御指名入りました「オーエン、珍しいな!」
明朗で活発ではつらつとした声が響いた。お腹が空いたのに、台所にネロはいないわ食べ物も何も無いわで、苛々しながらも美味しそうな匂いに誘われてたやってきたシャイロックのバー。皆一様に誘い込まれたのか、酒を嗜む魔法使い達が既に頬を赤くさせている。大変珍しいことにファウストも何やら楽しげに大きな笑い声を上げ、横にいる料理人も勢い良く酒を食らっていた。
「…………なにこれ」
部屋の隅には世界を半分支配した恐ろしい魔王様すらいた。店主のシャイロックはこの頓珍漢な催しを、いつもの涼しい澄ました顔でやり過ごし、カウンターに座るルチル相手に、華麗にシェーカーをくるくる回して喝采を浴びている。
その愉快な酒の場で、何よりも気になったのは、目の前の男。ぴょこんと揺れるうさぎの耳が頭から生えている。誰の拘りなのか、片耳は折れている。服装も、そのいかれた頭に合わせているのか、燕尾服みたいなジャケットを着用。先に向かって二つに分かれている裾の合間に見えるのは、丸い尻尾。
「これか?」
少し、照れくさそうに頬を染めて、小首を傾げて耳の先を掴む。耳の様子を窺う為か、上目遣いで自分の頭の先っぽを見上げながら乾いた笑い声で呟く。
「あっははは…似合わないよな」
「え?」
「ん?」
酒に酔った大人達の喧騒で賑わうバーの中で、オーエンの言葉が聞き取れなかった。もう一度尋ねてみるが、オーエンは何も言っていないけどと澄ました顔をするだけ。
「なんでそんな可愛……った恰好しているの」
「それが…」
チラリと視線を送る先はシャイロックが立つカウンター。テーブルの端に置かれた、割れたワインのボトルがその存在感を強調している。
「店を手伝おうとしたら、手が滑って…」
眉を下げて、しょんぼりとした顔。心なしかうさぎ耳も垂れているように見えてくる。
「まぁ、それでお詫びを兼ねて接客の方の手伝いをしているんだ」
お酒には触らして貰えないけどと、言葉を付け足して笑った。接客専門の手伝いらしい。ある意味カインらしく、カインに向いているお手伝いの内容だ。でも、それだけではオーエンの質問の答えにはならない。接客をしている理由は分かった。だが、どうして、うさぎを模した格好をしているのかは分からない。
じっとりとうさぎ耳を睨み付けるオーエンの視線に、思わず後退る。
「そんなに睨まなくてもいいだろ…自分でも似合ってないのは分かっているんだから」
「え?」
「だってこんな可愛らしい耳は、もっと可愛らしい…例えばリケとか、あっ!アーサーも似合いそうだな」
「……お前は、自分が似合ってないって思っているんだ」
「お前だってそう思っているから『見苦しいもの見せるなよ』って、さっきから苦虫を嚙み潰したような顔で睨んでいるんだろ?」
途中でオーエンの声真似を挟みながら、これから言われるだろう台詞を先回り。
「別にそんな事言ってな「俺はもう大人だし、こういう子供っぽいのはどうかと思ったんだけど…シャイロックが前の賢者様から『バニーガール』って言うのを教えて貰ったらしくて、折角だからそれで接客してくださいって」
「ばにー……がーる?」
語尾が上擦った。言葉を遮られた怒りよりもバニーガールと言う言葉が気になった。カインの説明曰く、飲食店における接客のアシスタントの総称らしい。前の賢者様は結構いい加減だったから、どこまで信じて良いものか。オーエンは話半分に流すことにした。
そもそも、店をこよなく愛するシャイロックが、店の物に保護の魔法を掛けていないのだろうか?
「…………」
目の前に動物の耳を生やした男。自分はもう立派な大人だとその唇は主張するが、永い時を生きる魔法使いからすれば、赤ちゃんも同然だ。
「…………おくるみ」
人間は小さな赤ちゃんに動物の服を着せて「可愛い可愛い」とはしゃぐ一面がある。もうそれは何十年、何百年と、どれだけ時代が変わっても変わる事のない彼等の習性だ。まさか、それを千年を軽く生きる魔法使いがするとは思わなかった。
「くだらない」
吐き捨てられた言葉に、カインが苦笑いで返す。
「まぁまぁ、俺の恰好は置いといて。折角来たんだから偶には一緒に飲んで行けよ」
乱暴な手付きで、腕を掴むとオーエンをソファーに座らせて、寄り添うようにその隣にカインも腰を落とす。座り心地抜群のふわふわソファーが二人分の体重を受けて優しく沈む。
「ちょっと、近いんだけど」
沈んだ拍子に、身体が触れた。服の上からでも相手の体温が伝わる。
「あはは、このソファーやわらかいな」
オーエンの文句なんて気にせず、目の前にメニューを広げて、一緒に見ようと覗き込む。目の前でぴょこぴょこ揺れる耳が邪魔でメニューが見えない。
「ほら、何飲むんだ?軽い食事も用意してあるし、お前なら…あっ、これが良いんじゃないか」
楽しげな声がオーエンの耳を擽った。
耳元で騒がれても不愉快なだけ。視界を邪魔するうさぎ耳も鬱陶しい。
カインが喋れば喋るほど、オーエンの眉間の皺は深く刻まれていく。気にしないのは本人だけ。
なんでこんな茶番に付き合わなくてはいけないのか。部屋の隅にオズがいなければさっさと魔法を使ってカインを吹き飛ばしてる。部屋に入った瞬間から、こちらを威圧してきて癪に障る。
「…………」
「あ、こっちも美味そうだな!」
ふと、オーエンはカインの肩を掴むとさらに自分の身体に寄せた。ぎゅうぎゅうと胸に押し付けられて少し痛いぐらいだった。
「っ、オーエン?」
「お前は今接客しているんだろ、ならもっと料理なりワインなり僕に説明して」
頬を掴んで顔を寄せると、カインにだけ聞こえる声で囁く。なんて事ない内容。だけど、二人から離れた位置から見れば、何をしているのか、何を話しているのかは分からない。
部屋の隅の一部が、ズンっと重くなるのを感じた。オズが杖を手にしているが、フィガロに宥められている。大体、夜に魔法は使えないのだから意味はない。
オーエンが目を細めた。くつくつと、抑えきれない笑い。どうやら、かの魔王様は王子様以外にも、教え子を存外気にかけているらしい。
「オーエン?」
腕の中のうさぎが不思議そうな顔で見上げてくる。
頭のイカれた格好だと思ったけど、悪くない。本人は不服らしいが、赤ちゃんにはお似合いの格好だし、何よりもオズの反応が面白くて堪らない。
「ちゃんと僕をおもてなししてよね」
「あぁ、任せてくれっ!」
求められて嬉しくなったカインに笑顔が咲いた。一度失敗をしている。ならば今が挽回するチャンスだと、一層元気に返事をした。
「…お店が変わってしまいましたね」
シャイロックが視界の端に二人の様子を捉える。
可愛らしいお手伝いがいなくなるのは寂しいが、店のコンセプトが変わる為、今度からカインに接客もさせないように決めた。