ゆったりと日常の空気が流れる中、カラント君が「しっかしなあ」と背伸びをした。
「天候士ってのは地味だよなあ。たまにはもっと派手な仕事があればいいのに」
「カラント先輩、不謹慎ですよ」
「お、お、かっこつけか? ナビアさんの前だからっていい子ぶりやがってよぉ」
「そんなんじゃないです! 何ですか、ジュースで酔ったんですか? ナビアさんからも言ってくださいよ!」
「うーん」言って、ってもなあ。「天候士は元々地道な仕事だし。派手、って、たとえば?」
わたしの問いに、カラント君はちょっと困ったように、
「具体的にはって……ホラ、たとえば……リュー使い! 空を割り、彼方よりリュー使いあらわる! とか、報告してみたくないか?」
ごくん。飲み込む辛味が胃をちくちく刺激する。誤魔化すように呷る葡萄ジュースは甘い。甘い。
「リュー使いって」エルデ君は呆れ顔だ。「先輩、いい大人のくせしてそんなお伽噺を信じてるんですか」
「お伽噺じゃねえって。俺の故郷のローバス国にはちゃんと『リュー使いが当時の国王に謁見した』記録が残ってるんだからな」
「はいはい、『岩をも一刀両断の剣士』『湖を断ち割る斧使い』『一発の弾丸で七人を倒す凄腕ガンマン』でしょう?」
「……詳しいな?」
「……別に」
「えー、お伽噺に随分と詳しいなー? 大人なのになー?」
「うっざ! 先輩うっざ!」
賑やかな矛先が「「ナビアさん!」」こっちを向く。口論相手に何か言ってくれ、とそれぞれに言われ、わたしはジュースの注がれたコップを傾ける。「そうだねえ」中身は、空だったけれど。
「エルデ君はタストン国の出身だったよね。自分の国が悪く言われるのって、やっぱり嫌だったりする?」
途端。カラント君はちょっとバツの悪い顔になり、エルデ君も困ったように姿勢を正す。
「そういうのは無いです。リュー使いに倒されたミランダ王って、大公殿下より以前の王でしょう? 今のタストン国とは別の国みたいなものだし」
「そういうものなんだ」
「そういうものですよ」
そうなんだと繰り返し、二人の方に魚フライを載せた皿を寄せる。座り心地の悪い会話はそれでお仕舞い。あとは仕事の愚痴とか今年の収穫祭が楽しみだとか、そんな話題になる。
お昼を片付けたら日報をつけて、それでわたしは店仕舞い。夜まで残るカラント君とエルデ君に挨拶をして、二輪車を引っ張り出して、朝は一生懸命登った坂をのんびり下る。
空は晴れて明るく、アースシールドの威容がうっすらと見える。
割れるなんて到底考えられない、その雄大な姿を見上げ。わたしは急におじいちゃんに会いたくなった。
坂を下りきったところでハンドルを握り、勢いよく方向転換する。
景色がぐんぐん流れてゆく。スピードを上げると景色が溶けて、弾む息だけが聞こえて。まるで、世界にわたし一人みたい。
リュー使いは、ある時期までのティア・ダナーンでは単なるお伽噺だった。ティア・ダナーンのはるか上空、アースシールドの『上』に存在する伝説の世界『アースティア』。そのアースティアに存在する、リューなる特別なソリッドに乗る人たち。悪しきものを退け、善き人を助ける異界の勇者。
お伽噺のリュー使いが現実に現れたのは数百年前のことだ。但し伝説通りの英雄ではなく、ティア・ダナーン全土を我が物にせんとする悪逆王ミランダの尖兵としてだった。
ミランダの命令の下、リュー使いは諸国を荒らし回った。王様も軍隊も敵わなかった。リューとリュー使いは強かったから。
誰もがうなだれ、諦めたその日。
アースティアのリュー使い達が空を裂いて現れた。
彼らは激戦の末ミランダを倒し、非道な手段で操られていたリュー達を解放した。かくしてティア・ダナーンは平和を取り戻し、アースティアのリュー使い達はそれを見届けると再び空へと舞い上がり、アースシールドに生じた裂け目から元の世界へと還っていったのだった。
これはお伽噺じゃない。ほんとうにあったこと。
わたしはブレーキを強く踏む。汗が逆巻く風で冷やされて、耳の端っこをじんわり痛くする。
人間種よりも長い耳。エルフの証。長命なるもののしるし。
人間のカラント君やエルデ君にとっての遠い昔の歴史は、わたしにとっては子どもの頃の記憶だ。わたしはあの暗い時代を生きた、理不尽の終わりを見た、わたしはアースティアのリュー使いを、
「久しぶり、おじいちゃん」
お墓の前でわたしは呟く。
「リュー使いの話、しなかったよ。これでいいんだよね――?」
風が、わたしと並ぶお墓だけの墓地を駆け抜けていった。誰かの供えた花が揺れた。
おじいちゃんはすごい人だった。ミランダの暴虐を諌め、そのせいで何十年も囚われの身になってそれでも諦めず、伝説の地アースティアから正しいリュー使いを呼び寄せた、大賢者の肩書きに相応しい人だった。
おじいちゃんはすごい人で、苦労に見合った栄誉を得てもいいはずだった。でも『そう』はしなかった。
――死んだあの子たちの分まで、ナビア、お前を守らせておくれ。
わたしが生まれる前から牢に閉じ込められていたおじいちゃんは、初めて会った孫のわたしの手を取って、そう言った。
――世界を救った肩書きなどなくていい。お前がこの国で、平凡に、平穏に暮らせるよう、この老骨に守らせておくれ。
おじいちゃん曰く。本当にアースティアのリュー使いを呼んだのはおじいちゃんではなくわたしらしい。わたしにはそういう力があるのだと。おじいちゃんは、わたしとアースティアのリュー使いを繋げただけだと。そして、力を持っているのに力の使い方を知らないわたしが世に出ることは、わたしにとっての幸せにはならないだろう、と。
両親を亡くしたわたしは唯一の肉親に応えたくて「うん」と言った。そのときからおじいちゃんは唯の老魔法使いに、わたしは特別じゃない女の子になった。特別な力なんて無い、リュー使いになんて会ったこともない、普通の子に。
二輪車を思いきり漕いで疲れたからだろうか。瞼が下がってくるのを感じ、わたしは目元を手の甲で擦った。
おじいちゃんは正しかったのだと思う。わたしは特別じゃないけど好きなことを仕事にして、日々をつましく、それなりに楽しく生きている。後悔なんてない。
ふあ、と欠伸が出る。日はまだ高い。ちょっと木陰で休んでいこう。
眠気に誘われるまま地面に腰を下ろし、背中を木の幹に預ける。途端に重くなる瞼に逆らえない。視界が暗く、暗くなり。
――後悔なんてしていない。
――けれど。
出会いを、あったことを、『なかったこと』にするのは、少し、ほんの少しだけ――。
目を覚ますと知らない森にいた。お尻の下からしっとり濡れた緑のにおいがした。目を擦って、瞑ってまた開けて、それでも景色は同じままだったので、わたしはようやっと現実を受け入れたのだった。
「どこ、ここ」
ひんやりとしたズボンのお尻を押さえつつ、わたしは呆然と周囲を見回す。此処は何処からどう見てもうら寂しい墓地ではない。途方に暮れて空を見上げれば、緑を繁らせた枝がみっしりと絡み合い、隙間から薄ぼんやりとした光を落としていた。寝惚けて迷い込んでしまったんだろうか。でも墓地の近くにこんな森あったかなあ――苔に覆われた地面を用心しいしい踏みしめる。
と。
人の声が聞こえた。心細かったわたしはとにかく声の方へ、声の方へと進む。
森に反響しくぐもっていた音が段々はっきりしてくる。声は幼い子どものものだ。細くて高い、しゃくりあげる声。混じって宥めるような声も聞こえる。
かさり。枝を押しのけて、わたしはようやっと声の主を見つける。
やっぱり子どもだった。淡い水色の髪の、まだ小さな子。片方の足は靴下で、一瞬見えた足裏は泥だらけだった。細い腕に緑の……毛玉?ぬいぐるみ?を抱いて、ぐすぐすと洟をすすっている。
「ちちうえぇ……ははうえ……」
涙混じりの声が森に響く。
「おにーちゃ、どこぉ……アレクおじちゃん……うっ、うええ……」
泣く子どもの腕の中、緑の毛玉が「ハグー……」と鳴いた。生き物だった。
迷子だ。十中八九間違いない。わたしは子どもに呼びかけるべく息を整える。いやまあわたしも迷子といえば迷子なんだけど、一人より二人がましだろう。
けれどわたしが声を出す前に、幼子の向こう側の茂みががさがさ揺れる。小さな背中が強張り、細い腕から緑の毛玉が勢いよく飛び出し幼子の前に仁王立ちになる。わたしも硬直する足を必死に動かそうと、して。
「見つけた!」
「お……にいちゃああ!」
茂みを割って現れた男の子に幼子がすごい勢いでしがみつくのを見、安堵で力が抜ける。緑の毛玉は蹴飛ばされて「ハグ~」と悲しげな鳴き声を上げていた。可哀想に。
「お前はまだ早いからついてくるなって言ったじゃないか」
「だってえ、だってえ……」
お腹の辺りを涙と鼻水でぐしゃぐしゃにされて、男の子は困ったように頭をかく。毛先があちこち跳ねる茶色の髪は『兄』という割にはあまり似ていない。
「しょうがないな……すみません、今日はこいつを連れて帰ります」
まだ他に人がいたんだ。男の子が話しかける方向になにげなく目を向けて。
わたしは目が離せなくなる。何故か。
男の人だった。白い人。真っ白な服に、獣のたてがみみたいに伸びた白い髪の。
「構わない」
落ち着いた声。聞いたことのあるような、「私もしばらくこの国に滞在するつもりだ。時間ならある」穏やかな、やっぱり初めて聞くような、胸がぎゅっとなるような、声。
「さて」白い人が地面に膝をつく。白い服に泥がつくのも構わず幼子と目線を合わせる。「パフリシアの王子は泣いたまま帰るおつもりかな」
幼子がぐすぐすと顔を上げ。ごしごしと、手の甲で顔を擦って。
「き、きしどーだいげんそく、ひとつ」
「うむ」
「きしはっ、人前で、なみだを見せては、ならないっ」
ずずっと鼻水をすすり、幼子は「だから、泣いてない!」高らかに宣言した。服をべしょべしょにされた男の子が物言いたげな表情になり、緑の毛玉はなんだか嬉しそうにぴょんと跳ね、白い人は。
「そうか」
穏やかに。
懐かしいものを見るかのように、目を細めて。
ばきり。わたしの足の下で枯れ枝が折れたのは丁度そのときだった。弾かれたように四つの視線が全部わたしへと集まる。
「あ、あの、わたし」
きょとんとする幼子を庇うように、男の子が前に出る。その足元で、緑の毛玉が手足をいっぱいに広げて「近寄るなハグ!」わたしを威嚇する。あ、喋れたんだ。
「え、あの、驚かせるつもりはなくって、え」
白い人が。わたしに向かって、歩いてくる。近づく。一歩。二歩。それだけのはずなのにもうこんなに近い。さっきまでの穏やかな雰囲気はどこにもない、感情の見えない、冷えびえとした目が、わたしに向かって、手には禍々しい黒の剣、いつ抜いたのか全然見えなかったそれがどんどん、あっという間に剣の切っ先が今にも触れそうなところに、迫って、
「あ、あ、本当に、わた――っ?!」
恐怖のあまりあとずさった身体が、がくんと沈む。景色が回る。足の下には何もなかった。必死で伸ばす手がむなしく虚空を掻く。存在に気づかなかった崖へと吸い込まれ、わたしは落ちていった。
背中を床に強か打って、わたしはけほけほ咳き込んだ。
自分が倒れているのが木の床で、見上げているのが修繕あとの幾つもある天井なことに呆然とする。さっきまで森にいたのに。
「お姉ちゃん、だれー?」
あと、全く知らない子に顔を覗き込まれているのにも混乱する。森で見かけた兄弟と同じ年頃だけど、その子たちではない。顔も服装も全然違う。あと数が多い。「どうしたのー?」「知らない人がいるー!」あと増える。どんどん増える。
「ええっと、ここは」
身体を起こすわたしを子どもの一人がしげしげと眺め、「院長先生とおんなじ耳だ!」叫んだ。
「い、院長先生?」
「あーホントだ!」「じゃあ院長先生のおともだち?」「おじいちゃん先生かも」「おじちゃんのおともだちかも」「おじちゃんは違うよ。おじちゃん友達いないもん」
わあわあ。きゃあきゃあ。声の洪水にくらくらする。
「お客さんを案内してあげるね! こっち!」
年長の子に手を引かれるままわたしは身を起こし、子どもたちに囲まれながら廊下を歩く。足元がきいきい軋み、子どもが騒ぎ、年長の子が「うるさい!」と叫ぶ。
「はい、院長先生はこのお部屋だよ」
「あ、ありが、と、う」
そうやって。開けたドアの先にさっき剣を手に迫ってきた男の人の姿を見つけ、わたしは固まってしまったのだった。