Recent Search
    Create an account to bookmark works.
    Sign Up, Sign In

    42_uj

    @42_uj

    ☆quiet follow Send AirSkeb request
    POIPOI 27

    42_uj

    ☆quiet follow

    のばまき。
    渋谷後。オメガバース、β×Ω。
    恋人同士だけど恋愛関係ではなくてちょっと暗い話です。まきまいを含みます。
    (2021年11月14日)

    もういないひと 最悪だ。またこの夢だ。暗闇のなかで2匹の美しい獣がたわむれている。猫。しなやかな筋肉、すらりとした細身の白い猫。2匹の白猫はお互いの尾を追いかけあってくるくると回っている。かわいい。ほほえましい。夢ってだいたいそういうかんじだけど、やっぱりこの夢でも「夢を見ている私」と「夢の中のその光景を見ている私」がいて、後者をわたしって呼ぶことにしようか。わたしはその光景がいとしくてたまらない。じゃれあう猫たちを見つめながらわたしは「いつまでもいつまでもそうしていなさいね」と心底おもっている。願っている。
     私は早く目を覚ましたいのに目を離せない。
     やがて──何度も繰り返し見ているとおりに──猫の片方が闇に溶けるように消えて、残された猫は片割れを探すように鳴き続ける。鳴き声が枯れてきたころ暗闇から汚れた芝犬が現れる。猫と同じか、少し小さいくらいの子犬だ。子犬の舌が猫の体を撫でるのを、猫が安心したように眠るのを、わたしは恍惚と眺めている。わたしにとってそれはどこか官能的な光景だった。でもそのうち怒りが湧いてくる。子犬を許さないとかんじる。大事なものを失った猫に寄り添うふりして子犬はまんまとじぶんの居場所を得たのだ。打算だ。わたしはその子犬を始末する方法を知っている。直接手をくだすまでもない。藁人形と五寸釘を取り出して、わたし自身の胸に当てる。わたしは金槌をじぶんに向かって振り下ろす。共鳴り。子犬はわたし自身なのだ。だからわたしが死んで子犬も死ぬ。
     私は死んでない。
     ただ夢を見ているだけだ。目を覚ますまで見続けるしかない。
     子犬がいなくなっても、いなくなったほうの猫が戻ってきたりはしない。また孤独になった残されたほうの猫を見て、猫がかなしそうなので、私はうれしい。
     私は私のその浅ましいよろこびを嫌悪する。
     嫌悪感で目を覚ます。

    「大丈夫か、野薔薇」と真希さんが言う。「うなされてたみたいけど」
    「……大丈夫です」
    「早く起こしてやれなくて悪い」
    「いえ。なんでもないんです本当」
     と応えながらやっと意識が現実についてくる。仰向けに寝る私の顔を、真希さんが心配そうに覗き込んでいた。真希さんはまだ眼鏡をかけてないけど、もうきちんと服を着ていて、私だけが裸だ。背中にあたる床がかたい。そうだった。ここは最近の根城にしてる古いアパート──の廃墟。獣の遊ぶ暗闇ではない。そう、あれは夢なんだから。真希さんの背後で、ボロボロのカーテンの向こうに朝がきらきら光ってるのがわかる。部屋もぼんやりと明るい。
     明るい。
     私は慌てて顔の半分を手で覆う。真希さんがため息をつくのがわかった。きこえなかったふりをする。私は黙って渡された眼帯で左目を覆う。
    「ありがとうございます」
    「……まだ痛むのか。光があると」
    「いえ。でもやっぱ慣れなくて」
    「そうか」
     それでこの話はおしまいってかんじで真希さんは仰向けのままでいる私の髪を撫でてくれる。
    「また例の嫌な夢か?」と訊かれた。
     繰り返し見る嫌な夢があること、いつだったか真希さんにも話したんだった。暗闇のなかの光景については何も教えていない。教えてあげるつもりもない。
    「違います。もう子どもじゃないんだから、そんな夢が怖いだなんだで動揺したりしませんよ」
    「でもお前」と真希さんがまだ心配そうなので、
    「怖い夢とかじゃないです。えっちな夢です」と私は意地悪く笑って返す。別に嘘ってわけでもない。「あんまりエロいのでヤバかっただけです」
    「はあ?」
    「昨晩の真希さんがかわいかったせいですよ♡」
     と私はハートマークをつけて言い、真希さんの腕を引く。私の手なんか簡単に振り払えるはずの真希さんだけど、そんなことせず、「ならなおさら早く起こしてやるんだったよ」と呆れたように言って、ただ私の隣に横になってくれる。私のしてほしいとおりに。
    「今日ってなんか仕事あるんでしたっけ」と寄り添ってくれた腕に腕を絡めながら訊ねた。
    「恵が回してくれたやつが夕方から。2級だとよ。たいしたことはなさそうだな」
    「ふーん」
    「でも今日はもうしないからな」
    「はーい♡」とかわいく返事をしてから「背中見たいです。見るだけ」とお願いする。
     真希さんは「やれやれ」みたいな顔をしたあと一度起き上がってシャツを脱ぎ、私に背を向けて横になる。火傷の跡と傷跡とが無数に散らばる背中に頬を寄せる。
    「おもいっきり触ってるじゃねーか」と真希さんが文句を言う。
    「ふふ。やらしい触りかたじゃないからセーフですよ」
    「はいはい」
     私は背中を堪能してから体の位置をちょっとずらし、今度は首筋に触れる。うなじに顔を埋める。「嗅ぐなよ、風呂入れてねえんだから」とまた文句を言う声がきこえるけど、全部が茶番だ。そこにかつて付けられたはずの噛み跡をつい探す。いつもそうであるように、火傷に引き攣れた肌にそんな微細なものを見つけることはできない。真希さんの汗のにおいは好きだ。でももうあの甘いかおりはかんじられない。つがいをもたない──ものにすることのできる可能性をもったままの──オメガの発するあの甘いかおりは。

     男だとか女だとか、それにアルファだとかオメガだとか。そうやって性別なんかにこだわるやつはみんな馬鹿だとおもっていた。まあそれ自体は今もくだらんとおもってるけどね。この世に横たわる権力勾配のことなんて何も気づいちゃいなかったころの私にとっておおむね社会は「平等」だったし、規範と戦うことも、規範に従うことも、おなじように〈規範を気にする〉ことだとしかとらえられてなかったから、全部を無駄だとかんじていたのだ。第二性のどうこうなんて遠いおとぎばなしじゃないか、ベータの私には関係ないっていう意識もあった。ベータである大多数って、きっとおなじくそういうかんじでしょ? じぶんがベータだってはっきりしたのは中学あがる少し前だったかな。私はどんなおとぎばなし──男と女やアルファとオメガ、生殖なんかのためのあらゆる異性愛主義──にも乗ってやらない、ベータのかわいい女の子と運命とかじゃないつがいをつくって好きなように生きてやるんだって意気込んでいたはずだ。本気でね。
     真希さんがオメガだと知ったのは彼女が呪力を持たないと知ったのと同時で、その双子の妹からの悪意のある発言によるものだった。呪力を持たないオメガ、底辺の存在。私はちょっと動揺してしまって、というのも真希さんこそが私の求める「運命とかじゃなく一緒にいるベータの女の子」だと密かにおもっていたから。人口のたった数%の存在が隣にいるだなんてそうそう考えない。でも呪力を持たず、女で、そのうえオメガで、それでこんなにまっすぐかっこよくつよく生きてるなんてマジでただサイコーじゃんって、すぐにそうおもった。釘崎野薔薇が惚れるに足る女じゃんってね。双子なんだからテメェもオメガだろ、ちょっと呪力があるくらいでマウントとってんなよって気持ちもあった。まったく馬鹿だよ私は。
     そこからはそれ以上に真希さんへの好きですって気持ちを隠さずにいるようになった。それでも真希さんからすると「じぶんにやけに懐いてるかわいい後輩」くらいだったとおもう。真希さん以外の先輩ふたりも、たったひとりになった同期も、そして舞い戻ってきたもうひとりの同期も、もうちょっと何か察してくれてたはずだ。「またやってる」みたいなふうにほほえましげに見られるのは、くすぐったかったけど不快じゃなかった。肝心の真希さんには伝わらないわけだけど、伝わらなさも、嫌なかんじ──ベータの女はベータの男を好きになるのが普通でしょみたいな──がなく、ただ恋愛とか自体が遠いんだなってかんじで、じゃあもうこれは長期戦だ、いいよいいよやってやるってつもりだった。
    「真希さん、いつも香水なに使ってるの? それともシャンプーとかのにおいですかね」と夏のいつだったか隣り合わせのシャワーブースにいるときに訊いて、
    「香水? なんだそれ。シャンプーも備え付けのやつしか使ってねえぞ」
    「いっつもいいにおいさせてるじゃないですか。なんだろ、ガーデニア……?」
    「あー。……もしかしたらフェロモンってやつかも。あんまり言われたことないけど、わかるやつにはわかるって言うもんな」
     と説明されたとき、また動揺が走った。そのクチナシみたいな甘い香りは、あまりよくない第一印象のときから嗅ぎとっていたものだったのだ。ひとを惑わすというオメガのフェロモン。そうか、ベータの私はオメガのこのひとは孕ませることができるのか、アルファとオメガの運命のつがいとかそういうものではなくたって。って適当に聞き流していた保健体育の知識が突然身近に、生々しくかんじられてしまった。私は「どうしよう」っておもったはずだ。「私も結局、本能だのなんだのを言い訳にするような嫌なタイプの異性愛者なのか」って。
     でも「野薔薇、鼻がきくんだなあ」と真希さんがしみじみ言うので、
    「犬みたいに言わないでくださいよ」と応えて、すると全部が冗談みたいな雰囲気になる。
     あっなんか気を遣われてるな、まあフェロモンの話なんて不用意にするものじゃないのだろうから当たり前かもだけど、でもこうやってさらっと流せるのは大人だ。やっぱり好き。とかおもったりもしてね。
     休日に一緒に街に出ようと誘って「その日ヒートだわ、ごめんな」と断られたこともあった。
    「やっぱりつらいもんですか。その……ヒートって」
    「まあしんどいっちゃしんどい。でも薬でどうにかできる程度だよ。その薬が高くて量飲むと体に悪いってのが困りもんなんだけどな」と真希さんは苦笑しながら言った。「ホントは薬飲んで一緒に行ってやりたいんだ、でも薬は任務のとき用に回しちまう。悪いな」
    「いいんですよ。行ってやりたいじゃなくて行きたいって言わせたいわけですし。ゆくゆくは」
    「はは。ぐいぐいくるよな野薔薇」
     それで「ヒートでオメガがどうにもならなくなるとか言うのもどっちかというとアルファとかベータの都合だよな。もっと安くて安全な薬作れんだろうに、たぶんそうしないほうが都合いいやつがいんだよ」とかも説明されて、はーこのひとはやっぱ見てるとこが違うって感動する。
    「すごい呪術師になっておうちを見返すし、最強のオメガになってそういうクソアルファとクソベータどもをギャフンと言わせましょうね」
    「おいおい、なんの戦いなんだよ」
     ってふたりで笑ったりもした。
    「なんのって私と真希さんの愛の戦いですよ!」
    「ふ。そりゃいいや。高専のやつらみんな子分にするか」
     でもそういう砂糖菓子みたいな思い出は半年にも満たない時間が舞台だ。舞台をおりればあとは地獄。

     地獄に目を覚ましたのは冬だった。誰もいない病室で目を開けて、まずじぶんが生きてることに驚いた。そして失ったはずの左目がぼんやりと光をかんじることを不思議におもう。最初に会ったのは治療を施してくれた家入さんだった。左目について、「悪いね、ちょっと手間取ったから不都合もあるかもしれない」と謝ってくれた。反転術式が十全じゃないことなんてとっくに承知だ、かまわないのにね。
     すぐに会うだろうとおもってた伏黒と虎杖もいろいろあったみたいで、再会はずっと後になる。とくに虎杖には早く謝りたかったから会いたいって気持ちはあったんだけど──それはまた別の話だな。とにかく、家入さんの次に私に会いに来てくれたのは真希さんだった。傷だらけの美しい獣みたいになって戻ってきた真希さん。あの渋谷のあとお互い生きて会えたってよろこびも込みで私はいろいろ混乱しちゃって、だからゆっくりいろんなことを説明してくれた真希さんの言葉のほとんどを上の空できいていたとおもう。
     大事なひとつだけはちゃんとわかった。
    「っつーわけで、呪詛師として追われる身になった。家入さんとか協力してくれるひとがいるおかげでしばらくはなんとかなりそうだ。でもお前らにはもう会えない気がするから、最後に顔見させてもらいに来た。私にはお前に見せるような顔なんてもうないのかもしれないのにな」と真希さんは笑えない冗談を言って、涙を拭うような仕草をした。
    「そんな……」
    「じゃあ、元気にやれよ」
    「嫌です」と私は簡単に泣き出してしまった。「やだ、ううぅ、もう会えないとか言わないでよお」
     ベッドの上で上半身だけを起こし、両手でシーツを握りしめてぐちゃぐちゃに涙をこぼす私を、真希さんはおずおずと抱きしめてくれた。背中を優しく撫でてもらいながら、あの甘い香りがただよってこないことに気づく。私のなかのピースがなにか、決定的に欠けたのがわかった。だけど真希さんが私を慰めようとしてくれているそのことのほうが大事で、欠落については見て見ぬ振りをした。

     それから、あの夢。暗闇に獣の踊る夢を見るようになる。

     結局ごねにごねて、私は真希さんの逃亡生活に連れてってもらえることになった。真希さんを一人にしないほうがいいというのは真希さんを手助けする大人たちも同意見だったようだ。それは真希さんの、たとえば自死を警戒した意見なのだけど、真希さんは「私はもう何をするかわかんねえもんな」と自嘲的に笑っていた。違うのに。違うのになあ。
     釘崎野薔薇は死んだということにしてもらった。ベッドからおりられるようになってから真希さんとの出発までの数日間、高専から私の実家に、いろんな書類や見舞金、遺品、空っぽの骨壷が送られる手伝いをしてすごした。ふみに何か連絡したかったけど、もう高専支給のスマホも解約してしまっていた。
     東京がどういう状況か、真希さんがしたのはどういうことなのか、少しだけ耳に入れた。病室に会いにきてくれた真希さんの話がきけなかったのは、喜びや混乱からってだけじゃなかったのかもしれない、その物語を受け入れられなかったのかもしれない。とちょっとだけおもった。だってひとりやふたりの子どもが背負うには重すぎるってもんがあるでしょう。それを分けてもらうってのも、やっぱり厳しい。今となってはわからないけどね。
     日本はめちゃくちゃになっていたし呪術界なんてそもそも法外なところがあるから、隠れて生きるのはそうむつかしくなかった。街にあふれる廃墟を転々とし、人間とは極力会わない。通信機器も持たない。高専の組織はいくつかの派閥に完全に分かれたようで、真希さんや虎杖を生かそうとする派の人間がこっそり流してくれる仕事で日銭を稼ぐ。伏黒もその派閥の人間だ。私たちは仕事の受け渡しのためにときどき顔を合わせる。
    「つらくないのか」と伏黒が私に訊ねたことがあった。
     真希さんと行動し始めてまだ1年も経たないころだ。そのころは私も真希さんもルーティンを組み立てるのに必死で、どちらかといえば高専時代の延長に近い感覚だった。先輩のことが大大大好きなかわいい後輩と、後輩思いのやさしくてかっこいい先輩。「あのころ、なんか合宿みたいだったよな」と真希さんもときどき思い出話にそう言ったりする。
     そんなふうだったから、伏黒の問いには「大丈夫よ」って答えた。何を訊かれたのかも理解していなかったわけだ。
     私と真希さんがお互いに境界を越えたのは、それから数ヶ月してのことだった。ほとんどお互いにしか会わない長い長い時間も当たり前になって、逃亡生活といったかんじも薄れ、ただ定住先のないお風呂に入れない暮らしってかんじになってきていた。行先が見えないのも慣れっこになった。私に限った話だと、正直ずっと「逃亡」の現実感はなくて、そのまま落ち着いてしまったとも言える。真希さんにとっては違うはずだ。
     ちょうどそのころ私はやっと左目の違和感にも慣れつつあって、ただ光が沁みるときがあるから、日が傾いてからの時間にだけ、ときどき眼帯を外して行動するようになった。
     夕暮れの森で呪霊を祓い終え、呪霊がさっきまでいた空間を挟んで私たちは向かい合って立っていた。
    「そうか」と真希さんが突然思いついたみたいに言ったときの表情を私は知らない。「お前が私についてきてくれたのは、私のことが好きだったからなんだな」
     逆光だったから。
     その表情が重要だったかもしれないのに、そこから私は何か察するべきだったかもなのに、そのときの私は「やっと思いが通じた 愛の勝利! ラブアンドピース!」てな具合に舞い上がってしまった。じぶんのなかでその感情がただただ大事な言葉──のようなもの。うまく言えない──になって、最初のころ感じていた甘い疼くみたいな衝動が空っぽになっていることにだって、とっくに気づいていたのにな。いや、言葉だけでも本当はよかったはずで──ううん、これも嘘だ。
     言葉こそが私が頼りにしたかったものなのに、芯にあったのは衝動のほうであるという静かな失望がずっとあった。その失望に目をつむってしまっていたのが間違いだった。

     私たちは後輩と先輩、逃亡生活のパートナー、そして恋人同士のように暮らし始める。寄り添って眠り、キスをし、肌を重ねる。暗い部屋、ぺらぺらの毛布のなかで真希さんの冷たい指が私の左の瞼を撫でる。私はときどき真希さんにうしろから抱きついてうなじに噛みつき、アルファとオメガごっこをする。真希さんがくすくす笑う。私も笑う。
     空虚だった。
     オメガの甘いフェロモンは消えたまま戻らなかったし、1年以上一緒にいるのだ、ヒートが来ない不自然さを嫌でも突きつけられる。
    「ほとんど死ぬような目に合ったんだ。そりゃ体質も変わるだろ」と真希さんはこともなげに言う。「でもこうなった以上、ちゃんとした検査なんか受けれないからな。まあヒートなんか無駄なだけだしなくなってせいせいするよ」
    「ならいいんですけどね」
     といい子な返事をしながら、私が納得していないのは、生活を共にする者や尊敬する先輩への愛しさは変わらないながら、オメガらしさを失った真希さんへの私の恋愛感情がずっと尽きたままであることだった。読みが外れた。元々の衝動が戻らないにしろ、ずっと共に暮らせば相応の感情が灯るだろうとおもっていたのに。
    「ごめん、やっぱこれつらいわ」と伏黒に吐露したのは真希さんと恋人同士みたいになってから半年くらいだったかな。
    「だろうな」と伏黒は知ったように言った。「お前が今やってんのは恋とかじゃなくて、恋だって嘘でも証明することで、そのための執着だって気がする」
    「ふ。言ってくれるわね、元ヤンが」
     あんただって似たようなもんでしょとかそういうやりとりがあって、それもまた別の話だ。
     真希さんは真希さんで私のことを大事にしてくれていた。変わらず。でも関係に名前がついたようになってからも、その心臓にあるのが私が持っていたような恋や愛であるとはおもえなかった。ローションの助けを借りて指を挿し入れれば確かに真希さんの内側は濡れてくれたけれど、そんな分泌液なんて実際のところ性感ではなく、まして愛でなく、ただの体の防衛機能なのだ。真希さんがくすぐったそうにしながら「気持ちいいよ」と言ってくれるとうれしかったし、傷ついた美しい体に触れているってだけで私の体も熱を持った。でもそれだけ。セフレならセフレでいいんだよ。そういうのも全然あり。だけどまるで甘い恋人同士みたいにいながらお互いに燃えるものがないって、なんなんだろう。お互いにそのむなしさがわかっていながら、ごっこ遊びを続けていた。
     それでも私は理性で──言葉で真希さんを求めていたから。真希さんは? どうして?
     私は猫と子犬の夢を見続けている。
    「目、なかなかよくならないな」と昼間、眼帯をつけた私に真希さんが言った。
    「もう痛いとかはないんです。けどやっぱ、一回ぐちゃってなったショックがでかかったんですかね。まだこっちがじぶんの目だって気がしなくって」
    「ふうん。見てみてもいいか?」
     と私に向かってのばされた真希さんの手を、私はなにかおもうよりも先に払いのけていて、私は私の疑念に気づく。眼帯の上からじぶんでじぶんの左目に触れた。暗い穴がありそうなのに、そこにはしっかり眼球がはまっている。
    「これって真依さんの目なんですか?」と私が言った。
    「は?」
    「だから見たいんですか? だから私を連れてるんですか」
     そんなこと考えたこともないはずだった。なのに口からはすらすらと疑問があふれた。
    「突然どうしちゃんたんだよ野薔薇」
    「それはこっちの台詞ですよ。ねえ真希さん。私、一度死ぬより前から真希さんのこと好きなんです。ずっと。全然これっぽっちも気づいてなかったじゃないですか。なのに突然どうしちゃったんですか。私が眼帯外すようになって、なんかわかっちゃいました? 真依さんが、運命のつがいの相手が混じってるから私なの? それって選ばれないよりずっとひどい。最悪ですよ。なんで。なんで違うって言ってくれないんですか。なにも言い返さないの? 全部正解ってこと?」
     振り返ってみると、そんなふうに捲し立てられてしまったら、なにか言えるはずがないってわかる。でもそのときの私にはわからなかったし、もしかしたら返してくれた言葉があったかもだけど、聞く耳を持たなかった。日が落ちてからの私たちはその日斡旋されてた任務をいつもどおりに終えて、根城に戻るとまたごっこ遊びが始まる。私たちはそこからも結局、ずっとこのむなしいロールプレイを続けている。
     真希さんや私、高専やそれ以外の仲間たちの活動によって、少しずつ国や呪術界がかたちを変えていくのがわかる。その変化に合わせて私たちの生活も変わるだろうし、おそらくどんどんマシになるはずだ。関係も変わるのだろうか。最近はときどき会えるようになった虎杖なんかは「いやあ、うまくいくといいよね」なんて気軽に言ってくれちゃうけど、うまくいくことを願う私と、それってたぶんお互い納得ずくの、でも別れじゃん。つらくていいからせめてこのままでいさせてっておもっている私がいる。
     夢のなかの白い2匹の猫が真希さんと真依さんだって、最初からわかっていた。起きた頭で夢を思い出すとき、猫はおなじ顔をしたふたりの幼い少女にもなったし、よく知る大好きな真希さんとその憎い双子の妹だったりもした。白状すると裸で足を絡ませ合う双子を想像して私は自分で自分の股間をかき混ぜたりしていて、実際に双子のあいだでなにかあったとかはひとつも知らない。本当に。でも真依さんがアルファだったってことは知っている。真希さんに訊ねる勇気はなくて、伏黒から無理やり聞き出したのだ。
    「一卵性の双子でも第二性が違うことってあるのね」
    「男女の一卵性双生児も実在するからな」
     考えてみれば、もし真依さんがオメガなら、真希さんは東京の高専に来るとき、きっと真依さんも連れ出していた。旧弊な社会でオメガの受ける処遇がどんなものか、今の私はちょっとだけ知っている。家を出た理由にそれを言わなかったのは真希さんの矜持だし、もし真依さんがおなじ立場なら、真希さんはそんな場所に半身を置いたままにするはずがないのだ。
     半身。
     真希さんと真依さんとが運命のつがいだなんていうのは、私の恋──もう存在しない衝動にしがみつく気持ち──におかしくなった頭のつくりだした妄想だと、私自身おもっている。私の眼球が真依さんのものだなんていうのも。家入さんには再会できないままだから聞きようがないし、京都の魔女も何も教えてくれない──教えるようなことがないってことだともおもう──から真相はわからん。まあ眼球の移植ってのはむつかしい話で、現代の医療でおこなわれているのは角膜の移植だってことも知ってる。角膜を移植してどうにかなるレベルの破損じゃなかったことは身をもって知っている。
     それでも私はつい真希さんの首筋に真依さんの噛んだあとを探すし、真希さんは真依さんとふたりでつがいとなって、その大事な運命のつがいを失って、だからあんなに強くなったんでしょう、空虚になったんでしょうって、まだどこかでおもっている。そして私の眼窩にはまる真依さんの目を想像し、ああ真希さん、これもちゃんと失わなきゃだよって念じたりしている。ひどいやつ。
     夢が怖いのは、猫のどちらがどちらか、見分けがつかないからもあった。それは私が愛したい相手を見分けられないっていう絶望でもあるし、単純に双子が見分けられないギャグみたいな事象がそのままひどくシリアスなミステリにもおもえるってちぐはぐな不安でもある。なにしろ真希さんがあの日から変わってしまったのは確実なんだもの。私のクソみたいな衝動では見分けられないくらいに。
     眠ってしまった真希さんの背をゆっくりなぞりながら、「なんでひとりで生まれてくれなかったんですか」って最悪のつぶやきを漏らす。双子でなくひとりの人間として、アルファとオメガとしてでなく、その真ん中のベータとして、私の、運命とかじゃなく一緒にいるかわいいベータの女の子として、なんで生まれてきてくれなかったんですか。でも私は私が繰り返し見る夢に、双子にずっと一緒にいてほしかったって願望もきっと含まれているよねっておもってもいる。ふたりで生まれてきたのが真希さんなんだから、ずっとふたりでいてほしかった。私なんていなくていいから。
     なんてね。
     ああ。いろいろ考えちゃうわけだけど、私は最終的には言葉を選ぶよ。衝動でなくね。それが釘崎野薔薇の生き様ってもんでしょ。だから私は真希さんを愛している──愛したい。衝動が探していた真希さんだけでなくて、今のどうしようもない真希さんを、愛したい。心の底から、からだの全部を使って。でも真希さんにはぽっかりと穴が空いていて、その穴は真希さんとおんなじ大きさ、おんなじかたちをしている。
     だから真希さんは、穴だ。
     もういないのだ。
     いないひとをどうやって愛せばいいのだろう。
     私にはわからない。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    👏
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works