顔のない幽霊/名前のない□□「か、かおが、ぶざま……」
俺の手が支える端末を覗き込み、虎杖がうめくように言った。
「そういう悪口はよくないわね」と釘崎も神妙な調子でうなずく。
アホふたりに挟まれて座る俺が「お前らなあ」とため息をついたところで、
「読み仮名振っておきましたよね、最初のページ」と運転席の伊地知さんから声がかかった。
「どれどれ」
釘崎の指が端末の画面をなぞり、現れた文字を虎杖が読み上げる。
「かお、が、な、さま……」
●顔ガ無様
・顔ガ無様は顔を剥ぎ取られて死んだ子ども
・顔ガ無様は失くした顔を探している
・旧校舎の踊り場に顔ガ無様の肖像がある
●顔ガ無様の儀式
・顔ガ無様の肖像の何もない顔に顔を移す
・顔ガ無様がお礼にひとつ教えてくれる
・儀式は必ず3人以上で行う
・ただし、3人の内ひとりしか顔を移してはいけない
・儀式のあいだ顔ガ無様以外はしゃべってはいけない
「なにこれ」と釘崎が首をかしげる。
「都市伝説的な?」と虎杖。「きいたことないけど」
「いま向かっている小学校の、七不思議みたいなものです」
伊地知さんが笑いを含んだ声で説明を加えた。
「七不思議?」
「はい。そして、今日みなさんに祓除していただく呪霊の正体です」
◆
「買ってきたぞ」
コンビニの袋から肉まんその他をとりだしてローテーブルに並べる。
「買いすぎじゃない?」と釘崎が文句を言うので、
「めんどくさいリクエストのせいでな」と言い返した。
「リクエスト?」
ピザまんを手に取りながら虎杖が不思議そうに俺たちを見る。しまった、と少しだけ思う。釘崎が俺をにらみながら「別に」と一度は取り繕おうとし、「いや、まあいいか」と諦めたように言った。
「私がLINEしてたの。虎杖が元気ないみたいだから、帰りになんか元気出そうなもん買ってこいって」
「あっこれ、そういう会なん?」
「まあね」
「へへ、なんか照れんね……」
虎杖がふやけたように笑ってピザまんにかぶりついた。釘崎も肉まんを食べ始める。無言になったふたりをながめながら、俺は自分が制服を着込んだままだったことに気づく。「着替えてくる」と言い残して自室に向かった。
「あっ言い忘れてた! 伏黒おつかれ! あと、ありがとー!」
「口にものを入れたまましゃべるな!」
自室に入って上着を脱いだところで隣室からふたりの大声が響いてくる。「うるせえよ」と小声で応えながらも少し笑う。たぶんあいつらにはきこえていない。
単独での任務も珍しくないのだけれど、騒がしいふたりとの行動に慣れてからというもの、どこかさみしさを感じるようになってしまった。前調査で想定されたよりも呪霊の等級は低く、任務のほうはつつがなく終わる。帰りの送迎車で釘崎からのLINEに気づいた。「なんか虎杖が変。元気ないっぽい?帰りにいいもん見繕って買ってこい」。新田さんにお願いしてコンビニに寄ってもらい、何を買うべきかしばらく悩む。そんなに待たせるわけにもいかないので、スナック菓子、チョコ菓子、グミ、カップ麺、中華まんと、目に入ったものを揃えた。車に戻ると「パーリナイっすか」と新田さんに微笑まれる。何も答えられないでいる俺に、新田さんは「いいっすねえ」と快活に言った。悪い気はしない。
しかし、虎杖の元気がない。一緒に朝食を食べたが俺は何も気づかなかったなと、なんだか悔しく思った。
「それで、何かあったのか」
部屋着に着替えて虎杖の部屋に戻り、直截に訊ねる。
「気遣いを無駄にしやがって」と釘崎にまたにらまれるが、冗談を言うときの声色だった。
「別に何かあったとかじゃなくて、なんか難しいなって考えてただけ」
虎杖はごまかすように笑顔を保ちながら答える。
「なんで。なにが」と俺は重ねて訊ねた。
「んー、……まあいいか」と虎杖は少し困ったように眉を下げる。「こないだの任務の、あったじゃん」
「カオガナ様?」と相槌を入れたのは釘崎。
「それ! いや、それっていうか、なんて言ったっけ、そういう種類の呪霊……」
「ああ、仮想怨霊」と俺が答える。
「それ」
「あんたすごく面白がってたじゃない」
「まあ正直そのときはすごくね」
◆
「それではよろしくお願いします」
と俺たちを見送る伊地知さんはいつもの任務時より穏やかな表情をしていた。気持ちはわかる。今回の祓除の対象はせいぜい四級で、分析もほとんどし尽くされている。とても3人がかりの仕事とは言えない。もしどんなに悪い条件が重なったとしても、たとえば少年院のときのような事態にはならないだろう。
「行ってきます!」と虎杖が元気よく敬礼して言った。
俺たちは伊地知さんのもとを離れ、帳の下を歩き出す。
そう広くない校庭を横切る。
近県の小学校が任務の現場だ。対象は旧校舎に出る仮想怨霊。口伝えで広がる子どもたちの怪談、恐怖のイメージが具現化したもの。資料を確認してこなかった虎杖や釘崎のために、伊地知さんによる軽い講義が車中でおこなわれた。
鉄筋コンクリート製の校舎の脇を通って、木造の旧校舎はすぐ現れる。
1階の窓のいくつかがダンボールで覆われていた。進入のためにか割られたのだろう。とんだ悪ガキがいるものだなと思う。
「なんかあんた楽しそうね」と釘崎が虎杖に言った。
「ちょっと懐かしくて」
「懐かしい? 赤の他人の小学校が?」
「いや、こう、七不思議を追えってのがオカ研っぽくて」
虎杖の手にした懐中電灯が旧校舎の入り口を照らす。
「なるほどねえ」と釘崎が興味なさそうに返事をした。
俺は無言でポケットから鍵を取り出す。伊地知さん経由で渡された鍵だ。南京錠の施錠を解き、扉を縛める鎖をほどいていく。
「やべー、かなりそれっぽい。写真撮って先輩たちに送りたい……」と小声で言う虎杖を、
「小学校撮影してたら変態だからな」と釘崎が叱った。
「たしかに。まあ連絡先も知らんしね」
俺はその会話に加わらない。虎杖から奪ってしまった穏やかな未来の可能性のことを考えないために。
重たい扉を開き、内側に置いてあったストッパーで固定する。
「行くぞ」とふたりを振り返って言った。
「応」とふたりが同時に返す。
床に組まれた木材はすりきれていくらか緩んでいるようで、俺たちが一歩進むごとにカタカタと鳴った。夜と帳の二重の闇のなかで廊下はずいぶん暗い。懐中電灯の光はおもったよりも伸びず、近い範囲ばかりを照らす。
「確かに雰囲気あるわね」と釘崎がつぶやいた。「でも意外に綺麗」
「まあ授業によってはまだ使ってるっぽいしな」
「いちばん奥の階段だっけ?」と虎杖が懐中電灯を振りながら言う。
そう言っているあいだに光の輪のなかに「いちばん奥の階段」が現れている。
「誰がやるか決めとかなきゃ」
釘崎が立ち止まって言った。「儀式」についての話だ。
校舎に現れる仮想怨霊は「カオガナ様」と呼ばれるこの小学校独自の怪談を出典とする。「カオガナ様」と会うためには怪談に説明される手順での儀式が必要とされていた。
「虎杖が適任だろ」と俺は言う。
「えっ俺?」
ひとりで階段をのぼろうとしていた虎杖が驚いたように言った。
「まあそうね。いちばんガキだし」
「数ヶ月じゃん」
「内面の話をしてんのよ」
数十年前から定着した怪談は曖昧なところが多く、細かいエピソードは年代によって組み変わっていったことがうかがえる。いくつかの設定と条件だけが固定されていた。カオガナ様はかつてこの地で死んだ子どもの霊で、肖像の前に立ってその顔を覗き込めば、ひとつだけ知りたいことを教えてもらえる。幽霊譚と呪いが一緒になったような怪談だ。
「これはお前用の任務だしな」と俺は説明する。
「俺用の?」
「お前に仮想怨霊について教えるための任務だろ」
「なるほど」と応えたのは釘崎だった。
たいした等級相手でもないのにこの任務に3人が遣わされたのは、仮想怨霊というそう多くはない現象を新入生たちに示すためでもあるはずだ。それも呪術のなんたるかを知らずに生きてきた新入生に。俺も釘崎も実際に立ち会うのは初めてとはいえ、その存在についてはよく知っていた。カオガナ様と呼ばれるその呪霊を呼び出すために、怪談の提示する条件として「3人以上の子ども」が必要だったこともある。
「私も伏黒も数合わせってことね」
「そう」
「あー。そっか」と虎杖も遅れて理解を示す。「なに教えてもらうか考えとこ」
「伏黒の子ども時代の恥ずかしいエピソードとかどうよ」
「おっいいアイデアですね釘崎さん」
「やめろ馬鹿」と手近にあった虎杖の頭を殴る。「というか俺たちの目的は儀式自体じゃなく呪霊を祓うことだろ」
「え〜、でも細かいとこちゃんと詰めとかんと出てくれないかもじゃん」
「なにか知られたくないことでもあるのかしらね」
「あはは、より知りたくなっちゃうよね」
「お前らと話すのホント疲れる」
軽口をたたきあいながら、3人並んで階段をのぼっていく。
◆
「本当は何か知りたいことがあったとかじゃないわよね」
とグミの小袋を開けながら釘崎が言う。
「カオガナさんにききたいことってこと?」と虎杖が応える。「伏黒の恥じらいエピは気になるけど、五条先生にきけばいいかなってかんじ」
「はは、確かに。でもそれ以外にも、あんたもいろいろあるわけでしょ。あの呪霊に実際にそんな力があるとは思わないけど、それはそれとして」
「お気遣いどーも。だけど本当にそういうんじゃないよ」
「ならいいけど」
釘崎が気にしているのは宿儺の受肉の影響のことだろうか、と少し焦る。でもここで何か遮るようなことを言っても逆効果だろう。俺は冷めてしまった肉まんを咀嚼するのに集中する。
「そしたら他に、あの任務に気になるところってある?」と釘崎が話を続けた。
虎杖は「だから、仮想怨霊っていうんがさ。……うまく説明できる気がせんけど」と渋い顔をしている。
「あんたの説明にうまさとか誰も期待してないから」
「……呪いって負の感情で、おばけとは違うって話じゃん? それで突然、本当のおばけみたいなのもいるっていうのが、ちょっとやっぱ、びっくりしちゃって」
「幽霊と、幽霊がいるとおもった人間の恐怖心がかたちになったものとは全然別だろ」
俺は肉まんを食べ終えてそう言う。
「うーん」と虎杖は納得しない様子だ。「でも、フレディは人間の恐怖で強くなるじゃん?」
「あー、たしかに?」
釘崎が頷くが、俺には何のネタなのか分からない。
それのどこに虎杖を悩ませる要素があるのかも分からなかった。
「あっ、映画の話ね」
俺の視線に気づいた虎杖が説明をくれる。そっちじゃねえよと思ってつい笑ってしまった。
「でも映画じゃなくて今は俺の話だよな」と虎杖はそれも察してくれる。
「私もいんのよ。目と目で会話するのやめて」
釘崎がおおげさにうんざりした口調で言い、俺たちは3人そろって声を立てて笑う。
少しのあいだだけ。
「それで、続きだけどさ」と虎杖が口を開く。「本物のおばけ──っていうのもやっぱ違うか。うん、そっちじゃなかった。呪いは負の感情で、呪術師じゃないとコントロールできないっておもってけど、こういうかたちで、術師じゃないひとにも、呪いを意識してつくれるのかって」
◆
踊り場の壁を懐中電灯で照らして、虎杖が「うわ」と声を上げた。壁には古い銅板のレリーフ群が飾られている。小学校の何十年だかの創立記念に当時の6年生が作ったものらしい。小学生によるつたない似顔絵のレリーフは、微笑ましいというよりかはおどろおどろしい。
「まだ一個上の階よね?」
「ああ」
レリーフは3階建の校舎の北と南の2か所の階段の、合計4か所の踊り場の壁に飾られている。怪談に登場する「カオガナ様の肖像」もそのなかにある。南の階段、2階と3階のあいだの踊り場。
「儀式のあいだ、喋っちゃいけないんだっけ。もしかしてもうアウト?」
「条件を破って呼び出すのが目的だから、それでいい」
「そうだった」
目的の踊り場にもすぐに辿り着く。虎杖の手から懐中電灯を受け取って、資料に示されていた右下のレリーフを照らした。虎杖がしゃがみ込んでその小さい長方形を見つめ、「ほんとだ、長岡さん」と口にする。並べられたレリーフにはそれぞれ製作した生徒の名前が添えられている。一様にどこか不気味な似顔絵の群れのなかで、カオガナ様の肖像とされるそれは際立って異様だった。
「写真で見たよりだいぶ迫力ある」
「怪談を作りたいからって、よくこうぐちゃぐちゃにできるわね」
釘崎も虎杖の横にかがんで同じく顔の部分がデタラメに叩き潰されたようなレリーフを見ている。
「顔を移すんよな。移すって何? どうやるんだろ」
「鏡に写すように覗き込むって話もあるし、マジックで自分の顔を書き込むってのもある」と俺が説明する。
資料にもそういった枝分かれした噂話の詳細が書かれていたが、伊地知さんの講義では省かれていた。
「それで何回も拭き取られて余計にヤバいかんじになったのね」
「釘崎か伏黒、マッキー持ってる?」
「いや、もう要らないみたいだ」
懐中電灯の光を、背後の階段に向ける。
場の空気が変わる。
感じる呪力は弱い。
ぴたぴたと音を立てながら、粘性のある液体が階段を流れ落ちてくる。
「血?」と釘崎が手で鼻と口を覆いながら言った。
確かに濃い鉄のにおいがする。
「なるほど、顔を剥ぎ取られて死んだひとの霊で、今も血が流れ続けている」
とつぶやく虎杖の声は楽しそうだった。
あたりに満ちる呪力が若干強くなる。
上階から大きなてるてる坊主のような姿の呪いがゆっくりと姿を現した。布に覆われた顔の部分が黒く濡れている。何か喚いているようだが、ききとれない。
「顔がないからしゃべれないって演出? それとも布でくぐもってるだけかな」
「虎杖、遊びじゃないんだ」
しゃがんだままの虎杖の頭を小突く。
呪いはすべるように階段をおりてくる。階段のなかほどまで来たところで、胴体を覆う布がめくれあがった。中は暗い空洞だ。錆びた鋏が浮いている。
俺たち3人は鋏での攻撃に身構えるが、杞憂だった。浮かび上がった鋏が切り裂いたのは、呪いの顔を覆う布だった。あふれるように子どもの泣き声が広がる。ひとりの声ではない。悲鳴のようなものもあれば、すすりなく声もあった。痛ましさに耳を塞ぎたくなるが、全部まやかしだとも知っている。
顔を求めて彷徨う顔のない幽霊、怪談の犠牲になった子どもがいるという噂、夜中きこえる泣き声、廊下に落ちている謎の血。資料に並べられていた子どもたちの語った少しずつ異なる怪談が、こうやってかたちになるものなのか。
泣き声をあげていた呪いの顔面の穴から、ごぽごぽとくぐもった水音もするようになった。吐き出されるように、さっきのとは違う大きな鋏が現れる。
観察して楽しむのもここまでだな。
幽霊に見とれている虎杖のパーカーを掴んで立たせ、「行け」と呪いに向かって突き飛ばす。
「ええ」と動揺したようだった虎杖もさすがに切り替えが早く、一瞬あとには呪力を込めた拳を呪いにぶちこんでいた。
「ワンパンじゃない」と釘崎が拍子抜けしたように言う。
「四級にも行かないくらいって書いてただろ」
呪いの気配も、血のにおいも、けたたましい泣き声もすっかり消えていた。木製の階段にも濡れた跡はない。
「けっこうすごいビジュアルだったけど、小学生もこれを見てたってわけじゃないんよな」
階段をおりて俺と釘崎のあいだに戻りながら虎杖が言う。
「呪いが見える、こっち側の子どもも中にはいたかもしれないけど、ふつうは見えないわね」
「は〜、なんか不思議」
「見えないからより厄介なのもあるだろうな。大事故には至っていないが、怪我をした児童はいくらかいる」
原因不明の怪我が相次ぎ、そのなかの数人がこの怪談の実行を白状した。高専の外部機関がちょうどよくその話を拾って窓が派遣されたのだった。怪談が仮想怨霊を結んでいると確認された。
「自分の作った怪談が本当におばけみたいになってるって知ったら、長岡さん喜ぶんかな」と虎杖がどこか寂しそうに言う。
この怪談話の少し変わったところは、その創作者がはっきりしているところだ。もっとも子どもたちはそれを知らないだろうけれど。
怖い話好きの小学6年生が、自分たちの作った似顔絵のレリーフが創立記念のものとして校舎に飾られると知り、わざと奇妙に顔を歪ませて制作した。その後学校に通う妹と弟に「噂話」を広めさせる。顔ガ無様という命名は長岡という発案者の署名としてわかりやすすぎるくらいだが、実際にカオガナ様のお告げをきいたと言う児童、怪我人の存在の前に、その署名の浮かび上がらせる虚構性は考慮されてこなかったようだ。
「うまい嘘で怖がらせたい人なんだから、それが本当になるってのはまた別じゃない?」と釘崎が持論を述べる。
おそらく、最初は怪談の創作について知る子どもたちのいたずらだったのだろうと思う。怪我人を出すのはたちが悪いが、そもそも条件に3人以上を加えたのは、一人だと信憑生が薄く、一人がもう一人を騙すよりもふたりがかりで一人を騙すほうがやりやすいという考えからだったとのことだ。窓の人間が調査の一環でききとりをおこなっていた。条件を破った場合のペナルティや詳しい儀式の内容なども、隙間に新たな恐怖が生まれるよう、わざと曖昧につくられていた。そしてそれがいつからか仮想怨霊を生み出し、その呪いによる被害がさらに恐怖の感情を呼び寄せてきた。
「でも、これで解決するん? 噂はまだ残るんだし」
会話を進めながら来た道を戻る。
「もう旧校舎は取り壊しが決まっているし、レリーフは明日にでも撤去するそうだ」
「それでなんとかなるもんなん」
「今回は実際にあるレリーフが特殊な呪具みたいに作用してた例だからな。でも呪いが残ってレリーフや校舎がなくなったあとも被害が生まれたらまた別の噂が新しい呪いを産むってことも考えられる。だから撤去前に俺たちが呼ばれたんだ」
「俺しか戦ってないけどね」
「だから数合わせが必要だったんだって」
「ちゃんと報酬は3人分出るのよね?」
「そこは安心していいと思う」
「は〜太っ腹な小学校だわ」
「というか小学校側は呪いの強さとかわからないしな」
「待って、ぼったくり商売じゃん」
「そういや伏黒、伊地知さんに連絡した?」
「いや、そもそもすぐ終わる想定だからそのまま待ってくれてる」
そこでちょうど出入り口にたどり着く。校舎を出て、扉を抑えていたストッパーを外す。扉を閉める。鎖を掛け直して、錠をする。
「終わったよ〜!」と手を振る虎杖に、伊地知さんが校庭の向こう側で小さく手を振り返している。
◆
「いや、俺さあ、こうなる前にも両面宿儺のこと知ってたなって思って」
こうなる前。両面宿儺の指を飲む前のことだ。
俺と釘崎が途端に緊張するのがわかったのだろう、「いや、この宿儺じゃなくて、洒落怖のやつでね」と虎杖は自分の喉を指しながらフォローを入れた。
「そっちか」と釘崎が安心したように言う。
また俺には分からない話だが、虎杖の飲んだ指の主、両面宿儺と呼ばれた呪いの王とは別なのだとさえわかっていればいいはずだ。虎杖が続けるのをきく。
「それと、カオガナさんも、実物の像が用意されてて小学生たちにとって怖さとか本物らしさが増してたって話だった」
「そうだな」と俺は相槌を打つ。
「両面宿儺の、これは俺の食べたほうのやつね。その指も、魔除けとしてだけど実物があったわけじゃん。で、術師じゃなくても両面宿儺のことは知ってる。これは食べた宿儺がそう呼ばれてる元ネタのやつとか、洒落怖のみたいに、同じ元ネタからの怖い話のほう。俺が知ってたみたいにね。あと先輩たちも喜んでたみたいに、指のビジュアル自体がけっこうヤバくて怖いかんじだった」
俺は虎杖の言いたいことが分かるような気がしてきて、少し戸惑う。釘崎は「それで?」となんでもないように続きを促している。
「むつかしいな。だから何がどうとかじゃないんよ?」と虎杖は予防線のような前置きをして続ける。「俺が飲んで俺に受肉した呪いが、もともとヤバいやつってのはそうだとして、それを怖がった何も知らんひとたちがいるから、よりヤバくなったみたいなことってあんのかなって」
「それはないな」
考えるより先に俺は否定の言葉を口にしていた。
「そう?」
「そうだ」
そうだ、その考えかたはある意味で魅力的だった。だから戸惑いがあったんだなと俺は俺自身に納得する。
受肉した両面宿儺に関しては、過去の術師が虎杖の肉体を使って甦ったようなものだろうととらえている。呪霊とは別だ。だから虎杖の言う、人間──非術師の恐怖によってその力が増すということはないはずだと思う。ただ断定はできない。持たない知識が多すぎる。
でもはっきりと断定して見せたのは、俺にとって魅力的な考え──その受肉や、受肉がこの先もたらすかもしれないわざわいが、俺と虎杖だけの罪なのではなく、人間たちの積んできた業なのだという考え──を振り払うためだった。もしその考えが通るのであれば、俺は。
──俺は、なんだって言うんだろう。
「あんたもいろいろ考えてんのね」と釘崎がのんびりした声で言う。
「そうなんよ」と虎杖の声も穏やかだ。
俺の考えすぎであればいい。
回されてきた小袋から熊の形のグミを取り出して口に含む。おもちゃのようなコーラの味がした。
「それと、俺の食べたほうの宿儺って本名じゃないわけじゃん?」
「そうね」
「もともとは名前があったとかなんかな。知らんけど。でも指になってからは違うとしても、怖がられるってことが人間をヤバくするのってありそうだなって。人間として扱われないってことじゃんね。アイツはクソだから肩入れするとかじゃないけど、でも両面宿儺じゃなくって……」
「なによ」
「こう、もっとかわいい……チューリップちゃんとか呼んどけばよかったのにって」
そこで釘崎が笑い声をあげる。
「待って、わりとシリアスな話題だったんだけど」
「いや、あんたがチューリップをかわいいとおもってんだなってのがちょっとツボって」
「そんな、チューリップはかわいいじゃん……?」
「それに大昔にチューリップちゃんって呼ばれてたらギャグ漫画よ」
「う、それはそう。あはは」
こらえきれなかったように虎杖まで笑い出す。
俺はグミの小袋を虎杖に回そうとしていたところだったが、受け取ってもらえそうにない。仕方ないのでもう1匹熊をつまんだ。
「この会話ってあんたのなかで宿儺もきいてんの?」
「うわ突然ナイーブな話すんじゃん。まあいるけど、でもとくに俺に興味ないしねこいつ」
「チューリップちゃん……ふふ、きいてんのか……」
「あっやめて。やっぱやだそれ」
釘崎と虎杖とがふざけ合うのをききながらグミを食べる。
「チューリップはないとして、確かにちゃんと、名前をつけてやればよかったのにな」と所感を口にした。
とくに意図はなかったが、
「伏黒がそれ言うのはなんかやだ」と虎杖が拗ねたように言うのをきくのは悪くない気持ちだった。