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    manami_n

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    たぶんどっかのタイミングでそっと消します

    とどけ、リーディング! ~恋する小鳥のうた~1 ウソつきナギサ

     あーあ。また、ウソついちゃった。
    「ただいま、凪咲(なぎさ)! 遅くなっちゃった! 寂しくなかった?」
    「うん、だいじょうぶ。おかえり、お母さん」
     笑顔でそう言いながら、わたしはこっそり、心の中でため息を吐いた。
     いっつもこう。わたしはわたしにウソをつく。ウソつきナギサ。わたしはわたしを、そう思う。
    「ごめんねー! ごはんは何食べた?」
    「ウーバーしちゃった。バーキン」
    「そっかそっか。いいじゃん、美味しかった?」
    「うん」
     玄関に転がり込むなりバタバタと上着をぬいで、かばんを放り出すお母さんにわたしは笑った。
    「先に手洗い!」
    「ナギちゃんの言うとおり!」
     けらけらと笑ってお母さんがサニタリールームに引っ込む。少しすると、お化粧も落として、部屋着に着替えたお母さんが顔を出す。
     長い髪を無造作にヘアゴムで結びながら。そんな姿で、お化粧を落としても、お母さんはやっぱり綺麗だ。
     さすがだなぁ、と思う。
     女優、若草葉瑠(はる)。実力派の女優として働きながら、今はバラエティにも進出中。
     ソファにどさぁと腰を下ろすお母さんは、こうしてると普通の女の人なんだけどね。
     わたしはそんなお母さんを見ながら、電気ケトルに水を入れる。お母さんとの、ティータイムのためだ。
     お母さんが、わたしが起きている時間に帰ってくるときはいつもしていること。
     そんなに長い時間は話せないけれど。
     ぽちりと押した電気ケトル電源がオレンジ色に光った。
    「お母さん、お風呂、追い焚き押してきた?」
    「うん。ナギはもう入ったんだよね?」
    「うん。あとは寝るだけ。宿題も終わってる。お風呂入ったあと洗濯機だけお母さんが回してね」
    「もちろんです! ありがと、ナギちゃん」
     疲れたような顔で笑うお母さんに、わたしはただ笑い返す。
     寂しくないわけないじゃん。でも、言えるわけないじゃん。もう中二だし、お母さんが大変なのだって分かっている。でもさ、この家、無駄に広いから。ひとりだとちょっと、持て余すんだ。
    「今日、バラエティの収録だっけ?」
     しゅんしゅん、お湯が沸き出す音がする。湯気がしゅわしゅわ上っていく。
    「そそ。おなか痛くなるくらい笑ったー。いい台本(ほん)だったし、ウケるかもね」
    「そうなんだ。楽しみにしとく」
     今日の茶葉はどうしようかな。ダージリンのファーストフラッシュ、まだ残ってたっけ。使い切っちゃおうかな。
     お湯が沸いてケトルの電気が消える。
    「しといてしといて。あ、今日のドラマは」
    「自動録画入ってるよ。今日良かったね、泣きの所すごかった」
    「あ、その話(わ)だっけ! いいよねー、私もあそこ演じてて楽しかった!」
     お気に入りのガラスのティーポットとカップに、まずはお湯を入れて少しだけあたためる。
     それからお湯を一回捨てた。あたたまったティーポットに、選んだ茶葉を入れる。
     その間にもう一度湧かしなおしていたお湯を勢いよく注ぐ。
     ふわふわとティーポットの中で揺れる茶葉を見てから、カウンターにポットを乗せる。
     お母さんはソファからダイニングテーブルに移動してきて、それをテーブルの真ん中に置いた。
    「今日はなにー?」
    「ダージリンのファーストフラッシュ。使い切っちゃおうと思って」
    「そっか。もうそんな時期か」
    「うん、来月にはセカンドフラッシュ」
    「はやいなぁー!」
     お母さんとお父さんが離婚したのが二月。お父さんは写真家で、お母さんは女優。だからけっこう、テレビとかでも騒がれた。まぁそれも、一週間保たなかったかな。話題ってすぐ流れるし。そこからバタバタして、といっても、離婚自体は前から話も進んでたし、わたしの転校手続きも実はこっそり進んでたから、問題なかったけど。
     でも、三月末に引っ越しして、四月から新しい学校で、飛ぶように消えた四月と五月を考えると、お母さんがはやいなぁ、って言うのも分かる。
     お母さんはその間もずっと仕事はしているわけだしね。
     元々住んでいた場所から、今の家は実はそんなに離れていない。前の家は一軒家で、ちょっとここから山手にあるけど、まだ全然行けるくらいの場所。でも、学校は電車通学だったから遠い。
     今は違う。マンションの一室で暮らしていて、学校もここから歩いて通える公立の学校だ。
     小さなダイニングテーブルにふたりで向かい合って座る。
     砂時計の砂が落ちきってから、お母さんはお茶をわたしのカップと自分のカップに注いだ。わたしはテーブルに置きっぱなしのシュガーポットから角砂糖をひとつ入れて、四つ葉のクローバーの形をしたスプーンで、くるくる掻き回す。
     お砂糖が溶けきって、ふたりでそっとカップに口をつけて。そうしてお砂糖よりゆっくり時間を溶かしてから、お母さんが静かに口を開いた。
    「――どう、学校?」
     短い言葉に、お母さんの気持ちが一杯つまっているのは分かる。
     女優の母と、写真家の父。どっちも芸能界でそれなりに有名で、結婚したときはテレビでも騒がれて、わたしは芸能活動こそしてないけど、お父さんの趣味で使っている(たぶん仕事の宣伝も兼ねてるんだとは思うけど)インスタで、赤ちゃんの時からちょこちょこ写真をあげられていた。小学校から私立だったけど、五年生の時にクラスメイトがそれに気づいて、なんだか一時期騒ぎになっちゃって、最初は別によかったのだけど。
     でも、六年生の秋頃、わたしは学校に行かなくなった。
     なんでかな。今考えても、よく分かんないんだけど。
     朝起きてもなんだかおなかの奥がずんとして、動けなかった。そういう日が何日か続いて、それからお父さんが、アカウントを消した。消して欲しかったのかな。分かんないけど。でもちょっとだけ、寂しかったのは覚えている。写真は全部、データは残ってはいるんだけれど。でも、ちょっとだけ寂しくて、ほっとした。
     でも、消して欲しかったのか、載せられていたのが嫌だったのか、嬉しかったのか、わたしはわたしの気持ちも分かんなくて、お父さんの「ごめんな」にも何も言えなかった。
     言えないまま、うちの中はちょっとだけギクシャクして、いったんちょっと離れようかってなって、そうこうしているうちに、いつのまにか、わたしはこうして、お母さんと二人きりで、お茶を飲んでいる。
     お茶っ葉みたいにゆらゆらした言葉の形を、自分で見つけられないまま、蒸され続けている。
     だから、だいじょうぶ、とか、心配しないで、とか、ウソつきナギサの言葉ばっかり、上手になった。
     だから、今晩もそう言った。
    「だいじょうぶ、楽しいよ!」
     ほら。ウソつき。


    2 りっちゃんとの出逢い

     公立の学校って、だいぶ雰囲気違うからね、って、転校前にお母さんが言っていた。
     それはその通りだった。まぁ、そんなもんかな、とは、思う。同じ地域に住んでいるだけで、いろんな人がいるから。
     案外嫌いじゃないけど、ちょっと疲れるのは確かだった。
     まだ、友達も出来ていない。無理に作ろうとも思ってなかったけど。
     前の学校みたいになるくらいなら、静かに静かに息を殺して、過ごしていたいから。
     でも、ほんとうに、学校の雰囲気は違う。
     廊下を歩いているだけでも、なんか汚い言葉を使う男子とかいて聞こえてくるし、からかうようなことを言ってくる子もいる。
     今のところ、女優、若草葉瑠と写真家、桜井遠(とお)の娘だってことに、気がついている生徒はいない。さすがに先生たちは知っているけど。
     でも、お母さん譲りのカオのせいで、時々、告白されたりはする。話したこともない男子に。正直言うと、ちょっと、気持ち悪いな、と、思う。カオだけで何が分かるんだろうって思う。でも、わたしはウソつきだから、そういうのは上手に隠せた。
    「ありがとう。気持ちはうれしいけど、男の子を好きになったことがなくて、そういうの分かんないんだ、ごめんね」
     その日の夕方も、帰り支度していたら教室で掴まって、告白された。
     だからいつも通りの言葉でお断りして、にっこり笑って、あとくされとか、面倒くさいこととか、ないように気をつけた。
     ――つもりだった、ん、だけどなぁ。
     あーあ。大失敗したな、これ。
     心の中でまたこっそりため息を吐く。
     その次の日学校に行ったら、わたしの周りがざわざわしてた。どうやら昨日振った男子は、カースト上位の人気者だったらしい。
     分かんないよ、そんなの。だってこのクラスに入ってまだ二ヶ月。しかもゴールデンウィークとか最初の頃の午前授業だけのころとかいれたら、なじめる時間なんてなかったし。周りの分析、出来てなかったなぁって、ちょっと後悔した。もう遅いけど。
     やっかみとか、興味とか、そういう視線がちくちくする。久しぶりのこの感覚に、おなかの奥がずうんてした。ああ、やだなぁ。もう。
     そんな視線を知らない振りして、わたしはいつもみたいにかばんから取り出した本を広げる。小説のときもあるけど、今日は漫画だ。本は好き。本も音楽も映画も、ここじゃないどこかへ連れて行ってくれるものは、なんでも好きだった。
     今日の漫画は、最近人気のやつ。もともとはSNSで連載してて、人気が出たから本になった。昨日最新刊の三巻が出たから、帰りに買ったんだ。
     タイトルは『影法師の喫茶店』。
     影法師、と名乗る喫茶店のマスターが主人公。どこにあるか分からないその喫茶店には、いろんな人がやってくる、っていうファンタジーで、ちょっと不思議な雰囲気が持ち味のあったかいお話だ。
     数話で終わる短編が続いているうちに、影法師とその周りのこともちょっとずつ分かってくる。
     過去の影を見せるマスター、影法師と、その相棒の灯火(ともしび)と呼ばれる男性二人がメイン。明るくて面白い影法師と、口数少ない灯火のコンビが人気で、どっち派か、で盛り上がったりする、女子に人気の漫画だ。
     わたしはどっち派、も、あんま分かんないけど、お話が好きで読んでいる。
     第三巻は、お話が三つ。そのうちメインのお話は、小鳥が主人公だった。
     歌うのが下手くそな小鳥が、仲間と上手に交信出来なくて、空を飛んでいるうちに迷子になった。みんなの突風の報せをちゃんと聞けなくて、風に吹き飛ばされちゃったんだ。そうして気がつくと影法師の喫茶店に迷い込んでいた、という所からお話は始まっていた。
    「ンッ、ハハ、いいじゃん、俺好きだよ、あんたの歌」
     本当に音程がくちゃくちゃそうな手書き文字で、小鳥の歌としゃべりが描かれている。それを影法師は楽しそうに笑って、灯火が、丁寧に紅茶をサーブしていた。
     わたしが最近紅茶に凝っているのは、たぶん、この漫画のせいだ。
     小鳥はめそめそ泣きながら、紅茶にくちばしをぴちょん、ぴちょんと突っ込んでいる。
     ……鳥って紅茶飲めるのかなぁ、なんて、ちょっと考えちゃったけど。
     やがて小鳥が、喫茶店にたどりついた理由へとお話が移っていく。
     影法師のお店は、過去の影に捕らわれている人にしかいけないから、みんな何かを胸に抱いている。そうしてそれがほどけていくから、このお話はあったかい。
     灯火が淹れる紅茶を、影法師が飲んで終わるのが、いつもの終わり方だ。
     今回の理由はなんなんだろう、と、ページをめくる手が止まらなくなりそうなとき、だった。
    「ねぇ」
     あんまり聞かない声が、わたしを漫画の世界から現実の教室へと引き戻した。
     顔を上げる。女子が数人、わたしを見下ろして立っていた。
     あ、ヤな予感。
     ぞわりと胸の奥を、虫が這ったみたいな気持ち。ぱたんと漫画を閉じて、机の中に滑り込ませた。
    「なに?」
     首を傾げて笑顔で答える。だれだっけ。クラスメイトなのは確かだけど、まだ、名前を全員、覚えていなかった。でも、わりと目立つ子だってのは分かる。名前が出てこないけど。
    「若草さんって、若草葉瑠と、桜木遠の子供なの?」
     ――え。
     一瞬、息が吸えなかった。息が吸えなかったから、声だってもちろん出なかった。
     その子が、スマホを掲げている。教室に射し込む太陽の光で、よくは、見えないけど。
     でも、分かった。
     昔、お父さんが撮っていた写真。アカウントは消えたけど、ネットの広い海の中で、まだずっと漂っている、わたしの写真。どこかの公園の花畑で、楽しそうに笑いながら、お父さんにかけよっていく、小学生のわたしの姿。
    「これ、若草さん?」
     そうだよ、とも、違うよ、とも、何も言えなかった。
     いつもみたいな上手なウソが、喉の奥で引っかかってつぶれている。
     彼女が、笑う。
    「そっかぁ、ゲーノージンなら、理想たかいもんね。仕方ないよね」
     違う。
     違う、そんなんじゃない。わたしが、あの男子にごめんなさいを言ったのは、そんな理由じゃない。ただ、分からないだけだ。カオだけでわたしを好きなんて言ってくる男の子が怖くて、理由が分からなくって、断っただけだ。
     理想なんてない。そんなの、知らない。そんな理由じゃない。
     そう言いたかった。言いたかったのに、声が出なかった。頭の中で、さっきの漫画の書き文字が浮かんでくる。くちゃくちゃで下手くそな、歌うのが下手な小鳥の声。
     それでも、話せるだけうらやましいとさえ、思った。
     そのとき、だった。

    「そういうの、格好悪いよ」

     まっすぐに引かれた、鋭い線のように。
     その声は、教室の中にピンと響いた。
     線の先に目を向けると、ツインテールの髪型の女子が、まっすぐこっちを見つめていた。
     教室の真ん中の席。立ち上がって、こっちを見ていた。
     大きな目が、まっすぐまっすぐ、こっちを見ていた。
    「やめたほうがいい」
     もう一度、凜と、その子が言う。
     その声はとげとげしてないのに、鋭くて、でも、怖くはなかった。
     弦楽器みたいだな、って思った。響いて、まっすぐ、届いてくる。わたしの周りにいた女の子たちは毒気が抜かれたみたいになって、ぱらぱらと去って行った。
     ツインテールの彼女はこっちを見て、ニカって笑った。ごめんね、って言うみたいに、片手をちょっとだけあげて、それから視線を外す。
     知らない。わたし、あの子の名前も,分からなかった。
     誰かがその子に声を掛ける。
    「りっちゃん、かっこよ!」
     小さな声が、耳に届いた。彼女の後ろの席の女子。ふへへ、て得意そうに彼女は笑っている。りっちゃん。名字かな、名前かな。
     こっそりスマホを取り出して、学校書類フォルダの中を確認する。学校から配られた書類は、クラウドフォルダに全部つっこんで、お母さんたちと共有してるから、そこに、名簿もあるはずだった。
     名簿の中から、りっちゃん、って呼ばれそうな名前をそっと探す。
     ――あった。いっこだけ。
     望月律花。
     それが、わたしとりっちゃんの出逢いだった。
    3 自分のコトバ

     学校の時間って、ふしぎだ。その日は朝一でそんな事があって、わたしの周りはいつも以上に静かで、男子も女子も話しかけてこなくて、そんな日はいつもはゆっくり時間が過ぎていってしんどいのに、今日は違った。
     朝のあのキラキラの声がずっと頭の中に響いてて、気がついたら下校時刻になっていたんだ。
     結局あの子――望月さんに、お礼も言えてない。
     靴箱の前で思い出すと、ちょっとだけ胸がざわついた。今日のことを明日に引きずるの、なんかあんまり好きじゃない。でも、どう言えばいいのか分からなかった。
     助けてくれてありがとう?
     なんか、うすっぺらくなりそうだ。
     靴を履きかえてから、ポケットに手を突っ込んだ。お母さん、今日遅かったっけ? ごはん、どうしようかな。それを確認しようとして。
     ――あれ、スマホ、ない。
     教室に置き忘れたらしい。うう、面倒くさい。ときどきやっちゃうんだけど、毎回なんで確認しないんだろうなぁ、て自己嫌悪だ。
     仕方なく靴をもう一度履きかえて、教室に上がる。
    「あ」
     今度は、思わず声が出た。あの時は出なかった声が。
     わたしの声に、彼女がぱっと顔を上げる。教室に射し込んでいた傾き掛けた太陽のやわららかい光が、教室の中の埃と彼女のツインテールを、一緒にきらきらと縁取っていた。
     望月さんは戻ってきたわたしをふしぎそうに見つめてまばたきする。
    「……おかえ、り?」
    「た、ただいま……?」
     そうお互いあいさつしてから、いやそれ違うんじゃないかな、って思ったら、どうやら望月さんも同じ気持ちだったらしく、すごくヘンテコな表情をしていて。
     でもそれは、わたしも同じだったらしい。
     ふたりで顔を見合わせて、同じタイミングで、わたしたちは笑ってた。
     ふたり分の笑い声が、朝のあの事件以降この教室に残っていた呪いの分子みたいなのを、はじきとばしていくみたいだった。
    「あっははは、へんなの! ごめんね。そういえば話したのはじめてだよね。あたし、望月律花。みんなはりっか、とか、りっちゃんって呼ぶよ」
     こく、と頷く。
    「うん、あ、あの。わたしは、若草凪咲」
     みんなは、っていうの、言ってみたかったけど別にあだ名なんてなかったから、それ以上は続けられなかった。望月さんは気にしてないみたいだったけど。
     笑いすぎて目じりに浮かんだ涙をちょっとぬぐって、フフと肩を震わせる。
    「もー。びっくりした。だって、若草さんいきなり立ってるんだもん!」
    「ご、ごめん。だってスマホ忘れて……!」
    「へぇ! 案外ドジだ!」
    「案外も何もわりとやる……」
    「マジで?」
     カンペキそーなのに! って、望月さんが面白そうに笑った。
     お母さんも意外とそのへん口うるさいから、立ち居振る舞いだけは格好良く、って育てられたせいで、見てくれだけはちゃんとしてそうに見える、らしい。案外、って言われても、中身はこんな、ままだけど。でもそれはお母さんもそうだから、遺伝、ってことにして欲しい。
    「あはは、そうだね、勝手に決めつけてごめんね。これじゃみんなと一緒だ」
     ――あ。って、胸の奥がきゅうって締まった。
    「朝はごめんね、急に口はさんで」
     明るい顔でそう言われて、なんだか泣きそうになった。へんなの。
     だからあわてて首を振る。
    「ううん、あの、ありがとう。……う、れしか、った」
     これはウソじゃない。そう思ったらカアってほっぺが熱くなった。声もたぶんすごくちいさかった。はずかしい。
    「あーいうの、なんか、ヤだよね」
     ふうと短く息を吐きながらそう望月さんが言う。こくん、とちいさくうなずいて、その時、視線がとまった。
     望月さんの手元。シンプルな一冊のキャンパスノート。
     なんだろう? と、思った。
     でも、聞いていいのかな、とも、思って、迷っちゃう。
    「あ、これ?」
     望月さんは、気にしていないみたいだった。
     すごく明るいし、さばさばしてる。
     りっちゃん、かっこよ!
     朝、そう言っていたあの子に今さらブンブンと頭を縦に振りたくなる。なんか、いいな。わたしみたいに、おどおどしてない。
     望月さんはノートを取ると、ちょっとだけ、ンー、とうなって首をかしげた。
    「笑わない?」
    「わっ、笑わない!」
     それがなんなのか、分からないうちから断言するのは不誠実だったのかもしれない。でも、わたしを助けてくれた彼女のそれがなんであろうと、笑わない自信はあったんだ。それだけは、ぜったい。
     だから大きな声で言い切ると、望月さんはまた、にかっと白い歯を見せて笑った。
    「ん。じゃ、ハイ、どーぞ」
     手渡されたノートを見つめる。キャンパスノートは表紙に一枚、猫のシールが貼ってあった。それだけで、中身は分からない。
     どきどきした。なにか特別なものを手渡されたような気がして。
     そっと、表紙をめくる。目に飛び込んできたのは、丁寧な字で書かれた文字だった。


    【詩、挿入】


     これは……詩?
     悲鳴のような、祈りのような言葉がつづられている。
     何ページも、何ページも。書いたり、消したり、したのかな。線が引かれていたりマルがつけられていたり。消しゴムのあとも、赤ペンも、青ペンある。
    「これ……望月さんが書いたの?」
     ぽつり、と声が教室の床に落ちる。顔を上げると、どこか大人びた顔で望月さんが微笑んでいた。
    「うん」
     光が。
     望月さんの綺麗な黒髪を染めている。
     ――ああ。って胸の奥が熱くなる。すごい。ただ、そう、強く思う。
     自分の中から出てきた思いを、言葉にしているんだ。
     コトバに出来るんだ。この子は、本物をもっているんだ。
    「正確にはそれ使って、よんでる」
     よん、でる?
     望月さんの言葉の意味が一瞬分からなくて首を傾げてから、あ、と思い出す。
    「そっか。詩って本当は『詠む』って言うんだっけ?」
    「え? あ、違う違う。それはそうかもなんだけど、そーじゃなくってね」
     望月さんは一瞬だけ、廊下に目をやった。
     ひみつを打ち明けるように、声を少しだけ低くする。それでも透明な望月さんの声は、教室の中で特別に響いた。
    「――ポエトリーリーディング、って知ってる?」
    4 ポエトリーリーディング

     画面の中で、さらさらと雨が降っている。
     ちいさなスマホの画面の向こうには、雨の街が広がっていた。よく知っている公園や、知らない街角、電車の中から見る、流れていく景色。
     そして、音が流れている。スマホの少し割れた音が、やさしい音楽を流している。
     やさしい音楽と、それから。
     ――透明で強い、望月さんの声。

     【詩、挿入】

     歌じゃない。ラップでもない。語るように、訴えるように、でも音に乗って、望月さんのコトバが、声が、流れていた。
    「あんま、知られてないけどね」
     自分のスマホの中にあるその動画を見せてくれながら、望月さんは動画の中と同じ声でささやくように、言った。
    「自分で書いた詩を、自分で声にするの。そういうことを、してるんだ。だから、読んでる、って言ったの」
     ドキドキと心臓が高鳴っていて、耳のすぐそばにあるような気がした。
     こんな世界、知らない。
     SNSで動画は見るし、漫画も小説もお芝居も音楽も、親の影響で色々見たり知ったりしている方だと思っていたけれど。
     こんな世界は、知らなかった。
    「――コトバって強いよ。だからあの時、あなたを傷つけようとする言葉が嫌だった。嫌だったから、思わず横入りしてた。勝手に、ごめんね」
     困ったように笑う望月さんに、思いっきりブンブンと首を振る。
     すごいと思う。かっこいいと思う。ありがとうって思う。
     でもそのどれを使っても、なんだかわたしの口を通してしまうとウソつきの言葉になりそうで、選べなかった。
     代わりに出てきたのは、バカみたいに訊ねる台詞だ。
    「こういうの、わたしたちみたいな子供でも出来るんだね」
     わたしの言葉に、望月さんは「あー」とちょっと恥ずかしそうに笑ってスマホをしまう。
    「出来る出来ないで言ったら、ちゃんとやれる子はいるとは思うけど。あたしの場合は、詩と読む以外は全部他におねがいしてるから」
    「おねがい?」
     うん、と頷いてから、望月さんは置いていたノートをかばんにしまった。リュックを背負いながら、帰ろうか、と、言ってくれた。
     誰かと一緒に下校するの、この学校に来てから初めてだ。
     そろって靴箱で靴を履きかえて、校門へと向かう。
     五月の空は真っ青で、先月までの春の水色を忘れているみたいだ。
    「あたしのポエトリーリーディングの曲を作ってくれてるひとがいるの」
    「えっ、あれ、そのための曲なんだ!」
    「うん。あのね、ケイっていう大学生なんだ。隣の家のおにいちゃん。パソコンで音楽作ってるんだよ!」
     すぅって、望月さんの目が細くなる。興奮したみたいな言い方とそのキラキラした目で、あ、って気づいてしまった。
     お母さんの影響で、お芝居とかよく見るせいかな。お父さんの影響で、写真集とか見るせいかな。こういうの、すぐ、分かっちゃう。
     望月さんのキラキラが向く先の、男の人。どんなひと、なんだろう。
    「ケイくんがね、音楽作って、あたしの朗読を録音もしてくれるの。それを合わせたり動画にしたり、全部してくれるから、あたしたち活動出来てるんだよ」
    「活動?」
    「うん。YouTubeとかで発表してる。登録者数とかはゼンゼンだけどね。でも」
     五月末の、青空の下。望月さんは、全身から光の粒を出していた。
    「――だれかにちょっとでも、届くといいよね」


     連絡先を交換して、望月さんたちの活動ネーム《フルムーン・スタイル》を教えてもらって。もうすぐ前期の中間テストだね、って苦笑いしたりして。そんな普通のことを話しながら下校した。公立学校ってすごいなって思ったのが、家も案外近かったこと。もしかしたらそのうち『ケイ』さんを見かけることもあるかもな、って思えたくらいだ。
     家に帰ってから、タブレットで《フルムーン・スタイル》のチャンネルを検索した。
     上がってた動画は六本。ひとつずつ、聞いていった。遠足の前のわくわくを閉じ込めたみたいな詩もあれば、夜のトンネルで迷子になったときみたいな詩もあった。
     その、どれもが、望月さんのまっすぐな声と言葉で、響いている。
     調べてみたら、他にもいろんなひとが、ポエトリーリーディングっていう動画をあげていた。歌い手さんみたいに多くはなかったけど、それでも。
     すごいな。
     こんなに自分の言葉を持っていて、自分の声で誰かに届けようとしている人がいるんだ。
     望月さんの声。
     色がついていなくて、音の粒がはっきりしていて、どんな言葉もありのまま届けてくれる。滑舌が良いのかな、すごく上手だ。でも、嘘くさくない。
     夢中になって動画を聞いていた、その時だった。
    「ナギー。ただいまー」
     玄関からの声にはっと顔を上げる。
    「えっ、お母さん⁉」
     あわてて玄関に向かうと、お母さんが笑っていた。
    「ただいまー、あわててお迎えありがとね」
    「おかえり、え、あれ⁉」
     今何時? ってあわててたのが分かったのか、お母さんが笑う。
    「七時だよ。その様子だとごはんはまだだね?」
    「え、早かったね⁉ あ、ごはんまだ何にもしてない!」
    「いいっていいって。オムライスでもつくろっか!」
     今日お母さん早かったんだっけ? そういえばスマホ、ちゃんと確認してなかった。
     サニタリールームに引っ込んで、いつもみたいにおうちスタイルになったお母さんが、キッチンに立つ。
    「ひさしぶりにキッチンだー、いつもありがとね、ナギちゃん」
    「うん。あ、サラダ作っちゃうね」
    「よろしく!」
     ふたりでやると、料理だってすぐ出来た。チキンライスにふわふわ卵をのせて、そうっと包丁でわる。お母さんは、このふわふわ卵が天才的に上手だ。
    「ふっふ。かんぺき!」
     どやっ、てお母さんが嬉しそうにするのが、わたしはいつも好きだ。そろってご飯を食べて、お互いのことを少しずつ話す。
     サラダのトマトを食べたお母さんが、少しだけ目を細めた。
    「凪咲。なんか、良いことあった?」
     ――え?
     突然の言葉に、わたしは一瞬戸惑った。
    「いつもより、表情(かお)、明るいよ」
     うう、そんなに分かりやすいのかな。ちょっと恥ずかしくて耳が熱くなる。
     どうしようかな。どこまで言っていいのかな。でも、なんだか、もうちょっとだけナイショにしたい気もした。この気持ちをまだ、自分だけのものにしていたいような、そんな気分だった。
    「と、もだちと」
     ともだちって、言っちゃった。良かったかな。いい、よね。連絡先、交換したし。さっきもスタンプ、送られてきたし。
    「放課後、色々、話、したんだ」
     それ以上どう言えばいいのか分からなかったけど、お母さんはそれで充分だったみたいだ。よかったね、と笑って、ああ、わたしのウソなんて、とっくに見抜いていたのかなぁってちょっと思った。わたしは、女優若草葉瑠を騙せるほどの演技力なんて、あるわけなかったのかもしれない。
     ごはんを終えて、宿題をあわててこなして、お風呂に入って。ちょっとだけ録画していたお母さんの出ている番組を見て。そんな時間を過ごしても、まだ、ティータイムをするくらいの余裕があるのが嬉しかった。
     今夜は、マスカットティーにした。そういえば、漫画、まだ途中だったなぁ。小鳥、どうなるんだろ。今回の紅茶はなんなのかな。
     用意をしながらぼんやり考えて、いつものように用意したお茶をお母さんが注ぐ。ゆっくり息を吹きかけて冷ましながら、紅茶を口に含んだとき、だった。
    「ねぇ、凪咲」
    「ん?」
    「オシゴト、してみない?」
     ――マスカットティーは、鼻に入ると、すごく、痛い。
     人生においてぜったい必要のなかった知識を、わたしはその瞬間、知った。
     げっほんごっほん咽せながら「え? なに?」と聞き返す。なんだって?
     お母さんはしれっとした表情でティッシュをわたしに差し出しながら、もう一度、聞き間違えようのないくらいはっきり、言った。
    「オシゴト、しない?」
    「ぜったいいや」
    「お断りめちゃくちゃはえ~!」
     お母さんがケラッケラ笑う。そうじゃない。そうじゃないと思うんだけど!
    「なんでそんな話がいきなり⁉」
    「や、依頼自体は前からちょくちょくあちこちから来てはいたんだよー」
     知らない知らない。そんなの。お父さんからの流れで、ジュニアモデルの話がきたことは、あったけど! 断ったけど!
    「今までお母さんが断ってくれてたってコトでしょ? なんでそれを今こっちに聞いてくるの」
    「ガッコ」
    「ガッコ?」
    「学校しんどいなら、外の世界もあるよって伝えたかったの。凪咲。あなたの世界は、うちと、遠くんと、学校だけじゃないよ。世界って、案外広いんだから」
     ――ああ。やっぱり。女優、若草葉瑠を、ウソつきナギサは、騙せていなかったんだ。
     そうすると、わたしは、弱い。だってそれは、お母さんの純粋な好意だってコトだから。
    「……ぜったい、やだ、けど」
    「うん」
    「どんな、内容?」
     聞くだけでも聞かないと悪い気がして。そう、聞いてしまった。
     お母さんは待ってました、と、ばかりに、にっこりした。
    「朗読劇なの」
    「朗読劇……。舞台で、朗読するアレ?」
    「そそ。前に配信で見たでしょ」
     頷く。お母さんの知り合いの俳優が出てるとかで、配信をうちで見たことがある。その時は人気の小説の朗読だった。朗読劇って言っても、衣装はそれっぽいのを着ていたし、役ごとに俳優さんがいた。
    「影法師の喫茶店、って、知ってる?」
     お母さんの口から漏れたそのタイトルに、わたしは変な声を漏らしてしまった。
    「……三巻、昨日買った」
    「あ、ほんと? なら話はやい! それそれ。それの朗読劇。パートワンはもう演っててね。わりと評判よくてパートツーが企画されたんだよ、で、ね」
     頭の中に、影法師と灯火の絵が浮かぶ。
     いやいや待って待って。正気?
     混乱するわたしを前に、お母さんは灯火が淹れた紅茶を飲む影法師と同じ仕草で、わたしが淹れたマスカットティーをスマートに飲んでみせる。
     そして、晴れ晴れとした笑顔を見せた。
    「子役、探してるんだって」
     語尾にハートマークでもつきそうなお母さんの甘ったるい声。頭痛がする。だって、わたしは、娘として知っている。
     お母さんがこういう声を出すとき、だいたいもう『決まったあと』だから。
    5 恋する小鳥

     とりあえず一旦保留! とお母さんに言ってから、部屋に引っ込んだ。
     かばんに入れっぱなしだった漫画本と、本棚から一巻と二巻も一緒に取り出す。
     ベッドに置いて、その横に座った。
    『影法師の喫茶店』
     お母さんが持ってきたのは、このお話の役。しかも、第三巻の、小鳥役だった。
     上手に歌えない小鳥。みんなとはぐれた小鳥。影法師によって過去がひもとかれていくお話は、いつもどおり面白かった。
     小鳥は、恋を、していた。
     村に伝わる、災いをもたらすドラゴンに。
     もっとも、そのドラゴンは本当はわるいドラゴンなんかじゃなくて、ただのはぐれドラゴンだったんだ。小鳥はそのドラゴンのもとに通って、ドラゴンと話がしたくてずっとドラゴンの言葉を真似ているうちに、鳥の言葉が、歌が、下手くそになっちゃった、という内容だった。
     でもドラゴンは、村の山から追い出されてしまっていた。
     小鳥はそれを探して、旅をしていて、だけど風にあおられて、影法師の店に辿り着いた。
     最後は灯火がドラゴンを探して、小鳥との再会でしめられていた。
     綺麗なお話。綺麗なお話、だけど。
     だけど。
    「演技なんて、出来ない、よ」
     うう、と口からうめき声が漏れた。見てみて、とお母さんに押しつけられたブルーレイをちらりと横目で見る。パートワンのときのやつ、らしい。こんなの持って帰ってくるって、もうそれほんと、ほぼほぼ決定なんじゃないの?
     ゲーノージン、とからかわれて、違うって言えなかったその日の晩に、こんなのある?
     ぜったい、ぜったい無理だと思う。だって、ウソつきナギサは嘘つくの上手っておもってたのに、それすらお母さんはだませてなかったって、気づいた直後なんだよ。無理すぎる。しかも好きな漫画。これ、わたしが壊したらどうするの?
    「うー」
     うめいて、ぺたりと枕に顔を埋めた。柔軟剤のスズランの匂いがふんわり漂う。
     無理。無理なんだけど。まだ、お父さんから昔言われた、モデルの仕事のほうが、やりやすいまであるんだけど。
     でも。
     保留、なんて、言っちゃった理由。わたしは本当は、分かっているんだ。
     そっとタブレットに手を伸ばす。
     さっきまで見ていた、望月さんの――ううん、ポエトリーリーディングチーム《フルムーン・スタイル》の動画を開く。
     流れる音楽。つづられていく言葉。まっすぐ響く声。
     泣きたくなってしまうくらい。
     あんなふうに明るく見える望月さんも、こんな気持ちを知っている。こんな気持ちを知っていて、言葉にしてくれている。わたしはそれを聞いて、泣きたくなっている。わたしの夜中の気持ちを、だれかが知っていること。声に出して伝えてくれていることがうれしくて、やさしくて、泣きたくなっている。
     それが、そう、羨ましい。
     格好良くて、まぶしくって、憧れている。
     ポエトリーリーディングと朗読じゃゼンゼンちがうのは分かる。だって、朗読劇は誰かになって誰かの言葉を演じるんだ。わたしは小鳥の言葉をつむがなきゃいけない。
     自分の言葉を、望月さんみたいに告げられるわけじゃない。
     でも。わたしは、わたしの言葉を知らない。わたしの言葉を持ってない。本当のことがあんまり、ちょっと、上手く言えない。
     だから、いまは。
     心臓がバクバク音をたてている。新しい世界がそこにあることを感じている。
     漫画のページをめくってみた。
     ドラゴンに恋をして、でもその相手は言葉すら違って、追いつこうとして自分の歌が下手くそになっちゃった小鳥。
     恋する気持ちなんて、知らない。でも、言葉を探して言葉が下手くそになっちゃう小鳥は、ちょっと、ちょっとだけだけど、分かる気がしてしまったんだ。
     もし、演じられたのなら。
     教室の光の中で、キラキラ揺れていた望月さんのツインテール。
     彼女みたいになれるわけじゃなくても。自分の言葉じゃなくても。ウソつきナギサは、もしかしたら、ちょっとだけ本物になれるのかな。
     まぶたを一度閉じてから、ブルーレイディスクを手に取った。
     とりあえず観てみよう。それから、考えよう。
     そうして、自分の部屋のモニタで再生ボタンを押す。

     ――まっすぐ響く朗読劇の声は、望月さんの声とおなじで、わたしの真ん中にするり、と入ってきた。
     そう。入ってきた。入ってきて、しまったんだ。




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