だ。
     出席しなかった成人式から早数年。気付けば五条は教師として胡散臭い笑顔を振り撒くようになったし、一般社会に溶け込んでいった七海はいつのまにか呪術師に戻ってきていた。
    『灰原とは会ったの?』
     出戻りの彼にそう問いかけたのは、幾分かすっきりした顔つきをしていたからだ。ひとりで授業を受けていたあの頃とは全くと言っていいほど雰囲気が丸くなった。
    『いいえ』
     だと思ったのに、返ってきた否定の言葉に目を丸くする。呪術から離れていたブランクがどれぐらいのものか知りたい、とか言って五条が七海を連れ立った。どこへ行ってなにをしてきたのかは聞いちゃいないが、ところどころに擦り傷をつけて帰ってきたのでその治療中のことである。大怪我をしていないあたり、持ち前の勘の良さとしなやかな筋肉は現役らしい。
    『高専卒業して一般人になったじゃないか。その時灰原には連絡しなかったの?』
    『彼はもう一般人なので』
     だからその一般人とやらにおまえもなっただろ。そう言ってやりたかったが、七海が何も聞くなとでもいうようにジャケットを羽織り出したので口を閉じる。
     家入はなんとなく分かっていた。この可愛い後輩は、嫌なことには全力で「は?」と低い声を出すし、目つきは最悪、合理性に欠ける行動は絶対にしない、そんな堅苦しい、自分を持った奴だ。高専を卒業して一般の社会へ行ったとはいえ、持って生まれた術式で人助けをしてきた男だ。
     五条と似ている。この世界を操る力を持っていながら、たった一人の級友には臆病になるあたりが、可哀想なぐらい似ている。
    「ちなみに家入さんと五条さんの噂もありましたよ! 実際のとこどうなんです!?」
    「絶対ねえ〜〜〜」
     口元だけ笑ってやりながら彼女の熱意を受け流す。
     たとえ五条が夏油とそういう関係でなくても、彼を好きになることはない。だってクズだもん。


    「それさ、いいの? だって、心配だろうに」
    「いいんですよ! それはもちろん受け止めて、安心させてあげなきゃいけないですけどね」
    「許可は出たの?」
    「え? いやだなぁ、僕もう大人ですよ。
     自分の人生は自分で決めます!」


     世の中には大層な物好きがいるんですね、と七海は失礼なことを思い、そしてそれを一言一句間違えず、声に出して伝えた。仕方あるまい、だって二メートル近い大男が「ナンパされちゃった〜。しかも僕を抱きたいって。ウケる」とか言ってきたからだ。微塵も興味がない。
    「しょうがなくない? この顔だよ?」
     アイマスクから宝石のような瞳を曝け出して顔面の美で殴りかかってくる。五条は確かに顔がいい。ふさふさの睫毛も、大きな目も、すっと通った鼻筋も、艶々とした血色感のいい唇も。見る者によってはとても魅力的に映るし、それは五条の言う通り、抱かれたい者に限らず抱きたい者も呼び寄せてしまうのかもしれない。
     しかし、これは顔の話であって。先ほども述べたが五条は二メートル近い長身の男だ。最強の呪術師としての筋肉も、威圧感のある表情も、世の中を舐め腐った口調で見下す姿勢も、可愛らしさのかの字もない。しかも本人が「僕可愛い〜」と自覚(?)しているのもムカつきポイントが高い。
    「……貴方も大概真面目ですよね。遊んだりしなさそうだ」
     脳内にあの日の記憶が蘇る。『もう七海でいいから掘ってくんない?』なんて品のない頼みを一蹴して部屋に籠った日だ。てっきり夏油が抱かれてる(というよりおぼっちゃまの我儘を聞き入れてあげている)のかと思ったら現実はそうでもなかったらしい。別に知りたくなかった性生活だが、同時に驚いたのも事実だ。あの五条が挿れられて善がってたなんて俄かに信じがたかった。手にしたいものを諦めず、自分の力で奪い取る性格の持ち主だ。お淑やかで優しい夏油相手に、強引に事に及んで叱られる五条のほうがずっと想像しやすい。
     似ている、と、少し思った。ポジションが同じであれば考え方も似てきて当然なのかもしれないが。
     普通なら女性を組み敷いて柔らかい肌に興奮するはずが、自分たちはそうならず、男としての機能も使わずに、同級生の男に好きだと囁かれて幸せを感じていたのだ。こんな情けなく脚を開いて犯されるなんて屈辱でしかないのに、それでもいいと思えたのだ。だって好きだったから。相手のためになんでもやれると思えたぐらい、好きだったから。
     頭は灰原がいないことを理解したのに身体はそんなのお構いなしに快楽を求めてくる。それを抑えつけて、誰にも触らせず、誰にも触れず、ここまでやってきた。本当に欲しい体温を知っているから。他人で満足できるわけがないから。
     しかし五条は七海に声を掛けた。軽薄な言い方だったが、きっと七海が「はい」と言えばベッドに上がり込んだだろう。だからそのナンパをしてきた人物とワンナイトでもなんでもすればいいのだ。七海と違って相手は誰でもいいと思っているのなら。
    「ん〜赤の他人はさすがにねえ。てか珍しいね、七海がこういう話に乗ってくるの! この際だからオススメの玩具おしえて♡」
    「そういうのしないので」
    「エ!? 卒業したの!? あ、もしかしてオナホ系?」
    「やめてください本当に」
     おまえも立派になったねえ、なんて。ソファーに座り新聞を広げている七海の足元へ跪きながら言う台詞ではない。どこに話しかけている。
     長い足を組んだ七海がプチっと血管を切れさせながら苦言を呈したその時、事務室の扉が開いた。
    「悟、落ち着いて聞い……」
    「や、悟、あの、実は私、」
    「五条さん、お久しぶ……えっ……七海……?」
     上から夜蛾学長、夏油、灰原の順で言葉を失くす。当然だろう、彼らの視線の先には呪術師最強の男が金髪クォーター美丈夫の足元に跪き股間を愛でているのだから。足を組んだ七海はさながらどこかの強気な女王様だった。
    「すぐ、る」
    「……灰原」
     対して、この二人も時が止まる。会いたくても会いにいけなかった人物があっさりと目の前に現れて呼吸を忘れた。記憶の中の彼からぐっと大人びてかっこよくなって、正直目に悪い、いい意味で。
     どうして戻ってきた?
     二人の頭の中には奇しくも同じ疑問が湧き起こっていた。もう二度と会えないかもしれない、それでもこの地球のどこかで人生を謳歌してくれたら、もうそれで十分だと思っていたのに。わざわざ呪術界に戻ってきたなんて。
    「……ふ〜ん……知らなかったな……そっか……悟、君、私がいない間は七海に可愛がってもらってたわけ……?」
    「エッ」
    「は? いや、夏油さん、やめてください。私が五条さんとそういう関係になるわけないでしょう」
    「な……そっか……七海……五条さんのほうが……か、かっこいいもんね」
    「いや僕七海にフラれてるからね〜。おまえら何勘違いしてんの?」
    「フラれてる……だって? どういうこと七海……フっておいて身体の関係は持ってるってこと? 私の悟に、そんな、そんなこと……」
     自分から高専を去っておいて〝私の悟〟呼びは大変自己中である。しかし五条はいつだって夏油のものでありたかったのでその言葉は身震いするほど心の奥底に刺さった。
    「は、灰原……」
     こいつに何言ってもだめだ。そう悟った七海は助けを求めるように灰原の瞳を見つめる。ソファーと扉、数メートルの距離がなぜか遠い。触れたいのに怖くて立ち上がれなかった。本当は今すぐに近寄って大人になった顔を見たい。耳に馴染んだ声をもっと聞きたい。そして、どうして戻ってきたんだ、とか、離れていた間は幸せだったか、とか、いろいろ聞きたい。
    「……七海」
     灰原の目には、それはそれは美しく成長した七海の姿があった。筋肉量が増したが、疲労感も色気もその倍増している気がする。耳にかけていた髪はさっぱり刈り上げられて大人の男として彼を立派に見せていた。
     抱き締めたい、抱き締めて、かっこよくなったねと笑って、また僕と仲良くしてくれるかと聞きたい。ひとりで卒業させてごめんねと謝りたい。あわよくば、この想いのまま鼻先を擦り合わせてキスをしたい。腕の中に閉じ込めたい。
     しかしその足元には色男に成長した五条がいる。夏油よりも背が高い。昔の細かった身体と比べ厚い筋肉がついているだろう。優しさも柔らかさもあの頃とは段違い。大人の余裕たっぷりのイケメン当主様はさぞやご立派なご子息をお持ちだろう。自分がいなくなったあとの数年間、きっと七海はそのご子息にお世話になっていたのだ。
    「───……ね」
    「ね?」
    「寝取られは地雷です!」
    「灰原───ッ!」
    「灰原!? ああっ、もう、悟のせいだ! 悟のバカ! ヤリマン!」
    「ヤリマン!? 僕おまえと別れてから誰ともヤッてないけど! ていうか今更どの面下げて戻ってきたんだよ。補助監督にでもなるわけぇ? 僕専属ってこと?」
    「どういう情緒ですかっ、もう退いてください灰原追いかけます」
     バタバタと騒がしくなった事務所を、何事かと家入が覗きに来る。そうして久々に会う夏油に「よ」なんて声を掛けて、灰原の残り香を辿る七海の背中を見送った。
    「再会して早々痴話喧嘩?」
    「硝子……」
    「硝子! 言ってやってよ、僕が浮気したと思ってるんだよこいつ!」
    「へえ。浮気もなにも君たち別れてなかったっけ?」
     むぐ、と二人が口を閉じる。ちら、とお互い目を合わせて、同じタイミングで視線をおろし、もごもごと言い訳を始めた。別れるとは言ってない。別れるとは聞いてない。別れたつもりもない。離れた間も好きだった。人生の伴侶を作っていたとしたら潔く身を引くつもりだった。ただ幸せになっていてほしかった。
     そんなことをつらつらと声に出しているうちに、五条も夏油もなぜだか涙が溢れてきて、最後には手を伸ばして触れ合った。夏油があの夏、高専を去ってから八年が経っていた。

     高専には図書室がある。ほとんど誰も使わない部屋だ。形ばかりの貸出ノートには面白がって書かれた五条たちの名前がある。そこに自分と七海の名前も見つけて、ひっそりと笑った。
    『普通の本もある!』
    『図鑑、ですか』
     小説本を物色する七海に見せびらかして笑ったのは、一年生の春だったか、二年生の春だったか。随分七海が懐いていたから二年生のことかな。遠い日々を思い出して図書室を見渡す。なにも変わっていないが埃は少なく、開けた窓からは爽やかな風が入り込んできた。
     ───戻ってきたんだなぁ
     敷地内に立ち誇る建造物を眺めて実感する。学生の頃はここから見える景色が好きだった。かっこいい学校でしょと中学までの友人たちに自慢したかった。
     実際は自慢できる環境じゃなかったけれど。妹には来るなと言って聞かせていたが、まさか自分が実例として「あそこに行ったらこうなります。だから高専には行くな」と告げることになるとは思わなかった。効果は抜群だったので、妹は都内の一般大学へ入学している。
     扉の開く音に振り返る。思ったより焦った顔をして、予想通りの人物が僅かに息を上げていた。
    「動きにくくないの? そのスーツ」
     約一年半、呪術師として生きていたから分かる。優雅に術式を用いて呪霊を祓うなんて、夢のまた夢だった。土埃に塗れて、気持ち悪い粘液を浴びて、頭に響くうるさい笑い声を無視して拳を握る。助けられなかった命がそのへんに転がっていたことだってあった。動きやすさ重視の短ランを注文したことを今でも合理的だと思っている。
    「大人はスーツを着るものです」
    「出た! 訳のわからない理屈!」
     幾分か低くなった声色。それは自分も同じかと気付き、会えなかった期間を想う。できればずっと隣で七海が大人になっていく様を見ていたかった。
     うわーん! と走り出したくせにあっけからんと笑う灰原に動揺しているのか七海はあまり口を開かない。喋り出すタイミングとその言葉を探しているようで目線は床に落ちたままだった。
    「七海」
     堪らなくなって灰原から近寄る。緊張したように視線を上げた彼としっかり目が合って、七海の顔をまじまじと眺めた途端、耐えきれなかった涙が溢れてきた。泣くはずじゃなかったのに。
    「なんで、」
    「……ん?」
    「なんで、泣く」
     そう聞く七海だって。表情は変わらないくせに翠の双眸がうるんで声が震えている。
     自分でも涙が出る理由が分からなくて、はは、と小さく笑うしかなかった。
     無意識に伸びた手が七海のそれと重なる。そのまま七海に抱き寄せられて、ずび、と情けなく鼻を鳴らした。
    「ふふふっ」
     抱き締めた時の体の厚さが違う。匂いも、こんな人工的な香りは邪魔でしかない(似合ってるけどさ)。一体こんなセンスのいい香水、誰に贈ってもらったんだか。ああ、五条さんかなぁ。でも残念、もう夏油さんが帰ってきたからあの二人はヨリを戻すよ。
    「ただいま」
     苦しいくらいに抱きつかれて笑いが止まらない。こんなに熱く迎え入れられたら、やっぱり七海って僕のこと大好きだよね、と思わずにいられなかった。
     そうだ、本当は分かっている。五条が七海のタイプじゃないことぐらい、五条が夏油を忘れられないことぐらい。七海が灰原のことしか想ってないことぐらい。それ以上に、僕だって七海のことずっと考えてたよって、胸を張って自慢できるほど自分の想いが確かなことを。


    「もうおまえが専属みたいになったよね〜」
    「しょうがないですよ! 五条さんの無茶振りに応えられるの、僕か伊地知だけですもん! はいどうぞ〜」
    「わ〜灰原優し〜!」
    「甘やかされすぎじゃない? 君」
     車内で繰り広げられるあまりに緊張感のないやりとりに、夏油はタブレットに触れながらちょっと引いた。差し出されたチョコレートを口に含みながらご機嫌に「ん〜?」と首を傾げる姿は可愛いが、そのチョコレートは灰原から渡されたものだ。
    「お昼はお蕎麦屋さんです! 野菜天ぷらが絶品だそうです!」
    「えっ、ありがとう灰原。さすが一級補助監督」
    「七海にはなにしてあげんの?」
    「七海には帰ったらチューします」
    「やめてください」
     後部座席は特級二人。一級で後輩の七海は助手席だ。運転席に灰原がいるから不満はないが、それはあくまで二人きりの時だけだ。こうやってやかましい特級がいる以上、心も体も休まらない。腕を組んで目を閉じても、ちょっかいが飛んでくる。
    「じゃあ、帰りにパン屋さん寄ろっか」
    「この辺りだと内陸方面に走ったところに良い店があります」
    「決定!」
     楽しく過ごせるように、なんて気遣いをわざわざしているわけではない。ただ単純に、好きな人たちの好きなものを覚えているだけ。その人が喜ぶことをしたいだけ。
    「いいね、じゃあ私たちが仕事してる間はコーラでも飲んで待っててよ」
    「おにぎりのほうがいいんじゃない?」
    「あそこの定食屋でもいいですよ」
     呪術師としての任務を全うする三人に比べれば、灰原のしている仕事なんて危険度は低く気負うことも少ない。無理のできない体では補助監督ぐらいが限度だが、今のこの状況を苦しいと思ったことはなかった。自分ばかり役立たずだと落ち込んだ日もなかった。だって補助監督としてできることを精一杯やっているから!
    「いいんです、みなさんが帰ってくるの迎えたいんで!!」
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