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    叶涼

    プロポーズの日「涼二さん、欲しいものがあるんですけど」

     日曜日の昼下がり。隣に腰掛け仕事用のタブレット端末に視線を落とす年上の恋人に告げれば、「珍しいな」と少しだけ驚いたように顔をこちらを向ける。
     彼の言う通り、叶が涼二に何か物をねだることは滅多にない。否、日用品や学業に必要なものの購入に関しては「生活費から出してもいいですか」と伺いを立てることはあるし、膝枕や抱擁あるいはそれ以上のコミュニケーションは頻繁に求めているのだが。元々小学生の頃から家計を管理してきた叶は涼二からもらった小遣いを無駄遣いすることはなかったし、大学生になってアルバイトで稼ぐようになってからもそれは変わらない。「自分の欲を満たすために金を使ってほしい」といったニュアンスの自発的なおねだりというのは実に珍しく、一番最近のものでも「友達と卒業旅行行きたいんですけど……」という、涼二からすれば我が侭とも呼べないささやかなものだった。

    「何が欲しいんだ?」

    「今送ります」

     叶が手に持ったスマートフォンを操作した数秒後、テーブルに置かれた涼二の私用端末からメッセージの着信を告げる電子音が短く響く。ロックを解除してその内容を確認したらしい涼二は、「ん?」と声を漏らした後にまた数秒画面を見つめてから緩く首を傾げる。

    「……この指輪か?」

    「はい」

     ご丁寧に叶の送信したURLを開いた画面を見せる涼二の眉間には、微かに皺が寄っている。といってもその表情に浮かぶのは怒りや不満といった類の物ではないことは叶には簡単に見て取れた。困惑と疑問の浮かぶ瞳は叶に何らかの説明を求めているのだろう。
     液晶ディスプレイに表示されたのは、至ってシンプルなデザインのシルバーリングの写真だった。宝石が付いているわけでもなければ凝った意匠が施されているわけでもない。価格だって、大学生が身に着けるものと考えれば特別高額なわけでもない。少なくとも叶にとっては、新作ゲームの購入を我慢するまでもなくこれまでの貯蓄でぽんと買える程度のものだ。それなのに何故わざわざこうしておねだりをしてくるのかが涼二には理解出来ないのだろう。
     それに加えて、叶は昔からファッションというものに頓着しない人間だった。「ゆるっとした服の方が楽で良い」、「派手なものより地味なものの方が落ち着く」といった程度の好みこそあれど、ブランドやデザイナー等には一切の興味を示さない。涼二から「服でも買いに行こうか」と提案されてようやく腰を上げるし、連れられた先でも店内をじっくり見回ることもなく「じゃあこれで」と適当に目に付いたものに決めてしまう始末だ。当然これまでアクセサリーなんて欲しいと思ったこともなかった。涼二の視線には、そういった部分に対する不可解さも込められているのだろう。大学生にもなればお洒落に気を配り始めてもおかしくないという考えもある反面どこまで詮索していいか判断に困っているのか、しばらく口にすべき言葉を探しているようだった。
     そんな涼二に対する助け船というわけでもないのだが、叶はあらかじめ用意していた台詞を投げかける。

    「そのサイト、クレカ決済しか出来ないんですよ」

    「あぁ、なるほど」

     悟られないようにしたつもりなのかもしれないが明らかにほっとした様子の涼二に、叶は緩く口元を緩ませる。
     基本的に叶に甘い涼二はきっと、珍しいおねだりに応えてやりたくて仕方がなかったのだろう。恐らく学生の身では手が出ないような高価なものであったなら、(当然限度はあるが)「いつも家事や勉強頑張ってるから」なんて言いながら買ってやったに違いない。しかし自分に頼るまでもないであろう内容を一度不審に思ってしまえばそういう訳にもいかず。保護者としてどう質すべきか頭を悩ませていたに違いない。
     叶がそこまで読んだ上で、わざわざ涼二に頼らざるを得ない――否、涼二に頼っても不自然でない状況を作り出したとは微塵も思っていないのだろう。「叶はシンプルなの好きだもんな」等と言いながら購入のためにスマートフォンの操作を続ける様を横目に見ながら、叶はつい緩みそうになる口元を手を当てて隠す。

    「……買いました?」

    「あぁ。2,3日で届くみたいだけど、お前どっちも夕方は家にいるだろ?」

    「はい。涼二さん、ありがとうございます」

     素直に礼を述べにこりと笑みを浮かべると、その反応が意外だったのか涼二はきょとん、と目を瞬かせる。確かにいつもの叶であれば、小遣いやお年玉を貰った時や金銭の絡むおねだりを聞き入れてもらった時は喜びよりも感謝の念が勝った結果愛嬌も何もなく頭を下げて見せることが多い。保護者である涼二からすればわかりやすく喜んでみせた方が嬉しいのかもしれないが、自分との生活を守るために涼二か抱えているものを考えれば安っぽい演技で媚びを売るような真似をする気にはなれなかった。
     そんな叶の笑顔に驚いたらしい涼二も、やはり愛し子が喜んでくれたことが嬉しいのだろう。ふふ、とつられたように柔らかく笑いを零す。

    「そんなに欲しかったのか?」

     何がそこまで叶の興味を引いたのか気になったらしく、涼二は商品ページを再び開いてしなやかな指でスクロールし始めた。といっても、いくら眺めようがそこに答えなんてないのだけれど。
     そうですね、と返した叶は笑みを深め言葉を続ける。

    「あんたからの婚約指輪ですし」

    「……は?」

     先程までの穏やかな笑顔はどこへやら。スマートフォンを操作する手をぴたりと止めこちらに向けられた顔を見て、叶は思わず笑いを零す。眉間にはしっかりと皺が刻まれ、真意を探るように目は細められている。不信感を隠そうともしない表情は保護者としての涼二がほとんど見せることのない類のもので、ますます愉快な気分になる。照れた顔にしても不満を浮かべる様にしても、涼二が恋人として見せてくれる表情が叶は大好きだった。

    「待て、俺はお前がこの指輪を買ってほしいって言ったから……!」

    「正しくは“あんたから贈られる指輪”ですけど」

    「お前が言うと冗談に聞こえないんだが……」

     はぁ、と溜め息を吐く恋人に追い打ちをかけるように「冗談じゃないですからね」と投げかけると、言い返すこともなく俯いてしまった。笑い飛ばしてなかったことにしようとしない辺り、叶が本気だということは察した上で受け止めようとしているのだろう。不器用で要領が悪い、しかし真摯に自分と向き合ってくれる恋人が愛おしくて仕方がない。
     叶だって、己のやり口が褒められたものでないことぐらい理解している。一連の流れを第三者が見れば大多数が「こんなものは婚約指輪とは呼べない」と判断するだろうとも思う。にも関わらず卑怯で強引な手段を採ったのには叶なりの理由があった。
     涼二さん、と呼びかければ、目線だけではあるがこちらを向いてくれる。

    「いい加減腹くくってください」

    「……何の話だ」

    「とぼけないで。あんた、俺を縛るのが怖いんでしょ」

     ぎくり、とわかりやすく身を強張らせる姿に、叶は「やっぱりな」と心の内で独り言つ。
     前々から――具体的に言えば、己の告白を受け入れてくれる際に「別れたくなったり他に好きな人が出来た時は正直に言ってほしい」という条件を提示された時点で気付いてはいた。自分にはそれを求めるくせに、涼二自身はそうするつもりは毛頭ないのだろうと。勿論、己の立場等も考慮して散々悩んだであろう末にずっと共にあると決心をしてくれたこと自体は叶にとっても嬉しいものだ。ただし、そこに「叶が望む限りは」という文言が加わるのであれば話は変わってくる。
     要は、涼二は自分が叶のものになることは許容しても、叶を自分のものにする覚悟は出来ていないのだろうと叶は考えている。仮に叶が涼二以上に好きになったり添い遂げたいと願う相手が出てきた時は、この男は文句の一つも言わずに身を引くに違いない。それが叶には面白くなかった。
     涼二から施される自己犠牲的な慈愛に救われたことは数え切れない程にある。しかし、叶が恋人としての涼二に求めているのは“それ”だけではない。

    「俺も最初はそれでもいいと思ってました。とりあえずあんたが俺のものになるならいいか、焦らなくてもいいかって」

    「……」

    「でもあんた、変な所で頑固じゃないですか」

     叶だって、何の努力もしなかったわけではない。恋人として魅力的だと思わせればいいのだろうかとスマートに振る舞ってみたり、恋仲であることを意識してもらおうと柄にもなく甘く囁いてみたり。それでも涼二が変わることはなかったが、叶も自分で言ったように焦ることはなかった。
     少なくとも、あの時までは。

    「わかります? あんたから『お前に見合い話が来てる』って聞かされた俺の気持ち」

    「それは……俺が勝手に断るわけにもいかないだろう」

    「まぁ、クソ真面目なあんたならそう考えるでしょうね」

     一月程前のことだろうか。親戚を通して叶に宛てられた縁談を涼二が切り出してきた。普通の大学生として過ごしている己に突如持ちかけられたそれを、恐らく宗像家もしくは当主である涼二とのコネクションを狙ったものなのだろうと叶は判断した。ともあれ、目的が何であれ一切の興味を持たない叶は詳細を語ろうとするのを「断って」と遮ることで話を終わらせた。
     もし叶が涼二の立場であれば彼に宛てられた見合い話など本人の耳に入れるまでもなく即座に切り捨てていただろうが、涼二にそんな真似が出来るとは叶だって思っていない。それでも話を最後まで聞いた上で「すみませんけど断っといて下さい」と穏やかに受け流せる程叶は大人ではなかった。

    「でもあんた、俺に決めさせようとしたでしょ」

    「それは人として当たり前のことだろ。お前だって成人なんだから……」

    「俺は、あんたに嫌だって言ってほしかったです」

     膝の上で握りしめられた拳に手を添えると、俯いていた顔をようやくこちらに向ける。その瞳には微かに怯えの色が見て取れた。あの日と同じだ、と叶はぼんやりと考える。見合い話を切り出した際も、表面上は平静を装いながらも迷いの滲む目でこちらを見ていた。縋るような、という表現は少々己にとって都合のいい解釈かもしれないが、少なくともあの時の涼二は保護者としての自分と恋人としての自分の間で葛藤していたように叶は思う。涼二にとって叶が自分の元を離れるのは家族としても恋人としても寂しいことではあるが、保護者としてはより良い相手と素敵な家庭を築いてほしい気持ちがあるのも事実なのだろう。

    「あんたが本気で俺が誰かとくっついていいと思ってるんなら良いです。いや、良くはねぇけど」

    「……」

    「でも、嫌だって思ってくれたんでしょ。だったら素直にそう言ってほしいです」

     拳を開かせ両手で握る。己より少し体温の低いそれに熱を与えるように包み込むと、次第に毅然を装っていた涼二の表情が緩むのがわかる。緩むと言っても微笑みと言ったものとは違う。どちらかと言えば弱々しいという言葉が似合うそれも、叶が好む涼二の表情の一つだった。

    「つってもあんたがそう簡単に言えるとは俺も思ってません。あんただって色々抱えて色々考えてるのはわかってます」

    「叶……」

    「だから、指輪」

    「……だから、指輪」

     同じトーンで繰り返された言葉にふは、と思わず吹き出す。少し照れたように眉尻を下げる涼二に愛しさを覚えながら、崩した表情はそのままに叶は続ける。

    「一つだけ、あんたが俺を自分のものだって思ってくれてる証がほしいんです」

    「だからってこんなやり方……お前はいつも強引だな」

    「でも嫌いじゃないでしょ」

     ふふ、と笑いかけてやれば、涼二は罰が悪そうに視線を逸らす。それでもやがて観念したかのように「そうだな」と小さく呟く様を見て、本当に甘い男だと叶は思わずにいられない。だから自分みたいな人間に絆され付け入られるんだ、とは流石に口にはしなかったが。

    「でも、あんたにとっても悪い話じゃないと思いますよ」

    「? 何がだ」

    「証があれば、あんたの無神経な態度に苛ついた俺に抱き潰されることも減る可能性もなくはないですし」

     そこは断言してくれ、と項垂れる恋人に嫌ですと返した叶の表情は、それはもう晴れやかなものだった。
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