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    _0oo0oN

    R18/NSFW/特殊性癖
    偶に全年齢

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    _0oo0oN

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    執筆中のロボトミAU「SephirahSwap」より
    ゲブラーの話です。swapゲブネキはコーヒー大好き苦労人

    (原稿収録予定ですがあまりにも執筆遅いので限定公開)

    ノアの箱舟永遠に続くと思われた激情は一閃の冷血な思考によって終焉を迎える。
     懲戒チームの中央で目覚めたゲブラーは「またか」と額を押さえた。この頃よく夢を見るようになった。夢と言っても記憶の処理に行われる奇妙な夢ではなく、永遠に無の道が続く夢だ。ただ目を閉じているだけの感覚なのに意識ははっきりと存在する。悪夢とは呼ばなくても、起床した朝は嫌な汗がじっとりと身体を伝っている。
    「ああ…そうだ管理人が来るんだったな……」
     アブラムからある程度話は聞いていたが、と寝ぼけながらゲブラーは腰を立たせ、管理人が待っている中央の入り口へ向かった。如何にも気の弱そうな女性が鮮血と鉄の臭いが香る懲戒部署にいた。ゲブラーは頭をポリポリ掻いてから彼女に話しかける。
    「お前が…あー……新しい管理人か?」
    「あ、貴方が『ゲブラー』?」
    「ああ。私は【懲戒チーム】のセフィラ『ゲブラー』だ。まあ、ちょいと息苦しく感じるかもしれねェけど、仲良くしてくれると…その…嬉しいというか…」
     もごもごと口を動かしながら自己紹介をするゲブラーを見てか、管理人はふふっと楽しげに微笑むとゲブラーの手を取った。
    「これからよろしくね、ゲブラー!」
    「あ、ああ」
     管理人の小さな手をゲブラーは握り返す。ゲブラーは脳裏にちらつく影を払いのけながら、彼女の笑顔を無骨な表情に受け入れようとしていた。
     懲戒チームはよく誤解を受ける部署だ。ゲブラーは通りすがりの情報職員に声をかけようとすると、脅えられスルーされるのをつい先ほど体験して「ハァ…」と徒労の溜息を漏らした。
     元々この容姿もあってか誤解されるのはよくある事だったが、今日は一段と怖がられる機会が多かったのだ。ゲブラー自身は職員を何よりも大切にしており、アブノーマリティから殺されないよう強く育てる役割を担っている。懲戒チーフはその事をよく理解してくれたが、懲戒にやってきた者、懲戒ではない者はゲブラーが恐ろしい怪物に見えるのか…目が合う度、子ウサギのように飛び上がっていた。
    「別に好きでこんな容姿に生まれたわけじゃないんだがな…」
     罅割れたガラスに映った自分の姿を見る。寝癖を整えていないようなボサボサとした不潔な髪型に、鉄錆の独特の臭いを象徴させたくすんだ赤……何もかも望んで持った色じゃない。彼女は生まれた時からこんな姿だった。誰よりも誤解されながら、誰よりも職員を強くし怪物に負けないように育ててきた。だが、それも容姿の所為でなかったことにだってなる。
    「アンタみたいに魅力的な言葉があれば、私も職員を無下に殺したりしないのに…」

     その日の業務はやや淡々とされど刺激のない単調ではない時間が過ぎていった。白昼の試練を終えたところでゲブラーは大きく伸びをすると身体のあちらこちらがパキパキと鳴る。最近は深夜まで残業する機会が増えたことへの対価か…と思いつつも、新しい管理人の工夫もあってか以前よりは苦痛に感じることは減っていた。
    「あとは……WAWクラスのアブノーマリティを鎮圧すればミッションは終わりだな…」
    「あ、あの…ゲブラー様…」
    「なんだ?」
    「その……実は…」
     職員が何か伝えようとしていた時だった。突然レベル2の警報と、アブノーマリティの脱走を報せるアナウンスが懲戒のスピーカーから聞こえてきた。ゲブラーは全身の毛が騒ぎ立つように目を見開く。アナウンスによると脱走したのは【大きくて悪いオオカミ】一体のみだったが、既に二名の死者を出しており現在懲戒チームに向かって中央本部を走っているという事だった。
     全身から血の気が引いていく感覚に陥ったゲブラーは、その場から動けなくなる。チーフの声も耳に届かず、ただ「あああ」と言葉にならない単語を発するだけだ。あの時も、あの時も、そうだった。自分は臆病者だったから誰も救えなかったんだ……。自分が番人という存在に屈してしまったから、職員は……仲間は………。
    「ゲブラー!ゲブラー聞こえてる」
    「……ッ!」
    「今、中央本部から懲戒に向かってアブノーマリティ【大きくて悪いオオカミ】が脱走しているわ!急いでレベル未満の職員を退避させてほしいの!」
    「……っ、あ…ああ…」
     管理人の声で正気に戻ったゲブラーは怯えている職員たちに指示を出し、全員を懲戒から退出させた。後は管理人の指示のもとE.G.Oを片手に戦えばいいだけの話だがここでようやくゲブラーは事の重大さに気がつく。それは……
    「アブノーマリティの鎮圧ってどうすればいいんだ…?」
     狼の遠吠えが懲戒の廊下に響く。ゲブラーは適当に取り出したミミックを握ったまま動かなくなった。普段は鎮圧などしたことがない……いや、アブノーマリティが脱走すること自体がそもそも少ないのだ…。ゲブラーは、懲戒はよく誤解を受ける部署だ。皆々、この部署は恐ろしいと言って近寄らないが実際は臆病なセフィラがなるべく犠牲者を出さないように体力と精神力をとにかく上げている程度の部署だ。化け物の殺し方なんて、知らないのだ…。
    「ゲブラー、前!」
    「ぅあ」
     管理人の声と化け物が目の前に飛び出してくるのはほぼ同時だった。ゲブラーは先ほど飲んだアイスコーヒーが漏れそうになる。一瞬の恐怖は、永劫の死へと繋がるだろう…。たとえ此処で死んでも数分もしないうちに意識は回復する。しかし逃した職員がコイツに見つかってしまったら?彼らは……体力だけ高い弱い子だ。もし……この化け物が退避した部屋に向かって走って行ったら?
     その恐怖よりも早く一閃がゲブラーの前を横切る。管理人がモニターを見るよりもはやく動いたその閃光はオオカミの身体を真っ二つに切り裂くと周囲を赤く染め上げ、その場に着陸した。それは英雄でもなければ人を超えた存在でもない、ゲブラーと同じセフィラで福祉チームの『ケセド』だった。彼は何も言わずE.G.O【黄昏】をしまうと、動けず震えているゲブラーを冷血に見つめた。微かに微笑んではいるがその口元は嘲笑しているかのように冷たく、瞳の奥は殺意に揺れていた。
    「ゲブラーは殲滅を恐れているのかい?」
    「……」
    「なら尚更職員を育てないとね。彼らは君の盾になってくれる唯一無二の存在だよ?ちゃんと育てなきゃただの鉄屑になって君の足を引っ張るだけさ」
    「……」
    「それとも理由があるのか?職員を戦闘させたくないという明確な理由が…」
    「も、もういいだろ…帰ってくれ…」
    「……ああ、俺はもう帰るよ。それと管理人によろしく伝えておくよ」
    「ああ」
     ケセドはゲブラーに挨拶をすると、福祉チームへと引き返していった。ゲブラーは職員のねぎらいの声も聞こえないまま、あの言葉の毒にただ震えるしかなかった。

         6

     心臓の鼓動が室内に共鳴する。やけに響くその音はゲブラーの精神をぐらりと歪ませた。誰が見ているのか分からない恐怖の名前に怯えながら、次の日を待つ。地の底から誰かの声が聞こえた。嗚呼、この声は仲間の声だ。ゲブラーが、己の生命と引き替えに犠牲にした仲間の声だ……。
    「やめろ…やめろ…」
     ゲブラーが必死に振り払っても彼らは散ることはない。ただ、そこに存在し、ゲブラーの周りで囁くだけだ。仲間の声は笑い声だ、抑揚のない悲鳴にも聞こえるその嘲笑は心臓を毒で浸し、その糸を腐らせていく。思い出したくもない過去の記憶が突如として蘇り、ゲブラーは悲鳴を上げたかった。この記憶はゲブラーのものじゃない……彼女の記憶であって、彼女の記憶ではないのだ。張り裂けそうな無音の声を上げると、その空気をパッと引き裂くように管理人がゲブラーの肩を控えめに叩いたのだった。
    「お取り込み中…だった?」
    「…か、管理人…?」
    「あのね…ゲブラーに話があって来たんだけど…」
    「あ、ああ…」
     またコーヒーを切らしてしまったかもしれない。はやく新しい豆を用意しなければ…脳の片隅で自身を抑鬱させながらゲブラーは管理人の問いかけに答えた。心臓の鼓動はとっくに止んでいたが、冷や汗が頬の隙間を伝う不快感は未だ拭えていない…。
    「白昼の試練後に起きたアブノーマリティの脱走についてなんだけど…どうして、職員で鎮圧させなかったの?」
    「あ…」
    「E.G.Oはちゃんと装備させていたし…何より懲戒チームは職員の能力を底上げできる部署のはずなのに……」
    「それは…」
    「なにかあったの?」
    ――――びりっ
     何かが心の中で裂けた音がした。ゲブラーは記憶を抉る彼女の言葉に大きく蹌踉けながら、渇いた声で笑う。何を、何を言っているんだ?ゲブラーの数センチ下に頭部を安置する女は困り顔でこちらを見上げてくる。その瞳は無垢などではない……傲慢を演じているのだ…。彼女は、人を平気で殺すことができる管理人だ……。
    「な……何もない…」
    「もし引っかかっている事があるなら言って!このままじゃ職員も強くならないし…何より深夜の試練を超えることが難しくなるからッ!」
    「……」
     試練――その言葉はゲブラーの心的外傷を咲かせる。何万年もの間、地中で眠っていた狂気は花開き悪意なき悪意を世界に散らした。管理人の鮮やかな赤い瞳にゲブラーは殺される。この感覚を、ゲブラーは覚えていた。選択という瞬間を迫られた時、己は何を迷い、その未来を選ぶか…。世界はいつも残酷なのであるという狂気を……。


     巣の大学で何不自由なく学んだ『カーリー』は、多くの翼から招待状を受け取った。実際、どこであっても待遇は良く彼女の一生で困ることはなかったがカーリー本人はイマイチといった反応を示していた。
     これといった刺激のないレールなど、現実世界で事足りている。ましてや己は客を目的地まで運ぶ義務など預かっていない。カーリーにとってこの招待状はどれも同じ顔をした機械のテンプレートに過ぎなかった。人間は所詮表で決まるというのが、この世界にとっての法則だ。容姿、経歴、学歴、趣味、特技……才能の云々よりその人物という個体が、どれだけの特筆された肩書きを持っているか…それが最重要なのだ。
    「う~む、何処も外れだな」
     カーリーはつい先ほどまで数多ある翼からの手紙をすべて読み終えたところだった。高級な身なりの彼女は赤い髪を頂点で結んだ彼女の身分とは反したような裏路地テイストのヘアスタイルで巣を闊歩した。苔むした煉瓦の隙間から生まれたばかりの若い緑が顔を出している。先日あった急な通り雨に育てられたのか、新芽は僅かな太陽の光を浴びて、キラキラと輝いていた。カーリーはこういった小さな変化を見るのが好きだ。目の前の何かに固執するだけでなく、日々の何処かに存在する小さな変化こそ機械化した世界の歯車を動かす要因だと、信じていたからだ。
     【翼】という組織はどれも現状維持を重んじていた。それは彼ら人類が長い時間の中で獲得した『平和』を手放したくないという傲慢さであり、その『平和』の象徴である【天秤】の傾きが人類に可視されることを恐れていたからだ。【天秤】はあの日より大きく傾いていた……もう人類がどうこうできる状態ではなかったが、すべての【翼】はそれでも人類に警鐘を促すことはしなかった。この平和が永遠でありますようにと腐った例文を並べながら、偽りに塗られた平和は今も維持されているのだ。そんな嘘を愛する翼は、カーリーを欲しがっている。彼女が我が翼となれば、平和は長く続くとでも思っているのだろう。
     無能とは皆、典型的だ。それ故にちんけな行動しか出来ない。無能は自身を知識人と信じて疑わず、己が『世界』を回していると本気で信じているのだ。その【翼】の理論など所詮、同一の「私が君を導いてあげよう」でしかなく、個人の意見も尊重もくそくらえなのだ……。
    「どれだけ名声の高い翼も所詮、仮面を見ているだけ…。それが真実だと豪語し真相を探ろうとはしない…か……」
     結局どこへ行っても有能な人材は、人ではなく機械として見られるだけだ。カーリーの前の世代も、その前の世代もそうやって世界に殺されたのだ。色を持つ者は必要ない―――この世界は、個体という存在を殺す。人に生まれた可能性も最初からなかったことにされる…。残酷な話だ、何をしてもバッドエンドな未来なのだから……人という動物は、生物の中でもっとも劣等感のある生き物だと…。
    「皆様方―――」
    「ん?」
     ふと群衆の中で一際輝く声がした。カーリーが視線を動かすと、年齢を問わない人々の中に一人の男がいた。彼はカーリーよりも何世代も上の年齢のようだったが、その人を人として讃えるような言葉に、カーリーは引き込まれた。今までどの手紙にもあった仮面はそこになく、己を己として見ている世界がそこに存在していた。彼は群衆を、群像を、手に入れた。カーリーもその群衆の一人になっていた。
    「人類は病に冒されている。今、最早人類はその病に太刀打ちできないだろう…しかし、私たちはその病に唯一打ち勝てる太古の海を発見した。どうか我らに助力してくれないだろうか?光の見えないトンネルを歩き続けるより、我らは母の待つ海へ漕ぎ出すべきなのだから!」
    「………ッ」
     演説は風のように過ぎ去っていき、気づけば群衆の波は消え去りカーリーだけが残されていた。カーリーは彼の姿を追いかけようとしたが見失ってしまったのか、あの燻る薔薇の香りは途絶えていた…。

     都市に蔓延る悪夢のざわめきも夜が来れば一瞬にして眠りにつく。カーリーは学生時代よく利用していたレストランの古びた扉を押すと、年代物の蝶番が金切り声を上げて開いた。木製の扉は今なお現役だったがいつの間にか改装された店内は夜のレトロな雰囲気はなく、少し現代的にアレンジされた不釣り合いな様式に様変わりしていた。カーリーはそこでアイスコーヒーを片手にあの演説を思い返していた。彼は、あの演説をしていたあの男の姿が忘れられない…。夜の空を顕したような吹き抜けるように美しい黒髪に、金色に輝く眩いばかりの未来ある瞳、己よりも長い年月を歩んできたはずなのに彼の眼差しは都市に生きる誰よりも明るく輝いて見えた。それだけでなく、カーリーを含めあの場にいた者は彼と同じ目に光りを宿していたのだ。誰も下を向き、答えのないレールを歩くだけではない……希望をその胸に宿した新たなる世界を見つめているように…。
    「もう一度、彼に会いたい…」
     願いはより強く、より確信へ近づいていった。

     明くる日の明日は今日。そんな単調な毎日を繰り返せば、慣れ親しんだ苦痛も日常の一部になる。この都市に生きる市民はそう洗脳されて育ってきた。自由を唱えれば、霧よりも姿のない組織に連れ攫われ虚無になって戻ってくる。
     昨日いたはずの誰かが消え、次に会う頃は生きる骸となる。息をするように【目】は我らを見ており、その【目】から分裂する【皮膚】は、市民が【頭】に刃向かうその瞬間をじっと食い入るように待っているのだ。
     【皮膚】は我々が失敗する瞬間を待ち望む。法に触れた瞬間が、彼らの狩りの時間なのだ。色を持った人類は都市に住む市民に相応しくない…彼らの信条はこうだ。彼らにとっての美徳とは『平和を保ち、色ある人間を塗りつぶすこと』こそが平和に繋がる…そういうことだと。昨日いた人間が今日いなくなろうが、今日いなかった人間が明日戻ってこようが、都市の均衡が維持されているなら彼らはそれで良いのだと。脳髄を洗浄されたような感覚に陥っても、【頭】にとってはその程度だった。明くる日の明日が今日であるように、単調とは不整脈の繰り返しなのだ……。
    「吐き気がする」
     都市に生きるというのは、その洗脳に耐えるか屈するかだけだ。それ以外に選択肢などない……そうだと、カーリーは思っていた。だからこそあの演説をしていた男は何としても接近したかった。嘘まみれの社会に鉄槌を放った彼の言葉は、確実にカーリーの心を掴んだ。変わることのない景色を変えたのは、彼の一滴のシロップであった……。
    「研究に参加したい?」
     入り口に立っていた紫髪の男を捕まえたカーリーは夜な夜な考案した研究者の仲間入り志願書通りのセリフを伝えると、向こうの出方を待った。紫髪の男は一拍子待ってから「待っていてください」と告げ、研究所の奥へ引っ込んだ。あれだけ立派な身なりの彼がまだ自分とそう年の変わらない青年らと外郭に研究所を持っているなんて…と意外性に驚きつつ、周囲の装飾品を見ていると奥から先ほどの青年が飛び出してきた。
    「そんな焦らなくても…」
    「はぁ、はぁ…A様が、貴方を此方に…と、はぁ…」
    「え?」
     青年は確かにそう言った。カーリーは寸劇のようなリアクションを取ってから、もう一度瞬きをする。この青年は確かにそう言った。「A様が貴方を此処に」と…。聞き間違いではないその発言はカーリーの興味を、真実へと変貌させていた。青年に連れられ研究所の廊下を進む。途中ですれ違う研究者らしき青年たちに混じって病弱気質の少女や、いかにも外郭出身の少年と出くわす。本当に彼は様々な人をメンバーに招き入れているのだと実感するカーリーは、研究所の中央部に通される。巨大なモニターで何かを熱心に見ていた男は紫髪の青年の問いかけに答えると此方にくるりと振り返った。
    「ご機嫌よう、我がLobotomy社の研究室へようこそ。」
    「……え、あ、あ」
    「私はこのプロジェクトを立ち上げた研究者の一人、アベルだ。」
    「か、カーリーです」
     あの時見た姿と何ら変わらない彼――『アベル』はニッコリと微笑むとモダンな色合いのスーツに左手を入れ、右手に持った杖をカーリーの足下に向けた。訳が分からず立ち尽くしていると、背後からひょっこりと緑髪の青年が顔を出す。
    「此処までおいで、という意味です」
    「あ、ああ…はい!」
     青年に言われた通りアベルが杖で指した場所まで歩くと、アベルは再度微笑みカーリーに話しかけた。この研究に何故参加したいのかなど、在り来たりな質問と応答を返した後アベルは「ふむ…」と考え込むような仕草をすると、中央部から延びる自室らしき部屋に入ってしまう。デジタル時計の数字がちょうど変わろうとした時、自室の扉が開きアベルが出てくる。緊張した表情でアベルの答えを待つカーリーの心を包むかのように、アベルは優しい声で答えた。
    「改めてようこそLobotomy社へ。カーリー、君を歓迎しよう」
    「」
    「よろしく頼むよ…」
     アベルの差し出された右手をぎゅっと掴み、カーリーは張りのある声で願いに応じるのだった。
















    「やはり朝の雰囲気を味わうには淹れ立てのアイスコーヒーが一番だな…」
     研究所の一室。あれから彼らたちと研究をするようになったカーリーは、此処の指揮を上げるという計画としてコーヒーメーカーを購入していた。出来たてのキリッと冷えたアイスコーヒーは集中力を高め、必ず研究の手助けになるという彼女の力説に折れたのかは不明だが、その日の翌日、中央部に小さめのサーバーを設置してくれたのだ。カーリーが期待していたものより若干安物ではあったが、彼女にはそれで充分だと思っていた。
     レトロな喫茶店で流れるレコードをかけ、淹れ立てのアイスコーヒーを嗜んでいると急に自動ドアが開く音がした。何者だと振り返ると、そこには銀色の龍―――美しい龍のような男がいた。
    「無駄に焔に潜らせただけの香りを嗜むとは……貴方もまだまだですな」
    「誰だッ」
    「秘密は秘密であるからこそ暴く事に快楽を感じると思いますが、此処はどうも秘密を秘匿にする気は毛頭無いようですな?」
     先ほどから意味の分からない単語を繋ぎ合わせながら喋る男に若干の苛立ちを感じたカーリーは何が言いたいのか問いただそうと足を一歩前に踏み出そうとする…と同時に男は何処からともなく召喚した秒針のような槍をカーリーに向け、一字一句漏らさず伝える。
    「此処の収容室で眠る全ての化け物を開放しなさい」
    「………ッ!」
     それはカーリーがまったく予想していなかった言葉だった。眼前で笑う男はカーリーの出方を待っている…カーリーは先ほど飲んだばかりのアイスコーヒーが胃袋で蠢いているような奇妙な感覚を覚えた。この男は何を言っている?
    「私の能力で開放することも可能ですが…私は貴方に開放を願いたいのです…」
    「貴様ッ、貴様何を言っているのか理解しているのかッ此処は―――」
    「此処は偽善だらけの塔、様々に蔓延る伝染病が人類の知能を蝕み、やがては腐らせ土に還す偽善の塔でしょう?――そして此処の長はそれを容認し逃げ続けている…」
    「……」
    「最後に、貴方の名前を聞いておきましょうか…」
     銀髪の老紳士の口角が吊り上がる。昨晩眺めた月のように鋭利なその唇は、カーリーの揺らぐ精神に楔を打ち込んだ。
    「カーリー……私の名前は、カーリーだ…」
     カーリーが言い終えるよりも先に収容室が並ぶ廊下から研究員たちの悲鳴が聞こえてきた。カーリーは眼前の恐怖と仲間達への謝罪を述べながら、迫る秒針の音色に瞼を閉じた。


     狂気はいつだって人を殺す。たとえそれが刃物でなくても、人を仕留めるという感情があるならばいつだってソレは人を殺せるのだ。過去の曖昧な記憶を思い出していたゲブラーは心配そうにこちらを見ている管理人に悪態を吐くように返す。
    「管理人はいつだって安全な場所から私たちを見ている。それは正確な指示を出す為でも、職員を強くするためでもない―――貴様は逃げているんだろう?あの聖域は穢れも血も浴びない鉄壁の領域だ。貴様はいつもそこで俯瞰していた!あの時もそうだ、貴様はッ!私が己の弱さに負けて殺した刃から生き延びた者すら拒んだッ!」
    「ゲブラー…」
    「私はもう嫌だッ、誰かの言葉で人を殺めるのも、危険に晒す為だけに強くさせるのも!狂気はいつだって人を殺すッ、私は……私は私の職員に惨劇を、地獄を見せたくないんだ」
    「………」
    「もう管理人の言葉には従わない。私は私の職員を守り抜く……これは反逆だ」
     ゲブラーはオッドアイの両目に涙を溜め、それを三日月の形に振り払うとコアの奥に溜めた怒りを解き放った。その光景に脳裏で何かが疼く管理人は、何も出来ない己とあの言葉に胸を痛めていた。


     雨が降っている。
     感情の決壊が起こり、世界は悲しみの表情に枯れていく……。ゲブラーは懲戒チームの中央に立ち尽くしたまま泣いていた。いや、これは彼女の涙ではない―――彼女がこれまで殺めてきた職員の涙だ。
    「今日はやけに視界が悪いな…」
     譫言なのか、誰かに向けての言葉なのか、ゲブラーは視線を上に向けたまま語り続けた。管理人はモニターを確認しセフィラコアの異常が何か確認する。アブラムはその横で、慌てる職員の姿を見た。ゲブラーは彼らを守護している気でいるのだろう…だが職員から見れば自分よりも大きく悠々と虚ろな部署のリーダーが危険な異常を引き起こしているのだ。
    「兎に角、確認してみないと何が異常なのか解らないから…。職員ボンボン、『壁に向かう女』に本能作業をお願い!」
     職員は「了解」と答え、収容室に入る。特に異常はない……アブノーマリティからのダメージ増加というわけではないようだ。ふとモニターの頭上に謎のランプが点灯していることに気づく、よく見ればそれはゲブラーのコアと同じ姿をしていた。管理人はハッとなりエネルギーゲージを見る。あと一回作業をすれば試練が訪れてしまう…管理人が作業室に入ろうとする職員に声を掛けようとした瞬間、警報が鳴り響く。職員の視界を遮るようにして現れた『深紅の試練』の巨大なピエロは、ゲラゲラとよだれを撒き散らしながら笑い、収容室の扉をノックする。
    「そこは『何もない』の収容室ッ!……中央本部の職員、全員廊下一のピエロを鎮圧してッ」
    「管理人、彼らは作業中だ」
    「え…あ、ど、どうしよう…あっ!職員エフゲニとアリサ、今すぐ中央本部廊下のピエロを鎮圧して!」
     二人の職員が中央本部の廊下に突入する。二人ともまだ新入職員だったが今手の空いている者はこの二人しかいないのだ…。HEクラスの防具に武器を持った二人はピエロに攻撃する。すると一瞬にしてピエロが弾け飛び、試練が終わる。何が起きたのか解らない管理人はゲブラーを見た。
    「風が吹いてる。これは職員たちの声だ。決して止むことのない…」
    「ゲブラー、この点灯している属性って…」
    「管理人はいいな。簡単に捨てられるからな」
    「――ッ」
     ゲブラーのランプが点灯している。これは職員のE.G.Oに関する異常だ…。彼女はZAYINからALEPHまで全ての防具、武器の威力を反転させているのだ。それは職員のステータスに依存し、強ければ強い職員ほど点灯属性の攻撃が弱まり耐性もなくなる。逆に新人であれば最強クラスの攻撃と無敵を得られるのだ。己の部署の職員を守ると決めた彼女ならやりかねないと、管理人は確信する。しかし、それと同時に矛盾も発生していた。守りたいから育てないと語っていたゲブラーは己の能力で職員を、懲戒チームの職員を強くしてしまっているのだ……。
    「私に理性というものが残っているだろうか」
    「ゲブラーッ!貴方はこれで職員を箱舟に乗せたつもりでいるの」
    「……」
     風が吹き荒れる世界で管理人の言葉など彼女に届くはずがなかった。懇願する叫びは風の流れによって掻き消され、ゲブラーは何もない虚空を思い浮かべながら誰もいない空間に向かって呟く。
    「アブラムが来たら私は罪を犯し、その言葉に従う…私を救うノアの箱舟はないのか…」
    「―――貴方の、貴方のしていることは職員を救いたい感情でもなんでもないわッ…」
    「もう一度目覚めたかった。罪を償って楽園に招かれたかった…」
     自問自答、無意味の呼吸、ゲブラーは誰もいない部署でただ贖罪の言葉を並べては呟く。彼女の瞳に映るのは死んでいった仲間たちだ。ゲブラーが何もせず捨てていった駒たちだ……。
    「ゲブラーッ!貴方の、貴方のしていることはエゴよ」
    「……」
    「楽しいでしょう?自分はコーヒー片手に遠くから施設を見下ろすのはッ、さぞかし絶景でしょうね!だけど、貴方が死を恐れて育てなかった職員はどうなったなにもできず、武器も持てず、目の前の脅威に耐えきれず死ぬだけ……それこそ犬死にじゃないッ!」
    「……黙れッ!」
     ゲブラーの怒声が施設を走る。唸るように駆け抜けていく怒りの弓は点灯するランプの全てを光らせた。風は鳴り止まぬ事なく吹いている。ただ猛然と、漠然と、其処にある風景として…。
    「何度でも何度でも叫ぶわ!ゲブラー、貴方のしている反逆は貴方の欲望が描いたエゴでしかない……。貴方は職員を失いたくなかったかもしれない。意味も分からないこの施設で、本能だけの化け物たちと対峙し、無様な死を見せる彼らを見たくなかったかもしれないッ!」
    「……」
    「でもね、貴方が今しているのは、その化け物たちと何ら変わらないエゴなの…」
     管理人の言葉が詰まる。彼女は下唇をグッと噛みしめ、吹き荒れる嵐の空を見上げていた。嘆き悲しむ紅の怪物は、答えの見えない道をひたすら歩きながら叫ぶ。本能のまま、本能の赴くまま。それはゲブラー自身が恐れていた化け物と同じだ。この地獄で答えを見つけられず彷徨う彼らは弱い生き物にその本能をぶつける。彼らは答えを見つけられない怪物、ゲブラーは己の自問自答を繰り返す怪物…。永年の苦痛は、終わりを迎えることなく、淡々と繰り返す。壊れるまで、堕ちるまで……。
    「……」
    「貴方が本当に貴方の職員を死なせたくないなら、向き合わなければならないの」
    「……」
    「恐怖から逃げることなく、どうすれば職員が怪物に太刀打ちできるか考えるの…。もし、それを一人でするのが苦痛なら私が幾らでも相談に乗るわ」
     感情を示唆するランプの光が消える。最後に吹いた風は雨上がりの空を祝福するような、穏やかで優しい彼女の言葉だった。
    「あぁ…ついに私の世界が、壊れるの…か…?」

     《ゲブラーのコア抑制》完了


     昨日の夢を見ている気分だ。ゲブラーは風が吹く果てのない草原を一人で歩いていた。辺りには何もなく、ただ風の寂しげな音と、草を掻き分ける彼女の足音が聞こえるだけだ。
     風が鳴っている…これは職員たちの声だ。決して止むことのない……彼女は理解した気になっていた。己はあの怪物が住まう路地の脅威から職員を守っていると。それは間違いだった。実際は彼女は見放していたのだ。強く育てた所であの怪物に殺される職員がいるのは哀れだと自分に言い聞かせ、地獄から逃げていた。
    「俯瞰していた臆病者は私だったのか」
     怒りだけに囚われていた時、誰かが夢の中で叫んでいた。「本当に職員を死なせたくないなら己が向き合っていかなければならない」と……。
    「もう、日が暮れる…」
     寂しげな風の音色は沈む太陽の中に吸い込まれていく。ゲブラーは目を焼く炎に片手を翳しながら、もう一度目覚めようと夢を閉じた。

        

    「昨日の夢を見ている気分だった」
     嵐が過ぎ去った懲戒チームの部屋でゲブラーはふと管理人にその言葉を漏らした。不思議そうな顔をして此方を見てくる彼女の鬱陶しさに舌を打ちながら、ゲブラーはその先の言葉を次ぐ。
    「俯瞰して世界を見ると人は驚くほど残酷だった。だがその中で彼らは必死に藻掻いて生きているのも事実だ……そのやり方が汚いと揶揄されても、それは彼らの足掻きなのだから仕方が無いってな。私はそれすらからも逃げていた。職員を育てなければ理不尽な地獄に呑み込まれなくて済む…そう思っていた。でもそれは結局私のエゴでしかなかったんだ。私は逃げていた。恐怖に立ち向かえず職員を言い訳の盾にして逃げ続けていたんだ…下に逃げれば救済の箱舟が来ると信じていたんだ」
     ゲブラーが天井を見上げる。変わらない鉄と錆、機械油の臭いはこの部署の柱に染みついていた。恐怖は拡散する。ゲブラーは逃げれば逃げるほどその恐怖に殺されていく職員の未来にようやく終わりを与えることができたのだ。風はもう吹いていない…。
    「ゲブラー」
    「管理人、私はもう自分から逃げるのをやめる。本当に職員を失いたくないなら、喩え多くの血が流れることになってもこの目で最後まで彼らを守り抜いてみせる…」
    「………」
    「アンタに出来なかった事だ。私が成し遂げてみせるさ……互いを守り、前に進むという強い勇気をな」

       《守り抜く決意》

     管理人室のモニターには多数の情景が映っていた。ある職員は作業、ある職員は休養、ある職員は殉職、ある職員は雑談、ある職員は悲観……。人の仕草というものはごく当たり前の日常の一部であるというのに、この地獄を閉じ込めた監獄の中では、その一部でさえ救済のように思えた。業務終了のアナウンスを出し、一人、椅子の上で虚空に意識を飛ばしているとアブラムが静かに部屋に入ってきた。
    「管理人、気分が優れないのか?」
    「ねえアブラム…私は何を成し遂げられなかったの…」
    「それを聞いてどうするんだ…」
    「セフィラが隠していた私への憎悪を曝け出す度、私は私について知りたくなるの…」
     アブラムは一呼吸置いた後、管理人の眼前に立ち告げる。
    「仮に私がそれを告げたとして管理人が耐えられるという保証は何処にもない」
    「…」
    「だが、そろそろ真実の味を賞味する時間だ。次に会う者たちは決して、君を赦しはしないだろう…」
     アブラムが去って行く。部屋に残った機械油の臭いに眉間を歪ませながら、管理人は静かに空気を吐き出した。
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