ふたりごはん。「うぅっ、寒い……。早く署に帰って暖まろう……。」
町の巡回を終えたアレスは、真っ白な雪道を踏んで歩き、真冬の鋭い冷気に体を震わせた。
ひとり言と共に吐いた息は寒空へと消えていく。
雑貨屋の前を通り過ぎようとした時、ガチャりと音を立てて、店の扉が開いた。
中から出てきた人物に視線を向け、アレスはあっ、と声をあげる。
「ん? アレスどのか。」
「ラインハルトさんこんにちは。」
辺りの雪景色の明るさを受けて白く浮き立つラインハルトの鎧は、いつもよりも一際眩しくアレスの瞳に映り込む。
「このような日にも見回りとは大変だろう。」
「えぇ。でも、それもさっき終わって帰っているところでした。ラインハルトさんは買い物帰りですか?」
「あぁ。これから帰って夕飯の用意をしなければいけない。今晩はお嬢さまがいないから、レストランで食事は済ませようかとも思ったのだが。」
「ベアトリスさんが?」
アレスが首を傾げる。
「なんでも、今夜は友人である女性方と宿屋に泊まり、女子会をするのだと楽しみにされていた。」
「お泊まりなんですね。ベアトリスさんもすっかり町に馴染んでますね。」
「お嬢さまに友人ができて楽しむ姿は私としても喜ばしい。お嬢さまがそうなれたのはアレスどののお陰でもあるだろう。ありがとう。」
「お礼を言われるようなことはしてないです。」
「そういう面で無自覚なところも、あなたの良い部分だな。」
ラインハルトは頬を緩める。
「引き止めてしまってすまない。それでは私はこれで。」
別れの挨拶をしてその場を去ろうとするラインハルトに、アレスは咄嗟に呼びかける。
「──あの、一人で食事をするなら、よければ一緒にご飯を作って食べませんか? 僕も今日は一人で済ます予定でしたから。」
「えっ? アレスどのと? 」
ラインハルトが眉間に皺を寄せる。
「都合が悪かったですか……?」
「いや、その……、私が味音痴であることをアレスどのには知られてしまっているから……。 だから、私がいっしょに食べるのは良くないのではと。」
ラインハルトの料理事情をもちろん承知しているアレスからすれば、純粋に二人で食事がしたくての誘いだった。
だが、料理をする行為自体には関心があっても、味覚に難ありという自覚を持っているラインハルトからすれば、アレスの誘いは簡単に頷けるものではない。
自分だけで作った料理であればまだしも、アレスと作ったものに対し、なにか変なコメントをしてしまった場合を気にかけた。
「ええっと。それなら、こうしませんか? 料理の勉強を目的とした食事というのが理由ならどうですか?」
「勉強?」
「僕も自信が持てるほど得意ではないですけど、料理の味つけとか、基本的なことなら教えられると思うんです。そうすればベアトリスさんの食事にも活かせられるんじゃないかって……。」
アレスはそう言って、「余計だったらごめんなさい」と付け足した。
その提案にラインハルトは束の間考え込んで、口を開く。
「確かに、アレスどのの言うことには一理ある。この機会に腕を磨くのも、騎士として重要な務めだろう。」
アレスはぱっと顔を明るくする。
料理教室というのが目的でありながらも、初めて誰かと料理をして食べるということに、アレスは胸を踊らせた。
アレスの部屋で食事をすることが決まり、二人は並んで歩き、リグバース署へと向かった。
***
アレスの畑で採れた野菜をサラダにし、焼き料理であれば比較的得意というラインハルトの意見によってメインにはオムライスを作り、二人は食事をした。
料理はアレスからしても美味しいと言える出来栄えであった。
しかし、オムライスをスプーンで掬って口に運んだラインハルトはどこか浮かない表情をした。
素直に「美味しい」と感じたのだが、それは己の味覚による判断であって、実際にはどうコメントをするのが正しいのかと、悩んだ為だった。
アレスが、「ちゃんと美味しいですよ」と笑いければ、肩の荷を解いたのか、「美味しいな」と、ラインハルトも微笑んだ。
食事を済ませ、料理に使った器具や食器を洗うラインハルトの隣で、アレスが鍋で食後のホットミルクを温めている。
ミルクのやさしい香りがふわふわと漂い、アレスは火を止めると、二人分のマグカップにそれを注ぐ。
「後片付けを任せてすみません。ホットミルクができたので、休みませんか?」
「ちょうどこちらも済んだところだ。いただこう。」
ダイニングテーブルに向かい合って座り、二人はホットミルクを口へと運ぶ。
舌心地のいいミルクの甘さと温度が、口の中を満たした。
「今日はありがとうアレスどの。教わったこと、明日からさっそく役立てよう。」
「お役に立てたのならよかったです。ラインハルトさんが真剣で、僕も教え甲斐がありました。」
「以前失敗してしまったお嬢さまの故郷の料理を、また再現してみようと思う。」
「ふふっ。ラインハルトさんの料理の隠し味なんですね。」
思いもよらないセリフに、ラインハルトは不思議なものを見るような目でアレスを見据える。
「隠し味、とは……?」
「王国で食べてたものを再現して喜んでもらいたいって、食べてくれる相手を想う気持ちは、ラインハルトさんの料理の隠し味になってるんだろうなって。ラインハルトさんの料理をいつも食べているベアトリスさんに、きっと届いているはずですよ。」
ラインハルトは目を丸くする。
アレスの言葉は疑いようもないほどに、あまりに真っ直ぐだった。
アレスがカップに残っているホットミルクを口へ運ぼうとした時だった。
「アレスどのは、その、ゆくゆくは誰かと結婚したいと考えたことはあるだろうか?」
「えっ、け、結婚!?」
突拍子もない問いかけにアレスは危うくカップを手から落としそうになり、持ち手を強く握った。
突然に、どうすれば結婚の二文字が出てくるのだろうか。
「変なことを聞いてすまない。先ほどの言葉を聞いて、いつかあなたに添い遂げる人が現れたら、その人はきっと、ああいうことを素直に言えるあなたの為に料理を振るまえることを嬉しく思うのだろうと、ついそんなことを思ったのだ。」
「そ、そうですかね……。 」
そんな人が自分にもいつか現れてくれるのだろうかとアレスは考えてみるが、全く想像がつかなかった。
ましてやまず、恋愛というものを意識したことがなく、恋仲といえる相手すらいない。
思い描いた先の未来のイメージは、明確な映像にはならずに、ぐにゃぐにゃと揺れ動くだけだった。
「結婚とかそういうのは分からないですけど、でも、好きな人と今日みたいにご飯を作って食べれたら、それはちょっと憧れるかもしれないです……。」
「今日みたいに、か。」
ラインハルトが微かに呟いた言葉は、アレスの耳には届かなかった。
「──というか、これじゃまるで男子会みたいじゃないですか。」
会話の成行きとはいえ、じわじわと気恥ずかしさが湧き上がってきたアレスは少しの不満を表し、ラインハルトが笑う。
のんびりとした時間を過ごし、帰り支度をしたラインハルトが入口の扉に向かう後ろ姿にアレスもついて行く。
扉を開けると冷たく澄んだ夜の空気が、室内に流れ込んだ。
外はすっかり暗く、夜空で静かに光る銀色の星々に目を向けたアレスは、小さく感嘆の声を洩らす。
ラインハルトがアレスを振り返った。
「楽しい時間を過ごさせてもらった。それから、アレスどののお陰でもっと料理の腕を上げたいとも思えた。」
「ベアトリスさんが喜んでくれるといいですね。」
「それももちろんあるが、お嬢さまとは別に、喜ばせたい人ができたのだ。」
「そうなんですか?」
「あぁ。 いつになるかは分からないが、いづれ……。」
琥珀色の瞳をとじて、ラインハルトはそっと言う。
その表情があまりに優しくて、柔らかくて、ラインハルトが今誰の姿を脳裏に浮かべているのか、アレスは尋ねたかった。
「何かお手伝い出来ることがあれば呼んでくださいね。」
「その時はお願いする。」
遺跡へと帰っていったラインハルトの姿が見えなくなり、アレスは部屋の中へと戻った。
ラインハルトが浮かべていた優しい顔が自分に向けられたものではないと知りながらも、アレスは胸があたたかく揺らぐのを感じた。
「へんな感じ……。」
胸の前でつくった握り拳の下で、心臓がとくとくと、音を鳴らしている。
暖炉の中で、パチンと小さな火花がはじけた。