ウユウは窓の外を眺める。
荷車にあれこれと物を乗せ、駆け足でそれを引いている人。
観光客らしく、どこか探しているのか、道に迷ったのか、旅行雑誌と実際の景色とを交互に見ながら歩いている人。
地面に絵を描いたり、棒を振り回して遊ぶ子供たち。
ウユウは朝からずっと、病院の前の通りとそこを行き交う人々を見ている。
なぜなら、それ以外にすることがないからだ。
片足だけなら松葉杖を持つか、壁に手をつくかすれば歩けるが、両足の骨を一緒に折ってしまったのだから何も出来ない。
おまけにウユウは足の骨を折ったあと、あれこれと動き回ったので、余計に状態が悪くなったらしく、医者にしこたま怒られた。
痛いだろうによくそこまで動いたものだと、半分感心しながら、半分呆れながら言われたが、ウユウも一端の武人である以上、痛みには慣れている。
「はあ……」
ウユウはため息をつきながら、ここへ来る前に本でも買っておくべきだったと思う。
もしくは、クルースか誰かに暇を潰すものを何か借りるべきだった。
さすがにそろそろ外の景色にも飽きてきた。
持っていた旅行雑誌ももう何度も読んだ。
クルースとリーがウユウの様子を見に来てはくれたものの、他にも色々とやることがあるらしく、しばらくウユウと話すと病室を出ていった。
病院には当然ウユウ以外にも患者がいるので、医者もそう頻繁にウユウのところへは来ない。
「はあ……」
とウユウがもう一度ため息をついた時、何者かがウユウの病室に近づいていることに気づいた。
まるで山に足が生えて歩いているかのような、重い足音だった。
医者のものではないし、クルースとリーのものではない。
その足音は、ウユウの病室の前で止まった。
「……」
「……」
一体、誰なのだろう。
ウユウを狙う刺客がわざわざ尚蜀まで来るとは思えないし、来ていたとして、 人目のある場所で、それも昼に襲ってくるとも思えないが、一応扇を握る。
しかし、扉の向こうの人物は、そこから動く様子もなければ、何も喋りもしない。
意を決し、ウユウが
「……どなたでしょう?」
と聞くと、扉が開いた。
「……貴方は……!」
「……」
頭巾のついた赤い外套を着た、顔に傷のある巨漢のフォルテ―タイホーが部屋に入ってきた。
「どうしてここに……」
普通は、怪我人を訪ねてきたということは見舞いに来たということになるのだろう。
しかし、タイホーとは歳の兄弟姉妹たちと縁があるという酒杯を巡り、何度か接触をし、一緒にシーに絵の世界に入れられたし、拳を交えもしたが―それによってウユウは両足を折ることになったのだが―それだけと言えばそれだけだ。
というか、何故タイホーがウユウが病院にいることと、それがどこの病院であるかということを知っているのかが分からない。
また、タイホーが付き従っていたはずのズオの姿がない。
ならば、ズオの指示ではなく、タイホー自身の意思でここに来たということか。
「……」
タイホーはウユウの問いには答えず、ウユウのいるベッドから1メートルほど離れたところで立ち止まる。
「……足はどうだ」
「……」
まさか本当に見舞いに来たのか。
ますますウユウは驚く。
「……治るまではまだまだかかるそうですが……」
強い衝撃を受け、混乱したままの頭をむりやり働かせてなんとかウユウが答えると、タイホーは
「そうか」
とだけ返した。
「……」
「……」
また、二人の間に沈黙が落ちる。
先に耐えきれなくなったのはウユウだった。
「さきほどもお聞きしましたが、どうしてここに?というより、何故私のいる場所をご存知で?」
「……リー殿に聞いた。我はリー殿にあることを頼まれ、ついでにここに来た」
「リー兄さんに?何を頼まれたのですか?」
「貴様が知る必要はない」
「ズオ公子はどうしたのです?」
「それも、貴様が知る必要はない」
「……そうですか……」
会話が続かない。
タイホーの目的も全く分からない。
ウユウはどうしたらいいのかと途方に暮れそうになる。
しかし、自分の病室に誰かが―それも炎国の官僚がいるのに何もせずに放っておくというわけにもいかない。
「……ええと……私はこの姿勢から動けませんので、わざわざ来ていただいたのに何もお出しできず、申し訳ない限りで……占いくらいはできるかと思いますが、しましょうか……?ああそうだ、お医者様を呼べば何か……きっとお茶くらいは持ってきてくれるはず……おおい!」
「不要だ。もう去る」
そう言うなり、タイホーはウユウに背中を向け、歩き始める。
「ええっ、もう!?そんないきなり来ていきなり帰るだなんて訳が分からな……いえ、寂しいではありませんか。私と貴方は本来交わることのないであろう人間ですが、それぞれ違う目的を持ちながらこの街に来て、出会った。これはまさに縁というものでしょう。あの酒杯を巡ってたまたま敵対もしましたが……映画でも拳を通じて互いのことをより深く知る……拳を交えてむしろ仲を深めるなんて展開はよくあるものですからね!」
「……」
タイホーが立ち止まり、その体が半分ウユウの方を向く。
「……たしかに、貴様と拳を交えて分かったことはある。貴様は無用な口ばかりをきく、軽薄な人間のようだが……貴様の武に対する姿勢は誠実なものだ。たった一日であろうと鍛錬を怠ればすぐさま腕は鈍る。一秒、一分、一時間……わずかな積み重ねが、戦いにおいては大きな差となる。……もし再び相見えることがあれば、その時はまた手合わせに応じよう」
「それは……貴方ほどの方にそうおっしゃっていただき光栄ではあるのですが、ちょっと遠慮したいかなと……」
またタイホーと手合わせをすれば、今度はどこの骨を折ることか。
いや、骨を折るくらいで済むのか。
ウユウは眉を八の字にして笑いつつ、視線をそらす。
しかし、
「貴様は師の仇を討つつもりなのだろう。ならば、出来うる限り腕を磨いておいて過分ということはないだろう」
とタイホーが言った瞬間、ウユウの顔から笑みが消えると同時に、ウユウは視線をタイホーへと戻した。
タイホーの表情は、この部屋に入ってからずっと変化はない。
岩のごとく、静かなものだ。
「……っ!……何故、そう思うのです?」
「貴様の名が偽りのものであることなどすぐに分かる。貴様は自分が廉家の者であることも隠しているようだった。そして、ここは廉家の道場がある勾呉城からは離れている。……名を捨て、過去を捨て……しかし、それでも貴様は武を捨てていない。貴様は身を隠しながら、復讐する機をうかがっているのではないのか」
「……」
ウユウは俯き、黙る。
タイホーの言う通りだが、自分の復讐のことを誰にも話すつもりはなかった。
誰も自分の復讐に巻き込みたくはないし、復讐しようとしているなどということはあちこちに言いふらすようなことではない。
「貴様の事情に深入りするつもりはない。だが、武の先達として、貴様には期待している。これからも鍛錬を怠らず、その腕を磨くがいい」
そう言うと、今度こそタイホーは病室を去った。
「……」
ウユウは呆然とその背中を見送り、足音が完全に聞こえなくなった頃、
「はあ……」
と長いため息をつき、頭を搔いた。
「……不出来でも馬鹿でも、私が師匠の最後の弟子ですから。師匠がせっかく教えてくださったことを手放したり、鍛えてくださった腕を鈍らせるわけにはいきません。しかし、私の拳は守るべき人を守れなかったどころか、むしろ死に追いやったものです。私に師匠の技を使う資格も扇を持つ資格もない。それでも……私には私の目的を果たすために武が必要なのです。あいつらも、私が死んで、それを確かめるまでは私のことを諦める気はないでしょう。……それと、ロドスへ恩を返すためにも必要ですね。……ですが、貴方ほどの方に私の腕を認めていただけるとは……身に余る光栄です。感謝致します」