恋の薬「そこの天使さん」
ルシファーの城を抜け出して地獄の街を散歩していると、いかにも怪しいですという風貌の老婆が手招きしている。
無視しても良かったが何故か気になってしまい話を聞いてしまった。
「なんだよ」
「あなた、恋をしていますね?」
「はぁ!?なんだよ急に!」
「ほほほ、恥ずかしがることではありませんよ。みんな誰しも通る道です。そんなあなたを応援したくてこんなものを用意しました」
突然セールス口調になった老婆にアダムは頭を抱えた。
「おい、私は金をそんなに持ってないぞ。押し売りならもっと金持ちにやりな」
「いえ、貴方にお渡ししたいのです。この、『恋の薬』を」
「恋の薬?」
「はい。この薬は相手の恋の感情を倍増させる薬。ただし、相手に恋の感情がなければ憎悪の感情が倍増する。そういう、掛けみたいな薬ですよ、あなたに差し上げます。恋する乙女よ」
「乙女だぁ?何言ってんだお前!」
その老婆はアダムに無理やり薬を渡して消えていった。
「お幸せに」
消えた空間から老婆の声が聞こえた。
残ったのは掌にころんと転がった小さな小瓶だった。
―――
アダムは恋をしていた。
エデンからずっと。
憧れていた天使様。
天使様は自分の手を取っては下さらなかったがずっと「いつか」を待ち続けた。
その天使様が天使様じゃなくなったときも、自分が天使になった時も。自分も天使じゃなくなった時も。
いつか、天使様が。
を待ち続けていた。
この薬を使えば、手に入るかもしれない「いつか」を。
でもそんなもので手に入れたものでなんになるんだろうという理性。
城に帰って机にその薬を置いて自問自答を繰り返した。
使ってみるべき。
そんなもので手に入ったものに何の意味がある?
もし、私のことを何とも思っていなかったら。
リスクを考えてその薬は使わず机の上に放置した。
***
「なぁ、もし、相手の恋心を倍増させることができる薬があったらどうする?」
「?なに、いきなり。コイバナ?」
「まぁそんなところだ」
ハズビンホテルのBARでエンジェルダストと一緒に酒を飲んでいた。
ふと、あの薬のことを思い出し話題に出す。
「え!?あんたがコイバナ!?相手は!?」
「まぁ、それはどうでもいいだろ。もしあったらお前は使うか?」
「え~、恋心倍増できるんでしょ?もっと愛されたいから使うかも♡」
バーテンダーであるハスクにエンジェルはウインクして見せた。
「でももし、相手に恋心がなかったら憎悪の感情が倍増される」
「え、なにそのリスク怖すぎるんだけど。でも、う~ん、どうだろうなぁ。それでも俺は使うかも」
「どうして?」
「憎悪もさ、俺に向けられてる一種の感情じゃん?愛情でも憎悪でも俺にだけ向けられる感情ってなんだか嬉しい」
しんみりというエンジェルにこいつもいろいろあるんだなぁと思った。
「まぁ、使ってみろ。最悪なことにはならないんじゃないか?」
珍しくハスクが乗り気になりエンジェルにウインクした。
もう完全に二人の世界だ。
ごちそうさま。
BARを離れてルシファーの城に帰った。
「アダム」
「うぉ!?なんだ帰ってたのか!?」
「まぁな」
城に帰るとルシファーがいて、まぁ当たり前のことだがびっくりした。
今はちょっと顔を合わせる気にならなかったからだ。
「ひ、久しぶり」
「ああ、何処に行ってたんだ?」
「ホテル。BARでちょっと飲んできた」
「そうか」
ルシファーが帰ってくるのも一か月ぶりだ。
ルシファーは私を拾ったくせに特になにも干渉してこない。
その上、仕事で城を空けがちで。
一か月会わないなども普通にあった。
今回はまだ早い方かもしれない。
「今日は疲れた。もう休む。お休みアダム」
「お休み、ルシファー…」
簡単な会話をして別れた。
いつもこんな感じ。
一緒にいたら普通に会話をするが好かれているというか、いるから会話をしている程度に感じる。
こんな状況であの薬を使ったら…。
しかし、ふと、エンジェルの言葉を思い出す。
『愛情も、憎悪も、自分に向けられる感情なら嬉しいよ』
地獄に落ちる原因になったエクスターミネーションの日。
ルシファーはアダムのことを見ていた。
明確な憎悪であったが。
それにどこか喜びを感じていた自分がいたように感じる。
自分を見てくれている。
自分、だけを。
なら。
アダムは自室に戻って小瓶を掴んで部屋を出た。
***
こんこんこん。
「ルシファー?まだ起きてる?」
「どうした?」
ルシファーの部屋に紅茶を持って訪れた。
「久しぶりに…帰ってきたからその、一緒にお茶したくて…」
「なるほど。そういうことならおいで。私もまだ眠れなかったんだ」
紅茶をテーブルにおく。
「眠れないならミルクはたっぷり?」
「あぁ、頼むよ」
ルシファーの紅茶にたっぷりのミルクを入れる。
自分も元々紅茶は得意ではないので甘くするために砂糖とミルクをたっぷり入れた。
「もうそれ、紅茶じゃないだろ」
「いいんだ、これが好き」
「そうか」
他愛のない話をする。
一ヵ月もどこで仕事してたの?
地獄の大罪たちがうるさくて。
大罪たちって気になるな、私も会える?
またいずれ。
ティーポットの中身もなくなりそろそろお茶会も終盤に差し掛かっていた。
「…なぁ、アダム?」
「なに?もう寝る?」
「紅茶に何を混ぜた?」
怒りにもとれる表情にどきりとする。
あぁ、私は、失敗したのだ。
「変な感じだ。心が勝手にいじられるような」
「……ごめん」
「何を混ぜたのかいいなさい」
「……なぁ、ルシファー」
ルシファーの言葉に返事が出来なくて。
でも、この態度ならもうわかった。
わかってしまった。
しっかりと、言葉にして。
「私のこと、好き?」
振ってくれ。怒ってくれ。
その憎しみを、私だけに向けて。
私だけを見て。
「はぁ?何を言ってるんだ。好きに決まってるだろ?好きじゃなけりゃ、一緒に住むわけないだろう?」
「へ…?」
「あ、やっぱりそういう薬を混ぜたのか?惚れ薬?惚れ薬なんかなくても私はお前のことが好きだよ、安心しなさい。城を空けがちだったのがいけなかった?今度からは城からの通信にしてもらおうか」
何を言っているんだろう、私のことが好きならもっと。
「私のこと憎くないのか?」
「憎い?可愛くて?可愛さ余って憎さ百倍といいたいのか?残念ながら可愛さが余ることはないよ」
あ、ちょっと待って、これはわからない。
倍増?されてるかも。
「で、何を混ぜたんだ?」
仕方なく、薬の小瓶を見せて、効能を伝える。
ルシファーは薬を嗅いでははぁと何かを納得したみたいだ。
「小さな呪いの類だな。でも本質は砂糖水。騙されたな、お前」
「は?」
「まぁちょっと心をざわつかせるような呪いがかかってるけど…私にはそんなもの効かない」
「さっき心が変って!」
「あぁ、呪いがちょっと心を撫でてきたから変な感じがしただけだ」
はぁ、とため息をついて机に突っ伏した。
こんなことならやらなければよかった…!!
ただ、恥をさらしただけだ!
「アダ~ム?私にこんなものを盛ってきたということはお前も少なからず何かあったんだろう?言ってみなさい」
「はぁぁぁあ…絶対言わない!!」
「さっきはあんなに自信なさげに『私のこと好き?』って言ってきたくせになぁ」
「わああああ!!忘れろ!!」
殴ったらこいつの頭から抜けるか!?とルシファーに拳を振り上げた。
頭に拳が当たる直前にルシファーが私の手を取った。
拳を作る掌をくすぐり、緩んだその隙に指を絡めてくる。
「なぁ、アダム。お前の口からもきかせて?」
「~~~~!!!」
恋人に向けるような優しい表情。
あぁ、わかりました。
わかりましたよ!
「大好きだ!」
ひひひ、とどこかで老婆が笑った声がした。
END