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    Luis_F2F_Ramuh

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    Luis_F2F_Ramuh

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    『レオニア王国記』の登場人物「ルイス」の物語

    レオニア王国記 サイドストーリー 幽き銀月この物語は『レオニア王国記』の登場人物「ルイス」の物語です。
    レオニア王国記本編より数年前の出来事となります。

    ※『レオニア王国記』とは
    Sayチャット溜まり場LS「Face to Face (通称F2F)」の雑談とSS撮影からの連想で始まった物語です。
    LSメンバーをモデルに「登場人物」として配置し、メインストーリ―である『レオニア王国記』を中心に、それぞれが創作を楽しんでいます。
    https://jp.finalfantasyxiv.com/lodestone/character/2326608/blog/3698990/

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    ようやく草の芽が大地を押し上げはじめたというのに、昨夜の名残り雪がうっすらとツインレオ城の石畳を染めている。
    春を告げようとしていた鳥達も、木のうろでひっそりと身を寄せ合う、静かな朝だった。

    朝日を反射して輝く白い中庭を眼下に、黒いコートの男が重厚なドアをノックする。
    とびきりの色男、というわけではないが、端正な顔立ちをしている。
    アッシュブロンドの髪の隙間から、ややきつい印象のアイスブルーの瞳を覗かせ、色味の無い薄い唇を開いた。

    「殿下、出立前にご挨拶に参りました。」

    すると、早朝にもかかわらず、まるで待ち伏せていたかのように内側からドアが開けられ、その隙間から伸びた赤銅色の少年の手が、男のコートの袖を掴み、室内へ招き入れる。

    「おはようルイス、今日はとても寒いね。」

    その手の持ち主であり、『殿下』と呼ばれた彼は、レオニア王国第二王子、マテウス王子である。
    碧の瞳を悪戯っぽく輝かせながら、男の背中を暖炉の前まで押し進め、幼い笑顔を見せた。

    「殿下のお待ちかねの春は、今しばらく先になりそうですね。」

    そう言いながら、ルイスと呼ばれた男は暖炉の火にしばらく手をかざして見せ、王子に向き直る。

    「それでは、私はダグラス宰相様の護衛の任に行ってまいります。」

    すると王子は真剣な面持ちになり、主君然としてハキハキと答える。

    「ご苦労様です。お戻りは5日後の夜でしたよね?気を付けていってらっしゃい。」

    ルイスは王子に一礼すると、靴を鳴らし、部屋を出て行った。


    ------------------------------------

    ローザ王妃の逝去後、4年が経とうとしていた。
    姫付き近衛隊として編成された数名の小隊の長であったルイスは、現在はマテウス王子近衛隊長としてレオニア王国に従事している。
    ローザ王妃の遺言により、王子の後見人の一人としての役割も兼任しているとはいえ、まだ14歳の少年であるマテウス王子の周辺で行うべき任務は少なく、まるで便利屋のように人手の少ない任務へ派遣される日々を過ごしていた。
    今回の任務は、隣国オークレアで行われる社交界へ参加する、レオニア王国現宰相ダグラス=ノースとその一人娘ディアナの護衛をする事だった。

    レオニア王国はオークレア共和国とは長く友好関係にあり、交易も盛んに行われている。
    両国間に広がる森林地帯を、真っ直ぐに突き抜けるように整地された道沿いには、ところどころ宿場が営まれており、それほど危険な道のりではない。
    一行は予定通りオークレアの社交界に参加し、帰路についていた。
    太陽は傾いていたが、このまま順調に馬車を進めれば王都まであと2時間ほどであろう。
    馬車の窓を開け、周囲が見知った景色になってきたのを確認したダグラス宰相は、横並びに騎馬で護衛するルイスに声を掛けた。


    「ルイス、今回はご苦労であった。退屈な任務だっただろう?私用に付き合わせて済まなかったな。」

    ルイスは困ったように眉を寄せて笑顔をみせる。

    「両国の友好を深める大事な公務でございましょう。退屈などと思ってはおりません。」

    それを聞き、ダグラスはにやりと歯を見せると、ルガディン族の体躯に見合った大きな声で愚痴をこぼす。

    「それなら良いが、儂は退屈であったぞ。どうも社交界とやらは肌に合わなくてな。ディアナも偉そうに、良い男がいなかったなどと言っておる …っぐ、」

    言い終わると同時にダグラスが呻く。
    外からは見えないが、どうやら横に座っているであろうディアナ嬢の強烈な一撃を脇腹に食らったようだ。
    それを察したルイスは小さく笑うと、軽口を叩いた。

    「宰相様、無事にご帰城いただくまでが私の任務でございます。どうぞ不用意な発言をなさりませんよう。」

    するとダグラスは眉尻を下げ、口をへの字に曲げて肩をすくめてみせた。

    「全くこの娘は、年寄りを労わるという事を知らん…」

    ダグラス宰相は先の戦争の折、片足の自由を失っていた。
    それまで、槍の名手であり、レオニアの不折槍と謳われた豪傑であったが、以降は専ら若い兵士の指導に励んでいる。
    現在は赤魔導士として剣を振るうルイスも例に漏れず、多くの兵法の一つとして彼から槍についての基礎を学んだのだった。
    壮年にして恵まれた一人娘のディアナを、先立った妻の分まで慈しみ、豪胆で真っ直ぐな性格と面倒見の良さで周囲に慕われている。

    「さて、つまらん社交界の口直しに、無事に王都に戻ったら目一杯驕ってやろう!」

    ダグラスが大声で笑うと、護衛の部下3名は「おおっ!」と声を上げ、それぞれの馬の腹を蹴った。


    ------------------------------------


    すっかり夜が更け、月がツインレオ城の塔を彩る頃、隊は酒場で解散し、ルイスは城下町の南に建つ屋敷に送り届けるべく、ダグラスとディアナの二人を乗せた馬車をゆっくりと走らせていた。
    人気の少ない城壁沿いの道に、石畳を鳴らす蹄鉄の音が心地良く響く。

    夜風を浴びながら、横に座した赤ら顔のダグラスが愚痴をこぼす。

    「久々にお前を鍛えてやろうと思っておったのに、今夜は飲めぬとは...相変わらず生真面目な奴だ。」

    わかりやすく顔を顰めて見せるダグラスに、生真面目な男は苦笑いして答える。

    「それでは報告書提出の仕事に感謝しなくてはいけませんね、宰相様のお相手など、命が幾つあっても足りませんから。」

    「美酒も味わえない命に未練などなかろう?」

    ダグラスとルイスが笑いあったその刹那──
    木肌を叩く音と共に、後方馬車内のディアナが突然の悲鳴をあげた。

    「何事だ!」

    ダグラスとルイスが振り返ると、いつの間に忍び寄ったのか、馬車を挟むように馬に乗った人影が二人、そしてさらに一人、馬車にしがみついた男が扉に手を掛け、ディアナに掴みかかろうとしていた。
    ルイスが素早く腰の剣を抜き片手で高くかかげると、虚空から青白い光でできた魔力の剣が現れ男に目掛けて放たれる。
    それは脇腹に命中し、張り付いていた男は弾き飛ばされ、地面へと叩きつけられた。
    破裂音に驚き、馬が急停止すると同時に、ルイスは馬車から飛び降り、細剣を馬上の男たちに向ける。
    次いでダグラスが片足を引き摺りながらも、杖をかざしてルイスの横に並んだ。
    すると───一瞬の硬直状態の後、男達は互いに目配せし、あっさりと馬の首を翻してそれぞれ別の方向へ走り去って行った。

    ルイスとダグラスは、窓から心配げに顔を出すディアナの無事を横目で確認し、馬車から離れた後方で倒れたままの男に歩み寄る。
    ルイスが俯せに倒れた男の腕を掴み、上体をそらせたところで、ダグラスが男のフードを外す。
    呻き声を上げる男の顔には、十剣山脈を根城とする野盗特有の戦化粧が施されていた。

    「何者だ」

    ダグラスが男を睨み付けると、再度響く女性の悲鳴。
    馬車を見れば、黒いマントを着た別の人影がディアナの襟首を掴み、馬車から引きずり降ろそうとしていた。
    ダグラスは慌てて杖を取る。
    その刹那、ルイスは小さく魔法を詠唱すると、風ような速さで人影に飛び付いた。
    その勢いのままディアナを掴む腕に剣を振り下ろすと、マントの人物は慌てて手を引き、体勢を崩す。
    ルイスはディアナを庇うように間に立ち、再度魔法を詠唱する。
    体から立ち昇るエーテルが炎の粒となり、魔器に集まり球体となって渦を巻く。
    腕を振りかざし、練り上げた魔法を放つと同時に、相手はルイスの剣へ二本の短刀を打ち下ろした。
    距離を詰められた事により威力を押さえつけられながらも炎の玉が破裂する。
    黒い人物は爆風に弾かれたように飛び退き、くるりと回転して着地すると、振り返る事なく走り去って行った。

    漸くダグラスがディアナの元に辿り着き、愛しい一人娘を抱きしめる。
    振り返ると、先程の倒れていた男の姿も忽然と消え失せていた。
    周囲を見渡し、完全に人影が無くなった事を確認して、ルイスは細剣を納める。

    「お二人とも、お怪我はございませんか?」

    ダグラスは安堵の息を漏らしながらルイスを振り返った。

    「大丈夫だ、お前はどうだ?」

    するとディアナがヒッと小さく息を飲み、ルイスの左腕をそっと掴む。
    見れば、コートの肩口が破れ、腕を伝った鮮血がパタパタと地面を汚していた。

    「怪我をしているではないですか…!」

    ディアナは慌ててハンカチを取り出し、その肩に押し当てる。

    「大したことはございません、ひとまず屋敷まで急ぎましょう」

    ルイスはディアナの腕から逃れようとするが、二人がかりで馬車に押し込められ、ダグラスが手綱を取り、屋敷へと向かった。


    ------------------------------------


    馬車がダグラス邸に辿り着くと、事前にリンクパールで連絡をしていたのか、玄関の前で待機していた使用人達が、慌てた様子で駆け寄って来た。

    「大袈裟な…本当に大丈夫ですから…」

    その仰々しさにルイスは面食らったが、使用人達はその声など耳に入っていないらしく、半ば引きずるようにルイスを運ぶと、広間のソファへと座らせた。
    やにわに、救急箱を抱えた女中がやって来る。
    それを見たディアナが駆けより、片手で女中を制止した。

    「待って。わたくしにやらせて頂戴。わたくしを守ってお怪我をされたのですから、手当てをさせて下さい」

    そう言って戸惑う女中から救急箱を受けとると、ルイスの傍らに腰掛けた。

    ルイスは観念してコートを脱ぎ、怪我をした側だけシャツをはだける。
    それほど深い傷ではなかったが、短剣が掠めたと思われる細い傷口から、まだわずかに出血していた。
    ディアナはダグラスと同じルガディン・ゼーヴォルフ特有の青みがかった顔色をさらに青くして、女中から消毒液を浸した布を受け取ると、かすかに震えた手で傷口を抑えた。
    痛みよりも、ひやりと沁みる感覚にルイスが小さく息を飲むと、慌てたように顔を覗き込む。

    「!…痛みますか?ごめんなさい!」

    ディアナの深紅の双眸が微かに潤み、傍らに置いた明かりを反射して揺れている。

    「いえ、大丈夫です。」

    初めて間近にすることになった、ディアナのルビー色の瞳を見詰めながら答えると、ディアナは彫りの深い大人びた顔立ちとは裏腹に、少女のようにうっすらと頬を染め、慌てたようにルイスから目を逸らす。
    そして女官から受け取った布で傷口をぬぐい、手早く軟膏を塗りつけると、包帯をぐるぐると巻き付け、安堵の息を吐いた。

    「できました!」

    そう言って嬉しそうに顔を上げると、また至近距離で視線が交わる。

    「ありがとうございます。」

    「いえ…わたくしこそ…怪我をさせてしまってごめんなさい」

    ルイスは腕に添えられたディアナの手に、グローブを嵌めたままの右手を添え、優しい声色で宥めた。

    「いいえ、お二人ともご無事でなによりでございます。」

    すると、二人が見つめ合うのを傍らで見ていたダグラス宰相がわざとらしく咳払いをした。

    「ルイス、今夜は泊まっていきなさい。報告書は明日でいいだろう。」

    ルイスはようやくディアナから視線を外し、ダグラスを見る。

    「しかし…マテウス殿下がご心配されますので…」

    「殿下には儂からご連絡申し上げよう。異論はなしだ。いいな?」

    ダグラスの有無を言わさぬ目付きに、ルイスは頭を垂れる。

    「……承知いたしました。お心遣い、感謝致します。」

    するとダグラスはニヤリと歯を見せ、

    「まだ宵の内だというのにすっかり酒が抜けてしまった。寝酒に付き合ってもらうか!」

    そう冗談めかして笑うものだから、ディアナが立ち上がり、

    「父様!ルイスは怪我人ですよ!」

    と叱り付けるので、お道化たように両手を上げるダグラスの様子にルイスは口元を綻ばせてみせるのだった。


    ------------------------------------


    明くる朝、ダグラス宰相が呼んでいた町医者が往診に駆け付け、毒などの心配がないかルイスの傷を確認した。
    ノットと名乗る町医者は、不格好な分厚い包帯を巻き直しながらクスクス笑って言う。

    「数日安静にしていれば問題ないでしょう。…それにしても随分厳重に手当をされましたね。」

    その診断に、側で聞いていたディアナは安堵しつつも恥ずかし気に頬を染めた。


    ダグラスの過保護から解放され、漸く帰城を果たしたルイスを出迎えたのは、マテウス王子とブラマールだった。

    「ルイス!心配していたんですよ」

    ルイスの姿を目にするや否や、血相を変えた王子が子犬の様に駆け寄ってくる。

    「只今帰還致しました。ご心配をお掛けして申し訳ありません」

    何事もなかったかのようなルイスの、いつも通り隙のない一礼を確認し、ようやく王子は頬を緩めて頷いてみせた。
    黒々と繁った口髭を撫でながら、ブラマールが声をかける。

    「宰相殿から、話は粗方伺っております。道中大変だったようですな。怪我の具合は如何ですかな?」

    「お陰様で。宰相様の手配で、ノットという腕のよい町医者に診てもらいましたので。」

    するとブラマールはうんうんと頷いて目を細める。

    「なるほど。近頃評判の良い医師ですな。それなら安心でしょう。」

    二人のやりとりを聞いていた王子が、ほっとため息を漏らす。
    ルイスは微笑むと、王子の頭を軽く撫でた。


    その日も暮れる頃、ダグラス宰相からの遣いがルイスのもとを訪れ、多すぎる礼金を、半ば押し付けるように置いて行った。
    ルイスはその半分をノット医師の病院に、残り半分は孤児施設でもあり旧友のいるスノウ教会へと寄付した。
    そして後日、それを知ったダグラス宰相から、
    『これなら寄付できないだろう!回復したらこれを持ってまた屋敷に来なさい。』と、メッセージ付きで大量の名酒が送られて来るのであった。


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    数日が経ち傷もすっかり癒えると、ルイスはダグラスに呼び出され、宰相の執務室へ向かった。
    重厚な扉をノックすると、ダグラスが笑顔で迎える。

    「宰相様、先日は過分な恩賞をいただき、恐縮にございます。」

    ルイスが深々と敬礼するとダグラスは豪快に笑い、

    「堂々と良酒を買う口実ができて儂も嬉しいのだ。あとはお前がそれを持って家に来てくれるだけなんだが…」

    と含みのある視線を寄越し、ニヤッと歯を見せた。
    ルイスは困ったように笑顔を見せると、諦めたように言う。

    「承知致しました。ですが、昨日まで療養命令と称して仕事を取り上げられておりまして…
    5日ほど いただければ一区切りすると思うのですが…」

    するとダグラスはルイスの肩をポンと叩き、目を細める。

    「真面目なのはお前の美徳だが、一人で全ての任を負うだけでは自分も周りも育っていかないぞ?
    お前は隊長なのだから、人を動かす能力を身につけるべきだ。」

    いつになく真剣な表情のダグラスに、ルイスは頭を垂れる。

    「…仰る通りで、お恥ずかしい限りにございます。ご指導痛み入ります。」

    するとダグラスは 一転、破顔して「まぁそう固くなるな。」と肩を叩く。

    「よろしい!ではこれから家へ向かうぞ!実はディアナがお前に会いたがっていてな。」

    そう言ってルイスにウィンクして見せた。


    ------------------------------------


    ダグラスの強い要望により、二人は徒歩で彼の屋敷へと向かうことになった。
    足が不自由なダグラスの歩調に合わせて、たっぷりと時間をかけて歩く道すがら、彼は、様々な話をルイスに語って聞かせた。
    レオニア王国の未来の事、ダグラス自身の事、そしてディアナの事――。
    上機嫌の彼の饒舌はとどまるところを知らず、他人の身の上話など、じっくり聞いた事など無かったルイスにとって、またとない貴重な時間となった。

    果てしないと思っていた道程は案外短く感じられ、まだ日が高いうちに屋敷へと到着する。
    ルイスが促されるままに居間に入ると、ソファで何かを繕っていたディアナが顔を上げ、青と赤の瞳が交わった。
    紅玉の瞳がこぼれ落ちそうな程に大きく見開かれ、鮮やかに表情を輝かせる。
    ディアナは椅子を鳴らして立ち上がると、ルイスに駆け寄り、そのままの勢いで抱きついた。
    ルイスはバランスを崩し、咄嗟にディアナを抱き止める。

    驚いて言葉を失っていると、腕の中のディアナがルイスに回した腕をぎゅっと締め付けながら、「よかった。」と呟く。
    そしてルイスの背後から入ってきたダグラスを睨みながら言った。

    「お父様!うそをついたのですね!」

    訳が分からない様子のルイスがダグラスに視線を送ると、ダグラスはわざとらしく明後日の方向に目をやる。

    「お父様が、ルイスは傷が悪化して危篤だと言ったのよ!わたくしを庇ったせいで、貴方にもしもの事があったら…」

    そしてルイスの肩に頬を寄せて「本当によかった」ともう一度呟いた。

    漸く合点がいったルイスが腕の中のいじらしい女性の髪をそっと撫でると、ディアナはハッとして腕を離す。
    そして、はしたなく抱きついてしまった事を恥じ、おずおずと後ずさる。

    するとルイスはディアナの手を繋ぎとめ、ゆっくりとした仕草でその甲に口付けた。

    「ご心配ありがとうございます。おかげ様で、この通り。」

    整った顔を緩め、優艶と微笑むルイスに見詰められ、ディアナは茹で上がったかの如く顔を真っ赤にし、こくこくと頷いた。

    「さて、ようやく愛しいルイスに会えたのだから、祝い酒だな?」

    突然ダグラスがルイスの背後から覗き込み、茶々を入れてくるので、ディアナは「お父様!?」と悲鳴を上げ、手近なクッションを投げつけた。


    笑い声に包まれ、穏やかに夜が更けていった。


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    季節は廻り、空はより青く、淡い緑があたたかな風に揺られる春の盛り。
    城の敷地内の一角にあるマテウス王子の温室内は、世界中の色を閉じ込めたかのように花々が咲き誇っていた。

    色とりどりの花に囲まれるには不釣り合いな黒いコートに身を包んだ男は、辺りを見回しながら幼い主君を呼ぶ。

    「殿下、ご報告があります。」

    すると、マテウス王子が大きな花台の横から顔を覗かせた。

    「ルイス、珍しいところに来ましたね。どうかしましたか?」

    王子が土まみれの手袋を外しながらルイスに歩み寄るのを待ち、ルイスは日常の些事を報告するように平時と変わらぬ表情で口を開いた。

    「はい、ひと月後、ダグラス宰相のご息女、ディアナ嬢と婚姻を結ぶ運びとなりましたのでご報告を。」

    「はい……えっ?」

    王子はぽかんと口を開け、ルイスを見詰める。
    あの護衛の任務以降、ルイスはそれまで以上にダグラス宰相の信頼を得て、今ではまるで側近のように宰相の仕事を補佐していた。
    忙しく飛び回るルイスの様子を気にかけてはいたものの、必ず毎朝様子を伺いに来る忠実な後見人が、まさか突然結婚するとは思っていなかった王子は、目を丸くして一瞬言葉を失う。

    「ええと…‥‥城を出てしまうのですか?」

    「いえ、殿下には変わらずお仕え致しますので、よろしければ自室をそのまま与え置きいただければと思います。」

    「そうですか…あっ、おめでとうございます!」

    王子は思い出したように笑顔を見せ、祝いの言葉を述べた。

    「式はするのですか?僕も参列してもいいのでしょうか?」

    「必要ないとは思いましたが、結婚の際にはぜひに、と旧友から言われておりますので、スノウ教会で簡略的に執り行おうと思っております。
    殿下にご足労いただくのも恐縮ですが…そうですね、ご都合がよろしければ。」

    王子は嬉しそうに顔を輝かせ、はずんだ声で言う。

    「ぜひに!よければブーケをお作りしましょうか!」

    「ブーケですか…では、お手間でなければお願い致します。」

    「はい!楽しみにしていますね。」

    ルイスは丁寧にお辞儀をし、温室を出て行く。
    王子はそれを見送ると、少し寂し気な表情を浮かべ、小さく呟いた。

    「ルイスが…結婚…」

    産まれた時より側に仕え、親代わりでもあったルイスの結婚話は、青天の霹靂であった。
    自分と母であるローザへの忠誠が揺らぐとは思えないが、漠然と、ルイスはいつまでも変わらずに自分の側にあるように思っていたのだ。
    王子はルイスの去った扉を暫く見つめたあと、小さく首を振って花々を振り返り

    「さて、どんなブーケにしましょうか」

    そう呟き、今にも弾けそうに膨らんだ薔薇のつぼみを指先で軽くつついた。


    ------------------------------------


    一月後、式は予定通り執り行われた。

    簡素に行いたいというルイスの希望であったが、小さな隊とはいえ隊長の籍に就くルイスの立場と、宰相の一人娘であるディアナの婚姻となれば、参列者は優に両手を超え、小さな教会は華やかなムードに包まれていた。

    ルイスはレオニアの騎士にのみ与えられる儀礼服に身を包み、壇上に上がる。
    胸にはマテウス王子が編んだ鈴蘭のブートニアが小さく揺れている。
    祭壇に立つ白いローブに身を包んだ男が微笑みを湛えてルイスを迎えた。

    男の名前は、ジンという。
    この教会の神父である彼は、幼少期に同じ孤児施設で育った、ルイスにとっては昔馴染みの存在だ。
    ルイスはいつもと変わらぬ愛想の少ない表情でジンに目礼し、背を向ける格好で立つ。
    ジン神父は、ルイスにだけ聞こえる小さな声で言った。

    「お前の結婚式には俺が神父やるって約束、覚えてたんやなぁ。」

    ルイスは入口のドアを見たまま、同じようにジンにだけ聞こえる小さな声で答える。

    「会う度に言われては忘れようがないだろう…散々せっついてくれたんだから、しっかり勤め上げてくれよ?」

    するとジンは派手に鼻をすすり上げ、嗚咽交じりで言った。

    「まさか、ほんまにお前が結婚するとはな、お前は家庭に興味がないって心配しとったんやで…」

    震える声色に驚き、ルイスは振り返って苦笑いする。

    「おい、しっかりしてくれ、神父が泣く結婚式など見た事がないぞ?」

    そしてポケットからハンカチを取り出し、ジンに渡す。

    「おう、すまんな…長年の夢やったからな…しっかりやるから任せときや!」

    ジンがそれで涙をぬぐった時、入口の両開きのドアがゆっくりと開けられた。

    重厚な扉の向こうから、初夏の日差しを浴び、眩しいほどに輝く白いドレスに身を包んだディアナが現れた。
    目鼻立ちのはっきりとした美しい花嫁は、ダグラス宰相に手を取られ、中央の通路をゆっくりと進んでいく。
    長いベールに施された美しい刺繍が弧を描いて赤い絨毯を撫でる様子と、その手に持たれた鈴蘭の清楚な香りに、会場の人々はうっとりとため息をつき、拍手で見送る。
    祭壇に辿り着くと、伏せていた深紅の瞳が、ルイスの青い瞳と交わる。
    ディアナはゆっくりと祭壇に上がり、二人は神父の前に並んだ。

    ジン神父は先程の様子とは異なり、まるで歌うように創世神に捧げる祈りの言葉を紡ぎ、ルイスは胸を撫で下ろす。
    ジンは静かに、しかしハッキリと、二人を見詰めて続けた。

    「伴侶として生涯を共にすることを、己の信ずるものに誓いを立てなさい。」

    ディアナはジン神父をしっかりと見詰めたまま答える。

    「父に。」

    ルイスは目を伏せ、一度深く息を吐くと、薄いブルーの瞳をディアナに向け、はっきりと答える。

    「レオニダス国王陛下に。」

    するとディアナは初めて見た時のようにルビーの瞳を潤ませ、花が開くように鮮やかに微笑んだ。



    ------------------------------------



    その夜───

    ルイスは一人、ダグラス邸2階に与えられた部屋にいた。
    明かりをつけないまま静かに窓を開ければ、遠くに見えるツインレオ城の輪郭と、それを彩る灯篭の火が揺れている。
    眼下の庭には白い薔薇が咲き乱れ、花の形だけが闇にぼんやりと浮かぶように見えた。
    強香種ならではの華やかで芳醇な香りが、夜風に乗って室内を満たす。

    ルイスは目を閉じ、遠い記憶の薔薇園に想いを馳せた。

    色とりどりの薔薇であふれかえるタイガルドの庭園。
    そこに誂えられた白い石造りの噴水。
    その水だまりを覗き込み、浮かぶ花弁に手を伸ばせば、水面に映り込むのは、幼い自分と、可憐に微笑む────。

    ルイスは深く息を吐き、ゆっくりと目を開く。
    かすかに湿った夏夜の空気を感じながら、窓辺に置いた鈴蘭のブートニアを拾い上げ、可憐な花弁を指先で揺らす。
    すると、入口のドアが音を鳴らし、ディアナが麝香の香りを連れて部屋へ入ってきた。
    静かに扉を閉めてから、窓辺に立つルイスに気付き、小さく悲鳴を上げる。

    「はっ!…驚いたわ。明かりも点けずにいるから、寝ているのかと。」

    窓から差す月明かりの逆光で、ルイスの表情は見えない。
    ディアナは手に持った蝋燭をかざしながらそっと近付く。
    炎の光がルイスの白磁のような肌を照らすと、氷の色の瞳がうっすらと微笑んだ。

    「気を休めていたところです。…この香りは?」

    ルイスはディアナの持つ蝋燭を受け取り、テーブルに置く。

    「評判の占い師に調合してもらったお香を蝋に練り込んであるのよ。いい香りでしょう?」

    ルイスは無表情で炎を見詰めたまま答える。

    「 …そうですね。」

    「ああ、これを持ってきたの。」

    ディアナは思い出したようにポケットを探ると、一通の封筒を差し出した。
    それを受け取り、獅子の刻印が押された青い蝋封を開け、銀の縁取りを施されたカードを取り出す。
    蝋燭の明かりにかざせば、美しい文字でこう書かれていた。

    『レオニアの名のもと結ばれる一族は
       トラウト川の如く愛を湛えるだろう。
                   祝福と繁栄を。』

    それは、レオニダス王から家臣に送られるメッセージカードだった。

    ルイスは無表情のまま暫く眺めた後、カードの端を蝋燭に近付け、おもむろに火を点ける。
    その様子を見ていたディアナが怪訝な顔で呼びかけるが、まるで聞こえていないかのように、それが黒く捩れ、灰になるのを見詰めていた。

    カードから立ち上る炎がルイスを赤々と照らし、その影が仄暗い部屋を覆うように大きく揺れる。
    瞬きを忘れた青い瞳の中で、赤い炎が煌々と燃え上がっていた。

    ルイスはそれがすっかり燃えてしまう前に、蝋燭を立てている銀の受け皿に置き、ディアナを振り返る。

    「こんな夜に、職務を思い出させるカードなど、無粋だと思いませんか?」

    お道化たように口元だけで微笑み、傍らのベッドに緩緩と腰掛ける。
    そして、グローブを嵌めたままの手をディアナに伸ばして言った。

    「おいで。」



    薔薇の香りは紙の焦げた香りと麝香に侵され、鈴蘭の花弁を揺らし窓の外へと溶けて行った。



    ------------------------------------



    翌朝。
    ディアナが目覚めると、隣にルイスの姿はなかった。
    慌てて部屋を出て階下に降りると、パウダールームから聞こえる微かな水音。
    そっと扉を開くと、伴侶になったばかりの男が顔を洗っている。
    まだ使用人達も寝入っているほどの早朝だというのに、既にしっかりとコートまで着込み、身支度を済ませている様子であった。
    ディアナはルイスが居た事にホッと胸を撫で下ろし、悪戯っぽく微笑むと、背後からそっと近寄る。
    そしてタオルを顔に当てたタイミングで手を伸ばした。

    ところが───ルイスの手にディアナの手が触れた瞬間、ルイスはそれを振り払い、鋭い目付きで振り返る。
    今まで見た事のないような憎悪の表情で氷色の瞳に睨まれ、ディアナは驚いて身を固くした。

    「ご…ごめんなさい」

    「ああ、ディアナでしたか…驚きました。」

    落としたタオルをゆったりとした仕草で拾い上げ、手袋を嵌め直しながら続ける。

    「すみません、過去に少し嫌な出来事がありまして…突然肌に触れられるのは苦手なのですよ。」

    手首のボタンを留めると、ルイスは恐縮したままのディアナに近寄り、細い腰を優しく抱き寄せながらその頬を撫でた。
    いつものルイスらしい仕草を受け、ディアナは表情を和らげる。

    「ごめんなさい、私…昨夜はいつのまに寝てしまったのかしら…ルイスは出かけてしまうのね?今夜はまた家に来られるの?」


    ルイスはディアナの瞳を至近距離で見詰めながらも、ハッキリと答える。

    「すみませんが暫くは無理ですね。式のおかげで仕事が溜まっていますので。」

    ディアナは表情を曇らせ「そうなの…」と呟くと、目を閉じてルイス見上げる。

    「さて、ではそろそろ城に戻らなくては。」

    ルイスはその意図に気付かない様子で腕を離すと、ディアナを置いて部屋を出て行った。



    ---------------------------------------------



    それから半年が過ぎ、葉を失った寂しげな木々の間を冷たい風が吹き抜ける頃。

    ルイスはこれまで以上に精力的に職務に精を出していた。
    ダグラス宰相はルイスを常に側に置き、本当の息子のように扱い、ルイスは現在では国王からの覚えもめでたい存在となっていた。
    宰相の片腕として政務を支えながらも、遠出の任務がない限り、マテウス王子への朝晩の挨拶は欠かす事がない。
    この日も夕食を済ませた後、王子の温室を訪れていた。

    温室は、今を盛りと咲き誇る椿の花で、緋色に華やいでいる。

    「ルイス、奥様はお元気ですか?」

    「お陰様で、息災に過ごしております。」

    「そうですか…でもルイスはあまりあちらに顔を出していないのではないでしょうか?」

    王子は表情を曇らせると、枝越しのルイスを見詰める。
    ルイスは、薄青の瞳だけをチラリと王子に向けた。

    「そうですね…ここ一月ほどはずっとここに詰めておりましたから。」

    すると王子は、見事な花を幾つもつけた枝を躊躇いもなく切り落とし、ルイスに差し出す。

    「今日はあちらの家へ行ってはいかがですか?式の夜以来、一度もあちらには泊まっていないでしょう?」

    「ですが…まだ片付けておきたい書類が…」

    王子は、承服しかねるといった顔のルイスの背中に回り、入口へと押しはじめる。

    「お花、渡してくださいね。」

    そう言ってルイスを温室から押し出して手を振った。
    ルイスはドアを閉めるマテウス王子に会釈をし、渋々と背中を向けた。


    ─────────


    刺すように冷たい空気に、冴えわたる星が空を覆っている。
    ダグラス邸に到着したルイスは、白い息を吐きながら馬を降りた。
    帰宅をしようとしていたところだろうか、ちょうど玄関から出てきた女中がルイスに気付き、扉を開けたままルイスを招き入れる。

    「ルイス様、おかえりなさいませ。」

    コートを預かろうと手を差し出すが、ルイスは片手を上げて制し、気にせずに帰宅するよう申し付けると、女中は深々とお辞儀をして玄関を出て行った。
    居間を抜けると、ディアナの部屋から話し声が漏れていた。
    ノックをして部屋に入ると、ソファに座っていたディアナが焦ったように立ち上がる。

    「ルイス…夜に来るなんて珍しいわね。」

    同時に、ディアナの正面に座った女性がルイスを振り返る。
    近頃ディアナが心酔している「評判の占い師」とやらであろう。
    異国風のベールで顔を殆どを覆い、わずかに見える右目だけがテーブルに置かれた明かりを反射し金色に輝いていた。
    ルイスに会釈をすると、ベールからひょこりと出たミコッテ族特融の耳につけられた飾りがしゃらしゃらと音を鳴らす。
    部屋には嗅ぎ慣れない異国の香りが充満していた。

    「それでは、今日は失礼させてもらいますね。」

    占い師がそう言って立ち上がろうとすると、ディアナは慌ててそれを制する。

    「まって、まだ居て頂戴。」

    ディアナはゆっくりとルイスに近付き、袖を軽く引っ張りながら甘えた声で言う。

    「ルイス、今日は泊まっていくのかしら」

    麝香がねっとりと香るだけで、酒の匂いは感じられないが、まるで酔っているかのように頬を紅潮させ、大きく開いた胸元を見せつけるようにルイスにしなだれかかってくる。
    ルイスはあからさまに眉を顰め、ディアナの体を軽く押し返しながら淡々と言った。

    「いえ、まだ仕事が残っておりますから、城に戻ります。」

    するとディアナはみるみる不機嫌な表情になり、声を荒げる。

    「この時間からまだ仕事ですの?」

    しかしその声はどことなく呂律が回っていない。

    「そうですね、仕事に終わりはありませんので。来客中のようですし、今日はこれで。」

    ルイスは椿の枝をディアナに手渡すと、何か言いたげな表情を浮かべたディアナを振り返る事なく、部屋から出て行った。
    残されたディアナは苦い顔で占い師の正面に座り直す。
    手渡された枝を乱暴にテーブルに投げ置くと、ディアナの瞳に似た深紅の花が一つ、枝を離れ、床に転がった。

    「見たでしょう、あの余所余所しい態度…あの人にとってはもう私など邪魔な存在なのだわ。」

    声を震わせたディアナを見て、占い師はディアナの横に座り直すと、肩にそっと手を置き、優しく撫でる。

    「もう数カ月家に寄り付かないのよ。お父様も元々あまり帰ってこない人ではあったけれど、ルイスほどではないわ。」

    ディアナのルビーの瞳を水の膜が覆っていく。

    「私に触れたくもないくらいなら、愛していないなら…結婚なんてしなければよかったのに!」

    今にも泣きだしそうに肩を震わせるディアナに、占い師は小さな包みを差し出す。

    「また気持ちが落ち着く香を差し上げますね。毎日眠る前に焚いてください。」

    そして中に入った枯草色の粉を炭に乗せ、細く立ち上る白煙を目で追ったあと、ディアナを見詰めて囁く。

    「ディアナ様は魅力的でいらっしゃるのに、そんなことを仰らないで。ここの庭師の殿方など、貴女に夢中なように見受けられますけれど…」

    「庭師…バデルの事?きっと彼だって同じよ。わたくしの事なんて、誰も愛してくれないんだわ。惨めになるだけよ…」

    ディアナはそう言って、ついに零れた涙を両手で覆う。

    占い師はディアナの手を降ろさせ、涙を指で拭うと、ディアナの赤い瞳を見詰めたまま続ける。

    「貴女の事、求めている人はたくさんいるわ。」

    ディアナは金色の瞳を見詰め、与えられた香を吸い込む。
    そしてしばらくそのまま呼吸を整えると、ゆっくりと頷いた。

    「旦那様がお花を好まれるようでしたら…その、バデルという庭師に、花の育て方を習われてはいかが?」

    すると、ディアナの視線は占い師を通り過ぎ、虚空を見詰めるように輝きを失っていった。
    ぐったりとソファにもたれかかり、遠くを見つめたままで呟く。

    「‥‥そうするわ。」

    占い師は金色の瞳を三日月型にして微笑むとゆっくり立ち上がる。
    大きな窓に歩み寄り、カーテンを開くと、聞き耳を立てていた件の庭師が驚いた様子で飛び退いた。
    走り去ろうとする男を呼び止め、
    「バデルとやら、ディアナ様のお加減が優れないようなの、お水を持って来てくださる?」と声をかける。
    男は目を丸くしてこくこくと頷くとどこかに走って行った。

    「それではディアナ様、また来週同じ時間に参りますわ。」

    占い師は虚空を見詰めたままのディアナの頬を撫でると、部屋を出て行った。


    ----------------------------------------------


    ひとつの季節が過ぎ、ダグラス邸の白薔薇は今年も美しく咲き誇っていた。
    ルイスとダグラス、そしてディアナは、広間のテーブルを囲んでいる。

    「久々だが、こうして家族で夕食を取るのは実に和むな。ディアナがいつも家を守ってくれているおかげだ。」

    ダグラスがにこやかに言うと、ルイスも続ける。

    「そうですね、任務で戻れない時も、家を守る妻がいてくれるからこそ、安心して過ごせるというものです。」

    二人がディアナを見詰めて微笑むと、ディアナはどこか落ち着かない様子で自分の手元を見ながら答える。

    「いいえ、当然の務めですもの…」

    消え入りそうなその声に、ダグラスは眉を寄せた。

    「ディアナ…長く留守にしてすまなかったな。儂は数日はここでゆっくりと過ごすつもりだ。」

    それと同時に広間の扉が開き、使用人達が食事を運んでくる。
    メイドの一人がそれぞれの前のグラスに水を注ぎ、別の一人がきつね色に香ばしく焼き上げた大きなパイを、テーブルの中央に置く。
    そしてナイフを取り出し、パイの中央に刃を立てると、子気味の良い音と共にほわりと湯気が立ち上り、バターと肉の豊潤な香りが広がった。
    その瞬間──ディアナは「うっ」と小さく唸り、口元を押さえて立ち上がる。

    「ディアナ!?」

    ダグラスが驚いて声を掛けるが、ディアナは駆け足で部屋を出て行った。
    メイドが一人、慌ててそれを追う。

    「医者を、医者を呼びなさい!」

    ダグラスが残ったメイドに慌てて言いつけると、メイドは困惑した表情で答える。

    「はい…ですが旦那様…ディアナ様は…」

    「…ディアナは妊娠しているのですか?」

    その場にいる誰に問うたのか、静かに響いたルイスの言葉にダグラスが振り返る。
    ルイスは椅子に掛けたまま、うっすらと微笑んでいた。

    「ディアナが…妊娠!?」

    ダグラスはしばらくぽかんと口を開け目を丸くしていたが、かみしめるようにゆっくりと満面の笑みになる。ルイスとダグラスを交互に見ながら、恐縮した様子のメイドが答える。

    「おそらく…ここのところよくあのような反応をなさいますので、お医者様をお勧めしたのですが、ディアナ様が不要だと仰るもので…」

    それを聞いたダグラスは部屋を飛び出していくと、メイドと共にウォッシュルームから出てきたディアナを豪快に抱きしめて半ば吠えるように声を上げた。

    「ディアナ!!よくやった!!」

    ディアナは父親の腕の中で一瞬目を潤ませたが、その肩越しにルイスを見付け、表情を強張らせる。
    薄笑いを浮かべたまま、氷の色の瞳がじっと見ていた。

    「お、お父様…どうなさいましたの?私、少し具合が悪くて…」

    震える声でそう呟くディアナに、ルイスがゆっくりと近付く。
    そしてディアナの耳元で、ひどく優しい声色で囁いた。

    「ディアナ、ありがとう。…どんな子が産まれてくるか、今から楽しみだよ。」

    するとディアナはダグラスを押し退け、青白い顔でその場に蹲る。

    「一人にして!…占い師を、呼んで、今すぐに!」

    取り乱す娘の様子を見て困惑するダグラスの横を、メイド達がバタバタとすり抜けディアナを支える。

    「ここのところ、妊娠のせいか情緒が不安定になっていらっしゃるようで…お部屋にお連れしますね」

    するとルイスはメイド達を制し、

    「私が連れて行きますよ。大事な身体ですからね」

    そう言って、ディアナの手をとると、その耳元で何かを囁き、青白い顔をした妻を部屋へ連れて行った。



    --------------------------------------



    月明かりが差し込む室内。他に明かりはついておらず、薄暗い。
    半開きの窓から時折吹き込む夜風に、薄いレースのカーテンが揺れている。

    部屋に入るやいなや、ルイスは腕にしがみつくディアナの手を振り払った。
    ディアナはよろめき、ルイスに縋りつきながらその場にしゃがみ込む。

    「誰の子です?」

    薄暗い室内に抑揚のないルイスの声が響いた。
    感情の読み取れない瞳がディアナを見下ろしている。

    長い沈黙の後、ディアナは項垂れたまましわがれた声を押し出す。

    「……バデルよ。」

    「…お相手は庭師でしたか。庭師の子供が跡継ぎとは、あまり愉しい話ではありませんね」

    すると石のように固まっていたディアナが声を上げてルイスにしがみつく。

    「あなたが!...わたくしに触れもしないから...怖くて、寂しくて...」

    「寂しかったから、それを他の男で埋めようとしたという訳ですか」

    ディアナは激しく首を横に振った。大ぶりの銀のイヤリングが擦れる音が、暗い室内にやたらと響く。

    「思っていたのは貴方の事だけ!信じて…。あなたを…愛しているの」

    「愛している?」

    「そうよ…わたくしの事など、もうどうでもよくなってしまったの?」

    ディアナは、震える両手でルイスの手を包むと、そのまま自分の頬に押し当てた。

    「…臭いますね」

    「えっ?」

    ルイスはするりと手を離すと、ディアナに向かい合ってしゃがみこんだ。

    「貴女の身体に染み込んだ、この下品な香り…嫌いなんですよ」

    動揺の色を隠せない紅玉の瞳を、氷の刃のような眼光が捉える。

    「そろそろ苦しいのではありませんか?身体が震えておられるようだ」

    「一体…何の話をしているの?」

    「最近の貴女の様子がおかしかったものでね。調べさせていただいたのですよ。
    あの香の正体───貴女も、薄々気がついているんでしょう?」

    「あれは占い師がくれたのよ。気が休まるからと言って…」

    ルイスは口を挟むなとばかりに疎ましそうに目を細め、淡々と続ける。

    「麝香と、ある植物の粉末が混ぜ込んでありました。少量用いるならば、鎮静作用がありますが…常習性があるので、王国内では、許可なく使用することは禁じられている───つまり麻薬です。」

    ディアナの手は小刻みに震え、額には脂汗が滲んでいる。

    「内々の話ですが、近々一斉に取締りをするそうですよ。戦後、違法薬物の蔓延は頭の痛い問題ですからね。」

    ルイスは狼狽したディアナの頬を撫でると、緩やかな手つきでその髪の一房に指を絡めた。

    「…ご存知でしたか?貴女の髪一筋を調べるだけで、使用していた期間まで、はっきりとわかるのですよ。
    私はもちろん、貴女を愛して育ててきたお父上も、立場上もう国内にはいられないでしょうね。」

    ディアナはみるみると青褪めると、ルイスの腕にすがった。

    「そんな…私は…どうしたらいいの…」

    呻くように囁くディアナの身体は小さく震えている。

    「…私の事を愛していると仰いましたね。その気持ちに偽りはありませんか?」

    「もちろんよ。貴方に信じてもらえるなら…何だってするわ」

    「そうですか。では…私の為に死んでください」

    「……えっ…?」

    すがるディアナの顎を持ち上げ、立ち上がらせると、
    露になった青白い首筋に黒い手袋の指先を辿らせる。

    「どの様な理由があれ、不貞を働いた貴方がここにいては邪魔なのですよ。」

    ディアナの喉元で止まった指先が、両腕を広げた蜘蛛の様に広がった。
    そして、死を待つ獲物の様に動かなくなったディアナの瞳を覗き込む。

    「私は、愛というものを理解しかねますがね───もっとも、貴女が仰る様な身勝手な感情が愛というのならば、到底不要なものです」

    抑揚のない口調とは裏腹に、ルイスの瞳は凍て付くように鋭く光り、じわりと細首に食い込んだ手袋が皮の軋む音を立てた。

    「ああ、それならば───不貞を働いた妻を、愛するゆえに手にかける。これもそういう行為として、罷り通るというわけだ。」

    混じり合う視線。永遠とも思われる沈黙。


    「……貴方が私に与えてくれるものは、全て受け入れるわ…」

    ディアナは掠れた声を喉から絞り出すと、覚悟を決めたようにそっと瞳を閉じた。
    木々の梢がざわめいて、薄いカーテンが大きく揺れる。どこか遠くで、夜鷹が鳴いているのが聞こえてきた。

    ルイスの溜め息が、張り詰めた空気を破った。
    ディアナの喉元から手を離すと、椅子の背もたれに深く身体を預ける。

    「冗談ですよ。流石に私も、罪もない赤子を殺す趣味はありませんのでね。」

    糸の切れた人形のように、ディアナが崩れ落ちる。床に両手を突き、大きく肩を上下させた。

    「私の前から消えてください。どのみちここに居ては、先は見えている。どこか遠くへ行き、二度と姿を現さない事です。次にまみえたその時は───わかっていますね?」

    ディアナは涙を流し、恨めしそうにルイスを見詰める。
    そして何かを言おうと口を開くが、それはルイスによって遮られた。

    「ああそれと、おめでとうディアナ。これで貴女は一人ではなくなりましたね。」

    そうしてルイスは踵を鳴らして部屋を出て行った。
    残された部屋には、ディアナの慟哭がいつまでも響いていた。

    ----------------

    数日後、ディアナとバデルの二人が、屋敷から忽然と姿を消した。
    ディアナの部屋で見つかった書き置きには、彼女の筆跡でこう記されていた

    ───どこか遠くで、愛するバデルと3人で暮らします。
      お父様、ごめんなさい。私の事は、探さないで下さい───


    --------------------------------------


    それから数日。

    ツインレオ城にあるルイスの私室で、難し気な顔をしたマテウス王子がペンの先をくるくると回す。
    ルイスはマテウス王子の後ろに立ち、黙ったままそれを眺めていた。

    「できました!」

    ルイスは真剣な眼差しで振り返る王子から紙を受け取り、整った文字に視線を走らせると、頷いてみせる。

    「いいでしょう、良く書けております。これなら陛下のお仕事も手伝って差し上げられるでしょう。」

    王子はキラキラと目を輝かせながら嬉しそうに微笑む。

    「さて、本日はそろそろお休みになられるお時間ですよ。」

    ルイスが退室を促すと、王子はじっとルイスを見詰めた。

    「…ルイス、大丈夫ですか?」

    ルイスは視線を王子に向け、無表情のまま答える。

    「…何の事です?」

    「その…お家の事です…」

    するとルイスは心底忘れていた、といった様子で「ああ…」と呟き、

    「その後は全く行方知れずなので…元気に過ごされていれば良いのですが。」

    思いやりを感じさせるのは言葉だけで、その表情は能面のように動かない。
    王子は椅子から立ち上がり、ルイスの手を握ろうとするが、ルイスはするりと扉へ向かい、王子に言った。

    「やらなくてはならない事が山ほどありますのでね。滅入っている暇など無いのですよ。」

    王子は何か言いたげな視線を送りつつも、ルイスが開けた扉へ向かう。

    「殿下、お休みなさいませ。また明日お伺い致します。」

    王子が頷いて出て行くのを見送り、ルイスは静かに扉を閉めた。
    同時に───背後で窓が微かに音を立て、吹き込んだ風がテーブルの炎を消す。

    振り返れば、まるでずっとそこに居たかのように、占い師の女がルイスの書斎机に足を組んで座っていた。
    ヴェールに散りばめられた銀の飾りがチラチラと月明かりを反射している。
    ルイスは小さく溜息をついて、扉に鍵をかけた。

    「プロテオか…もう占い師役は終わっただろう?その怪しげな恰好で私の側をうろつくのはやめろ」

    するとプロテオと呼ばれた占い師は、ヴェールを外してから道化て肩をすくめる。

    「なかなか素敵な衣装でしょ?相変わらずつれないにゃあ、ルイスチャンは。
    もう長い付き合いだっていうのにさ。」

    ルイスは目を合わせる事もなく、王子の置いていった本を書棚に片付けながら言う。

    「仲間になった覚えはないな、利害が一致しているというだけだ。」

    しかしその反応を気にも留めず、プロテオは愉し気な声色で続ける。

    「全く、最初から人使いが荒かったよね。
    ダグラス宰相の馬車を襲ったあの時、ボクの事ついでに消そうとしたでしょ。
    至近距離で魔法投げられたこと忘れてないからね?」

    口元は弧を描いているが、金の瞳は射るように鋭くルイスを見ている。
    だが、ルイスは意に介していない様子で黙ったまま椅子に腰掛けた。

    「でも、消しそびれて結果オーライかな?
    私財を持たず孤児院を支援して、身を粉にしてまでレオニアに尽くした結果、妻に逃げられた天涯孤独のルイスチャンの完成!だもんね?情に厚い王様や宰相が好きそうな設定だよね。」

    ルイスはもう一度、息を深く吐き出すと、薄青の瞳を漸くプロテオに向ける。

    「それで…要件は何だ。」

    プロテオは金の輪を描く瞳を細め、勿体つけるように笑うと、囁くように言った。

    「ダグラス宰相、やめちゃうんだって。
    後継者にルイスチャンを、との懇願を、さっきレオニダス王が承諾したところ。」

    ルイスは彫像のように硬直した顔に、歪んだ薄笑いを浮かべ、小さく呟いた。

    「…そうか。」

    「やっとボクも、あの方にいい報告ができるよ。
    貴方の可愛い子犬が、ついに王様の首に手が届く距離まで登り詰めた、ってね。」

    そうしてプロテオは書斎机からふわりと降りると、

    「次会う時は宰相サマって呼ばないとかな?それじゃあ、チャオ♪」

    そう言って、窓から闇夜へ消えて行った。

    ルイスはプロテオが消えて行った窓から外を眺める。
    眼下の庭には、かつてローザ王妃が慈しんでいた白薔薇達が静かにこちらを見詰めていた。

    あの美しい花を、愛しく想えなくなったのは、何時からだっただろうか。
    ルイスは自問する。

    朧気な月の光に照らされた白い花は、何も答えない。
    ただ夢を見るように、春の夜風にそっとその身を揺蕩わせていた。


    ────── 終 ──────

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