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    MoMoMoidon

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    成人式の支度と凪と麦
    4000字超えてる

    成人式1月。
    ようやく大学への入構が解禁されたことで、俺は長い休みのうちに溜まりに溜まった仮説や題材を消化するためいつものように研究室に篭っていた。冬休みの終わりを嘆く学生を横目に試験管やシャーレと戯れていたある夕方、白衣のポケットに放り込んでいるスマホが着信音を鳴らした。

    一瞬気が散ったものの、1mgの誤差も許されないのが薬学の世界だ。いや、まだもう少し、とピペットに意識を集中すること数十分。ご苦労なことに電話の主は根気よくスマホを握り続けていたらしく、いい加減にうるさくなった為勘弁して出ることにした。ここまでしつこくかけ続ける人間は俺の知る限り一人しかいない。

    「…今取り込み中なんだけど」
    「おっと、随分不機嫌だね。また不摂生を日下くんに叱られたかな?」
    「茶番はいいから要件だけ伝えて。本当に取り込み中だから」
    「研究熱心だなあ…。じゃあ本当に簡潔に要件だけ伝えさせてもらうよ」
    「うん」
    「今夜家に帰るから、鍵を開けておいてね。それじゃ」
    「は?」

    ちょっと待って、と言う暇すら与えずに通話は切れた。
    帰ってくる?今夜?普通一年数ヶ月ぶりに帰宅するのならもっと猶予を持って伝えるものじゃないのか。突然姉が帰ることで不便することは正直無い(狛犬以上に四六時中世話をやかれるのは面倒だ)けれど、それにしたって急すぎる。そもそも一体何のために姉は日本に帰ってきたのだろう?
    少し考えて、すぐ答えに行き着いた。

    「…明日成人式か」

    そう言われてみればそういった旨の葉書が先日届いていた。基本郵便物などAmazon以外興味も需要も無いため俺はポストをほとんど開けない。数ヶ月前に狛犬が来た時に「また溜まってたよ。仕分けといたからね」と並べてくれた物の中に紛れていて、適当に返事をしながら紙ゴミの段ボールの中に流し込んだはずだ。
    しかし興味もない市長やら誰やらの話を小一時間聞くだけの催しに意義があるとは思えない。回避する術は無いか、と頭を巡らせたがつい意識は研究の方へ動いてしまい、結果的に良い方法は思いつかなかった。

    ×

    「ただいま弟よ!前に会った時の5倍は不健康そうで安心したよ。変わらないね」
    「そりゃどうも。夕飯の材料も何も無いから今日は大人しく狛犬の作り置き食べてね」
    「作り置きがあるのかい?それは楽しみだなぁ、彼の料理を味わうのは初めてだから料理人としてとても期待できるよ」
    「皮肉?」
    「まさか!愛のこもった家庭の味に勝るものは無いよ、毎日のように思ってる」
    「ああそう…まあなんでもいいか…」

    じゃあ俺は部屋に戻るから、と階段に足を乗せるのとほぼ同時に首根っこを掴まれて喉から変な音が出た。見ると姉は呆れと得意気の混ざったなんとも形容し難い顔で俺を頭から爪先までじっと見つめる。そしてそのまま何も言わず、首根っこだけを掴んで俺を引きずり始めた。

    「ぐ……、痛い、苦しい…離して…」
    「自業自得だと思いなよ。君、最後にお風呂に入ったのいつだい?」
    「…」
    「………大方一、二週間前といった所かな。信じられないよ…、君不快じゃないのかい?」
    「俺の勝手でしょそんなの」
    「ともかく僕が来たからにはそんな不潔な弟でいさせる訳には行かないからね。今日明日くらいは諦めてもらおうか」
    「はぁ…知ってれば逃げたのに…」
    「だから直前に連絡をしたんだろう。それともなんだ、凪君は二十歳にもなって姉と入浴したい願望をお持ちなのかな?」
    「分かったって…入ればいいんだろ」

    用意した着替えとタオルと共に脱衣所に放り込まれる。「コンディショナーも欠かさずにね!全身くまなく洗うんだよ!」と投げられた扉越しにもよく通る姉の声に頭痛がした。

    ×

    「Molto buonissimo!」(ものすごく最上級に美味しい!)

    今時美味の形容として頬を指で叩くイタリア人は生き残っているのだろうか、などとどうでもいい事を思いながら箸を動かす。
    確かに狛犬はそれなりに料理ができるし、彼の料理は冷えた作り置きでも十分美味しい。

    「確かに美味しいけどそこまでかなあ」
    「さては舌が肥えたな?こんな料理を食べられるなんて贅沢だな。本場のイタリアンばかり口にしている身としてはこういう素朴な味はたまらなく恋しいものなんだよ、それこそ涎が出るくらいには」
    「3年前にも同じこと言ってたよ」
    「天丼と言うやつさ」
    「天丼にしては間隔が広すぎる…」

    話しながら少しずつ口に運んではいるものの、姉が盛った大量のおかずは食べても食べても無くならない。日常的に少食な人間は胃が小さいのだから突然大量には食べられないことをどうして皆理解してくれないんだろうか。

    「ところで、凪は成人式には出るのかい?」
    「…」
    「だろうと思った…。」
    「麦が俺のフリをしていくのはどうかな?丁度背格好も顔つきもよく似ている訳だし、留学を理由にすれば居なくても辻褄は合う」
    「生憎同級生に僕が行く旨は伝えてあるよ。それに君入学式以来スーツ着てないだろう、勿体無いとは思わないのか?」
    「勿体無い…まあ、今後使う機会は腐るほどあるだろうし大丈夫だよ」
    「今回こそまさにその機会じゃないか?」
    「腐るほどあるんだから一度くらい無くても困らない」
    「ああ言えばこう言う…」
    「お互いにね。とにかく俺は成人式には行かない」
    「頑なだね。ならこれはどうかな」

    そう言って姉はスマホを俺に見せてくる。覗き込もうとしてそれが俺のスマホであることに気がついた。

    「…麦」
    「君にセキュリティ意識が無いのが悪いよ。暗記できるんだからパスコードくらい設定すればいいのに」
    「面倒なんだよ、汚れた手で操作するのも嫌でしょ」
    「認めているなら不毛な追及はやめて大人しく画面を見てごらん」

    溜息をつきながら画面を見る。
    LINEのグループトークが開かれており、会話は俺の発言で始まっていた。

    『成人式に行くことにしたよ』
    『え!?凪行くのか!?』
    『意外〜』
    『写真楽しみにしてるね!』

    「麦!!!!!!!!」
    「おっと、大声を出しては近所迷惑だよ」
    「乗っ取りは立派な犯罪だ」
    「不正アクセス禁止法はインターネットを経由した乗っ取りに適用されるからね。無罪無罪」
    「とんだ迷惑でしかないな…」
    「で、君は親友達の期待を裏切ってまで一生に一度の成人式をサボっていつでも出来る研究を続けるつもりなのかい?」

    姉はにやにやと笑ってこちらを見つめる。

    「……はぁ…」

    俺は深い深い溜息と共に食器を持って立ち上がった。半分以上残したおかずを姉のところに手早く移してシンクに皿を置く。姉の呆れた声を聞いても腹いせにはならなかった。

    ×

    「おはよう弟よ!!!!!!!!!!!!!」

    うるさい。本当に。日下以上に。
    昨夜俺に近所迷惑だの言ったばかりだろうに。
    苛立ちを隠すことも無く布団に潜り込むが、日常的に重い食材やら鍋やらなんやらを振り回している姉相手に筋力で勝てる筈も無く、呆気なく俺は布団を剥がされて床に転がった。今の自分の姿は果てしなく哀れなんじゃないかと悲しみを込めた目で訴えかけるも姉に響くことは全く無かった。

    「今何時……」
    「もう7時だよ!すっかり寝坊さ!」
    「どこが…」
    「僕はあと1時間もしないうちに着付けに向かうからね。どうせ自分で支度すると5分もかけずネクタイも無し髪も結ばずいつものピンにピアスまみれで行くだろう、式典に相応しい格好をするのが礼儀というものなんだよ」
    「そうかもね…、じゃあおやすみ…」
    「たまにはちゃんとしたまえ!!!!!」

    この人は他人の首根っこを引きずる趣味でもあるのかという程躊躇いなく部屋から連れ出される。姉が見張る前で渋々顔を洗い、寝癖を直し、コンタクトを付けた。姉の作った朝食(やたらと味付けが凝っているなと思い台所を見るといつの間に買い足したのか大量の調味料やらスパイスやらがずらりと並んでいた)を食べ、スーツを着る。
    慣れない窮屈さが逆に目を覚ますなあ、などと考えていると整髪剤を抱えた姉が(半強制的に)俺を椅子に座らせた。美容師のような手つきで俺の髪を切って整え、アイロンで癖を無くし、ワックスやムースで撫で付けて固めている。正直ツインテールとかでなければどんな髪型でもいいのだけれど、他にすることも無いし姉の好きにさせておく事にした。

    数十分後、試行錯誤の末ようやく満足した姉は「それじゃ!」と嵐のように家を飛び出して行った。時計を見る、今から家を出ても受付開始の1時間以上前に会場に着いてしまうだろう。かと言ってこの身なりでは二度寝することも出来ない。行き場のないフラストレーションを昨日の研究のまとめと考察にぶつけることでなんとか消化して、ギリギリになってからようやく家を出た。

    冬特有の冷ややかな外気が露出した額や耳に触れ、既に帰りたくて堪らない。スーツ越しに襲いかかる暴力的な寒さから逃げるように早足で道を歩いているとちらほら鮮やかな色の振袖を見かけ、小走りするかつてのクラスメイトに追い越された。向こうは俺の事なんて覚えちゃいないだろう。接点も無いのに俺ばかり一方的に相手を覚えている事にはいつも若干の不公平さを感じる。
    黒崎なら懐かしい人を見つけた瞬間駆け出して話しかけに行くだろうか。狛犬は向こうが自分を覚えていないだろうと誰にも話しかけなさそうだな。後藤は話しかけられて「誰だっけ…」ってなりそうだな……気を紛らわす為そんな想像で頭を満たしていると気づけば会場に着いていた。

    俺は中学の時点で友人らしい友人は一人もいなくなっていた。どうせ誰からも話しかけられないだろうし、適当に出席だけして帰るつもりだ。後で自分の所はこんなものだった、写真は無いよと伝えるだけ伝えて、姉に騙された哀れな親友達を適当に慰めることにしようか。いや、でも、彼らの着飾った格好は見てみたい気もある。

    (彼らと成人式をやれたら楽しかっただろうな)

    名前も知らない中年男性の祝辞を子守唄に、微睡みながらそんなことを考えた。

    ×

    結局誰とも会話せず1時間もしないうちにさっさと帰ったものの、いつの間にか俺は姉に隠し撮りされていたようで。そして、本当に何故か後藤達が俺の写真を保存しており、数日後散々弄られることをこの時の俺はまだ知らない。
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