年下の男の子一つ下の学年の伊地知くんと、二年生の私と灰原。人数が少ないせいか、合同での授業が多い。
伊地知くんは勉強が苦ではないタイプらしく、二年生の範囲でも質問を交えながらこなしているのだから本当に真面目な子だなと思う。
一生懸命で、素直で、困ったように笑うところが可愛いなと思ったのが転機だった。気付けば目で追っていて、その視線があまりにも露骨だったらしく、灰原に本気のトーンで注意されたのは反省している。でも、伊地知くんはぱちりと目が合うとはにかんでくれるのだから、悪いようには思われていない、と思いたい。
本日の四時間目はあいにくの自習。雨が降り出したこともあって、体術の訓練よりも再来週に控えているテスト勉強をすることとなった。それぞれが机に向かって十五分だが、早速脱線した男が一人。
「ねえねえ伊地知! 中学ん時なんか部活やってた?」
三人しかいないというのに声が大きいな。そうは思うが、灰原の質問はなかなかに良い質問だ、とシャーペンを動かしながら心の中でサムズアップした。伊地知くんが顔を上げて、えっと……と答えようとする。まあ文化系なのは間違いないだろう。本が好きだから文芸部か? それとも、書道部……? なんにせよ部活動をしている伊地知くんというのにはとても興味がある。シャーペンを動かす真似と教科書を見る動作を止めぬまま、私は聞き耳をたてた。
「一応、ですけど三年生までテニス部に入っていました」
「へー! いいね」
テ? テテテテテ、てに、テニス部……⁈ え、て、なんて⁇ 聞き間違いであってくれ。
動揺しすぎて机の脚を蹴ってしまった。
「だ、大丈夫ですか七海先輩?」
「大丈夫です。どうぞ続けて下さい」
灰原は私の様子など全く気になんてせずに質問を続ける。
「テニス部って軟式?」
「はい、弱小でしたけどね」
やはり聞き間違いではなかった。ああ、テニス部なんてチャラい男の集まりだろう? 「モテ」が第一で、窓ガラスに映る自分を眺めて、前髪を常に気にしているような、そんな男達の中で部活動……? 伊地知くんはパシリにされたりテスト前にノートを奪われたりしていなかったか、それが気になってしまう。もしそういう連中だった場合はそいつらの進学先を物理的に壊してやろう。
灰原は、俺はバスケしてたよ! と言い出したのでそちらの話になってしまうかと思いきや、彼は聞き役に回るのもなかなかうまいのだ。
「伊地知はテニス好きなの?」
「いえ、運動神経はまあ、ご覧のとおりないんですけど、仲の良い子に入ってって言われて断れなくて」
自分に呆れたように笑う伊地知くんだが、卑下することなど全く必要のない理由だった。なんていい子なんだろうか伊地知くんは。弱小だったということは部員数も少なかったに違いない。
私の脳内には、少し大きめの真っ白なウェアをはためかせて、一生懸命にラケットを振る伊地知くんが再生されている。汗でずれる眼鏡を直す仕草が大変可愛らしい。ボールボーイになって間近で彼の試合を見ていたい。
「ねえねえ、テニス部の時の写真とかないの? 見たい!」
⁈ それは私も見たい……‼ 伊地知くんがポケットから携帯を出す気配がした。
「ありますよ。えーっと……あ、これとかですね」
「どれですか」
「うわ七海、早っ」
すぐさま離席して、灰原を押し退けるようにして携帯の画面をのぞき込むと、膝上丈の白いパンツに黒いTシャツを着た伊地知くんが仲間と肩を組んで困り顔で笑っていた。今よりも後ろの髪が短くて、身長も低くてあまりにも可愛らしい。少年然とした容貌。可愛い。とてつもなく。しかし、私はそんな可愛さよりももっと視線を注いでしまう箇所があったのだ。日焼け跡、だ……! 目が眩む。
「ふふっ伊地知この日焼けおもしろいね。ウェアと長さ合ってないじゃん」
「それ、公式試合の日の写真なんです。練習着は膝丈だったんですけど、試合用のパンツが膝よりもかなり短くて……白いパンツに白いスパッツ履いてるみたいだーっていじられました」
写真の中には、呪術高専では日頃晒されることのない伊地知くんの真っ白な太もも。そして膝小僧の境目より下はこんがりと日焼けしていて、思春期の私にはあまりにも刺激が強かった。
画面を凝視して無言な私をさておいて、灰原は自分の話したいことを話している。
「でも今はそんなに焼けてないね」
「そうですね。ああ、でもここ」
伊地知くんは膝を折りたたんで、行儀悪く椅子の座面に自分の上履きを乗せた。制服のズボンの裾を捲った伊地知くんの細い指が、足首丈の靴下をぺろりとめくってみせた。そこにはくっきりとした日焼け跡。
「やっぱりここは焼けちゃうんですよね。靴下焼けです」
「……っ」
生肌、境目、気恥ずかしそうな表情。
喉の奥が震えて、思わず前に倒れそうになってしまった。
「七海先輩⁈」
「ちょっと⁈ 七海騒がしいよっ」
ぐらりときた身体を支えるべく、どうにか机に手をついた。が、力を逃がしきれなかった四本の脚がへしゃげたのが分かった。しかし、そんなのはどうでもいい。伊地知くんの言動の破壊力は凄まじく、鼻血を出さないように小鼻の上を押さえた私は、できるだけ真面目に、そして威圧しないよう穏やかな口調で伊地知くんに懇願した。
「伊地知くん。さっきの写真を送って下さい。今、お願いします」
「え、なぜ……?」
「七海はもう寮室に帰って‼」
心の底から発せられた灰原の叫びが、校舎内にこだましていた。
終