農園での仕事が終わったディカイオポリスはシャワー室で軽く汗を流し、自室へ戻ろうと廊下を歩いていた。
しかし、その途中でロドスの制服を着た、ぎこちなく歩く背中を見つけた。
よく見ると2つ上下に積み重ねた段ボールを両手で持っているのだが、彼には重すぎるらしい。
しかも、段ボールのせいで前が見えないようで、時々その左右から顔を出して前方を確認している。
ディカイオポリスは少し足取りを早めて彼に近づき、上の方の段ボールを引き取った。
急に自分の持ち物が軽くなったロドスの職員は、
「えっ!?」
と立ち止まり、キョロキョロとなくなった荷物の行方を探し、すぐに自分の少し後ろに立つディカイオポリスを発見した。
「あっ!ディカイオポリスさんでしたか!ありがとうございます!」
「どこへ運べばいいんだ?」
「調理室です。ロドスに人が増えて、料理ができる人も増えたんで色々器具を新しく注文したらしいですよ」
「分かった」
2人は並んで歩き始める。
「俺、実は最初、ディカイオポリスさんのことを怖い人なんじゃないかと思ってたんですよ。でも、実際は優しいし、力持ちだし、俺たち職員が困ってるとよく声をかけてくれるし、本当に助かりますよ」
「大袈裟だ。それに、俺はここで治療を受けて、住む場所まで与えられているのだから当然のことだ」
数ヶ月前、騎士競技を引退したディカイオポリスは郊外の村へと密かに引っ越したが、無冑盟に発見され、すぐにそこを出た。
ディカイオポリスのシンボルの1つであり、人の目を引く赤色の鎧も畑に埋めた。
純粋で親切な村人たちに書き置きくらいは残したいと思ったが、自分のために彼らに害が及ぶのは避けたいのでやめた。
それからは、とにかく目立つことのないように気をつけながら、カジミエーシュから離れようとした。
その途中で、偶然ロドスの職員に会い、誘われ、この船に乗り込んだったのだった。
ロドスでは治療を受ける人間は、その対価を金銭で払うか、何かロドスに役立つことをすることで返すということになっている。
そのため、ディカイオポリスはもう戦闘面では力になれないので、ロドスの農園で働きながら、こうしたちょっとした手伝いも積極的にしている。
ただ、困っていそうな人間を見かければ手伝うのは、面倒見が良いというか、どうにもそうした人間を放っておけないディカイオポリスの性格からでもある。
「……そういえば、昨日ロドスで保護した人のことは聞きましたか?医務室にいるらしいですけど、怖いなあ……」
「怖い?」
「今、ロドスは荒野の中を走ってるじゃないですか。昨日、たまたまそこに倒れてる人がいるのを誰かが見つけたらしいんですね。それで、とりあえずロドスの中に運んで検査をしたら、ずっとものを食べてないみたいだったらしいんです。だから点滴を打って、ベッドに寝かせてたら、目覚めた途端暴れ出したらしくて……」
「突然自分が見知らぬ場所にいて混乱したということか?空腹だったならば、心身共に余裕のない状態だろうからな」
「そうかもしれません。その人、力も強かったそうで、医務室の人は皆困ってしまって、結局ケルシー先生まで出てきて、なんとか抑えたそうです。それから、ここはロドスで、どういう組織かというのを説明していたら、急に大人しくなったらしくて」
「とすると、もしやロドスを知っていたのか」
「ええ。どうやら耀騎士……ニアールさんの名前を口にしていたそうなので、あの人との関わりでここのことも知っていたのかもしれません。医務室の人によると、鎧を着ていたそうですし、その人は騎士なんじゃないかって。でも、騎士ならこんなカジミエーシュから離れたところにいるはずがないですよね。しかも、その人には他にも不思議なところがあるんですよ」
「……」
職員の話を聞きながら、ディカイオポリスの胸の中には薄らとした予感が生まれていた―ひょっとすると、自分はその人物のことを知っているのではないかという。
「その人が倒れていたところから少し離れたところ……といっても歩くとそこそこかかる距離らしいですけど、そこに移動都市が来ていたらしいんですよ。荒野なんて視界を遮るものはないですし、移動都市が近づけば音もしますから、見つけられなかったってことはないと思うんですけど、その人は行かなかったんですよね。もしお金を持ってなかったんだとしても、何かしら食べ物を手に入れる方法はあると思うんですけどね」
「……」
ディカイオポリスの予感は、だんだんとはっきりしたものになってくる。
「他に何か特徴はあるか?」
「えっと……俺は医務室に友達がいて、さっき話したのはそいつに聞いたことなので詳しいことは分からないんですけど……たしかすごく大きい武器を持ってたって言ってました。あと、赤い鎧を着てたって言ってたかな?……もしかして、お知り合いですか?」
「……かもしれん」
ディカイオポリスは苦い顔で頷く。
あの若者はカジミエーシュを出て、何をしようとしているのか。
まだ、自分の命も、今も、未来までもを投げ捨てて、過去の幻影を追い、ふらふらとさまよっているのか。
「……そうか、ディカイオポリスさんも騎士だったんですもんね。そのお知り合いはどんな人なんですか?」
「現代社会というものにおおよそ馴染まないような……過去に……自分のだけでなく、もっと大きな歴史と呼ぶようなものにも囚われている人間だ。そいつは今も医務室にいるのか?」
「はい、多分。ほとんどそこから出ることはないらしいんで。ケルシー先生たちも自由行動はまだ許可してないし、その人もあまり部屋から出ようとしないんだとか。会いに行くんですか?」
「……ああ」
ディカイオポリスが医務室に入る。
そこにいた患者たちほぼ、同じところを見ていた―おそらくはさきほどロドスの職員が話していた人物を。
警戒や恐怖を顔に浮かべながら。
そして、その人物はやはりディカイオポリスが思った通りの人物だった。
かつて会った時と同じ鎧を来て、こちらに―入口に背を向けてベッドの上に座っている。
ディカイオポリスが彼に近づいていくと、患者たちは今度はディカイオポリスへと視線を向ける。
皆、ディカイオポリスの行動に驚き、何故そんなことをするのかと疑問に思い、戸惑っているようだった。
あるいは、この先何が起こるかと不安を感じているようでもあった。
患者の中には、首を左右に振ったり、片手を伸ばしたりして、ディカイオポリスの行動を止めようとする者もいた。
しかし、ディカイオポリスはその歩みを止めることなく、彼のベッドの前に立った。
彼は振り返らない。
しかし、
「ナイツモラ」
とディカイオポリスが呼ぶと、彼は即座に体をこちらに向けた。
「……久しいな。貴様は相変わらずのようだが」
「なっ……ミノス人……!?何故ここに……!?」