瞳を閉じ、水面に浮かぶウルピアヌスの周りを恐魚たちが取り囲む。
しかも、新たな恐魚たちが続々と遠くからやってきていた。
普段ならば、恐魚たちが何匹いようとも、ウルピアヌスは瞬きのうちに、自分の武器で切り裂いてしまう。
しかし、ウルピアヌスの体はぴくりとも動かない。
恐魚たちは触手で、口で、ウルピアヌスの体や服を掴み、海の奥深くへ―自分たちの巣へ彼を連れていこうとする。
しかし、
「……!?」
恐魚たちがざわめいた。
恐魚たちはウルピアヌスからわずかに離れ、自分たちへと近づいてくるそれを見る。
同胞であって、同胞でないもの。
「……」
最後の騎士は、ロシナンテと共にウルピアヌスに近づき、静かに彼を見た。
そして、ある匂いを嗅ぎとった。
彼が、さきほどスタルティフィラ号の中で嗅いだ匂い。
「小麦ノ、香り……」
故郷の匂いだ。
ウルピアヌスが懐にしまった鍵は、彼がシーボーンによって投げ飛ばされ、水面に叩きつけられてもなお、その体から離れていなかった。
「我が故郷……」
最後の騎士は鍵を―ウルピアヌスを拾い上げ、自分の後ろへ―ロシナンテの上へうつ伏せに乗せた。
ロシナンテが不満げに鼻を鳴らす。
しかし、最後の騎士はそれには反応せず、前を向き直すと、
「往クぞ。大波ハ、すグそこダ」
と相棒へ告げた。
ロシナンテはいなないてそれに答えた。
「……ここは……?」
ウルピアヌスが目覚める。
「……!」
そして、すぐに体を起こし、さきほどまで自分が横たわっていたところ―たった今自分が両手をついた、ざらざらとしたものを見た。
黒い、細かい鱗に覆われており、あちこちから黒色と青色の交じったヒレが生えている。
それが何なのか、ウルピアヌスは知っている。
「お前は……」
と言いながら、ウルピアヌスは目を見開き、顔を横へと―ロシナンテの頭があるであろう方向へと動かした。
しかし、それよりも先に、その主人―最後の騎士の背中がウルピアヌスの視界に入った。
ウルピアヌスの声がこの距離で聞こえていないはずはないが、最後の騎士は振り返らなかった。
ロシナンテも、黙って水面を進んでいる。
「……」
彼らはどこへ向かっているのか?
この怪物は自分を助けたのか?
それとも―
しかし、ウルピアヌスがそれらの問いに答えを出す前に、彼のアビサルハンターとしての本能が告げた。
敵はまだ死んでいないと。
ならば、殺さなければならない。
「奴は……」
どこだ。
目で、耳で、鼻で―獲物の位置と、距離を測る。
「……」
それは、思ったよりもずっと近くにいた。
ちょうど、最後の騎士とロシナンテが向かっている方向だ。
完全にではないが、シーボーンはかなり体力を回復しているようだ。
「……チッ……」
ウルピアヌスは自分の武器を探す。
しかし、どこにもない。
ウルピアヌスは後ろを振り返る。
遠くの方に、炎を上げる船の残骸らしきものが見えた。
おそらく、船から落とされ、気を失った時に、武器は手から離れてしまったのだろう。
ならば、あの辺りに沈んでいるはずだ。
ウルピアヌスの泳ぎならば、一瞬でそこへ行き、戻ってこられるだろう。
ウルピアヌスはもう一度、最後の騎士を見る。
最後の騎士は並々ならぬ執着を、怒りを海に向けているはずだが、海中のシーボーンにはあまり関心がない様子だった。
スタルティフィラ号の中にいた時ほどの興奮が見られない。
何故かは分からないが、その理由を考えている暇はない。
次に、かつての戦友たちの匂いを探す。
それは、どんどんウルピアヌスからは離れていた。
つまり、この場にシーボーンにとどめを刺そうとしている人間は、刺せる人間は、ウルピアヌスしかいないということだ。
「俺は奴の……シーボーンの息の根を止めなければならない。自分の武器を取りにいって、またここへ戻り、奴を殺す」
別にそんな必要はないはずなのだが、なんとなく最後の騎士にそう告げると、彼がそれを聞いているのかどうか、彼から返事があったのかどうかを確認することなく、ウルピアヌスは水の中に飛び込んだ。
ウルピアヌスが、ガルシアとシーボーンが海底へ沈んでいくのを見送った後、寄ってくる恐魚たちを薙ぎ払いながら、水面に戻ってくると、そこに最後の騎士とロシナンテがいた。
ウルピアヌスと最後の騎士の目が合う。
「静寂ガ、去っタ。あレは……Ishar-mlaデは、なイ……」
と最後の騎士が言った。
最後の騎士はウルピアヌスを見ていたが、しかし、その言葉は彼に向けられたものではない。
そうウルピアヌスは感じた。
そして、それきり最後の騎士は口を閉ざした。
「……」
「……」
ウルピアヌスと最後の騎士は黙って見つめあう。
この―人と海の生き物の狭間を生きる怪物は、自分を待っていたのか?
ウルピアヌスは彼の行動を疑問に思いながら、今もなお自分にまとわりついてくる、うっとうしい恐魚から逃れるために、半ば賭けをするようにロシナンテに近づき、その体に手をかけると、ロシナンテは不満げに体を左右に振った。
しかし、
「……ロシナンテ」
と最後の騎士が名前を呼ぶと、ロシナンテは渋々といった様子でウルピアヌスを乗せ、泳ぎ始めた。
しかし、しばらくすると、ロシナンテは首を左右に振り、次第にその動きが大きくなり、とうとうまた体を揺らし始めた。
「落ち着け、ロシナンテ」
とウルピアヌスが言うが、ロシナンテはますます激しく首を、体を揺らす。
しかし、
「……ロシナンテ……」
と最後の騎士がその名前を呼ぶと、ロシナンテは一度、主人に不満を訴えるようにいななき、体の動きを止めた。
ウルピアヌスはそれを確認してから、最後の騎士に問う。
「……我々はどこへ向かうことになるんだ?」