【💠Krans.🌼】早朝4時。パン職人の朝は早い。
こちらの世界に来てからも早起きの癖はなかなか抜けないようで、向こうの生活を身体がまだ覚えているらしい。
目覚ましが必要ない分とても助かる。今日は、特に。
ベッドから身を起こして軽く伸びをした後、寝癖の残る髪の毛を手早く編んで一纏めにする。
今日は街の一角で朝市が開かれる日で、まだ仄かに暗い窓の外に市場へと向かう人々がぽつりぽつりと見えた。
なんでも今日は世界各国の花が集まるフラワーフェスが同日特別開催されるとのこと。この早起きの目的は朝食のパン作り……、よりもそちらがメインだった。
先日、家のポストに投函されていた朝市の開催を知らせる手作りのペーパーに、かつて自分の身体に咲き誇っていたあの白い花に、とても似ているものが掲載されていたからだ。
「ノマ、わたしちょっとお出かけしてくるべな」
……まだベッドで眠っているであろう彼を起こさないように小声でぽそりと呟いて、こっそり玄関の扉を開ける。不規則に並んだ石畳の上を、靴を鳴らしながら踊るような足取りで市場へと向かう。
彼に内緒で、どうしても作りたいものがあったのだ。
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『……花冠やリースは継ぎ目のない円を描いているでしょう?その形が魔除けの意味を持っていたり、幸福を願う象徴だったりするんですよ。渡す相手のことを想いながらお花を選んでも素敵だと思います。』
いつだったか。この世界のことがなんでも分かってしまう不思議な鏡…『テレビ』を家事をしながら流し見ていた時、そんな話題が聞こえてきて思わず手がとまってしまった。
番組の為に手作りをしたであろうリースや花冠を手を取りながら、ハンドメイド作家と紹介されていた彼女は微笑んで、他の出演者からの質問に答えていた。
「花冠……かあ……」
全く縁がない話題ではない。むしろ思い出深いものだった。幻夢境と呼ばれる自分たちの故郷で彼と一緒に編んだ幻夢花の花冠。
そして、彼が自分の為に編んでくれた白い花冠。
……あの時ヴルトゥーム様の加護を花冠に吹き掛けた時、心から願っていたこと。
彼が呼吸をしやすい、生きやすい世界になってほしかった。
種族のしがらみはきっと、そう簡単にはほどけない。そんなことは分かっていた。だけど、少しずつでも変わっていってほしかった。
上げた声は小さくて、同種族の人々に届くには長い年月がかかるかもしれない。それでも、自分達の種族から歩み寄りたかった。
お返しが、したかった。彼の家族に。彼の村に住む人々に。
望まぬことをされたのに、恨みや嫌悪を抱く気持ちだってあっただろうに、それでも今までずっと、ずっと自分達の種族の命を守ってくれていたのだから。
「……そうだ。わたしまだ、ノマにちゃんと…」
彼は摘んだ花を、命を編んで自分を人へ繋ぎとめてくれた。何か形にして届けたい。この気持ちを込めた、何かを。
「……花冠さ、編んでみようかな」
残りの洗濯物を畳みながら、そんなことを考えていた。
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こつ、こつ、こつん。こつ、こつ、……。
少し早いリズムで、靴の音が響く。
暗い青に染まっていた街に、日が昇りはじめる。少しずつ街の色や活気が戻っていく。
朝市の一角に辿り着けば、ふわりと甘い香りが鼻をくすぐった。
イベントが同時開催されているというのもあってか、朝市はいつもより賑わいをみせていた。すれ違う人々に揉まれながらも、なんとか目的の店の前へとやってきた。
店主は60代くらいだろうか、老齢の女性のようで、今丁度他の客の会計作業をしているようだった。
たっぷりと水が入れられた黒や青のバケツが並び、黄色や白、赤や紫……色とりどりの花々が生けられ、艶やかに愛らしく咲き誇っていた。この辺りではなかなか見かけない顔ぶればかりで思わず目移りしてしまう。
いけないいけないと首を振って、目的の花を探す。レジカウンターのすぐ傍に置かれたバケツに、枝に点々と咲き誇る可愛らしい白い花を見つけた。見慣れた……けれど、どこか懐かしくもある花の形。久しぶりだね、と。その香りに思わず笑みがこぼれてしまう。
『おや、銀木犀が気になるのかい?』
会計作業を済ませたのか、店主が声を掛けてきた。珍しげな様子を含んだ声色だ。
「銀木犀、って名前なんですか?」
『そうそう、ギンモクセイ。こっちじゃなかなか見かけないし珍しいだろうねぇ』
「わたし、このお花のこと大好きで……朝市のペーパーを見て飛んできたんです!まだ残っててよかったべ」
2枝ほどバケツから手に取り、そのままレジカウンターまで持っていく。
『おやおや、それは嬉しいね。銀木犀は控えめで優しい香りでね、私も好きな花なんだ。……誰かに渡すのかい?それとも、お家にでも飾るのかな』
店主はそのまま皺の刻まれた手で枝花を受け取ると、慣れた手つきでクラフト紙を取り出しくるくるとまとめていく。
「大事な人にプレゼントしたいなって、思ってて」
銀木犀を受け取り、硬貨と札をザルに入れる。片手で花を抱えるとふわりと甘い香りが鼻を掠めた。
『それはいいね。……そうだ。お嬢さんは、銀木犀の花言葉を知ってるかい?』
「花言葉?」
『ふふ。初恋、高潔、唯一の恋、あなたの気を引く……だったかね。自覚があるかないかはさておいても、相手を想う言葉を持つ花さ。贈り物にはぴったりじゃあないかね』
物知り婆さんだろう?なんて笑う店主はどこか、とある優しい魔女と重なって見えた。彼女は元気にしてるだろうか。
『他にも何か気に入った花があったら教えとくれ。おまけするよ』
財布を覗き込み、残ったお金と相談をする。OKが出たのでゆっくりと売場を見渡した。
ふと、目に留まった花があった。いつも自分が一番近くで見ている青。その色に似た星形の花だった。
「あ!あの!店主さん!このお花って」
『ん?それかい?その子はブルースターという名前でね………花言葉は…………』
💐🧺💐
「両手に花、だべな~!」
抱えていた白と青の花束をバスケットに入れながら、朝市を後にする。
競りの掛け声やすれ違う人々の声を背にしながら、この靴の行き先は家の近くにある公園だった。ほんのちょっとだけ寄り道をして帰る予定だ。迷子にならないようにだけ気を付けて、道を覚えながら向かう。
公園の入り口近くのベンチに腰を掛けて、それぞれの花束をバスケットから取り出し、包装紙を広げた。
「おうちで編んでもよかったけど、途中でノマが起きてきちゃったら大変だから」
銀木犀とブルースターの花を手で掬って、バスケットに入れていた小さな園芸用の鋏で茎を剪定していく。花冠を編みこめるくらいに、長さを調節しながら。
膝の上がまるで花畑のように青と白で埋まったところで鋏を置き、いくつか掬い上げ茎を結び、編みはじめる。
編み込む指の動きに合わせて、いつの間にかハミングが生まれ、そのまま唄へと変わり……気付けば口遊んでいた。
「昔々、あるところに-----」
幻夢境にいた頃。おつかいのおつかいへ行ったあの町で見つけた花の神様の絵本。
なんとなく、描かれていた二人のことを思い浮かべながら言葉を紡ぎ音にのせていく。
彼や彼女の行く末に、自分たちのことも少し重ねながら。
唄が終わるのとほぼ同時、膝の上に乗っていた花々は綺麗な円へと姿を変えていた。
形を軽く整えた後、朝日にかざすように両手でそっと持ち上げる。
「わたしね、今ノマの隣を歩けるのとっても嬉しいんだ」
「ありがとう、あの日迷子になったわたしを見つけてくれて」
上出来だべ、と解れがないか確認して花冠をバスケットの中に立て掛ける。花が潰れてしまわないように、慎重に。
ベンチから腰を上げて、少し駆け足で公園を出る。
朝ごはんのパンどれくらい焼いたらいいべな、なんて考えながら家路を急いだ。
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時計は、朝7時過ぎを差していた。
焼きたてのクロワッサンの香ばしいバターの香りと、ベーコンエッグの少し焦げたような脂ののったなんとも食欲をそそる香りがリビングを満たしている。
『……フレイヤ、おはよ。早いね』
フローリングが軋む音。少し眠たげな声が聞こえてくる。
「あ!ノマ、おはよう~!」
「見て見て!上手く編めたの…!」
首を傾げる彼に背伸びをして、その輪をそっと少し癖のある白銀の髪の上に載せた。
白い小さな花と青い星形の花が編み込まれた花冠の花弁が、開け放たれたリビングの窓から朝の空気を共にふわりと舞い込んできた風に小さく揺れている。
「ノマが、お父さんとお母さんとまた会えますようにって、」
「……あの時みたいな魔法はもう、今のわたしには掛けられないけど。ノマが怖いと思ってるものが少しでもやわらぐようにって、お願いも込めて編んだんだべ」
大きな彼の手を両の手でそっと包んで、そのまま自分の額に引き寄せてコツン、とあてた。
【わたしは今日も、この手に花を編む。
どうかハッピーエンドになりますようにと、そう願いながら。】
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【銀木犀】
花言葉:「初恋」「高潔」「唯一の恋」「あなたの気を引く」
【ブルースター】
花言葉:「信じ合う心」「幸福な愛」「望郷」
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