1月30日、大学でのテストが終わってシェアハウスに帰宅すると、誕生日会と称した夕食が始まる。去年までと違うのは、食事が並ぶテーブルに、新たにカクテルやワイン等のお酒が置かれたことだ。
「礼音、誕生日おめでとう。」
「おめでとう、礼音くん。」
「おめでとう〜。」
「ありがとう。」
ジャイロの皆で乾杯して(いつもの事だけど那由多はしてこない)、初めてのお酒を口にする。渋みはほとんどなく、ジュースみたいで飲みやすい。
「どう? 初めて飲むお酒の味は。」
「美味しい…。ワインカクテルって、もっと度数強いのかと思ってた。」
「ジュースや砂糖を加えて作るからな。初めてでも飲みやすいだろう。」
「はい、まだワインはハードル高そうだけど、これならいけそうです。」
ワインベースのビショップというカクテルの味が気に入り、作ってくれた深幸さんも嬉しそうに笑う。
帰宅すると、夕飯を作る深幸さんと賢汰さんから、初めて飲むお酒はどうするか訊かれて、ワインカクテルというのを飲んでみたいと答えた。お酒が飲めるようになったら、やっぱり先輩として尊敬してる賢汰さんの好きなお酒を飲んでみたかったから。その答えに、2人はなんとなく分かってたよとくすくす笑ってた。
「リクエスト聞いた時はブレないなーって思ったよ。でも、あんまり飲みすぎないでね。」
「うん、気をつける。」
「礼音もやっとお酒飲めるようになったね。今度一緒に飲もう〜。」
「はいはい、ライブ終わったらな。」
俺が飲んでるカクテルより強そうなお酒を飲みながら嬉しそうに抱きつく涼さんに小さく笑う。
時間が過ぎていき、食事とお酒が減ってくると、そろそろ追加のつまみでも作ってこようかと深幸さんがキッチンに行く為に席を立つ。
「深幸くん、礼音と同じカクテル飲んでみたいな。」
「分かった、一緒に作ってくるから待ってて。」
「あ、隣で見てもいい?」
「いいけど、変なの混ぜようとするなよ?」
キッチンに立つ2人をソファから見守りながら、再びカクテルを口にする。同じように隣でワインを飲む賢汰さんが話しかける。
「やっとお酒が飲めて安心したか?」
「それもですけど、ずっと賢汰さん達に我慢させてたから。」
「我慢してるとは感じなかったよ。お前達が寝てる間に晩酌したりしたから。それに、未成年の前で酒は飲まないというのは、シェアハウス生活が決まった時に深幸と決めていたからな。涼もちゃんと守ってくれてた。」
「あの、今度は俺も晩酌付き合えますからねっ。」
「ふふ、ありがとう。2人で食事に行く時にでも、お気に入りのバーに行こうか。」
「はい…!」
試験期間が終わったら行こうと約束してる食事の時に、賢汰さんのおすすめの店にも行けるなんて、当日の楽しみがまた一つ増えた。
ふと、賢汰さんが那由多の方を見ると、手元のグラスには少量のカクテルと小さくなった氷が残っていた。
「那由多。飲み物がもう無くなるな。何が飲みたい?」
「…同じのでいい。」
「分かった、持っていくよ。」
自分のグラスと一緒に持つと、賢汰さんもソファから立ち上がり、キッチンへと行ってしまった。
俺は静かになった空間で、さっきまで賢汰さんがいた、1人分空いたスペースを挟んだ位置に座り、水を飲む那由多を見る。
「……。」
今日一日ほとんど顔を合わせる事がなかったが、日付が変わり、自分の誕生日になる頃まで起きていた昨日の真夜中を思い出す。
勉強を終えてベッドに入る前、日付が変わって自分の誕生日になると、いくつもの通知が同時にやってくる。一つずつ確認してみれば、いつも祝ってくれる結人からのメッセージもあった。試験が終わったら、帰りに俺の行きたい所にたくさん行こうと書かれていて、俺以上に嬉しそうな気持ちも伝わってきた。
(…相変わらずだな、結人のやつ。テスト終わったら連れ回されんの覚悟しないとな…、ん?)
新たに来た通知を確認すると、メッセージの送り主の名前に、個人でメッセージが来ることすらほとんど無いやつの名前が書かれていた。驚きのあまり、少しの間思考が止まった。
(那由多…!? 0時頃に連絡って今まで無かったのに…、まさか誕生日のメッセージとか…!)
いつも通りの短い内容なのかなと思う反面、もしかしたらと、淡い期待が胸の中にあった。何を送ってきたんだろうと、恐る恐る内容を確認する。
『新曲のデモだ。確認しておけ』
変わらない、いつも通りの内容だった。
なんだか変に緊張していた自分がバカみたいだ。張り詰めていた糸が緩むように息をついて、ベッドに横になる。同時に、自分の中に大きくあった期待や緊張していた気持ちの理由に、必死に違うと言い聞かせる。
(…なんだ。……いや、別に期待してないし!だいたい、あいつがおめでとうとか言うわけないじゃん。)
今までだって、そうだったんだから。
それでも、今までと違うのは、那由多から直接新曲を送ってきた事。普段なら賢汰さんが俺達に共有する形なのに、どこか珍しく思えた。
少しだけ、聴いてみよう。バッグからイヤホンを取り出し、スマホに接続すると、デモ曲の再生ボタンを押した。
どくりと、胸の奥が打ち震える。
速いテンポのロックサウンド、そしてその中で赤く輝くように燃え上がる、那由多の歌声。
ああ、ジャイロの、俺達の音だ。
少しだけ聴くつもりのはずが、気付けばリピート再生しようとしていて、これ以上は眠れなくなるからと、その時は1回だけ聴いてベッドに入った。
朝の通学中や、結人と別れた後の帰り道に聴いて、時々指で小さくリズムを取る。
(ほんと、いい曲。アレンジするならこの部分かな…。あ、ここからのギターパートいいな。)
いつも聴いている、だからこそ何度も胸の奥を熱くさせる音。大好きな、ずっと聴いていたい音。早く弾きたい、次の練習日が待ち遠しくなった。
なんで直接送ったんだろうとか、気になりはしたけど、きっと明確な理由なんて無いんだろうな。
(…でも、誕生日に新曲聴けるの、なんか、プレゼントみたいで嬉しかったな。)
「……何だ。」
「えっ?」
突然聞こえた声に顔を上げると、那由多が怪訝そうな顔で俺の方を見ていた。
「さっきからこっち見たまま黙って。言いてえことがあるなら言え。」
「っ、別に、そんなに見てないし。なんでもないよ。」
「……。」
ふいと目を逸らして、誤魔化すように渇いた口をカクテルで潤す。また流れる沈黙。俺から何か喋る気にもなれない。違う、本当は言いたい。
(…ありがとうって、言いたいけど、やっぱ言えない…。)
これでも一応、付き合ってるし、好きって気持ちも伝えるのが大事って分かってはいるけど、素直になれないのは、いつものことだ。
「…新曲」
「え?」
「聴いたか?」
ぽつりと、聞こえた声にまた反応する。那由多は俺の答えを待つようにじっと見つめてくる。
「あ、ああ。次の練習までにはアレンジ考える。」
「…余計な音はいらないからな。」
「っ、分かってるよ!絶対一発で納得させてやるからな!」
「…ふん。」
俺の返事を聞くと、那由多はそれ以上言わなかった。一応、期待してくれてるのかな。先に那由多が沈黙を破ったおかげで、少し気が楽になった。
グラスをテーブルに置くと、1人分空いたスペースを埋めるように那由多の隣に座る。距離が近くなっただけで、胸の奥の鼓動が少し速くなる。
「い、一度しか言わないから。」
「あ?」
「……あ、ありがと。」
はっきりとは言えなくて、それでも聞こえるように出来る限り声を張った。返事も反応も返ってこないから、気になって那由多の方を見る。
ばちんと、那由多と目が合った。驚いてるのか、黙ったままじっと俺だけを見ている。自分でも那由多に対して柄にもないことしたって自覚あるから、次第に恥ずかしくなってくる。
「…っ、カクテル、貰って…──。」
貰ってくる、と続く筈だった。そう動かそうとした唇は、くい、と顎を掴まれて、那由多に塞がれる。自分がキスされていると気付くと、那由多を止めたくて離れようとするが、こいつがそれを許すわけがなかった。
「ん…、なゆ…っ」
「…黙れ」
「んぅ…っ」
少し開けた唇から舌が割って入って、小さく短いだけだったキスが、深く、甘さを増していく。好きなキスに甘く疼く腹を撫でられ、びくりと、身体が震える。
止めなきゃ、いけないのに。賢汰さん達がキッチンにいるのに。こっそり、2人きりで悪いことをしてる気持ちになる。
唇が離れて、少しずつ息を落ち着かせる。那由多の前に晒してしまう。涙で潤み、蕩けてしまった瞳も、赤く染められた頬も、全部、見られてる。那由多は俺を見つめたまま頬へと手を伸ばすと、愛でるように優しく撫でる。
「は…ぁ…。っ、ん…っ。」
「……終わったら、俺の部屋に来い。」
「……うん。」
囁かれた言葉に対する返事として頷き、触れる手に擦り寄ると、最初に座っていた場所に戻る。本当は注がなければならないほど減ってはいない、グラスに残ったカクテルを口へと流し込む。
(…さっきより、甘く感じる…。)
この後の夜を、皆が寝静まってからの夜を表すような甘い酔いに、3人が戻るまで気を許すことにした。
──一方のキッチンでは…、
「……賢汰、これはいつ振り向いたらよろしいの?」
「もう少し待とうか。近かった距離が戻ったばかりだから。」
「2人ともラブラブで幸せだね〜。」
「まあ、礼音くんは俺達が2人の関係に気付いてるって分かってないみたいだけど。」
「ねえ、あれもまだ言わない方がいいかな?」
「ふふ、せっかくだから練習日まで黙っておこう。
新曲のデモ、一番最初に貰ったのは礼音だって。」
早朝に那由多から新曲のデモを受け取る際、美園には既に渡したから共有しなくていいと聞いた賢汰は、すぐにその意図が分かり、敢えて深く聞かないまま了承した。
「那由多も隅に置けないよな。やっと素直になったってやつか?」
「隠さずに好きって伝えていいのにね。那由多も照れてるのかな?」
「ふふ、そうかもな。…さて、そろそろ戻るか。」
2人きりでいた空間がこっそり見守られていたことを、当人達は知らない。