3歳〜十八錦入学直前までの簡単なメモ血の繋がったおとうさんは、まさが生まれる
少し前に病死したそうだ。
「まさには、おとうさんいないの?」
そう聞いた3歳になりたて、
保育園児だった俺を、優しく抱きしめながら
おかあさんはそう答えてくれた。
その「びょうき」は天国に連れて
いっちゃう悪いやつだと、
生まれて初めて知ったのがその時だった。
小学校に上がる少し前、年長に当たる
6歳のとき、お父さんができた。
母が再婚をしたと知ったのは
もう少し後だったが、初めて「お父さん」と
呼べる存在が出来たのが嬉しくて
たまらなかったのを今でも覚えている。
ランドセルを背負ったお兄ちゃんもできた。
かっこいいな。
二人とも、一緒にまさと遊んでくれるかな。
お母さんと2人きりも楽しかったけど、
それよりも多くなった。
4人なら、もっともっと楽しくなると思っていた。
小学生になった。
変わったことと言えば、僕が小学生になったこと、お父さんが会社でえらくなったこと、
それから…───お母さんが病に倒れたこと。
僕と育てながら生活するため働き続けていた期間が
長かったから、ついに身体を壊してしまったらしい。そういえば、風邪を引いている時も
鼻水を垂らしながらお仕事に行っていたっけ。
「まさくんの顔見たら、お母さん元気いっぱいよ!」と笑ってくれていたから、気づけなかった。
お医者さんがお母さんには病気があるって
言うまで、気づくことが出来なかった。
僕は、どうしたらいいんだろう。
幼い僕には何もできなくて、
毎日病院に通うことしかできなかった。
小学2年生の夏。ひまわりが咲くころ。
お母さんが天国に行ってしまった。
汗で白シャツが張り付いて気持ちがわるい。
足元が揺らぐ。
最期までニコニコ笑顔でいたけど、
棺に入れられて、お花に囲まれたお母さんは、
本当に元気だった頃のお母さんより
何倍も小さくて、死化粧を施されて
まるで人形のようになったお母さんは、
偽物なのではないかと思ったが、
声をかけても返事はついに返って来ないまま、
お母さんは小さい壷の中に入ってしまって
ようやく現実を理解した。
ああ、またしても病気に大切な人を連れて
行かれてしまった。
母が亡くなって、1年、2年と経った。
もうすぐ小学校も卒業となるが、
兄さんと遊んだ覚えもなければ、
父さんに撫でてもらった記憶もない。
最初は「僕は家族なのに、なんでだろう」と、
悩む日も多くあったが簡単な話だった。
僕は家族の中に“本当の意味での”家族ではないから、蚊帳の外なのであると。
兄さんは父さんと血が繋がっている。
でも、僕は当然だが今の父さんとは
血が繋がっていない。クラスメイトの言う家族とはまた違った形だから仕方がない。
……仕方がないんだ。
仕事帰りの父さんは、兄さんの頭は撫でるが、
僕の顔を見ると、眉間に皺を寄せて
「……あの女に、似てきたな」と呟いていた。
誕生日のケーキも、プレゼントも、
いつも僕の分は特売品シールが貼られていた。
どうしたら、家族だって認めてもらえるのだろう。
そう思いながら、自分の部屋に戻る途中に
兄さんの鞄からはみ出していた物に気付く。
92点のテスト。
もっと上の点数を取ったらもしかして……!
愛される方法はこれしかないと気がついた僕は、
早速勉強机の照明を点けて特売品のドリルを
解き始めるのであった。
父の仕事の関係で隣の市の中学校に入学した。
丁度休みだった父が来てくれたが、
上手く笑えない。母さん、ごめんね。
小学校の卒業アルバムは見事に真っ白だったけど、そんなことはどうでも良い。
真面目に勉強して、良い成績を取って
褒められるために努力をするだけだ。
ヒソヒソと俺を揶揄する声、ガリ勉と
馬鹿にする声も聞こえたが俺はそういったことは
特に気にしていなかった……と言えば嘘になるが、
ただ、父と兄に認められたい気持ちの方が強くて
何も応じなかった。
テレビや雑誌や小説で見るような、
そんな家族になりたいだけなのだから。
当然だが、友人と呼べる友人も出来ず、
告白された記憶もないまま中学3年間過ごし、
進路を決める時期は迷わずに
十八錦高等学校への進学を決めた。
卒業後も将来性がある私立の男子校。
学費の面も考えて、特待生の試験を突破し、
晴れて次年度から十八錦生となることが決まった。
きっとここでも、同じようなことを
繰り返して、父や兄に認めてもらえる自分に
なるために勉強だけしていくのだろう。
そう思っていた。