マヨイガ ふと意識が浮上する。
朝霧よりも密度の高い霧が辺り一面を覆い隠し、その向こうで木々の騒めきが聞こえているようだ。
少女の瞳が、見たことのない建物をとらえる。荘厳な社を模した建物は、彼女の記憶の中では見たことないものだった。これは夢なのだと咄嗟に理解した。
「っ――」
けれど、目を覚ましたくてもできない。
頬を叩いても、柔肌をつねっても何も起きない。となれば、これは夢だが、夢ではない事になる。おそらく何かしらの条件があるのだろう。だとすれば、目の前にある社が条件と推測するしかない。ごくりと生唾を飲み込んで、一歩踏み出す。社と少女のいる地面の間には朱塗りの橋が架かっていて、まるで現実から別の世界に誘われるようだ。
ぎいぎいと板が鳴り響き、門の前にまでやってくる。軽くそれに触れれば自動的に開いたではないか。いよいよこれは境界線がわからなくなると少女は、クナイを手にする。迎撃用ではない、少女が夢から強制的に目覚めるためのもの。
何かに導かれるまま歩いていく。社の入り口を通り、長い廊下を歩いていけば、広い空間に出た。
「あ……」
畳張りの空間。その中央に見知った人物が一人座っている。いつもの狩り装束ではない、ゆったりとした着物を着ていて金の双眸がこちらを射貫くように見つめている。
「教官?」
「やぁ、愛弟子
いらっしゃい」
ニコニコと笑ういつもの顔なのに、どこか違和感がある。夢は願望を表すというが、これは……。
じわじわと背中を這いずり回る得体の知れない何かを押さえつけながら、少女は手招きをするウツシの方にゆっくりと向かう。
「ねえ、愛弟子
祝言はいつにする?」
「……は?」
そして用意された座布団に座ったところで、ウツシからとんでもない爆弾を落とされた。今なんといったのか。呆けた顔をすれば、彼はくすりと笑って、自身の手の甲で少女の頬を撫でた。
「あれ? この前祝言を上げようっていう話をしていたでしょ
忘れちゃった?」
「……」
どろりとした感情が少女にぶつけられる。どこまで行っても底なし沼のようなそれは、しかし彼女の中では真実ではない。
彼の言っている言葉も、今いるこの場所も夢であると理解しているのに、ひどく心地が良い。ぬるま湯のそこに、ずっといたいと思えるほどだ。そうして、少女は一つの答えにたどり着く。
「教官、それは現実で言ってください」
「なに、を……」
「残念ながら、『私の教官』はもっとしつこいですよ」
そう言って、少女は踵を返す。追ってくることもないから、これがやはり正解だったらしい。
「そうか、騙せたと思ったけど……無理だったのか」
ふと、ウツシだったものの声が聞こえる。
「次回はもう少し観察してから呼んでください」
そうして、意識は再び浮上した。
「んあ……」
我ながら間抜けな声が出たと思う。
布団から体を起こすと、見慣れた囲炉裏や土間が見えた。どうやら無事に帰ってこれたらしい。
「愛弟子!!」
「朝からうるさいですよぉー」
そして、同時に転がり込んでくるウツシは寝ぐせはあるし、寝間着である。たくましい肉体が見え隠れしているが、情緒のかけらもない。彼に憧れを抱いているている女性が見たら、何を思うのか。
「君! どこかに連れていかれたでしょ!」
「あぁ、たぶんマヨイガですね」
「もー!!」
子供のように地団駄を踏む彼を見て、くすりと笑う。
ほら、彼は夢の中まで私を守ろうとしてくれているのだ。『夢』だけの存在なんて、敵いやしない。
「教官」
「なんだい?」
「逃げないように、繋ぎとめていてください」
「勿論」
幸せは、マヨイガから持ち帰らなくてもいいのである。