灰塵を食む。 聖火の灯を背に感じながらヨルンは選ばれし者として戦場の切っ先に立つ。”黒幕”が示唆する聖火教会への襲撃まであとわずか、ましろの雪の先に黒い怨嗟の足跡が聞こえてくるようだった。
防備を固めるべく慌ただしく行き交う聖火騎士たちを尻目に、曇天の空にため息を吐く。嫌なゲームに乗ってしまったと、ヨルンは口が裂けても言葉にできない立場にあることに対しむしろ呆れていた。
凶人の群れの総数は考えるだけでも頭が痛くなる。聖火騎士の総数、防備施設の配置、旅団メンバーの戦闘力や対応力。今まで研鑽を重ねてきたのはこんなことに対抗するためではなかったし、何よりもそうしたくはなかった。だがヨルン一人ではこれから引き起こされる惨劇を止められない。その惨劇を見過ごすことさえも、できない。
己の背にはか弱くも暖かな人たちの住まう土地がある、屋根の一つ一つに多くの命が身をかがめこれからやって来る灰の脅威に怯えている。一人でも多くの命を守り一人でも多く明日へと連れ出すのが剣を持った人としてなすべきことだと、未だ記憶に新しいエルの声が言っている。
とはいえ我ながら恐れ多いことをしたものだ。
「”人命か、権威か”。……思い返せば末恐ろしい選択だな、選ばれし者よ」
「ヒューゴ騎士団長……」
隣に並んだヒューゴの心配するような声に、ヨルンは思わず「すまない」と反射的に謝罪を口にしてしまった。それだけのことを、したつもりだったのだ。
黒緋の謀略によって危険に晒された聖火教に救援を求められ、今までの旅団長としての経験からこのままでは惨事になることを予測したヨルンは、今まで仲間たちにさえひた隠しにしてきた一枚のカードを切ることを決めた。
この選択をすることでヨルンは”選ばれし者”という漠然とした信仰を炉に焚べることになることも、元々聖火教会の暗部に属するものとしての信用を失うことも分かっていた。この言葉や台詞を形にすることで、最悪己の首が飛ぶことさえも。
だが、それでも。このまま黙っていることだけはできなかった。
「謝ることはない。あれは本来、こちらが問いかけるべき物事だった。それを選ばれし者であるからときみに縋ってしまったんだ。……辛いことを言わせてしまって、すまなかった」
「……いえ、あれは。俺が勝手にしたことですから」
ヒューゴ騎士団長の仲介の元、ユリウス教皇にある取引の行使を直談判をしたのだ。──……ヨルン自身が、何よりも裏切り者なのだという告解と共に。
『黒幕はフィナだ。彼女の狙いはこの聖火教会に秘匿されている採火燈の奪取、そして原初の洞窟に存在する聖火の種火の強奪だ。彼女は聖火教の崩壊に興味はない、儀式に必要な祭具を手に入れれば手を引くことだろう』
『俺は今まで彼女の存在を認知し、その所業を目にしながらも黙認し続けてきた。それは聖火教に悪意を持っていたわけでも、彼女の復讐に賛同したわけでもない。俺にとってそれらは本当にどうでもよかったんだ』
『”どうでもよかったから、手出しをしなかった”』
今日、ヨルンは聖火の前で罪を犯した。
『選ばれし者として貴方たちに問う。採火燈を引き渡し、この町の人々の安全を優先するか。それとも積み重ねた信仰と誇りのため剣を取るか』
『人命か、権威か』
『”俺はどちらでも構わない”、”貴方たちの選択に限らず俺たちは俺たちのするべきことをする”』
蒼い蒼い星の炎を目の前に、ヨルンは堂々と嘘をつき、己が立場を利用し教皇含めた聖火教会を脅迫したのだ。
フィナ、セラフィナの所業を認識していたのは本当だ。だが、手出しや手助けをしなかったという言葉は真っ赤な嘘だ。
これまでの旅で時折彼女の手伝いで人を消したことも、秘匿しなければいけない盗餓人狩りの仕事内容や報告書を彼女に横流ししていたことも、何よりもヨルンがフィナに対し並々ならない肩入れをしていることもユリウスとヒューゴは理解していただろう。
そのうえでヨルンはこういったのだ。
”黙ってこちらに採火燈を引き渡せ、さもなくばここで見聞きした教会の暗部を全て白日の下に晒す”と。
「(悪人みたいだ。……実際、悪人だという自覚はあるが)」
選ばれし者であるという法外の立場でそれを行えばどうなるのか、今まで得てきた権力者や人々のつながりを悪用すればどうなるのか。それだけの力を不本意ながら有してしまっていたし、皆それを理解して決して使わないよう努力してきたつもりだった。
ヨルンこそ、そんなことを実際にするつもりはなかったしできればこんなことは言いたくなかった。だがこうしなければ秘匿中の秘匿である採火燈を移動させるなんてこと出来るわけがない。一刻も早く凶人の襲撃を終わらせるには、自分たちの手で採火燈を渡すしかないのだ。
「ヨルン、野暮なことをきいてもいいか」
「どうぞ」
「フィナとは……長いのか」
「……」
ヒューゴの問いかけは、ヨルンがひた隠しにしている感情も彼らには見抜かれているのだという答えそのものだった。
どうしようもない彼女に肩入れする理由、どうしても彼女の凶行を止めたい理由。被害を限りなく減らし、彼女の罪を出来るだけ積ませないようにしたいと足掻くその理由。
「はい、とても。……師匠から仕事を継いでから、ずっと見守っていてくれた人なんです」
「そうか……」
ヨルンの中にそれらの感情を形に出来る言葉はなかったが、ヒューゴやユリウスにはそれが分かるのだろう。分かっていて、何も言わないのだ。
「洞窟への案内を用意しておいた、案内人には入口より中には入らないようにも言いつけてある。……気をつけてな」
「……ありがとうございます」
襲撃の合図が雪を裂いた。混乱と動乱が沸き立ちヒューゴたちが駆け出すその真逆を、ヨルンは陰を縫うように走る。誰とも目を合わさないように、誰も巻き込まないように、聖火神の指輪でさえ友人のウィンゲートに預けて。
感情と秘密と採火燈を抱えて原初の洞窟へ。幼少から続いてきた、淡く暖かい時間の終わりへ。胸が張り裂けそうな痛みさえも歩くための篝火にして。