makeshift「うあああっー! 影山…総帥ぃーーっ!!」
泣き崩れる鬼道を見て、彼が番を失ったことを知った。
鬼道は昨日から様子がおかしかった。何か大きな支えを失って、不安定になったかのような。必死に隠していたが、彼をよく観察していた不動には分かっていた。
その原因が今、判明した。影山零治が死に、番の絆を失ったからだったのだ。
不動はうずくまって声にならない声をあげる鬼道を支えた。
「あっ……ぐ……うっ……」
「立てよ、鬼道」
どれほどの痛みなのだろう。どれほどの苦しみなのだろう。番を持ったことのない不動には分からない。
鬼道を支え、宿福の部屋へ戻った。チームメイトは皆、あまりの事態に見守ることしかできないようだった。あの佐久間でさえも。彼は不動が付いているなら、自分は円堂たちに同行して後で報告できるようにとも考えたかもしれない。
スタッフは出払っているようで、宿福は誰もおらず静かだった。スタジアム周辺は人でごった返していたし、ここではチームメイトたちがワイワイと騒いでいるのが常だったので、今はここだけ別世界のようで不思議な感覚だ。
鬼道がオメガだと知ったのは、つい数日前のこと。皇帝ペンギン3号の改良をどうするか会議をした後、部屋へ戻った鬼道の忘れ物に気付いた。
それは小さなポーチで、頭痛薬とか、テーピングテープなどが入っていたのだが、その中に緑色の液体が入った小さなアンプルを見てしまった。
好奇心でよく確認しようと取り出したそれを、不動は母親のものと同じだと知っていた。よく見なくてもオメガ用のフェロモン抑制剤だと分かる。この時は、興味深い事実と鬼道の秘密を知ったことで、ほくそ笑んでいた。
オメガとアルファが番になるには、性器を挿入しながらうなじを咬む必要がある。
つまり番になっているということは、1度以上性交渉があったということ。
否が応でもそれを知らされ、不動は苦虫を噛み潰したような顔で小さく悪態をついた。悪趣味が過ぎる。
番を失ったオメガは次の番を作るまでおさまらないヒートに苦しむ。
オメガはヒートになると食欲も睡眠欲も減退し、ただ性欲だけに突き動かされる存在となる。そのため、人によってはそのまま衰弱死してしまうらしい。
鬼道がオメガで、番を失った。この事実を知っているのは、今のところ、ここへ付き添ってきた自分だけだ。少なくとも、あの場にはいなかった。知っていたら、真っ先に鬼道を保護しようとしただろう。
「鬼道くん、水飲む?」
ボーッとしてぐったりと力の抜けた鬼道は、荒い呼吸を一定間隔で繰り返すだけで、何も反応しない。
「ん」
口移しで飲ませてやれば、素直にこくんと喉が動いた。ふわ、となんとも言えない香りが漂ってくる。
これが鬼道のフェロモンか。
何の匂いだろう、色々な花が混ざったような、香水よりは生々しい、官能的な匂い。鼻から脳へ直接届いて、不動を誘惑する。
アルファの全サッカー選手は、毎朝必ず抑制剤を飲むことが義務付けられている。もちろん島内での事故を防ぐためだ。
だが目の前に激しいヒートを起こしたオメガがいれば、抑制剤など何の効力もない。
やっと口が動いたかと思えば、鬼道は言った。
「ふ、ふどう……はなれて……」
不動は火照った唇が開閉するのをじっと見ていた。
「はなれて……くれ……でないと……」
「オレはいいよ? 鬼道クンのこと――」
オメガだと知った時、鬼道なら抱けると思ったこともあるが、友人でいたかったから、サッカーに夢中だったから、あまりそういうことは考えないようにしていた。自分でも、半分冗談くらいのつもりだった。
好きだ、と言ったら、彼の気は休まるんだろうか?
「ふど……う……?」
「何でもいいよ、何も考えんな」
「ふっ……! んっ……ぁ……」
ひとたび唇を合わせると、いっそう鬼道のフェロモンが濃くなり、自分の体も熱を上げたのが分かった。もう後戻りはできない。
初めてのキスは甘ったるい罪の味がした。
悲痛な顔を紅潮させ、すがりついて喘ぐ鬼道を乱暴に抱いた。フェロモンに当てられて半ば我を忘れ、本能に従ったためだが、心のどこかに嗜虐心も芽生えていたと思う。
それでもオメガの蜜壺は既にやわらかく熟れ、愛液にまみれてアルファの肉棒を求めていた。
こんなふうに簡単に体を開いたのか?
こんなふうに悦がり喘いだのか?
最初だけだったのか? それとも、何度も?
それを望んだのか?
何と言ってねだったのだろう。
「ふ、ど……っあ……!」
「ごめん……鬼道くん」
射精した直後、本能に従い、むき出しのうなじに歯を立てる。止めようと思えば止められたが、不動は敢えてしなかった。
声のない悲鳴をあげて、鬼道の体がガクガクと痙攣する。
近くにあったタオルで体を拭い、ジャージを掛けてキスをした時、ドアが開いた。
「不動」
説明しろと言いたげに声をかけたが、見ただけで久遠道也は状況を理解したのだろう、それ以上は何も言わなかった。
不動も得意の詭弁を並べる気にはなれず、黙って自分の部屋へ戻った。
その後の鬼道はいつも通りで、少し感傷的になることがあるくらいだった。不動は心から安堵した。
ドアが開いて、閉まる。
「おかえり〜」
「来ていたのか」
顔を見ると鬼道は微笑んで、ジャケットを脱ぐ。
「いつでも居て良いっつーから。お邪魔してんの」
「ああ。かまわないぞ」
合鍵を渡されたのは半年前。日本にしばらくいることになったからマンションを購入したと言われ、へぇ~と気の抜けた返事をして、ホテルのベッドに裸で寝転んだまま受け取った。
鬼道のヒートはきっかり3ヶ月おきに起こる。だがその際に発せられるフェロモンは、番になった相手にしか分からない。
だから相変わらず、鬼道がオメガだと知っているのは自分だけだろうなと思いながら、不動は火照り始めた体を抱きしめる。
「ん……ふ……っ」
キスひとつで腰が揺れるヒート。他の誰にも見せたくないと思う。
いつもより上ずった声を漏らし、熱い呼吸を繰り返す鬼道。
腹の上に跨り妖艶に踊る鬼道。
尻を押し付け切なげに喘ぐ鬼道。
今は全て、不動のものだ。
「んぁっ……あぁ、不動……っ!」
その壊れそうな心以外は。
「はぁッ……、きど……くん……ッ」
オメガには、『運命の番』と呼ばれるアルファが存在する。フェロモンの相性が良く、多くは魂の伴侶だという。既に別の相手と番になっている場合でも誘惑されてしまうほど、強烈に惹かれ合うらしい。
鬼道の『運命の番』は、もうこの世に居ない。
だけど自分は生きている。彼と共に。
あの時咬んだことを、一度だって後悔したことはない。最後のピースだってきっと手に入れてみせる。
不動は温かい体をそっと抱き寄せ、目を閉じた。
*makeshift
――その場しのぎの
――応急処置