貴方は後悔していた。真夜中にひとりで出歩いてしまった事を。見知らぬ男に誘われてついて行ってしまった事を。
低く良い声で
「私と今晩どうかな、お嬢さん」
と言われて警戒しなかった事を。背が高くて顔も良くて、所謂"水も滴るいい男"と言うのが正しいか。手を引かれてついて行った先は……
廃坑のような場所。男は突然貴方の手を離して突き飛ばした。地面にずさっと倒れる貴方。何するのよ!と言おうとしたが、男が言葉を先に発した。
「10数える間に隠れろ。私から逃げ切れるかな?」
そう言う男の声は何処か愉快そうに聞こえた。誘われた時のものとは違う声色に身の危険を感じた貴方。
早く隠れなきゃ。貴方は全力で走って隠れる場所を探す。
ここなら大丈夫。絶対に見つかりやしない。
何故あの男はわざわざこんな所へ連れて来て、かくれんぼの様な事を始めたのか。疑問に思ったのも一瞬ですぐに恐怖で塗り替えられる。
「…さーん、にー…、いーち……ゼロ。さあ何処かな」
随分離れた場所に来たハズなのに、あの男の声が聞こえる。コツコツと靴音が鳴り響く。
「ここかな」
ガシャン!ガタッ!
物が破壊される音や、途中にあったロッカーを乱暴に開け閉めする音が聞こえる。
…自分の所に近付いてきた。貴方は恐怖で震える身体を抑え、息を殺す。
「…するぞ、"人間"の匂いが。この辺にいるのか?」
大丈夫、大丈夫。こんな狭くて暗くて湿った所だもの。そうやって何度も何度も自分に言い聞かせる貴方。
……でも匂いがなんだって?
また激しい破壊音が聞こえてくる。絶対見つからないと思っていても怖い物は怖い。神様…助けてください……。早く何処かに言ってしまえと願う貴方。
「…気の所為か?それともまだこの先にいるのか」
男の声と靴音が遠ざかっていく。神様…ありがとうございます。貴方はふーっと胸を撫で下ろした。
「なんてな」
驚く間もなく 男に片手で首を掴まれる。
「っっ!!」
息が出来ない苦しさと地に足が付かないせいで、頭がくらくらとして目の前が霞んでいく。
「逃げられる訳が無いだろう。君は"人間"としての匂いが強すぎた」
突き放され壁に押し付けられる。やっと空気が吸えたのも束の間、男が貴方の首筋に顔を埋め、唸り声をあげながら匂いを嗅いでくる。
「…そそられるな。美味そうだ」
耳元にそう囁きながら男は貴方の腰に手を回し、自分へとしっかり抱き寄せて首筋をべろりと舐めた後……噛み付いた。
「〜〜〜〜ッ!!!!!」
突き刺さるような痛み。それと共に来る痺れる様な快楽。今の貴方と男の姿は傍から見れば、愛し合っている者のようだった。
「ーッ………」
ここで貴方はようやく気付いた。この男は"ヒト"ではなく、"吸血鬼"だったのだ。
最近ニュースでよく聞く"血が抜けた死体"、"夜道で男が首筋に噛み付く"事件はこの男のせいだったのだと。
……目が重くなっていく。暗くなっていく…。
「やはり"人間"の血は良い…ありがとう。君の血は最高に美味だったよ」
笑いながらそう言った男の声は貴方には届かなかった。