逆転AU導入 エデンの園に、すらりとした体躯の天使が一人佇んでいた。風に靡く鮮やかな髪の色は先ほどまで携えていた炎の剣を思わせる。手を取り合い去って行く二つの人影を見守る暗色の瞳は好奇心で輝いているが、同時にどこか緊張してもいる。
その足元に一匹の蛇が音もなく這い寄った。そのシルエットが大きく膨らんだかと思うと、ふくよかな悪魔の姿をとる。天使は隣に立つ悪魔をちらりと見て軽く頷いてみせた。
「ハイ、アジラフェル」
「クロウリーだ」
悪魔が唸るように答える。天使は顔をしかめて一歩退くと、悪魔を頭の先から爪先までじろじろと見た。そして素っ頓狂な声で言う。
「アジラフェルだろ? 星を創るときに手伝ってくれたじゃないか」
忘れたのか? と言わんばかりの態度に、悪魔は憤慨のあまり胸を膨らませて答えた。
「もちろんそれは覚えてるさ! でも見てわからないのか? わたしはもう天使じゃない」
一目瞭然のはずだ。堕天した際、金色のふわふわした巻き毛はダークブロンドに、目は青みの強いヘーゼルから蛇を思わせる金色に、そして羽根は白から黒に変わっている。しかし天使は唇を突き出して不満げな声を出した。
「悪魔なのはわかってる。さっきは人間を見事にそそのかしたもんな」
「妙に皮肉な言い方だな」
「俺はただおまえがしたことが悪いことなのか確信が持てないだけだ。とにかく、立場が変わったからって名前まで変えることないのに。アジラフェルって良い名前だしおまえに似合ってるよ」
悪魔はいかにも天使らしい響きのその名前で呼ばれるのが不満だったが、褒められたのは嬉しかったので、赤毛の天使にだけはそう呼ばれても許すことにした。悪魔はふと天使の手元に視線をやって眉をひそめた。
「きみ、炎の剣を持ってたろう? あれはどうした?」
「ああ。人間にやった」
「やった!?」
悪魔は思わず大声を上げたが、天使は動じることなく肩をすくめてみせた。
「彼らには繁栄してもらわないと困るんだよ。あのときおまえが言ったんだろ、人間が夜空を見上げて驚嘆するために星があるんじゃないかって。俺はそもそも宇宙が滅びることに今でも納得してないけど、せめて人間にできるだけ長い間美しい星々を見てほしい。あの剣がなければアダムとイブは子孫を残す前に野垂れ死ぬぞ」
ほら、と長い指が示す先で、アダムが剣を振り回して獣を追い払っている。
「どうしてそんな……」
悪魔は呻いたが、それ以上は言葉を続けなかった。万が一神がこの会話に耳を傾けていたりしたらまずいと思ったからだ。初めて出会った日にこの天使と交わした会話を通じて彼女への疑念が芽生えたことをきっかけに悪魔は堕天するに至った。業務内容はともかくとして地獄は非常に居心地の悪い環境なので、この天使には天使のまま健やかに過ごしていてほしい。
そのとき、ぽつりぽつりと滴が二人の頭上に落ち、地球創造以来初めての雨が降り始めた。悪魔は考えるより先に天使の頭上に翼を広げた。自分が悪魔らしからぬ仕草をしていることに気付いてハッとしたが、隣に立つ横顔を盗み見ると天使は気にした風もなく雨の降る景色に見惚れていたので、悪魔も気にしないことにした。
二人のどちらもが予期していなかったことだが、以降六千年間、この悪魔と天使の友情は続くことになる。