0802「どうしたの、これ?」
そんな声がして振り返った先には、作り物のウサギの耳が付いたカチューシャを持つ牙琉検事の姿があった。何でよりにもよって見つかってしまうんだ、と焦ってその手から白い耳を取り返す。
「人のカバン勝手に漁らないでくださいよ」
「思い込みは良くないな。君が床に置いたカバンが偶然開いてて、その耳がはみ出してただけだよ」
やれやれと首を振り、長い金髪がさらさらと揺れる。そんなムカつくような仕草ですら絵になるから困る。少しばかり不機嫌そうな顔をしてみせるが向こうは全く意に介さず、興味深そうにオレの手元を指差した。
「で、どうしたんだい。そのウサギ耳?」
「ここに来る前、みぬきちゃんのショーの手伝いしてたんですけど、今日はウサギをテーマにするとか何とかで……」
「これを着けさせられた訳か」
提案した主役本人は着けず、なぜか男のオレがウサギの耳を与えられたことに未だ納得がいっていない。しかし、ウサギのぬいぐるみを使った魔術は観客にはウケていた。お客さんにはオレのウサギ耳が見えていなかったか、さほど興味を引くものでなかったから成功したのだと思いたい。珍妙な格好をして舞台に立って大スベリなんて真っ平ごめんだ。
そんなこともあり、オレはショーが終わると速攻でウサギから人間に戻り、白い耳を無理やりカバンに押し込んで検事の家に来たのだった。
「全く……何でオレがこんなの着けなきゃいけないんだ……」
「いいじゃないか、似合ってそうだし。ぼくも見たかったなぁ」
それはみぬきちゃんのショーを指しているのか、それともウサギになったオレを指しているのか。何となく尋ねるのが怖くて聞かなかったことにする。
「オレなんかより牙琉検事の方が似合うんじゃないですか? 結構ファンの人も喜んでくれそうだし」
「似合ったとしてもロックじゃないからお断りするよ」
ウサギの耳を牙琉検事の頭に照準を合わせて掲げてみるが、片手でひらひらと追い払われてしまう。確かにウサギというイメージとはかけ離れた人だろう。だからと言ってオレ自身もウサギのイメージではないと思うけれど。
改めて自分がこれを着けさせられた理不尽さについて思案していると、正面からひょいと手が伸びてきた。
「うん。やっぱりおデコくん似合うね」
「ちょっと! なに勝手に着けてるんですか!」
僅かに頭を締め付ける感覚と、不安定な何かが頭の上に乗っている違和感。さっきまでステージの上で感じていたそれだった。ショーの終わりに慌てて直した髪型がまた崩れてしまう。そんなことより、正面の男が納得したようにうんうんと頷いているのが気に食わない。こんなもの男のオレに着けたところで何の旨味もないだろうに。
「あはは、ツノが四本になったみたいだ」
「あんたが勝手に着けたくせに……バカにするのもいい加減にしてくださいよ」
怒るより先に外せば良かったと思いながら外そうとすれば、ぱしりと手首が捕まえられた。一体何事かと牙琉検事の顔を見上げると、楽しそうに笑っていた表情が一変して優しげなものになっていた。甘やかな雰囲気の時に見せられるその顔に心臓が跳ね上がる。
「ごめんね? 可愛いから揶揄いたくなっちゃった」
「今さらそんなお世辞いいですよ」
「どうしたら許してくれる? ぼくの可愛いウサギさん?」
キザったらしいそんな言葉とともに優しく顎を掬われて目を合わせさせられる。ああ、そういうところが。そういうカッコよくて、怒っていたことも一瞬忘れてつい見惚れてしまう自分が許せないんだ。この人を好きで堪らないんだと自覚させられるようで心が落ち着かない。
いつか「あなたがいないと寂しい」なんて口走ってしまいそうだから、ウサギになんてなりたくない。
「寂しくて死なないように、ぼくがちゃんと愛情を注いであげるよ?」
「……ウサギが寂しくて死ぬって嘘なんですよね」
考えが読まれたようで居た堪れず、与えられた愛情を素直に受け取れなかった。しかし、牙琉検事はそこまで見通していたようにオレを抱き締めた。力強い腕が、温かい体温が、一層とこの人からオレを離れ難くする。
「それじゃあ、ぼくが寂しくないようにしてよ」
そんな免罪符をオレに渡して、唇にキスまでプレゼントされる。どこまでオレに甘いのだろうか。まるで底がないようで、深みにハマって抜け出せなくなりそうな気がしてしまう。
数秒のキスの後、唇同士が離れるのと同時に頭上の耳がふらふらと揺れて、忘れかけていた存在を思い出させた。「そういうこと」が始まる空気を察知して、もう一度唇を重ねようとしていた牙琉検事から少し顔を引く。
「交換条件です。耳外していいなら検事の要望にお応えします」
「……オーケイ。ここで止められたら堪らないからね。外してもいいけど、後でウサギのおデコくんの写真撮らせてよ」
「…………誰にも見せない、かつ一枚だけなら許します」
こんなことを言う自分も大概この人には甘い。見せかけの溜息を吐いて、オレはようやく人間に戻った。