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    42_uj

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    いたふし。渋谷より前。虎杖のことが好きな伏黒、そのことを察している虎杖、両方から話をきいている釘崎が映画を見たり願いごとについて話したりします。
    (ワンドロで書いた3篇を2021年6月7日にピクシブにまとめた文章。これは同年12月に本にした際のバージョンです。本では最初の章でした)

    摸造のピクニック2018.10

        1

     目を開ける。テレビ画面には映画が流れている。光が淡い。淡い光のなか、頭に布をかぶった子どもが顔を傾けてテーブルを睨んでいる。テーブルには液体をたたえたコップ、空のコップ、乾いたふうな瓶が並ぶ。セリフはない。コップがすべるように動いて子どものそばを離れていく。ひとりでに。子どもがなんらかの能力を使って動かしているということなのかもしれない。子どもの標的は瓶に、別のコップにと移り、テーブルに顔の側面を預けてしまった子どもがどこを見ているのか、もうわからない。空のコップはテーブルから落ちてしまった。
    「あ、起きた?」
     ベッドにもたれて画面を見つめる虎杖がこちらを振り向かないままで俺に訊ねる。音を立てたりしたつもりはなかったが、気配で察したのだろう。こいつのこういうところは獣みたいだといつも思う。
    「悪い、気が散ったか」
    「ううん、ちょうど終わるとこだったし」
     虎杖の言う通りすぐに画面が暗くなり、見慣れないアルファベットが並ぶ。おそらく映画の終わりを示す単語だ。
    「いま何時だ? これ、もう2本目か?」
    「日付変わって0時半。映画は変わらず1本目」
     虎杖は答えながら体の向きを変えてこちらを見た。俺もベッドのうえで体を起こし、あぐらをかく。頭に敷いていた左手がしびれていた。
    「白黒の映画じゃなかったか」
     とセピアがかったモノトーンの画面を思い出しながら訊ねる。
    「途中でフルカラーになんの」と説明しながら虎杖はちょっと嬉しそうだった。「俺も前に見たとき途中で寝ちゃってさ、起きたらきれいな緑色あるからびっくりしたよね」
     そうだった。以前映画館で観て寝落ちしたという映画に再挑戦する、というのが今日の虎杖の映画鑑賞の目的だった。
    「でも終わったら俺も眠くなってきた」
     虎杖は腕を持ち上げて大きくのびをし、し終えると頭をベッドに倒してくる。さっきのラストシーンの子どもと同じポーズだなと思う。
    「ちゃんと部屋戻って寝ろよ」と言いながら、俺はすぐ横に置かれた頭の明るい色の髪をかき混ぜる。
     目を閉じて俺に撫でられるがままになっている虎杖は、やっぱり獣のようだった。よく人間に慣れている。
    「俺は別に床で眠るんでもかまわんのだけどね」
    「10月は床で寝る季節じゃねえだろ」
    「伏黒サンがベッドに入れてくれてもいいと思うけど」
    「俺もお前も釘崎くらいの体積だったらそうしただろうけどな」
    「はいはい」
     これは休前日に俺の部屋で映画鑑賞が行われるようになってからのお決まりの会話だった。暑さの残るうちは「いやこの暑さで人間とくっついて眠るつもりかよ」なんて返せたのだけれど、だんだんそうもいかなくなってしまった。
    「でも、もうちょっと話してから戻ったんでいい?」と虎杖は目を開けて言う。
    「眠いんだろ」
    「眠いなか話をするんがいいんじゃん。子どものころ憧れてたからさ、そういうの」
    「いまも子どもだろ」
    「はは、そうね」と笑いつつ、虎杖はちょっと悲しそうな表情をする。俺はもっと子どもの――小学生くらいの虎杖を思う。きっと昔から明るくて、わきまえたところのある騒がしさを持ち、人好きのする性格だっただろう。
    「ずっと爺ちゃんと二人暮らしだったから、友だちの家でお泊まり会みたいな、あんまりそういう経験がないんよね」と付け足され、自分の想像力の足りなさを恥じる気持ちになった。
     会話に付き合ってやることにする。
    「結局、どういう話だったんだ」
    「なにが?」
    「映画だよ」
    「うーん、行って帰る……だけかな。お話!っていうか、映画!っていうかんじだからこの映画」
    「わかんねえよ。物語ってだいたい行って帰るだろ」
    「え〜? じゃあ、ゾーンって呼ばれてる場所があって、なんか危ないから立ち入り禁止なんだけど、そこには願いの叶う部屋があるって言われてるから行きたがるひとがいるのね。それで、そこの案内人みたいなやつもいて」
    「そのあたりはまだ起きてた」と俺が言うと、
    「たしかに起きてたな」と虎杖は笑う。
     いつまで起きていたか、いつ起きたのかを察されているのはなんとなく気恥ずかしかった。虎杖が「安心してよ、だいたいみんな寝ちゃうみたいだしこの映画。最初に見たときの俺もだしね」とからかうように言うせいで、「それは気にしてない」と応える俺の声が拗ねたように響いてしまう。
    「それで、願いは叶えられたのか、映画のおっさんたちは」
     と訊ねてから、そんな話ではなかったかもしれないとも思った。虎杖の言うように、あらすじを追うタイプの映画ではないのだろう。
    「あー。伏黒、またいつかチャレンジする予定ある? この映画」
    「わからん」とすぐに答えたが、これは嘘だ。
     俺はこの日のことを繰り返し思い出すだろう。この日だけじゃない、これまでの日々も全部。そして日々に交わした会話の端々をヒントにこいつがきいてた音楽をきき、観ていた映画を観るはずだ。もっとたくさんのことを忘れないために。
     もし虎杖がいなくなって、その後の日々が俺にだけあるようなときは。
     だから俺はこの映画を、きっと必ず、もう一度観る。
    「見るかもしれないってことね」と虎杖は微笑む。
     こいつはどこまで察しているんだろう。
    「まあ、かもしれない」
    「なら言わんとこ。ネタバレとか気にするタイプの話では絶対ないんだけど、俺のヘタな説明で変な先入観持たれてもへこむし」
     虎杖はそこで少し考え込んでから、「でも犬は出ます。それも黒い犬」と、とっておきの情報を披露するように言った。
    「犬は別にいい」
    「まあまあそうおっしゃらず」と虎杖が犬推しをしつこく続けるので、
    「でもお前、こういうアートっぽい映画も見るんだな。意外だった」と俺は話を変える。
    「けっこうなんでも見るよ、意外だよな」
    「自分で言うのかよ」
    「だって俺、もっとハリウッド! ジャジャーン!みたいなのばっか見てそうじゃん」
    「はは、それな。あとこれ映画館で見たって言ってたけど、けっこう古い映画だろ。今やってるものなのか」
    「うん。名画座っていう、行ったことある? ロードショーかかるのとは別の、小さい古い映画館がけっこうあって」
     と虎杖は楽しそうに答える。本当に映画が好きなんだなとまぶしくかんじる。彼が意識して映画を見始めたのは死んでいた期間の五条先生発案の修行、呪力の感覚をつかむためで、それ以前からの趣味ではないときいていた。しかしもともと映画好きの素質があったんだろう。なんとかという女性俳優が好きだとも最初から言っていたのだし。
     俺がそうやってまぶしさに打たれているあいだにも、虎杖は話を続けている。
    「ツタヤで別の準新作の映画借りて見たときに、その映画のなかの映画館でかかってたのがこの映画だったんよね。新しいほうの映画も見せたいかも。スパイものの渋くてアガる映画で。そのときは釘崎も呼んだらいいな、かっこいい女スパイの話だからなんか好きそう。知らんけど。それで、出てきた映画なんだったんだろうって検索したら、ちょうど名画座で上映があるってわかって。しかもオールナイトの。すごくない? 夜から朝までの3本立ての上映があんの。これは1本目だったからまあ起きてられると思ったんだけどふつうに途中寝てたし、他のも最初と最後は起きてたけど真ん中全部寝てた。3つとも同じ監督の映画で。残りの2本も伏黒が元気そうなときに挑戦しようかな」
     そうやって身振り手振りを交えながらの話をききつつ、その日のことは覚えてる、とつぜん外泊の許可をとるって言うから死んでるあいだに外に恋人でもつくったのかと動揺したんだった、と思い出していたけれど、口には出さない。
    「伏黒、きいてる?」
    「きいてる」
    「なんか伏黒もしゃべってよ。俺だけラジオみたいになってんじゃん」
    「じゃあ、お前がもしその部屋……映画に出てきた願いの叶うとかいう部屋に行くなら、どうするんだ」
     そう訊いたのはただの戯れだったが、
    「それはちょっと映画の本質に関わるかもしれない」と虎杖の頭を悩ませてしまったようだった。「流れ星にお願いするなら何みたいなかんじでいい?」
    「なんでもいい。お前の会話に付き合ってやってるだけだし」
    「え〜さみしいこと言うなよ。……では伏黒さん、流れ星には何をお願いしますか?」
     虎杖はそう言いながら一度立ち上がり、ベッドに腰掛ける。右手を筒状にして俺の前に差し出すのはマイクのつもりだろう。「いや俺はいいだろ」とマイクを押し返す。
    「じゃあインタビューはやめ。ふつうに伏黒の願いが何か気になる」
     マイクがほどかれた。
    「あー、それなら」と俺は少し考える。「時間を戻して、仙台でちゃんと宿儺の指を回収する。お前に拾われる前にな」
    「待って。それ、俺と出会わんことにならない?」
    「なる。だから願いが叶えば俺は今めんどくさい会話に付き合わされず、やすらかな睡眠をとってるってことになる」
    「ひでえ」。虎杖は笑うが、俺の願いがそんな安眠だとかではないことは、こいつもきっと判っている。判っていながら核心をつくようなことをしないのがこいつのいいところだし、ずるいところでもある。
    「でも、時間を戻すって、どういうパターン?」
     と虎杖は冗談めかした様子で会話を続ける。
    「パターン?」
    「だって時間だけ戻しても、俺もお前もまた同じ時間を辿ることになるだろ? 巻き戻してそのまま再生ってかんじで。伏黒が今の記憶? 意識?を持ったまま過去の伏黒に戻って違う行動をとるとか、それか今の伏黒がタイムスリップして過去に干渉して未来を変える……でもそれだとタイムパラドックスが起きるから……うーん、けど……」
    「マジでどうでもいい」と話を遮ると、
    「ノリが悪い!」と叱られた。「でもまあ、時間を戻して今を変えたとして、たぶん、今のこの俺と伏黒が出会わなかったことにはならんから、いいよね」
    「いいのか」
    「いいの」と応えながら虎杖はあくびをする。
    「俺もまた眠くなってきた」と俺もつられるみたいに目をこすった。
    「マジか、なら部屋に戻ろうかな」
     満足したのか、虎杖は立ち上がって扉に向かう。「遅くまで付き合わせてごめんな」「いい、映画は寝てたし」「それはそうね」「おやすみ、また明日」「うん、また」。扉が開かれて閉まるまでをベッドにあぐらをかいたままで見ていた。部屋がとたんに静かになって、室温が下がった気さえする。
     テレビにはメニュー画面に戻った映画がまだ灯っている。DVDを取り出さずに帰られてしまった、明日ちゃんと虎杖に返しておかなければならない。前に貸出期間を過ぎたDVDが俺の部屋で見つかったときは散々だった。いや、散々なほうがずっど長く忘れずにいられるだろうか……。ケースを探すのがわずらわしくて、DVDを入れたままデッキとテレビの電源を落とした。いつかと言わず、近い時間に映画の続きを確かめてみようかと思う。手近に想定を終わらせてしまえば遠い未来について考えずに済む。
     部屋の照明も消す。布団にもぐって横になる。
     過去に戻れて未来を変えたとしても、今の俺たちは出会わなかったことにはならない、と虎杖は言っていた。そういったフィクションの作法を俺はよく知らないが、虎杖のなかではそうなのだろう。たとえばパラレルワールドの分岐が生まれて、向こうの俺たちは出会わない。出会わないから虎杖は宿儺を飲まない。死刑が決められることもなく、大往生のそのときまで一度だって死なない。他人を殺めるようなことにもならない。
     それでも、それはその向こうの俺たちの話で、この今の俺たちは出会わなかったことにはならない。
     俺の初恋もなかったことにはならない。
     そういえば虎杖の願いはもうきいていたんだったな、と唐突に思い出した。俺は長生きなんてするんだろうか。

    -----
        2

     朝8時45分。スマホの画面を見てさっと血の気が引く。マジかよアラームかけたじゃんってついひとりごとが出た。集合は9時だから間に合うけど、朝飯を食う暇はない。まあ別に集合ったって休日に街に出ようぜって1年で集まるだけで、遅れたって問題はないんだけど。でも釘崎がうるさいんだよなあ。伏黒だってちくちく言ってくるし。だから適当に洗顔を済ませ、髪を手櫛で整え、洗濯して干して取り込んでをしたまま床に積もらせていた衣類の山からジーンズとパーカーを取り出し、ちゃっちゃと着替える。
     部屋を出る。
    「伏黒、いる? もう出てる?」とすぐ隣の扉を叩く。
     返事はなく、なかにひとの気配を感じないから、伏黒はもう部屋を出てるんだろう。起こしてくれたっていいじゃんね。これもひとりごとだ。やばいな、爺ちゃんに似てきたかもしれない。
     長い廊下を歩いて共有スペースに向かう。誰もいない。と一瞬思うけど勘違い。3人がけのソファに堂々とひとり寝そべる人影があって、これは釘崎。ちょうど向こうも俺に気づいたようだった。
    「よ」と釘崎はソファーに仰向けに沈んだまま手を挙げる。
    「はよ」と応える。「伏黒は?」
    「は?  LINE見たでしょ?」
    「嘘、いつ?」
    「朝。あんたも既読つけてんじゃん」
     あわててポケットからスマートフォンを取り出し、グループラインを開く。確かに伏黒からのメッセージがある。急の任務が入って今日は行けないとのこと。釘崎からの了解のスタンプもある。そういえば早朝に起きて、何か通知を見たような気がする。開くだけ開いて、ちゃんと読まずに二度寝してしまったのだろう。そのときにアラームも切ってしまったのかもしれない。
    「あんた意外にこういう連絡うまくいかないわよね」と釘崎は呆れたように言う。
    「まだスマホ慣れなくって」
    「ふーん」
     相槌を打ちながら釘崎はやっと起き上がり、
    「まあ荷物持ちはひとりいれば足りるけど」とこちらの顔を見る。「寝不足?」
    「あ、わかっちゃう?」
    「また遅くまで映画見てたんでしょ」
     俺が伏黒とたびたび休日前夜の映画鑑賞会をしているのは釘崎も知っていて、ぜったい映画の趣味合わなさそうなのにっておもしろがられたものだった。
     あいつも忙しいんだから付き合わせるのもたいがいにしときなさいよと言われ、素直に頷く。とくに今日は伏黒は朝から任務が入ってしまったわけだから、ふつうに申し訳ない。急に決まったことだとしたってね。映画を観終わったら中身のないおしゃべりなんてせず、さっさと部屋に戻ればよかったのだ。いや、でも、楽しかったしな。
     それに、確かめたかった。
     うん。確かめたい。
     今ここに伏黒はいなくて、これはいい機会なのかもしれない。
    「釘崎サン」と言いながら俺もソファに座る。釘崎に向かい合うかたちだ。「せっかくだからお悩み相談室、よろしいでしょうか」
    「うむ、苦しゅうない」
     ちょっと冗談めかして言ったのをちゃんと拾ってもらえた。深呼吸する。
    「伏黒ってさあ」と言いかけて、でもなかなか続けられない。
    「何よ」とこちらを睨む釘崎からも緊張を感じる。俺の緊張が移ったのかもしれない。
    「うう……」
    「気持ち悪いわね、さっさと言いなさいよ」
    「あのさあ、伏黒って俺のこと好きだよね?」と今度は一息に言った。
     言えた。
    「は?」
     釘崎は一瞬、ぽかんとした表情をつくった。やっぱり唐突だっただろうか。
    「あ、ライクじゃなくてラブみたいな、そういう話?」
    「それは伏黒の気持ちのなかの話だからわからんけど。でもなんかさ、そういうのってわかっちゃうじゃん」と俺は説明を始める。「別に訓練とか任務とかの普段はふつうなんだけど、ときどき二人でしゃべるときに、なんか、ワーってなるわけ。こいつ俺のこと好きかな〜、好きだよな〜〜っていうのが。視線とか話しかたとかなんかな、それで腕の表面……肌よりもちょっと浮いたとこらへんが、ぴりぴりするっていうか」
    「うわ、なんのセンサーびんびんにしてんのよ」と釘崎は顔をしかめて見せる。
    「いやわからんけどさ〜」
    「ていうか説明が下手。伏黒があんたを好きかもって話なんでしょ? あんたが伏黒を好きかもな話にきこえる」
     それは盲点だった。でも俺も伏黒を嫌いなわけじゃない、一緒にいて楽しいし、ただの友だちだとは思ってないのだから遠からずだ。でも伏黒の気持ちは俺のとは違うんじゃないかって気がしている。
    「釘崎から見て、なんかない? こういうのって女子のほうが得意そう」
    「そういうのマジでモテないからね」と釘崎は心底嫌そうに応える。「けど」
    「けど?」
    「アンタたち、普通じゃないじゃない。ちょっと近すぎるっていうか」と言ってから釘崎は軽く舌打ちする。「違うからね。同性なのにとかそういうあれじゃないから。こう、あんたたちって、依存じゃないけど、運命共同体的なところがあるじゃない」
     俺もそう思っている。伏黒は俺にとって数少ない同級生のひとりで、大事な友だちだし、尊敬する術師でもあって、伏黒にとってもそれは同じはずだ。いや、別に伏黒は俺を尊敬したりはしていないかな……。でもお互いに、それだけじゃない。
    「……あんたが踏み外したら、あいつが始末をつけるんでしょ」と釘崎は付け足す。
    「うん。たぶんそのつもりだと思う」
     と俺は言ったけど、本当は、たぶんってか絶対だって思ってる。そうであることを願ってもいるんよね。
     釘崎は俺の返事をきいて、またむつかしそうな顔をした。ちょっと間があって、
    「……ひどいこと言うかもだけど、それで好きだとかどうとか言うのって、なんか問題のすり替えじゃないのって気がする」
    「俺も」
    「なにがよ」
    「俺もそういうこと考えてた。ってかちょうど、そういう話したかった。伏黒って俺のこと好きなんかなっていうのはたぶんセンサー的に当たりなんだけど、それってなんか、好きだってことにしたほうがぜったい楽じゃんって。それでいいのかなって」
     俺はつい早口になる。
    「それ、伏黒にだいぶ失礼だけどね」
    「あ」
    「まあそういうのじゃなくても」と、ここで釘崎はいたずらっぽく笑った。「自分のことを好きかもしれないやつのそばにわざといて確かめようとするのって、ワルい男ってかんじだけど」
     話の流れを変えてくれたのがわかる。ほっとするような、でももうちょっと突っ込んでききたかったような、複雑な気持ちだ。
    「それは、確かに」と俺も声に笑いを含ませて言う。
     こいつ俺のこと絶対好きだよなって思いながら、わざとそばに置こうとしてるんだから俺はズルい人間だ。
    「まあ状況は難しいけど、感情だけの話ならわからないわけじゃないわ。あんたたちはお互いが昔の私にとっての沙織ちゃんみたいなものなのよね。私はあんたたちのふみってわけ」
     釘崎は全然わからんたとえを言ってソファから立ち上がった。
    「そろそろ行くとしますか」
    「待って、お悩み解決してませんけど」と俺も立ち上がる。
    「知ったこっちゃないわ。じぶんで考えなさい」
     時間はまだあるんだから、と言われて、その通りだなと思う。指が全部見つかったあとのことは考えられないけど、見つかるまでの時間は確実にあるのだ。
    「まあまた任務で死ぬかもしれないわけだけど」と釘崎はもう完全にくだらん話をするときのモードに移っている。
    「いやもう死にませんって」
     そうやって軽口をたたき合いながら並んで寮を出る。伏黒が今ここにいたら、たぶん一歩後ろで笑っていただろうな。
    「とつぜん変な話して悪い」と一応詫びを入れる。
    「いいのよ」と釘崎は飄々としている。「まあ次3人でカラオケ行って、伏黒が片思いソングとか歌い出したらちょっとどうしたらいいのってなっちゃうけど」
    「待って。片思いソング歌い上げる伏黒、ウケるから」
    「ちょっと。想像させないでよ」
    「釘崎が言い出したんじゃん」
    「はい、この話は終わり! 昼飯向こうで食べて、それから働いてもらうわよ」
     晴れた10月の空の下で釘崎が笑う。
    「はいはい」
    「で、ちょっと早めに退散して、二級術師殿が任務を終えてくたくたで帰ってくるのを、おいしい料理でもつくって迎えるとしますか」
    「応」と俺も笑う。

    -----

        3

     そういえば、と部屋に戻ってから思い出して虎杖にLINEを送った。

     ──あの話って伏黒にしていいの?

     すぐに既読がつき、「?」のスタンプが送られてくる。
     かまととぶってんじゃねえよと思いながら返す。

     ──伏黒があんたのこと好きかもって話

     少し考えてから

     ──鎌かけたいなら協力するけど

     と付け足した。こちらもすぐに既読がつく。でも返事はなかなか来ない。
     返事を待ちながら一日を振り返る。伏黒に急に任務が入って、だから私と虎杖とのふたりで街に出た。虎杖が見てみたいと言う古着屋に入ったら意外と私にもヒットし、試着室前で交互にファッションショーをしてはしゃいでしまった。大量に試着したうち買ったのはほんの少しだけど、1着ずつが想像よりお高く、けっこうお財布に響いた。
     レシートを取り出して手帳にメモする。家計簿買おうかなっていつも思うけど忘れるのよね。言うて実際はそんな現実的なもの欲しくないから……。それはまあいい。
     寮に戻ったときにはすでに日が暮れていたけど、伏黒はまだ帰ってなかった。ご馳走で伏黒を迎えようという話になっていたから、帰りに買い込んで来た食材を使って虎杖の部屋で料理しながら待つ。寮の個室の簡易的なキッチンはふたりで使うにはやっぱり狭い。でも虎杖の指示が的確なのでなかなかいい連携ができたはずだ。「俺らの手際ヤバくない? 文化祭で本格派のカフェ開こう、1年で」「文化祭?」「漫画でそういうのあるじゃん」「たぶんここにはないけどね」とか言い合いながら。
     ほとんどのメニューを完成させ、丁寧に皿に盛って、皿が足りないから私の部屋からも持って来たりして、味噌汁はあとは味噌入れるだけにし、漫画を片手に本格的に待ちの姿勢に入った。冷めてもおいしい味付けにしておいてよかった、とか言いつつも、だんだん時間が気になりだす。「ちょっと遅くない?」「さすがに心配になってくるわね」と会話をしている途中で、「あっ伏黒帰ってきた」と虎杖がドアに駆け寄った。足音がきこえたっていうけど私には全然だった。こういうの見たことある。犬や猫が飼い主の帰宅を察知して玄関に駆けつける動画だ。虎杖がドアを大きく開くとちょうど伏黒が通り過ぎるところで、「うわ」と伏黒はドン引きの様相でこちらを見た。
    「飯食う? いっぱい作って待ってたんだけど」と虎杖が伏黒に言う。声色で笑顔が想像できる。
    「こんな時間だぞ」という伏黒の表情も想像できた。虎杖の頭にさえぎられて見えないけれど、いつもの不機嫌そうな顔。
    「もしかしてもう食ってた?」
    「いや、食ってない」
    「ならちょうどいいじゃん」
     部屋に迎え入れられた伏黒には見たところ派手な怪我もないようで、私も虎杖も安心する。
     虎杖が味噌汁を仕上げているあいだに、私がどんな任務だったのかを伏黒に訊ねる。「あー……、遅くなったのは別。送迎は伊地知さんだったんだけど、その前に伊地知車を使ってたのが五条先生だったみたいで」と伏黒による説明が始まった。
     助手席の足元から未提出の書類が出てきて、期限とかがやばいらしくて伊地知さん真っ青になり、いいですよ大丈夫ですからと言われつつこんな時間まで処理を手伝っていた……とのことだ。「何それ」「ウケる!」「まあでもまたひとりで危ない目にあってなくてよかったよ」「ほんとそれ」ってかんじで私と虎杖は大盛り上がりだったけど、伏黒は疲れた様子で淡々と食料を口に運んでいた。わかるわ、体力消耗したあと事務仕事って最悪よね。
     料理はだいぶ作りすぎてしまっていて、3人でタッパーに分けてそれぞれの冷蔵庫におさめる運びとなった。

     そういう一日の始めに、虎杖から相談を受けたのだった。真剣な表情で「伏黒って俺のこと好きだよね?」と訊ねられたとき、本当は別のことを訊かれるんじゃないかってドキドキした。「伏黒って」で一度ためるんだもの。宿儺の受肉の影響について虎杖には言うなって言われてるわけだけど、向こうから訊かれたときどうすればいいかって口裏合わせはしていない。その件じゃなくて心底ほっとした。
     でもこっちはこっちでどうしたものかね。
     と考えているうちに虎杖から着信がある。
    「まとまった?」と通話を始めた。
    「いや悩んじゃったじゃん。鎌かけるって何?」
    「慣用句?」
    「そういうのいいから」
    「ごめんごめん。でも実際どうなのか、確かめたいんでしょ。聞き出してやろうかって」
    「じぶんで考えろって言ってたじゃん」
    「でもきいちゃったからには気になるじゃない」と我ながら理不尽な返事をしながら、きこえてくる風の音に気づいた。「ていうかあんた今どこにいるの? 外?」
    「うん、ちょっと外出てる。たぶんもう伏黒疲れて寝てるし、話し声で起こしても悪いとおもって」
    「ほんとうに気の利く野郎だわね」と感心する。
    「それ褒めてる?」
    「知らん。それで、どうなの?」
    「まあ伏黒、自分から言わんだろうし、うーん……」と虎杖は煮え切らない様子だ「確認してもらえるとすっきりはしますが……」
     ハズレはないと思ってるっぽいのがおもしろい。いやマジで当たりならなんていうの? アウティングじゃん?てひやひやもするけど、そういうことに関して少なくとも私たちのあいだには嫌な──たとえばうちの田舎みたいな──空気はないし、まあいいか。いいのか? 虎杖も誰にでも話すわけじゃないだろうのはわかる。なんだかんだ短期間で信頼関係を築いてるってわけね、私たち。
     そんな、勘のいい、気遣いのできるあんたのことだから優子のことも本当は気づいてるのかって訊きそうになるけど、これは優子に悪いから我慢。もし気づいてるって言われたら、ちょっとゾッとしちゃいそうだし。虎杖は基本バカそうにしてるけど優しくていいやつで、でもときどき何考えてるか本気でわからなくて怖い。
    「はっきりしたら、あんたはどうしたいの?」
    「確かめてほしいのはそっちのほうかも」
     虎杖の声が少し明るくなった。
    「どっちのほうよ」
    「たぶん俺、伏黒の好意……どんな好意にしたってそれに甘えてるところがあるし、一緒にいたら楽しいんだけど、恋愛とかの話になったらさ、同じ種類の好意で返されなきゃしんどいってやつもいるもんじゃん? 俺そういうのあんまりわからんから、なんか、伏黒がどういう状態でいるのが楽かがわかればこっちも楽」
     やっぱり何考えてるかわからんな。それは伏黒がどうなりたいかであって、私が訊いたのは虎杖がどうしたいかの話だったはずだ。
     でもいい。
    「ふーん。オッケー」と返事をしてあげる。
    「とんだおせっかいだけど、ありがとう釘崎」
     と虎杖は笑いを含んだ声で言う。そうやって私もあんたもすぐ冗談めかしちゃうけどさ、本当はあんたが私に訊きたかったのって──と訊いてみたくもなった。でもこれは伏黒のために我慢。
    「まあそうよね、どういたしまして」とだけ返す。
     おやすみ、と続けようとすると、
    「そういえば釘崎は明日はこっち? どこか出る?」と引き留められた。
    「今日だいぶはしゃいじゃったから、明日はこっちでゆっくり休むつもり。何?」
    「いや、東堂がなんかイベントで東京来るらしいから会うんだけど、お友だちも連れて来ていいって言われて。釘崎も伏黒も忙しそうだからって適当言って断っといたけど、もし街で鉢合わせても気を遣うかなって。念のため」
    「あんた変なところ気にするわよね」
    「そう?」
    「いや、私もそういうの気にするかも。でも絶対絶対超絶行きたくなかったから断ってくれといてありがと」
    「そりゃどーも。じゃあおやすみ」
    「おやすみ」
     通話を終える。明日虎杖がいないとすると、今日の逆バージョンだなって気づく。伏黒の話をきいてみるのもおもしろいかもしれない。おもしろがっちゃって申し訳ないけどさ。

        ◆

     朝だ。朝というか昼前。
     先にLINE入れておくかとも思ったけれど面倒で、そのままノーアポで赴くことにした。男子寮までのんびり歩き、伏黒の部屋の前に立つ。ノックするとすぐに扉が開いた。
    「何か用か」と言いながら顔をのぞかせた伏黒は私よりだいぶ上に目線を投げかけていて、しばらくぼんやりと空中を見つめてからやっと気づいたように視線を下げた。虎杖を探してやがる。
    「あいつなら東堂とデートよ」とまだ寝ぼけた様子の伏黒に教えてやる。
    「そうだった……」。伏黒はしてやられたというふうに顔をしかめる。「釘崎、何か用か」
    「ちょっと話したいことがあって。用事あるなら別にいいけど」
    「用事はある……いや、ない……」
    「まだ寝ぼけてんの?」と訊ねながら虎杖による伏黒情報【朝に弱い】のことを思い出していた。「ないなら今いい?」
    「いいけど、ちょっと顔洗ってくる。入って待ってろ」
     言われるままお邪魔して、ローテーブルの前に座る。ふだん誰かの部屋に集まるとしてだいたい虎杖の部屋だから、ちょっと物珍しい。意外と雑然としている。
    「散らかしたのはほぼ虎杖だし、昨日の任務……任務ってか雑用が長引いて片付ける暇がなかっただけだから」
     洗面所から戻ってきた伏黒が苦い顔で説明をくれる。その言い訳がましい説明を無視し、「目え覚めた? 本当に大丈夫なのよね」と確認する。
    「まあ大丈夫。映画観ようとはおもってた」
    「映画?」
    「金曜の夜に虎杖と観てた映画。俺だけ途中で寝落ちたから、返す前にもう1回観とこうかと思って」
     伏黒は部屋の雑然さの一部からDVDのケースを拾いあげる。レンタルDVDの半透明の四角いケース。すごく久しぶりに見た気がする。なかにDVDの円盤自体は入っていない。端に貼られたテープにタイトルがある。知らない映画だ。『ストーカー』。
    「そういうのって、あんたが起きてて虎杖が寝るかとおもってた」
    「俺も」と伏黒は不満げに応える。「でもあいつも1回目観たときは寝たって言ってた」
    「あっそ。それ私も一緒に観ていい?」
    「話はいいのか?」
    「急ぐ話じゃないから」。私が勝手に気になってるだけだしね。「絶対起きたまま最後まで見てやる」
    「絶対寝るぞ」
    「寝てたら起こして。映画の途中で眠ると損した気分になるのよね」
     伏黒は返事をせずにテレビをつけ、リモコンを操作する。DVDはデッキに入れっぱなしだったようで、すぐに始まった。
     禁止事項についてのお決まりの文言の画面、すでに古くなった新作映画の予告を経て、本編が始まる。ずいぶんクラシックな雰囲気だ。青みがかった白黒の画面に、スタッフを紹介するレトロな黄色いレタリングが踊る。英語じゃない外国の文字。同じ調子でタイトルが映り、設定の説明が文字情報として流れる。原因がよくわからないまま無人になった危険な一帯と、そこに行けば願いが叶うという、その土地についての噂……。
    「何らかの結界ってこと? やばい呪霊の生得領域とか?」と声に出すと、
    「うるさい」と伏黒に叱られた。
    「映画館でもないんだし、うるさくたっていいじゃない」
    「うるさく観るタイプの映画じゃないだろ」
    「それもそうか」
     うるさく観るタイプの映画のときは虎杖と騒ぎながら観てるわけ?って気になるけど、また睨まれるだろうから黙っておく。長回しっていうのかな、ずいぶんゆっくりした画面だ。白黒の濃淡を見ながらすぐに眠くなってしまう。女の悲鳴のような声に一瞬目を覚ましたけれど、よく似た3人のおじさんの会話になってくるとなかなかその内容まで集中できない……。

     コーヒーの匂いで目を覚ました。嘘でしょ。途中できれいな草原を見ていた気がするけど、それは夢だったかもしれない。
    「起きたか?」と言いながら伏黒は私の前にもマグカップを置いてくれる。
    「寝てたら起こせって言ったのに……」と私は恨み言を言う。「ていうか先に出しときなさいよ、コーヒーは」
    「寝てるの気づいてなかったし、観始める前、たぶんまだ頭回ってなかった。悪い」
    「あんたはずっと起きてたわけ?」
    「起きてた」
     ふーん、でもそれを証明するひとはいないわけだから、本当かどうかわかりませんけどね。と意地悪く思うけど、伏黒はマイペースに「普通におもしろかったしきれいだった」と映画レビューの才能ゼロみたいな感想を言いながら満足そうにしていて、たぶん本当なんだろう。
    「それで話って?」と訊かれる。
     虎杖もだけど、切り替えの早いやつだ。まあ私もたぶん同じ。
    「あんたって虎杖のこと好きなの?」
     まだ熱いコーヒーに息を吹きかけて、水面が揺れるのを見ながら言う。
    「は?」
     伏黒のかなり動揺した様子に、してやったりとおもう。
    「私はたぶん真希さんが好き」と追い打ちをかけた。こちらから開示してしまえば、そっちも言わざるをえないでしょという圧をかける。
    「たぶん……?」と伏黒は自分の感情にたぶんもクソもあるものかという表情だ。そこを気にするんかい。
    「私、そんなに他人になつきやすいってつもりはないけど、このひとって思ったらすぐきゃーってなっちゃうタイプだから。だからそういうひとがいくらかいて、でも真希さんはそのなかでもまた別の方向で好きかもっていうかんじ。ほかにも根拠だとおもってることはいろいろあるけど、別にあんた興味ないでしょ?」
    「う、まあ……」と伏黒は目を逸らしてしまう。「けど、サオリさん……?かとおもってた。釘崎は」
    「あれ、沙織ちゃんのこと、あんたたちに話したっけ」
     あんたって他人についてそうやって詮索とかするタイプなのかという驚きもあるけど、一人で考え込むのが好きなようだし、他人の色恋についてもそれ自体というよりクイズみたいな楽しさがあるのかもしれない。
    「きいてないけど、ときどき口に出してる」
    「嘘、よくきいてるわね。怖……」
    「あ?」
    「怒んなよ元ヤン。それで、どうなの」
    「まあ……、好きと言えば好き……」
     伏黒がそうやって目を合わせないままカタコトで言うのでつい笑ってしまう。
    「でも好きと言えば私のことも先輩たちのことも、まあ五条のことも好きよね。お姉さんのこともふつうに好きでしょ?」
    「それは、そう……」
    「だけど虎杖は特別に好き」
    「うう、まあ……」
     認めがたいことをぎりぎり絞り出すみたいに、伏黒は小さく頷く。小動物を追い詰めてるみたいだ、かわいそうになってくる。
     さてなんて続けようかなって迷っていると、
    「でもこんな感情は間違いだとも思っている」
     と伏黒が感情のない声で、何かのセリフを読み上げるみたいに言った。
    「は?」と私は反射的に怒りを滲ませてしまう。「私が真希さん好きって言ったあとでそういう話する?」
    「いや、違くて」と伏黒はゆっくり噛みしめるみたいに説明を始める。「そういうのじゃない。ストックホルム症候群……の逆みたいな、俺があいつの本来の人生を奪ったようなものだから、その罪悪感から逃れるために、愛だとかいうことにして心理的な負担を減らそうとしてるんじゃないか、生存戦略として、……そういうのって間違いだろ」
    「……」
     虎杖もそこ気にしてたわよと教えてあげたくなる。
    「他にも、虎杖から俺に向く感情が恋愛だってことになれば、俺たちが今以上に深い関係……を築くことであいつも救われることになるんじゃないか、傲慢な打算だ」
    「そう」としか返事ができない。
     罪の告白でもきいちゃってるような気分だ。伏黒は息の仕方を忘れたみたいに震える声で続ける。
    「もし宿儺が暴走するようなことになれば、あいつごと俺が殺さなきゃって考えてて。まあその責任があるからな。でもその責任を投げ捨てられるほどの感情があるとするなら、俺には、あ、愛だとか、そういう……」
    「……無理して言う必要ないわ」
     私はいたたまれなくなって伏黒の言葉を遮る。ただ他人を好きになるってだけでそんなにいろいろ考えちゃうものなのかってびっくりしてもいる。私はもっと、ぴーん! 好き♡ってかんじだから。
     伏黒は一度コーヒーに口をつけ、すると少しは顔色が戻ったようだった。
    「落ち着いた?」と声をかける。
    「ああ」と伏黒はうなずいて、ちょっとばつが悪そうにしている。「なんか、悪い」
    「ううん、全然よ」
    「……それに、それだけじゃなくて同時に、浮かれてるような気持ちもあんだよな」
    「へえ。どんな」
    「なんていうか……、aikoとかが沁みる……」
     いや爆笑しちゃう。
     私の笑い声の向こうに「言うんじゃなかった」と後悔の声がきこえる。かわいいな。
     こういうほうがいい。
     宿儺がどうだとか残りの指がどうだとか、もしものときはどうするだとか、最悪のピタゴラ装置の球が転げていくのを見ているようなのじゃなくて、ふつうの青春ってかんじだ。ううん、べつに愛や恋じゃなくても何でもいいけど、生死にかかわらないちゃちな秘密、人間を殺すとかじゃない共犯の意識があるのは気が楽になる。
    「クソ、笑いすぎだ」
    「はー笑った……。ごめんごめん」
     コーヒーに口をつけようとするとまた腹筋が震えそうになって、「おい」と厳しい声色で止められる。
    「いや、言いにくいこと言わせちゃってごめんね、マジで」と重ねて謝って、ついでに本題を訊ねる。「でも、それでどうしたいとかってあるの?」
    「どう?」
    「告白するとかどうとかのあれよ。しないにしても今の状況はあんたにとってどうなのとか。虎杖は虎杖で、知らんけどだいぶ距離近いじゃん。平気なもんなの?」
    「釘崎こそどうなんだよ、真希さんは」
     今度は私がきょとんとしてしまう。そう来ると思ってなかった。いや、来るか。こういう話を友だちとする機会ってなかったから、あんまり考えたことがなかったな。
    「それだけど、真希さんはわかってなかったとして、よく沙織ちゃんが出てきたわよね。そういう……あれってなんか、わかるもんなの?」とつい素直な疑問が出る。「隠してるつもりもなかったけど、オープンにしてるつもりもなかった。あんたの前で彼氏欲しいって言ったこともあったと思うけど」
    「あー……」。伏黒は空中を見ながら少し考え込む。「織田信長がタイプとか言ってたことあっただろ」
    「あったわね。大昔じゃん。死ぬ前の虎杖がクソ笑ってた」
    「それな。それで、異性にマジで関心がないやつの答えだなって思った……のが最初」
    「は? マジ?」
     驚いて声が大きくなってしまった。「マジ」とドヤ顔をされて「ドヤってんじゃないわよ」と悔し紛れに言うと、「はあ?」と元ヤンも負けていない。
    「それで、どうなんだ」とさっき私が問い詰めたのと同じ調子で伏黒は言う。私が真希さんに対してどうしたいかって話。
    「まあ正直、真希さんは真希さんでオトコとか興味なさそうって思うと、なんかロマンチックな展開も期待しちゃいますけど」と私は謎に敬語になってしまう。「でもとりあえずしばらく今のままがいいわね。真希さんはたぶんやり遂げたいことがあるだろうし、私はもうちょっと真希さんに恥ずかしくないくらい強くなりたいから」
     説明しながら、私はそんなこと考えてたのかって他人事みたいに思ってもいる。伏黒はひやかしたりせず黙ってきいてくれていた。私にとっていかに真希さんがかっこいいか、そしてかわいいかについても、ちょっとだけ説明してやる。
    「俺も同じようなものだな」と伏黒は言った。「どうなりたいとかそういうのはない」
     まあそうよね、と納得する。そうだろうとは思ってた。虎杖にも「今のままでいいみたい」って教えとこ。要らん説明かもだけど、これでミッションコンプリートだ。
    「この映画見て、ふたりでどんな話してたの?」と話題を変える。「遅くまで話してて起きられなかったって、虎杖が昨日言ってた」
     正直この映画を虎杖が見て楽しんでるのが想像つかない。私はマジでさわりで脱落したから、途中から派手なドンパチがあるのかもしれないけど、すごく暗くて地味な映画に見えた。いや、虎杖の映画の趣味は知らないけども。
    「ああ、どんな願いを叶えたいかとか……」と伏黒は言いかけて、「ええと、願いが叶うっていう場所に向かう話の映画だから」
     私がどこまで見てるかわからないから、気を遣ってくれているのだ。そういう場所があるっていうのは最初の説明で見たはずだけど、そうか、そういう話だったのね。
    「なんかかわいらしいわね」と言ってから、あっこれはまた怒らせるなと覚悟したけど、
    「釘崎なら何を願うんだ?」と逆に質問が飛んできた。
    「私? 私は叶えたいことは自分で叶える派なの」
    「釘崎らしいな」
    「あんたはなんて言ったの」
    「……教えない」
     言えないような願いなのかよ、えっそれを虎杖には言ったの?と問い詰めるが、そうじゃなくてふざけて言った答えだからまた説明するのがめんどくさい、とのことだ。
    「ちなみに虎杖はなんて?」
    「こっちに訊くだけ訊いて言わなかった」
    「あいつ、そういうところあるわよね」
     それから虎杖についていくらか話す。お互い、話していてシリアスにならない話題だけを選んで。
     興味本意で首をつっこんで悪かったなとも思うけど、こいつはこいつで他人に言えたほうが楽だったかもな、私がいてよかったじゃん。
    「会いたい?」と訊ねていた。今ここにいない虎杖についてだ。
    「まあ、そりゃあ……」。存外素直に伏黒は頷く。
    「今日は残念だったわね。東堂にとられちゃって」
    「京都からはるばる来るんだから、少しくらいいいだろ」
    「なに自分のものみたいに言ってんのよ」
     なんてことない会話を続けながら、夢みたいにきれいな誰もいない草原を、3人で歩くのを想像する。何らかの結界の内側かもしれないが気にしない。私たちは大丈夫だから。とても美しい景色が続く。前を行く虎杖と伏黒は仲よさそうに手を繋いだりなんかしていて、私はそれをひやかしながらちょっと後ろを歩くのだ。映画は確か3人だったけど、先輩たちがいてもいいし、五条がいるとうるさいかな。どうせありえない光景なら、沙織ちゃんやふみも呼ぼう。伏黒のお姉さんってのも見てみたいし、呼んだら来てくれるだろうか。
     呪術師になったことは後悔してない。これからもっと危険な任務に身を投じることになるとしても覚悟のうえだ。そしてじぶんの夢はじぶんで叶えるつもりでいる。だけど、もし叶える叶えないとかじゃない──本当に夜眠っているときに見る夢みたいなものを実現させてくれる何かがあるとしたら、そういう途方もない遠い光景が見てみたいって思う。
     つよく思う。
     言わないけどね。
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