悪いのは誰だあなたはまだ自殺してないから苦しくないんだよ!と、当たり前のように、ナチュラルに無言の圧力をかけてくるのが世間だ。
人間が、時にわりと簡単に自殺できてしまうのは、自殺するに相当する理由があるのではなく、死んだという事実があって初めて、ようやく自分の苦しみに納得してもらえるからだと、僕は思う。先に来るのはあくまでも、理由ではなく事象だ。死にたい理由があるから自殺するというのも、全くの間違いでは無いと思うが。
ただ多くの自殺のパターンは『自殺してようやく、死にたいほどの苦痛があった事を周囲に認識してもらえるから』このケースに該当するだろう。
酷く冷たいことを言っていると思うだろうか?でも事実そうじゃないか。この世の中は、死んでないなら貴方はまだ苦しくない、と平気で、無言で宣うような世界なのだから。
ただ、知人や友人が自死を選択して初めて、この人はこんなにも苦しんでいたのか、と気づいた経験のある人は、決して少なくないのではないだろうか。
僕にはある。
死を選ぶつい前日まで、いつもの眩しくて少し喧しい笑顔を振りまいていた彼は、その次の日死体となって僕の前に現れた。彼の足下には遺書があり、そこには彼が今まで必死に隠して、でも捨てられずに抱えていた苦悩が、痛々しいほどの負の感情が、これでもかという程に書き記されていた。あまりの壮絶さに、読んでいてもはや涙の1つも出なかった。そのくらい、彼は苦しんでいたのに、僕は全く気づけなかった。
キミがそんなに人生に絶望していたなんて、僕は知らなかった。気づいてやれなかった。いつも晴れやかに笑うキミが、内にあれだけの苦しみを抱えているだなんて、想像すらしなかった。僕が演出に不安を感じているとすかさず「お前の演出は最高だ!!だから自信を持て!!」と励ましてくれていた間も、その胸の内では死にたくなる程の苦痛を抱えたままだったなんて、僕は、僕は。
「そんな感情に対してまで、役者であってほしかったわけじゃ、なかったんだけどな……ッ!!」
何度読んだかわからないくしゃくしゃの遺書が、落ちた涙で滲んでいく。彼の苦悩が、滲んで、ぼやけて、