多くの人達で賑わい、楽しげな声を耳にしながら、知恵の木に背中を預ける。困った顔で佇む男が呆れた声で嘆いた。
「まったく。こんな楽しい所で人間に悪戯なんてするなよ」
堪らず、溜息を吐いてからつい口に出てしまった嫌味。隣に立つカインの言葉はオーエンの左耳を通って右耳へとすり抜けていく。
にこにこと上機嫌でクレープを頬張るオーエンが手にしているのは「プリンのプリンアラモードクレープ」。見た瞬間に指をさして「これ奢ってくれるなら悪戯するの止めてあげる」なんて歪に口端を歪めて奢らせたクレープ。
沢山の楽しそうな笑い声が包まれている場所に、恐怖の悲鳴を響かせたくは無い。カインには見る事は出来ないが、此処が人の笑顔や笑い声で賑わう素敵な場所なのは分かる。仕方ない。いつものオーエンの我儘だと財布を軽くする事に決めた。
「ふふ、ほら見て。このクレープの色、騎士様の眼と同じ。まるで騎士様の眼を食べているみたい」
「……食べる気無くさないか?」
そんな風に言われてしまっては、自分の手元にある「マイメロディのダブルベリークレープ」がなんだかオーエンの眼球にみたいに思えてくる。折角可愛らしいのに、オーエンの一言で食欲が消えていってしまう。難しい顔で手の中のクレープを見詰めるカインの姿にオーエンは目を細めた。嫌がらせが上手くいってこの上なく上機嫌に笑う。
「食べないなら、僕が食べてあげようか?」
腰を曲げてカインの手元へと顔を近付けると、慌てて腕を上げてオーエンからクレープを逃がす。
「こら、お前にはそっちを奢ってやっただろ」
折角元の世界には無い食べ物だ。どうせなら自分も味わいたい。オーエンに食べられてしまう前に食べてしまわないと、急いで口に運ぶ。
「ん、ぷ。ぁっ!」
むにゅ――っ!
勢い良く頬張ってしまった反動で、生地に包まれていたたっぷりの生クリームが飛び出してしまった。口の回りにベタベタとくっ付く甘いクリームに反して苦い顔のカイン。
「あっはは、騎士様何してるの?随分と間の抜けた事してるね」
けらけらと声を弾ませるオーエンから、視線を外す。小さな子供みたいに、口の周りを汚してしまった事が恥ずかしい。慌てて生クリームを指で掬い、
ちろりと赤い舌で指先を舐める。
「ん、」
ぷっくりと盛り上がった白い塊を舌の上に転がす。口の中に広がる甘さに、思わず「おいしい」と感想が飛び出た。
ちゅぷっ。続けて舌を這わして舐め取る。何度か繰り返すうちに、ふと、気が付いた。
「…………」
先程まで人の事を小馬鹿にして笑っていたオーエンが静かだ。何時もならもっと何か言ってきそうなのに。
「どうした?」
不思議に思い顔をあげるとそこには、――――ぽかんと口を開けたまま呆けているオーエンの姿。
「オーエン?」
「っ!え、な、」
まるで膨れ上がった風船が、パン!と破裂したみたいに、パッと意識を取り戻す。硬直していた身体は一歩、二歩後退りカインから距離を取る。
「今の何…」
「……なにがだ?」
何?と聞かれても分からない。首を傾げて聞き返す。
顔にはまだ生クリームが付いている。早く取ってしまいたいから、不自然な動きをするオーエンから視線を外さずに、指腹に付いた白を舐め取ろうと舌を出した、――瞬間。
バシッ!と小気味良い音と共に走る痛み。
驚いて目が丸くなる。何が起きたのかと思えば、オーエンの手の平がカインの頭に叩きつけられたのだ。
思いっきり頭を叩かれた。なんで?
「何するんだよ」
つい声が荒がる。常々オーエンから暴力を振るわれているとは言え痛いものは痛いし、痛いのが好きなわけではない。
「お前が何してんの…」
「は?」
オーエンの目が据わっている。瞬き一つせず、じっとりと見てくる双眸が怖い。今度はカインが後退る。北の魔法使いに睨まれて普通に怖い。思わず身体が緊張する。
「何って…何が?」
先程からオーエンが何を言っているのか、何を聞いているのか分からない。頭の上にはクエスチョンマークがいくつも浮かぶ。
「ちっ」
痺れを切らしたオーエンがカインの腕を掴んだ。指が食い込み痛みに顔を顰める。その細い腕のどこにそんな力があるのか、振り解こうにも振り払えない。
「オーエン、お前さっきから何をいっ…て…っ???」
ぞわり、背筋が震えた。
オーエンの口から真っ赤な舌がカインの指に絡み付いたのだ。蛇の舌みたいにチロチロと、指の付け根から指腹、指先へと丁寧に舐め上げる。カインの指に付いていた生クリームはオーエンの胃袋の中へと消えていった。
「ひっ、な、なにしてっ」
慌てて引き抜こうとするが、オーエンの歯がガッチリと喰い込み抜けない。もう生クリームは無くなったのに、名残惜しそうに、ちゅぱ、ちゅる…。唾液を含ませわざと水音を鳴らす。ぞわぞわと毛が浮き立つ。気が付くとオーエンの手に腰を掴まれ抱き寄せられ、逃げる事が出来ない。咥えこまれた指先から甘い痺れが全身に回り、足の力が抜けていく。立っていられなくなり、オーエンへと身体を預ける。
ちゅる…ちゅぱ…じゅる…――。
耳を擽る卑猥な音を響かせながら、優しく吸い上げる。ぬるりと湿った舌が皮膚を這う。下手に動かして爪で腔内を傷付けるのを恐れて指を動かすのに躊躇う。
「っ、ぃ、んんっ」
「ひゃかった?じふんがひゃにしてたか」
「ひっ、そ、こで喋るな」
指先に息がかかる。皮膚に伝わるオーエンの吐いた甘い息。
「お、おーえんやめっ、そんなとこ汚いからっ!舐めるなってっ」
「ふぅん…」
ちゅぱ…。
生温い舌が名残惜しげに、指と爪の間にぐりぐりと舌を挿し込んでから、やっと指を開放した。オーエンの指から細い銀の糸が伸びてぷつりと切れた。唾液まみれでベタベタになった手だけが残る。
「お前…食い意地張りすぎだろ…汚いから止めろよ」
「僕の事言えるの?お前だって食べてたでしょ」
「そうだけど…」
「指舐めるのが汚いって分かってるなら、お前もやるなよ」
分かった?と、子供に言い聞かせるみたいに、優しく語りかける。
「……。分かったよ」
居心地悪そうに顔を反らして答えたカインに、満足気に笑うと腰に回していた手にぐっと力を込めた。
猫が顔を擦り付けるみたいに、頭を寄せる。こつんと打つかり小さな痛みを感じた。睫毛が重なり合う距離。カインの頬を汚していた生クリームに舌を這わせる。
食い意地の張ったオーエンは、目を細めて美味しそうにその甘さを噛み締めた。
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