Recent Search
    Create an account to bookmark works.
    Sign Up, Sign In

    sakama0313

    @sakama0313

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 22

    sakama0313

    ☆quiet follow

    ※こちらは、webイベント『パンプキン パレード!』に展示中の長編です。
    ※作品の長さの関係で、前編をあらためてまとめ公開しております。

    内容はお品書きの通り、隊長×副長のCP要素ありのオールキャラ転生現パロ小説。前編なのでオールキャラと言いづらいところがありますが、よければご覧ください。

    運命よりも執着 「……本当にごめんなさい」
     女はそう言って悩ましげな表情でおれに頭を下げた。おれがそんな必要はないと言い切れば、それでもと少しさみしそうな顔をしてから一拍置いて感謝の言葉とともにあなたやっぱりいい子ね。と微笑む。おれが礼をするのはこっちの方だと言って、これからの事を聞けば察しのいい女は気持ちを切り替えたのかしっかりとした声と様子で状況をまとめて話す。
     「状況は前に言った通りになった。わたしはここからずっと東の、母国に栄転することになってここからいなくなる」
     「ああ、おめでとう」
     「ありがとう、あなたのそういうところ大好き」
     「おれもあんたのそういうとこが好きだ」
     「うれしい。それで、これからだけど引っ越すまではもう三ヶ月ほどしかないのがいまね」
     「そうか、引越し作業くらいなら手伝えそうだな。なんの礼もできないと思ってたけど最後に少しは役立てそうだ」
     「頼もしい言葉ありがとう、それに関しては存分に甘えさせて貰う。なんせ引き継ぎ業務もあるもんだから」
     頭の回転の早い女はおれへの気づかいをにじませながらも、淡々とこれからについて話し続ける。たかがペット、それも図体のでかい男相手にまで優しい人。これからどうするかはともかく、こんないい女にはこの先の人生で会うことはないだろう。
     だからと言って別れを惜しむ関係ではないが。
     「それで、引越した後なんだけど」
     「ああ、それまでにおれも出て行く用意はしとくからーー」
     「それなんだけど出て行った後、あなたもう少しだけこの家に住んでくれる気ない?」
    しかしこれは予想外だな。おれは少しばかり呆気に取られて事の詳細を聞くことにした。


     「それじゃあ、元気で」
     「ああ、あんたも」
     母国へ栄転し、家族と暮らすことにしたという相手との別れは清々しいもので。二年ほどともに暮していたとはいえ、お互いに愛着やさみしやよりも祝福の気持ちが大きく。去る女はまっすぐに、見送るおれは至って穏やかにそれを済ませた。女の故郷である東の国は世界でも利用者が多いとされるこの国の公用語があまり通じず土地の言葉が未だに根強いそうだから、ここで暮らした経験により彼女がどれだけ重宝がられるかは世間知らずのおれでも容易に想像できたのが大きかったのかもしれない。そんなことを考えながら彼女の姿を見ていたおれだが、しばらくすると背筋の伸びた後ろ姿はすっかり見えなくなり、それを見届けたおれは家に戻った。
     「さて、ここからどうするか」
     ひとりごとは静かな部屋に響いて消えた。ああ、本当にひとりなんだなと柄にもなく小さく哀愁に浸りながらおれは今後のことを考える。去って行った相手は最後までペット代わりの男にも優しく、当面は困らない状況を与えて行ってくれたがそれがずっと続くわけでもない。身の振り方を考えなければ。おれは二年ぶりに将来について頭を動かす。

    ×××

     わたしがいなくなった後もここに暮らしてくれない? 目の前の女の意外な言葉におれは思わず無言のまま二、三度まばたきをして言葉を噛みくだいた。
     ここで?なぜ?しかし咀嚼したはずの言葉もいまいち要領がつかめず、おれは驚きのまま女を見る。相手はいたずらが成功したように微笑んで、事の仔細を話始めた。
     「急にごめん、驚いたでしょ」
     「正直、かなり」
     「だよね。よければいまから説明したいんだけど時間大丈夫?」
     おれはちらりと時計に目をやったが、まだ夜の十〇時を少し過ぎた程度で明日は仕事もない。そもそも自分に寄生している男の仕事なんて気にしなくていいんだが、律儀なことだ。
     「明日はなにもないから、そっちがいいなら」
     「よかった、じゃあ早速だけど本題ね?」
     そんな言葉から始まった女の話を要約すれば、いま住んでいるこのマンションは年間契約であり、年始にまとめて年間の家賃や管理費を支払っていたらしい。二年間も暮らしてなにも知らなかったおれはそんな面倒な支払いだったんだなと思わずつぶやいた。
     女はそれに苦笑とともに同意しながらも、その奇妙な支払い方法は月々の支払いにすると通常よりも安く借りれるのだと説明する。聞いてみればなるほど、このあたりの部屋の相場よりずいぶん安く借りていたのだと納得した。
     「何年か前に一年以上家賃滞納した挙句夜逃げちゃった人がいたらしくてね、それで大家さんがこういう支払い方法にしたらしくて」
     「なるほどな」
     続く女の言葉にそれで合計では安くなろうとも確実な支払いをとこのような形を取ったのだろう家主の考えと、いくら稼いでるとはいえ三十代前半の若さでこんなでかい男を養いながら二LDKを維持していた女の懐事情に合点のいったおれは思わずうなずいた。
     けれど、年間だからと言って払ってしまえば数ヶ月分の家賃がまるまる返って来ないという豪胆な契約を女が結んでいたのが意外でおれは話の先をうながす。
     「ああ、それなんだけど。返ってはくる。ただ、返金は三ヶ月ごとの更新って決まりがあって、三ヶ月半後に帰国するわたしだとすごく中途半端になるんだよねぇ」
     「災難だな、栄転とはいえ三ヶ月以内に転勤できればちょうどよかったのに」
     「そう! ……まあ大家さんにお願いすればどうにかならないこともないんだけど、引き継ぎでそれどころじゃないし。急な転勤だから会社から引っ越し補助費でるしもういいかなと思って」
     「だからおれに住んでいいと」
     「そ。家賃と管理費なしで二ヶ月半住めるんだけど、どう? 無理そうなら断ってくれてもいいし」
     「……そうだな」
     「あ、家具の処分とかはわたしがいる間にがんばってくれれば捨てるときはお金払うし、もし売ってくれるならお金はもらってくれていいよ」
     ほんの少し考える素振りを見せただけで即答した女を見据えておれは思わずうなる。
     「……いいもなにも、元からそのつもりだったろ」
     ばれた?と底抜けに明るく笑う女はいっそ清々しく。おれは参ったと軽く肩をすくめた。

     そんなわけで、女がいた三ヶ月半の間にほとんどの家具の処分や売却の済んだ部屋は殺風景になっていたが、その分後の心配をしなくてよくなったのは幸運だろう。元々が中古だったため経年劣化から処分するしかなかったものの処分費は自分には苦しかったし。逆に売却できた家具は元がよかったのかずいぶん高値で売れた。大変でなかったわけではないが、これで二ヶ月半は広々とした部屋で落ち着いて暮らせると思えば安いものだろう。
     ただ、残された時間は長いようで短い。ここで暮らす前に戻るだけなので身構えるほどではないが余裕を持って去りたければいまから用意を始めていい加減だろう。
    そう考え至ったおれは女との離別の余韻に浸ることなく、上着を羽織って外に出た。

    ×××

     現実は残酷だ。
     結果からいうと状況は最悪だった。おれはふらふらと歩いて近場にある大型の公園へ行き、そこの自販機で買ったコーヒーをベンチに腰かけて口に含んだ。値段相応のそれはそれなりにコーヒーらしい香りなんかがして、妙な緊張から苦くなった口内をすっかりその味に変えた。
     「厄介なことになったな……」
     おれが去って行った彼女に養われていた二年間で世間は思っていたより変化していたらしい。前まではおれのように適当に仕事を転々としていた男でも場所を選ばなければ、それこそ少しばかり治安が悪い場所に建つぼろくて衛生面を疑うような小汚いアパートなんかは保証人なしに借りれたのだが、地域の発展に目をつけた大企業が行った複数の土地の売却は、そんな保証人なしで借りれる安い物件を軒並み無くしてしまったようだった。
     実際に前におれが住んでいたアパートの名前を不動産屋に言ってみれば、そこを含めて隣接していたぼろ屋はすべてこの国屈指の大企業であるタンブル・ウィード商会に買い上げられたらしく、軒並み学生や新社会人向けの安全性の高い一人暮らし用の物件に生まれ変わったらしい。
     不動産屋はおれの困惑など知らないのでほがらかな様子で「さすがはタンブル・ウィード商会と言った感じで、土地を買い上げる際にもそこに住んでいた方々へ大変手厚い補償があったそうですよ」と伝えてくれ、そのままそのあたりの物件を勧められた。恐らくおれがいま住んでいるのが彼女が残して行った家であることを言ってしまったため経済的な余裕があると思われたのだろう。まあ、新居を探す理由を聞かれたときも「同居人が栄転で母国に帰ることになったので一人暮らし用の物件に引っ越したい」と答えたから仕方がないのかもしれないが。
     とはいえ実際のおれにはそんな小綺麗なアパートやマンションを借りれる余裕なんてものはないので、他にはと聞いてみたのだが、これまた厄介極まりないことにタンブル・ウィード商会の長きに渡るライバル企業のロンダリオン商会も競い合いようにそういった物件を生まれ変わらせたそうだ。そのため治安が悪いからこそまかり通っていた激安物件はすっかりなくなり、そこに住んでいた住人は手厚い補償によって安定した生活を手に入れたのか地域の治安安定につながったのだという。世間基準ではおおむね素晴らしい行いなのは重々わかるが、ただでさえこの国は治安がよすぎておれのような社会不適合者が家を手に入れるのは一苦労なのに、それはとどめの一撃になった。
     「……どうしたもんかな」
     ここ二年の生活が安定していたせいか、前ならば選べていただろうホームレスという選択肢を躊躇してしまったおれは途方に暮れた。ベンチにのけぞって座るがたいのいい男なんて不審にしか映らないだろうが、元々治安のよいこのあたりでは特にとがめられることもなく、おれは空をあおぐことができた。雲ひとつない真っ青な空に外遊びに適した気温、周囲の人々はこんなに楽しそうなのにおれは二ヶ月先に控えたホームレス生活の可能性を考えてなんとも言えないばつの気持ちになり、コーヒーを一気に飲み干して歩き出す。
     缶をゴミ箱に捨てようとすれば、さわやかな空と森林の前に最近映画化もされた物語の主人公のモデルにして、このハーケンマイヤー公園の名づけ親である女騎士の像が真っ直ぐな視線で町を見ていた。守護するようなその視線がどうにも気になったおれは特に意味もなくその先を見たが、そこにあるのはこの国の歴史を内包した博物館である言語の塔が立つばかり。
     「……一回くらい行ってみるか」
     しかし、数ヶ月後のことを考えて途方に暮れていたおれはめずらしく縁遠いはずのその場所に惹かれ、なぜか足を進めていた。

     「でか……」
     思わず感嘆の声がもれる。遠くから見たときは先の丸い円錐か工事現場にあるコーンをほうふつとさせたその建物は、近づいてみるとその歴史を感じさせる堂々とした姿でその場にそびえ立っていた。この国に来てそろそろ二年半ほどになるが、観光地として有名なこの辺りに来たことがなかったおれは雰囲気にのまれそうになり一瞬中に入るのを躊躇するが、近くで案内係の説明を聞くゆるい雰囲気の十〇代前半の学生たちを見ているとためらっている自分が間抜けに思えたので、ひとつため息を吐いてから高く広い入口をくぐった。

     いらっしゃいませ、ようこそ。
     聴き心地のいいおだやかな声で迎え入れてくれた受付に代金を払い、チケットとパンフレットを受け取ったおれはとりあえずと一階を回って見ることにした。
     元は政治的な建造物だったここ言語の塔は、何十年も前に博物館となり大幅な改装が行われたため当時の面影は残してあるものの構造は大きく変化しているらしい。おれは受付の向かい側にある案内板を読みつつ視線を室内に巡らせた。
     過去の姿は知るよしも無いが、現在のここは塔の真ん中をくり抜くようにエレベーターが設置され、いまいる一階を含めたすべての階がドーナツのような形をしている。また、上に上がるにつれてその輪が縮まる形になっているようだ。興味をひかれたおれは広い廊下の真ん中に置かれたソファベンチに腰かけてパンフレットに目を通す。
     ここは屋上を含めて十階建てで、一階から三階は幼児から十ニ歳ほどの子ども向けの作りになっており、主にこの国の歴史を扱っているそうだ。パンフレットの写真やあたりを見回せばそこかしこに色あざやかな遊び学べる仕組みが設置されていて、子どもたちが楽しげに遊んでいる。
     やけに小さな子どもと親の組み合わせを見かけるなとは思っていたが、なるほど、こういった仕組みがあれば子どもは飽きず遊んでいるし、親も屋内で天気や周辺の状態に気を配らず過ごせるわけか。
     特に教育などというものに興味があるわけではないが、配慮された空間に妙な感心をしながらおれはパンフレットを読み進める。
     四階から六階まではこの国や周辺諸国の戦争についてを事細かに取り扱っているようで、フロア解説の前に残酷な内容を含む展示が多くあることへの注意喚起と十二歳以上の拝観を推奨すると大きく記載されている。その上エレベーターを降りてすぐの正面に設置されているらしい看板にも上記の内容が書かれ、さらに体調を崩した場合は大人でも遠慮なく職員に声をかけるようにという一文までそえられているとのことなので相応の内容が展示されているのだろう。
     博物館というのは安全安心なんてイメージがあったが、包み隠さず歴史を語るとその限りではないのかとおれは内心驚きページをめくる。こういったところとは無縁な人生を送ってきたこともあるのだろうが、割と興味をそそられるものだ。
     そして、次のページに進んだおれは面食らった。七階と八階にはこの国を壊滅寸前まで追い込んだテロ集団【アンチ・アレス】についての展示がなされているため十五歳以上を推奨し、その上で十二歳未満の拝観は非推奨。もしするのであれば保護者同伴でとある。もはや警告と呼べるそれは事件そのものの凄惨さを物語るようだ。
     おれは思わず口元を手でおおいながら、気をそらすために同じ階に展示されているらしい儀典局と呼ばれる貴族階級からなる国の自衛組織や軍、警察の解説へと目をそらす。内容は設立からいまに至るまでの歴史と、当時行われていた対策や行動について。そして先ほど警告されていた【アンチ・アレス】のテロの際にどのような防衛をしたかなどが当時の被害状況を含め事細かに説明しているらしい。
     そこまで読んでおれは四階から六階のページにあった数行の文に感じた違和感が当時は普通だったことに気づく。パンフレットの説明には国の中枢の警備を主に担当する儀典局とやらは階級制度が適応されていたため貴族しか所属できなかったとあり、まあいまで言う国会を守護する役割を持ち時代が違うのだからこれはそういうものなんだろうと思った。しかし、簡潔にまとめられたそのあたりの内容を読めばどうやら一般人も所属できたものの軍にも近しい階級制度があったことがわかりなんとも言えない気持ちになる。どれだけ酷使されようとも、どれだけ有能であっても、偉くなれるのは生まれた家柄によるなんてひどい話だ。前線に出ていたのはきっとほとんどが一般人だったろうに。
     いまの時代は全部平等で、なんてことを言うつもりは無いがきっとこの頃よりは少しばかりましだろう。だってどうにか足掻けばそれなりに生きていけるんだから。
     そこまで考え、おれははっとした。たかがパンフレットに載っている内容ごときで肩入れが過ぎるだろう。慣れない場所で空気に飲まれたのかもしれないが、にしたってこの歴史をよく知っているような人間でもないのにどうしてこんなに感情移入するのか。
     自分の青くさい部分を認識してしまったおれはなんだが気恥ずかしくなり、思わずその場を後にしてエレベーターに乗り込んだ。途中でのめり込みかけた内容を扱う階にも止まったが、どうにも先ほどの自分自身が気恥ずかしく降りる気になれなかったので結局なんの展示も見ずに最上階にある展望台のフロアに足を下ろした。

     展望台はエレベーターとその周りの室内を中心にして等間隔に望遠鏡が設置された円形のバルコニーが外を囲い、町中を遠くまで見渡せるようになっている。地上からの距離が距離なだけに全体がドーム状の屋根で覆われてはいるが、透明度が高いのでまったく気にならない。むしろ高所が苦手な人間はバルコニーに出れないのではないかと心配になるほどだ。実際、バルコニーの前の扉には外を見てみたい好奇心はあるが、怖くて足を止めてしまっている子どもが何人もいる。
     大人が少しいる程度の静かな場所を選んでバルコニーに出たおれは透明の壁の向こうに広がった景色を見て思わず納得する。大丈夫だとわかっているおれでこうなんだ、子どもの恐怖は察するべきだろう。
     まあ、バルコニーのどこかから。マーチスさんも早く来てくださいよ!やら、そうですよ!いい眺めなのに!といいながら、離して!二人とも!さすがにこの高さの張り出した床に!それも透明の床に立つ勇気はぼくにはない!と悲鳴をあげる友人をバルコニーに引っ張り出そうとしている子どもの声が聞こえるので子どもに限ったことではないか。
     おれははしゃいで大声を出したために遠くで職員に注意されてる三人組を目の端で少しだけ見てから小さく笑う。平和なものだ。
     しかし、そんな彼らを見て先ほどまでの気恥ずかしさしさがやわらいだおれは心の中で感謝しつつバルコニーの手すりへともたれかかって外の景色を見る。この国は戦後、復興の過程で盛んに緑化活動が行われた地域らしく、緑が多い。数年前この国を、街を訪れた際には観光地として有名な場所とは思えないほどのそれを見て驚いてしばらく止まってしまったほどに。
     視界に広がる緑は多く、手すり近くにある説明によれば建物も百何十年前の復興を忘れるまいと多くがその景観を残し保たれ、新たに建てられるものもできるだけ違和感がないよう配慮されているようだ。だからか、下からならある程度見慣れた景色も高いところから見るとずいぶんと雰囲気が違う。
     目の端が一時間ほど前まで途方に暮れていた公園らしき森林を捉え、おれは柄にもなくここへ来るきっかけとなった女騎士に感謝していた。今日はこのまますぐ下の九階にある土産物屋や売店を冷やかして帰ろうかと思ったが、彼女の展示もあるようだったのでそれだけでも見て帰ろうか。本当に今日は似合わないことばかり考えるな、そう思いながらもこのあとの予定を決めて時計に目を向ける。体が冷えてきたとは思っていたが、ずいぶん長くここにいたらしい。いくら室内といえど、この国の初冬は冷え込む。おれは先にコーヒーでも飲んで行くかと思いながらエレベーターへと歩を進めた。しかし、それは扉を潜る前に阻まれてしまう。

     みしり、と手首の骨がいやな音を立てた錯覚に襲われる。
     「ーーか……?」
     目を向ければおれよりも大きな手のひらが包むようにおれの腕をつかんでいた。おれは決して小柄な方ではない、むしろこの辺りの平均よりもずいぶん身長もあってがたいもよく、手だってそれに比例する大きさのはずなのに。おれは驚きを隠せずに相手の方を見る。突然手首をつかむ不躾な態度や体格差など引っかかるところはあったが、それ以上に聞き取れなかった必死な声が気になった。
     しかし、目をやると自分より頭ひとつ分は高い位置にある相手の表情は迷子を見つけた親のような表情で、おれはただただ固まるしかなかった。
     そして、どれくらいそうしていただろうか。
     図体のでかい男がふたり、それなりに人のいる場所で見つめ合っているというなかなか怪しい状態のままおれは呆然と男を眺めていた。
     鍛え上げられた体に厳つい顔立ち。必死な様子もあって怒っているようにも見えるが、なぜだがおれにはそれが安心や喜びを混ぜたような感情なのだということがわかった。もしかしてどこかで会ったことが?一瞬考えるがそれはあり得ないと結論づける。残念ながらおれのことをこんなにも必死に捕まえようとする人間はいないでは、なぜ?
     おれがそう思って声を出そうとすると、恐々とした様子の警備員が先に言葉をかけて来た。
     「……あ、あの、失礼ですがなにか問題がございましたか?」
     一八〇cmを超える身長と筋肉質な体のおれと、そんなおれ以上に縦も横もでかい筋肉隆々の大男の組み合わせは側から見れば事件性のあるにらみ合いにでも見えたのだろう。周囲は距離を取りつつ様子を伺い、そんな人々のために警備員は恐怖で顔を引きつらせながらもおれたちに声をかけてきたようだ。これは流石にばつが悪い。おれはそう思い隣の男を見るが、残念ながら男は未だ混乱したままのようでこの状況に対応できないでいる。まったく、先に仕掛けて来たのはそっちだと言うのに。おれは内心ため息をつきながら周囲にも聞こえるような声と大袈裟な身ぶりで警備員に声をかける。
     「いやぁ、すみません。扉の前占領しちゃって」
     「……あ、いえ! 何か、その体調不良などかと思ったんですが、大丈夫でしょうか?」
     おれはできるだけ軽薄に見えるよう振る舞い、警備員はそれに安心したのか調子を取り戻したよう質問を重ねる。
     「体調は大丈夫なんですけどね、この人が高いところ苦手なのに展望台に挑戦して怖がってしがみついて来てるんですよ」
     無茶するなって言ったんですけどね、と続ければ警備員はすっかり落ち着いたのかそうだったんですね。と納得の声を上げた。
     「本当すみません。でかいのがふたりして出入り口塞いじゃって」
     「いえ、大丈夫ならよかったです。お連れさまは……」
     「ああ、やっと落ち着いたみたいなんで大丈夫です。ね、先輩」
     おれは警備員の言葉を軽くさえぎりながらおれの手首をつかんだまま固まっている男の肩を強めに叩き、適当な役割を振ってやる。すると男はやっと反応を示し、先ほどまでのうろたえた様子が嘘のようにうまく話に乗ってきた。
     「あ、ああ……申し訳ありません。お恥ずかしながら、思っていた以上に見晴らしがよかったもので驚いてしまって……」
     「いいえ、そうなる方はよくいらっしゃいますから。救護室にご案内いたしましょうか……?」
     「いえ、大丈夫です。ありがとうございます。驚いてしまっただけでしたし、そろそろ帰ろうと思っていたところですので」
     男はさっきまでの様子が嘘のように落ち着いた口調で穏やかに言葉を重ねる。いまのいままで厳つい顔の不審者という認識をしたおれまで騙されそうになる紳士然とした姿は警備員や周囲の人間にはずいぶん効果があったらしく、その場の空気はすっかり元通りになりおれは拍子抜けしてしまう。
     そうして男はそのまま警備員と二、三言葉を交わして帰宅する旨を伝えたため事はそこで終わった。誤算だったのはおれが男とそれなりに交友があるとしてしまったことで展示どころか土産物ひとつ見れず帰宅することになったことくらいか。

      「……人違いの上にこのような事になって、本当に申し訳ない」
     言語の塔を出て少し。念のためと見送ってくれた警備員の姿が見えなくなると男は目立たないような音量ながら硬い声色で謝罪を口にした。ただでさえ視線を集める図体の男二人組だからあえて簡素な謝罪なのか、それともこれ以外に言いようがないのか。恐らく両方だろうなとおれは当たりをつけておれは別にいいと返事をする。
     「しかし……。では不躾とは思うのですが、世話になった分のお礼を」
     「本当にいいですよ、気まぐれで行ってみただけなんで」
     「……せめて入場料だけでも返したいんだが」
     おれは本当に大丈夫だからいいと言ったのだが、第一印象とは違い男は常識的な人物だったらしくせめて入場料だけでもと言って譲らない。まあ大した金額じゃないとは言え初対面の自分が原因で帰る羽目になったのだから気持ちはわからなくもないが。
     それにしても今日のおれは本当におかしい。相手が引けない事もわかっているのだし、そもそも入場料くらい受け取ってもおかしくない状況なのにその気がひとつも起きない。今後引越しをひかえているのだから貰っておけばいいはずなのに。それ以上にこの男と、男が探しているらしい人物に興味を惹かれているようだ。
     そう理解してしまうと黙っていられず、おれは思わず口を開いた。
     「なら、いまから少し時間大丈夫ですか? こんな道の真ん中で金を受け取るのもなんだし、礼をと言っていただけるならそこのコーヒー奢ってください」
     指さしたのは有名なコーヒーチェーン店。かけた迷惑はコーヒーで足りるのかと男は困ったような顔をしたが、決まりの悪いまま終わる方が嫌だったのだろう。了承の返事をしておれたちは店内に足を進めた。
     恐らく男は厳格な見た目のまま真面目な性格で、ついでにお人好しなのだろう。どうにも人を疑う気がないようだ。残念ながらおれは気を使ったわけではなく、この場限りならいっそ野次馬よろしくあんたと尋ね人の話でも聞いてやろうという心づもりなのだが。おれは男に気づかれないようにこっそり口角をあげて、一緒に注文してくると言った男にホットコーヒーのMサイズをと頼んだ。
     
     「……ご好意に甘えてますが、本当にこれでいいんですか?」
     「ええ、十分すぎるくらいですよ」
     そういえば男は腑に落ちない様子を見せたが、これ以上言うのは礼節を欠くと思ったのかもう一度礼を言った後はなにも言わなかった。少しの沈黙の間、お互いコーヒーで唇を湿らせ。今度はおれから話しかける。 
     「ああ、でももし大丈夫であれば“人違いさん”について伺っても?」
     出会ってほんの数十分ほどだが、男は答えてくれるだろうという目算の元、声をかければ男はおれの頑なさに合点が行ったという風にして口を開く。
     「構いませんが、大しておもしろい話でもありませんよ」
     ありふれた話だと言う男にそれでもと視線で促せば男はやぶ蛇な質問に嫌な顔ひとつせず、事実を淡々と簡潔に回答を始める。恐らくこの確認も念のためなのだろう。なぜだからわからないがおれがなぜか男をすぐに理解したように、男もおれをこの短い時間で理解しているようだ。
     「端的に言えば部下、ですね。加えるなら友人と言って差し支えのない程度に親しい」
     「なるほど。ではあの反応は?」
     「……お気づきかと思うので言ってしまいますと、わたしも相手も……少し、厄介な仕事についていまして」
     「失礼かと思いますが、生死に関わるような仕事ですか?」
     「はい、なので背格好が似た貴方がいなくなった部下だと思ってしまって」
     やはりそうか。おれは自分の推察が当たっていたことに納得しながら男の声に集中する。指先まで鍛え抜かれた肉体、それを支える真っ直ぐとした背筋は生まれ持った体幹と日々の積み重ねだろう。そんな男があんな必死な様子で人違いをしているともなれば相応の理由があると踏んでいたが、生死の関わるところにいる人間だったか。
     「顔を見て気づくだろうと思われるかも知れませんが、なにぶん最後に会ったのがずいぶん昔でして。記憶の中の部下は顔立ちも貴方に似ていたのでつい考え込んでしまったんですよ」
     申し訳ない、と重ねた相手に出歯亀をしているのはこちらなのだからと言えば男は表情を少し緩めて話を続ける。
     「そうですね。でも、中途半端なことをされるくらいならはっきり聞いてもらえる方がこちらとしても助かります。人に話づらい内容なので迷惑料だと割り切って話せるのは正直楽だ」
     「そう言って貰えてよかった。迷惑よりなによりこっちの方が気になっていたので」
     「まあ、でしょうね。どんな人違いならああなるのかと思われても仕方がなかったと思いますし」
     男は咄嗟にあのような行動を取ってしまったのだろうが、実際には恐らく亡くなった部下の事を自分の中で消化していたのだろう。そのあと部下について少し言葉をつけ足してひとしきり話し終わると、たわいもない世間話に切り替えた。おれは謎が解けたとは言えまだコーヒーが残っているし、なにより男との会話が気に入って思わずそれに乗り。結局おれたちは一杯のコーヒーで小一時間会話を続けた。時間に気がついて話終わる頃にはティーンの学生たちだってこんな粘り方はしないだろうとお互い気恥ずかしさを味わい、律儀な男は長時間占領してしまった席代にとコーヒー豆や菓子類を追加で購入し、おれはそれに便乗して店を後にした。
     「では、また」
     「ええ、また」
     不思議なことに話が弾んだおれと男は話の流れで連絡先を交換し、なぜか次の約束まで取り付けて別れた。
     「……やらかしたかもな」
     実はふらふらとグレーゾーンどころかそこそこ黒い仕事をするおれは、会話の最中に男が警察やそれに準じる仕事に従事していることがわかったのに連絡先を交換したことを少しだけ後悔し思わずつぶやく。
     けれど、この辺りに暮らすのもあと少し。そうたったの二ヶ月だ。引越してしまえばきっとおれと男は少しの間仲良くしていた隣人として思い出となるのだから問題ない。
     結局次の家は見つからなかったが、不思議なことだらけの一日とすぐに切れてしまうだろう縁に満足したおれは浮き足だちながら帰路に着いた。

     「ん?」
     そんなやりとりをして数日後の朝、軽快な音を立てて携帯端末がメッセージの着信を知らせる。仕事かと思い手に取るが画面に表示されていたのは一週間ほど前に出会った男の名前だった。スナブノーズという聞き慣れない苗字の相手はここより西方に母の故郷があると言っていたか。
    「あー、と。ああ」
     先日のたわいもない会話を思い出しながら内容を確認すればどうやら次の約束は延期になるらしく、丁寧な謝罪が添えられている。そもそも約束した際にお互い不規則な仕事だとすり合わせた上で予定を入れたのだから謝る必要はないんだが、律儀な人だな。そう思って手の中にある端末に了承と次からは謝らなくていいと言う旨を簡単に返し、身支度を整える。結局あの後も引越し先は決まらないまま一週間ほど経過し、おれは自分でも驚くほどまめにあちこちの不動産を回っていた。どこへ行っても返ってくるのは大企業によって素晴らしく生まれ変わった物件の情報ばかりなので収穫は一切ないが。
     ここ数日の空振りを思い出して思わずため息をつく、しかし残された時間はひと月半ほどと気を抜けばあっという間にすぎてしまう程度だ。最近ではもういっそホームレスになるかなんて当初の考えに手のひらを返そうとしたが、いくつかの不動産でそのあたりの補償が強化された反面、取り締まりも厳しくなっていると聞き、公共機関に厄介になれないおれは結局新居を探すほかなかった。
     福祉やらなんやらの強化はここに住む多くの人間にとってよいことなのだろうが、おれのような訳ありには困りものだ。誰にでもどんな状況にも適したものなんてありえないとわかっているが、この世には大多数に溶け込めず生きているやつもいると言うのに。
     おれはどうしようもない世情に内心悪態をつきながら扉を開けて外に出る。結局ここもおれの居場所ではないのだ。それはどうしようもないことなのだけれど。


    ×××

     仕事の合間をぬい、メッセージを送信してため息をひとつ。まったく、急に大型の仕事が来るとは。
     それがいつものことだとわかっていながら、おれは今回ばかりはと内心歯噛みする。
     「……よりにもよって……やっと見つけたんだぞ」
     誰もいない中庭のすみでおれは思わず苦々しく言葉を吐き出した。けれど、やっとだ。やっとあいつを見つけられたのだ。

     幼いころのおれは少し風変わりな子どもだったそうだ。とはいっても天才的な素養があるだとか、逆に問題があるとかそういうわけではなく。ただ、歳の割に自制心が強く周りより少し大人びていたようだ。はっきりとしたものではないが、自分がみんなの面倒を見なければなどと考えていた記憶があるので大人の目から見てもそうだったというならそう言うことなのだろう。
     ここまでなら特に驚く話でもない。どちらかと言えば女の子の方がこういった傾向が強いのでその部分が少しめずらしいかも知れないが、ここまでならありふれた話だ。
     けれど、おれがすっかり思春期を終えた大学生になって最初の夏休み。遺憾だが、おれはこのとき明確に自分が普通ではない部類の人間だと確信する羽目になった。

     西の方にある母方の実家は親戚付き合いを好む人間が多く、長期休みになるとこの時勢にはめずらしく住まいも血縁も遠い身内たちが集まり数日を過ごしていた。ずいぶんな田舎にある母の故郷やその周辺には距離はあるものの土地自体が広い親戚の家が固まっていたため、集まるときの宿泊先の家は持ち回りで数年に一度順番が回ってくるようになっていた。なので、どの家の人間も集まったときには何年ぶりだからもてなしを忘れているという冗談を言い。色々準備があるから自分の面倒は自分で見るんだよ。なんて言って大人たちは諸々の準備を、子どもたちは遊ばせるのがうちのお決まりだった。
     その年もそのあたりはいつもと同じだったが、集まる家がめずらしく前年と同じでおれの祖父母の家というのが違っていた。いま思い出しても面映いのだが、それは幸いにも難関と言われた志望校の大学に合格したおれへの祝いのためだった。
     当時は親戚が一人、またひとりと増える度にあふれんばかりの祝福の言葉をかけられおれはうれしい反面気恥ずかしさを感じたものだ。そして、誰かの祝い事があればそれにかこつけて宴会を始めるうちの親戚たちはひとしきりおれに言葉をかけると昼間から祝酒だと早々に酒盛りを始めた。子どもたちはそんな大人たちを見て、まったく仕方ないなんてませた顔をしながらもいつもよりも自由に遊べることにはしゃぎ、おれはそれに振り回されつつ大人たちにもみくちゃにされるという、喜んでいいのか大変だと嘆くべきかわからない状態に巻き込まれた。ただ、そこにはやはりおれが報われたことの喜びがあふれていたので嬉しかったわけだが。
     そんな中で親戚の一人がふと、親戚内で最も優秀だったという曽祖父の話を始めた。そして酩酊していた周囲もそれに乗り、最終的におれが優秀な曽祖父の生まれ変わりなんじゃないかなんて与太話で盛り上がり始めた。おれは当初それを歳の近い親戚たちにからかわれながら聞いて苦笑していたのだが、話が進むうちに自身の鼓動が大きくなっていることに気がついた。そして徐々にうるさくなっていったそれは、手足の先をじんわりとしびれさせ、めまいを起こし、記憶を混濁させていった。
     後に近くにいた親戚に当時の様子を聞くと、顔色も青白くなるなど変化は明らかだったそうだ。そのため、おれは間違ってアルコールを飲んだのか、アレルギーか心筋梗塞かなどと慌てる周囲に心配をされつつ医者にかかり。結果、疲労からくる熱と診断されたために最終的には一人静かな部屋で眠ることになった。親戚たちはずっと心配してくれていたが、何かあれば連絡を入れるし大丈夫だからいつも通りに過ごしてくれと言ってようやく宴会や遊びへと戻っていった。
     
     そして、静かな部屋で一人になったおれは、そんな喧騒を遠くで聞きながら重くなった体とともに古い記憶を思い出していた。それは赤ん坊のころよりずっと前の『前の自分』の記憶だった。
     そういう時代だったのだろう。だけれどあまりにも残酷で残虐で徹底して非道な軍人。そうなるしかなかった哀れな男。それが“前”のおれだった。

     幸いだったのが、この時おれが思春期を超え自我をしっかり持った年頃だったことだろう。年齢によっては精神に異常を来しかねないそれを幸いにも半分大人になったおれは冷や汗をかきながらも受け止め、これは自分のことでありながら他人のことだと割り切れた。
     正直なところ、最初からそうできていたわけではなく。それを見てすぐは直感的に記憶は事実だと気づきながらも夢だと思い込もうとさまざまな理由をつけたようとしていた。例えば前に戦争ものの小説や映画を見たから、学校で夢に出てきた時代の歴史に触れる機会があったから。そんな風に。
     けれど、自分にそう言い聞かせればするほどにこれは否定できない自分自身の記憶なのだと理解することになり、結局おれはほんの数時間で百数十年前に生きていた人物が自分自身に繋がっていることを認めざるを得ず。同時に自分がどうしようもなくめずらしい部類の人間であることに納得してしまった。加えるなら、幼い頃からの妙な世話好きもこれが起因していたのだろうとも思った。つまり、最初からこうなる可能性は十分にあったのだ。きっかけは本当にささいなことだが。
     そうしてそこまで考えると、自分の中では事実なのだから事実としておこうという妙な諦念とともに受け入れ、割り切れることができた。
     この時代に生まれた自分と過去、前世というべき自分は同一の部分を持った別人。それは成長する過程でさまざまなことを学び経験してきたいまのおれと、十年前の経験の浅いおれがまったくの同一人物とは言い切れないのと似たようなものだろう。前世があったとしてもそれは時代も違う、ずっと昔のおれであり、そこまで時間が離れていれば別人なのだ。最後にはそんな考えに行き着いた。
     そして、以降のおれは我ながら行動が早かった。次の日には親戚集まりに戻っていつも通り過ごしたものの。家に帰るや否やおれ以外にも似たような人間がいるのではないかと各所を探し始めた。結果としてその予測は当たっており、“前”の上司は自分と同じく姿形に名前まで同様だったためす幸運にもすぐに見つけることができ、さらに幸いなことに上司の働く場所は自身の進路のひとつだった。そのためおれはもう一度その人の元で働くことに決めた。
     もちろん上司が“覚えて”いる確証はないため少しは考えたが、最悪転職してしまえばいいかと思いそこを第一志望として大学生活を送った。こうやって軽率に将来を決めるなんて“前”のおれなら許せないだろうなと思うとやはりおれと“前”のおれは別人なのだと再確認することになった。
     ともあれ、おれが元々進もうと決めた進路のひとつだったその選択は周囲の応援を得ることができ、いまでは目標通りそこで働いているわけだ。そして、よいこととは案外重なるもので、直属の上司を始め同僚たちも一部ではあるが“前”を覚えていたためすぐに再会することができた。それは記憶が戻ったおれが望んでいたすべてがそろった、最良の形だと言えるだろう。
     ただ、あとひとつだけ、【あいつ】が隣にいないことだけが足りなかった。

     「……なのにこのタイミングか……」
     めずらしく過去に想いを馳せるなんてことをしたおれはもう一度ため息とともに苦言をもらす。こういうことがある仕事だと納得はしているのだが、今回に関してはわけが違う。色々と問題はあるものの、記憶のない【あいつ】はおれが近づくのに十分な興味と好感を持っているようだった。だから日をおかず次の約束を取りつけていたというのに。
     「……これで逃げたりしないだろうな」
     偶然行った博物館で見つけた男は、おれと同様に姿形もそのままにそこに立っていた。それを見て確信し、衝動的に動いてしまったために第一印象は最悪だった中で、どうにか連絡先の交換や会う約束を取りつけられたというのに。もしあの男が“前”のままだとすればこのままどこかにふらりと消えてしまいかねない。これはもはや勘だったが、話したときの雰囲気といい【あいつ】の本質は恐らくなにひとつ変わっていない。自分が認めた相手にしか心を開かず、世間一般でいうところの『普通』の生き方ができない、ふわりと浮いたまま生きるしかない男。それがおれの知る【あいつ】だった。
     前は軍人であることがあいつを世間に繋ぎ止めていたが、数日前の様子ではいまはそういったものが一切ない状態だろう。そして、それが当たっていたとすればあの男は猫のような気まぐれであっという間にいなくなりかねない。
     「……どうするか」
     優秀な右腕だったと記憶しているが、その反面仕事の外ではとんでもないやつだったこともよく知っている。この時代なので前ほどの無茶はしていないようだったが、たぶん時間の問題だろう。ついでにおれとの関係を友人に発展させる気もなければ、すぐに終わるものだと考えているようだった。やはり早急にいま以上の繋がりを作らないとな。おれは考えを巡らせる。
     おれは両親が人を守る仕事をしていたこともあり、今回も前と同じような道を選ぶことに躊躇はなかったがあいつはわからない。それにこの時代でも右腕になって欲しいとも思わないので仕事に誘うのは選択肢から外しておくべきだろう。いまは前と違う人生を歩んで来た相手だ、そもそも適正があるかも不明瞭なのだから。とはいえやつを知っている身としては友人になるというのが極めて困難であることも容易に予想できる。
     ……やはり、手詰まりだな。
     おれは何度目かわからないため息をつく。そうして立ちすくんでいると部下の一人がおれを呼びに来ていた。どうやらいつのまにか時間が来ていたらしい。
     おれがすまないと軽く謝罪すれば、部下はいつもより遅かったから様子を見に来ただけで時間には余裕があると微笑んだ。それによかったと答えながら、もう何年も行っている身に染みた行動すら乱してくる相手を思い出して苦笑した。


     「疲れました……」
     「おつかれさん。でもまあ、今日中に終わってよかったよ」
     「まったくだ」
     ぐったりとした若手を中堅が労る姿に口元をほころばし着替えに腕を通す。仕事は難航したものの、規模を考えれば安定した解決をできたと言えた。少数ではあるが軽傷者が出てしまったのは今後の課題ではあるが、その傷も痕や後遺症の残らないものにとどまったのは幸いだったな。着替える動作はそのままに、脳内で今後の対策についてまとめ、要点だけでも先にメモしておこうと携帯端末を取る。するとそこには今朝送った連絡への返事が来ていた。内容を確認すればそこには仕事のため約束の日時を変更することへの了承と、今後は謝罪は不要の旨が簡潔に記されている。
     『お互い不規則な仕事なのはわかってたことなんで気にしないでください。それにおれがこうなるときもあると思うんで今度から謝らなくて大丈夫です』
     淡々とした文面だが、これからも会う気があることに胸を撫で下ろす。返事をするかと思ったが、端末の左上に表示された時刻はもう少しで二三時になる。親しい間柄ならともかく顔見知り程度でこの時間に連絡するのははばかられるな。おれは大人しく明日の朝にでも改めて返事をしようと当初の目的だったメモを書き留めて端末を置いた。
     そして次回の約束を取りつけるために予定を確認しようとスケジュール帳に手を伸ばしたところに声がかかる。
     「隊長、このあと少しいいですか? ちょっとご相談が」
     慣れた口調でそう言ったのは“前”の記憶を持つ同僚の一人だった。おれが構わないと言って会議室を押さえるかと確認を取れば相手は大した内容ではないので休憩室で充分だと返事をする。めずらしい、この男がする内容は大体が仕事の守秘義務に接触するものか、逆にどこで話してもいいような極めて個人的なものかの二択であることがほとんどなんだが。とはいえ断る理由もないおれは了承を伝え、先に行っているという相手の背中を見送りながら着替えをすませた。

     「あ、ここですここ」
     軽い口ぶりで手を振る相手に近づき、奥まった席のソファに腰かける。こういうときラウンジあるのは便利ですよねと話す相手は軽快な様子で、呼び出されたのも本当に世間話のようだ。安心したおれは、数年前の改装の際に休憩室から名前を変えたこの場所をいまの名前で呼び慣れている目の前の男は順応が早いな。なんて安穏と考え、入口近くにある自販機で買ってきた紙コップ入りのコーヒーに口をつける。
     「急にすみません、時間大丈夫ですか?」
     「ああ、特に用事もなかったから気にするな」
     時刻は二三時を回っているがこの仕事についている以上、一般的な時間感覚では深夜であろうと気にするものはそう居ない。特におれたちは不規則な肉体労働が主な仕事なため、相手さえよければこんな光景もよくあることだ。 

     おれたちが働くここ、国家警務部・実働課。通称【第一大剣(クレイモア・ワン)】
     皮肉にも“前”と同じ名前のついたこの組織は特異な性質で運営されており、設立の発端は“前”のおれが死んで数十年、いまのおれが生まれる百年近く前にさかのぼる。 
     あくまでいまのおれが学んだ知識の範疇なので、当時の状況は知るよしもない“前”のおれが関わった世界規模で見ても歴史的なテロ事件【アンチ・アレス】の暴挙が止まり。そこからいくつかの大きな事柄を乗り越えたこの国は一時的に軍の力が強くなった。しかし、国を守る組織が一強であってはならないという当時の上層部の判断により、その力は大きく二部されることとなる。
     国家および災害への対処・防衛活動を主とする軍、国内の警備・治安維持を主とする警察。これが“前”のおれが生きていたころの国の最終的な防衛の形だった。けれど、“前”のおれの死後数十年経つころには時代も移り変わり新しい形が生まれて行ったらしい。そのため現在では、軍は国家自衛のための軍務活動および他国の紛争への派遣を主に行い。警察は変わらず国内の警備・治安維持に勤めている。
     そしておれたち国家警務部はこの国独自の形で存在しており、軍から派生したというこの組織は“前”のおれが生きた時代にテロの責任問題を一挙に受け入れ解体された元儀典局員を取り込みながらその形を明確にしたようだ。
     現在では主な仕事は各部署によって大きく変わるが、全体の仕事をざっくりとまとめてしまえば『犯罪』への対処がその使命と言える。中でも肉体労働が主な第一大剣は国家公安を維持するため人的災害を対象とし、テロや麻薬カルテルなどの組織犯罪や個人の犯行であっても被害規模が甚大な連続殺人などの調査と解決を行う。どちらも武力行使を用いることが許可されており、危険は多い。その上状況によっては国を跨いで行動することや、地元警察が必死に捜査している事件の権限を奪う形になることもしばしばあるため憎まれ役になることもよくあることだ。もはや本能と言ってもいいのかも知れないが、おれも目の前にいる“前”を覚えている部下も、こう何度も憎まれる仕事につくとは因果なことだ。
     「……んで、いつもの台詞ですよ。仕事の方が大事なんでしょう? だそうです」
     ついでに言えばこれもこの仕事の悩みどころだ。危険で、不規則で、憎まれ役のこの仕事は恋人をつくるなんて安寧はまず手に入らない。仮に手に入ってもうまくいかず、というのがほとんどだ。
     おれは“前”の時代で妻子だった二人が『おれのせいで最悪の結末を迎えた』という事実と恐怖のためにその手の事柄を避けているため、特に悩むことはない。加えて言えばそれを引きずっているわけではなく、“前”に妻だった現在の幼なじみはおれではない信頼のおける人物と結婚し、その子どもで“前”に息子だった子どもも穏やかに暮らしているのでこちらも完全にいまとは別物と割り切れている。だからといって積極的にはなれないわけだが。
     ともあれ、うちに所属する多く人間が定期的にこの悩みに振り回されている。まあ、目の前の相手は“前”の記憶もあるためか一通り話せば割り切れる程度には強かなので問題はないが。
     「ーーというわけでして……」
     「災難だったな」
     「ええ、本当に。……ありがとうございます、毎回聞いて貰って」
     「いや、お前のはな……毎回結婚間近でそうなるしな、まあ誰かに言って楽になれるならそれくらい聞くぞ」
     「助かります……」
     一通り話して落ち着いた相手はうなだれながら感謝を口にする。こちらとしては毎回やっと落ち着けるかと思った矢先に破綻してしまうことに同情してしまうので話くらい安いものだと思っているのだが。
     「なんで毎回家庭を望んだら、だめになるんですかね……」
     「なぜだろうな」
     おれはそう口にしながらも『家族』になってしまえば、いつ命が危険に脅かされるかわからない相手をずっと待つことができるのかと考えた末に目の前の男と別れる決断をしただろう女性の理性と誠実さに好感を抱いていた。こいつもこうは言っているものの、その気づかいとも言える決断をわかっているだけにやるせないのだろう。こんな仕事だ、理解できない相手は選べず、理解できる相手ほど離れて行ってしまう。
     「因果な仕事ですよね」
     「そうだな」
     けれど、それでも辞めることができないのがおれたちなのだ。
     少しの間神妙な沈黙が流れるも、相手は話終えると切り替えたのかそういえばと別の話題へと会話を移す。
     「隊長、恋人でもできました?」
     ……半分はこれが目的だったな。
     おれは先ほどまで同情していた相手に呆れながらできてないと答えた。ラウンジでの話と言ったからそれなりの内容かと思いきや、こういうことを聞きたがるとは。と、そこでふと気づく。そうだ、目の前の男は通常であればこのような話題程度でここを利用しない。なにを言ってもこの仕事はあらゆる守秘義務の課されるのだ、それはたとえ施設の中でも気軽に利用できるこのラウンジにさえ適用される。そのため普段のこの男であれば、個人的な話は外でしていたはずなのに。 
     そこまで思い至り、おれはやっと背後の気配に気がつく。……やられた。
     「……それじゃあ、【あの人】見つかりました?」
     もったいぶった口調で告げられたのは、もう少し間を置いて話そうと思った内容で。おれは自分の失態に気づき苦笑する。そうだよな、お前たちだって会いたいはずだ。
     おれは気づかないほど慣れ切った背後の気配を感じながら、ずっと昔からの同僚たちからの恨みがましい視線を一点に浴びる羽目になった。
     「とりあえず、おれも会ったのはつい最近だって言い訳してもいいか?」

     軽く手を上げて降参の意を示せば、ずっと後ろにひかえていたらしい部下たちはぞろぞろとおれを囲むように席に着く。
     事務など定時退社の者たちはとっくに帰宅しており、この時間は自分たちのような不規則な仕事形態か夜勤の人間だけで空いているのにずいぶん奥まった席を選んだんだなと思っていたが理由はこれか。おれは半個室のように区切られ、広々とした席が狭まって行く様子を眺めながらそんなことを考える。
     “前”は最後まで。いまも長くともにいる気心知れた面々はすねた子どものような表情をしており、一人に至っては悔し涙まで浮かべていた。いまもそんな雰囲気があったが、【あいつ】はどうにも人を惹きつける。あれで嗜好さえまともなら、こんなにも慕われる本当にいいやつなんだが。そんなおれの内心を知ってから知らずか、同期でもある同僚の一人が口を開いた。
     「それで、どんな感じでした? 前くらいやばかったです?」
     詳細を知っている人間は話が早い。おれはその言葉に恐らくと肯定を述べてから、羞恥を抑えつつできるだけ端的に再会したときの様子と、その後どうにか連絡先をひかえることに成功した旨を告げた。
     「いっ……やあ、よく不審者から知人になれましたね」
     「……行動が最悪だったのは認めるが、もう少し配慮してくれないか」
     「いや、無理でしょう。完全に不審者ですよそれ」
     「警察呼ばれなくてよかったですね」
     「さすが副長。怖い、でかい、野太いの三拍子そろった隊長相手でも平気なんだもんなー」
     おれの反論なぞ完全に無視して言いたい放題の同僚たちの口は止まらない。しかし、一人が言った懐かしい【あいつ】の呼び名を聞いて実感が湧いたおれはなんとなく安心感を覚え、遺憾ではあるが好きに言わせておくことにした。そしてそんな減らず口はしばらく続き、どうにか収まったころ。おれは本題に入った。
     「……それで、ここからの課題はどうやって距離を詰めるかだ。協力してくれるな?」
     そう、おれたちはまだ一度話しただけのただの顔見知りなのだ。そのためこれからも【あいつ】とつながりを持ちたければ今後の行動が要になるだろう。手始めにおれがそれなりに気心知れた仲になりさえすれば、ここいる面々を紹介する。そして誰か一人でも連絡を取り続けられる間柄になればいい。
     逆を返せば一人もそうなれなければ、あの男はいつのまにか消えるように居なくなっているに違いない。縛るものがなければどこまでだって行くやつで、それは今回も変わらないようだった。
     直接会わなければここまで執着することは無かったかもしれない。しかし、もう会って、話をして、変わらないものがあると知ってしまった。こうなると見ず知らずの他人に戻るのは困難だ。 
     そんなおれの心境を汲み取ったのか、戦友たちはみな頼もしいほど不敵に笑っていた。

    ×××
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    ☺🙏👏👏👏👏👏💴👍👍
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works