ボーダーライン好きです。特別な関係になってください。…これを言っていい返事をもらった翌日。わたしはまだ浮ついた足でぽやぽやしていた。
(今日…休みでよかった…)
多分いつも通りのお仕事があれば、何も手につかなかっただろう。幸せ過ぎて変になりそうだから。
「…」
彼、小次郎とは結構長い付き合いだ。カルデアの初期からずっと傍で守ってくれていた人でもある。こんなことを言うのも失礼だけど、わたしは彼が、こういう色ごとには興味がない人だと思っていた。ただ遊べたらそれでいいものなのかと。…だからいい返事をもらえた時は夢なのかな?って…一瞬思考が停止した。
(う~…どうしよう…うれしい…)
一人ベッドで足をばたつかせていると、部屋の外から声がする。いくら嬉しいからとはいえ、休みで何もしないというのは勿体ない。廊下から聞こえた声につられて、もそもそとベッドから体を起こす。特にしたいこともないけれど、たまには廊下を散歩するのもいいのかもしれない。
「…とりあえずぐるっと一周してこようかな」
そんな事を呟き、部屋を後にする。廊下に出ると職員さんたちが立ち話をしていて、軽く会釈をして挨拶をする。そのまま道なりに歩いていくとサーヴァントのみんなともすれ違って、また軽く挨拶をする。そうしてただ目的もなくトボトボと歩いていると、アルテミスとオリオンを見かけた。
「ダーリン!今日もカッコいい!」
「あーはいはい」
雑な返事をしながらもまんざらではなさそうなオリオンを見て、ふふと笑いが零れる。あの二人は本当に仲がいいなぁと思いながらぼんやり眺めていると、アルテミスがオリオンのことを、ぎゅっと腕に抱き締める。
「――…」
考えてみれば、この二人は夫婦という間柄。つまり、その前の段階もきっとあったはずなのだ。
(…夫婦だから、ハグ…?)
いや。まさか。そんなことあるわけない。その前からあの二人はきっと、触れ合いをしていたはずだ。
「…」
付き合うという結果までしか考えていなかったわたしは、あの二人を見て初めて…付き合った後でしか出来ない、もっと深い触れ合いも出来るようになったんじゃないかと、気づいてしまった。
「あ、マスター!」
「…あ、アルテミス、オリオン。おはよう」
「え?もう昼近いだろ…」
「ダーリンってばそういうこと言わないの!」
「…二人とも相変わらず仲がいいね」
「え?そう?でも私はマスターのことも大好きだよー!」
「お前には仲よく見えるの…?これが…?」
オリオンの首をぎゅうっと抱きしめるアルテミスの腕に、苦し紛れに言葉を発する小さい熊。笑ってはいけないのに笑いそうになって、思わずフッと笑みがこぼれる。
「マスターも、今日はなんかふわふわしてる感じねぇ。何かいいことあったの?」
「えっ」
アルテミスの指摘についボッと頬を赤くすると、二人ともきょとんと目を丸くする。分かりやすい反応をしてしまった自分に慌てて顔を隠せば、アルテミスが笑いながら、ぎゅっとわたしのことを抱きしめる。
「わっ!」
「マスターも可愛い~!恋する乙女って感じ!」
「え、いやっ あの…!」
「なんだなんだ?お前職員の中にいいやつでもいたのか?」
「えと…」
二人に詰め寄られて何も言わずに逃げるわけにもいかず、仕方なく邪魔にならない廊下の端で、ぼそぼそと昨日あったことを話す。相手は職員さんじゃないこと、好い人とお付き合いしたこと。絶対誰にも言わないという約束で、二人にそんな事を、かいつまんで話した。
「へぇ~…っておいおい、いいのか?相手はサーヴァントだろ?」
「え、サーヴァントじゃ…だめなの…?」
「いや、そういう意味じゃなくてね、」
「ダーリン無粋なこと言わないー。…私は、いいと思うけどなぁ。応援したくなっちゃう」
「ほ、本当?」
「ええ!ね?ダーリン」
「うっ…ぐるじい…そうです…応援したくなりますぅ…」
ほぼ無理矢理言わせられたオリオンはぎゅうっと強く抱き締められて、苦しさのあまりかくたっと項垂れる。大丈夫なのかと思いつつもこれが二人の愛情表現(?)なのだから、あまり心配してしまうのも変だろう。それよりも、アルテミスに応援したくなる と言われたのがとっても嬉しかった。
「アルテミス、その…ありがとう…」
「え?いいのいいの!それよりも、じゃあマスターはその人と手を繋いだりもしたのー?」
「……」
「まだ?」
「えっと、その…変な話なんだけどね…わたし、そこまで考えていなくて」
「えー?」
「つ、付き合うことまでしか考えていなくて」
「…。マスターはまだ、若いから。…それでもいいんじゃないかな」
「…いいの、かな」
「初めてなんでしょ?じゃあ…これからゆっくりそういうことも、分かっていけばいいんじゃないかな」
「…」
「立ち話しすぎちゃった!じゃあ、マスターまたね!」
にこっと微笑んだ彼女は相変わらずぐったりしている熊を抱いて、ふよふよと廊下の奥へと消えていく。…やっぱり、付き合うとこまでしか考えていなかったわたしは変だったのか…一瞬の間が気になってしまった。
(でもアルテミス、一応女神だからなぁ…)
人間のわたしでは考えられない部分もあるだろう。そう考えると、すべての反応を”そういうものなのか”と、常識として受け入れるのは、気を付けた方がいいのかもしれない。
「…」
小次郎に会いたい。ふとそう思って、立ちすくんでいたところから足を動かす。まだわたしの中で考えはまとまっていないけれど、会えばきっと…もう少し。…わたしの中で彼に対する”欲”が、出てくるかもしれないと思えた。
◆
「小次郎、いる…?」
部屋の前に赴いて声をかけるも、返事がない。ノックをしても反応がなくて、もしや留守なのかと、肩を落とす。彼は気ままにふらふら歩いてしまう人なので、部屋にいないとなると…どこにいるのか見当もつかないのだ。
(戻ろうかな)
このまま部屋の前で待つのもおかしい。わたしはため息をついてトボトボと自室に戻り、部屋の扉を開く。
「ああ、立香。どこかに出かけていたのか?」
「っ」
「どうした?」
「う、ううん。なんでもない」
当たり前のように部屋の中にいた小次郎に驚いて、少しだけ肩が跳ねてしまった。小走りで部屋の中に入って近寄れば、大きな手がポンと頭を撫で、元気がないな。と心配する声が語りかける。
「え?元気、ない?」
「凹んでいるように見える」
「―…ちょっと、考え事」
「考え事?」
「うん」
「…。私には言えぬことか?」
「えっ」
「…一応…立香と恋仲だろう。…以前よりももう少し、気軽に話してくれてもいいのだが」
「……一応…」
「…いや、すまん。…一応ではないな」
もう少し気軽に話してもいい。そう言ってくれた小次郎が意外で、思わずグッと息をのむ。…彼は彼なりに、もしかしたらわたしと距離を縮めようと、距離感を量ってくれているのかもしれない。
(でも、言っていいのかな)
だってわたしの悩みは小次郎とのことだ。それを本人に堂々と言っていいものなのか、非常に悩む。…カルデアのなかじゃなかったら、「友達の話なんだけど」で、さりげなく聞き出せたのだけど。
「…まあ、無理にとは言わないが」
「あ、の小次郎…」
「ん?」
「こ、小次郎…はさ、わ わたしと恋仲になったらしたいこととか…あった…?」
「……まるで自分は何もないというような言い方だなぁ」
「そんなことは…」
図星なことを言い当てられてきょろきょろと視線を動かすと、斜め上を仰いだ小次郎が、小さく唸る。少し気まずくなって下を向いていると彼の身体がわずかに動いたのが見えて、ふっと、頭を持ち上げる。
「…したいことなぁ。……例えば、」
「例えば……ぅわっ!て、えっ⁉」
のらりくらりと話した彼の言葉を真剣に聞いていると、不意に腕を引っ張られて、その瞬間。藤色のいい香りがするものに、身体をぎゅっと包まれる。一瞬何が起きたのかよく分からず目をぱちくりさせていれば、小さく笑うような声が頭上から降ってきて、そこでようやく…わたしは彼の腕の中に抱き締められているのだということが、わかった。
「抱き締めてみたり」
「わ、こ、こじ…んっ…っ…‼……⁉」
「――…口づけてみたり」
「っ………‼」
耳元で囁かれる声に限界だった。だから思い切って顔をあげると、整った顔がすかさず近づいてきて、目を見開いている一瞬の間に…なにか柔いものが、触れた。どこに触れたのかが分からないぐらい一瞬の出来事だったけど、そんなことも考えられないぐらい、思考が停止してしまっている。…わたしの勘違いで、なければ。唇に、触れたような…気がした。
「…む。大丈夫か立香。身体から力が抜けているようだが」
「……だ、だいじょうぶ…じゃない…」
ふにゃふにゃ。まさかこんなことを不意打ちでされると思っていなかったので、腰から力が抜けて座り込みそうになる。腰を抱く小次郎の腕に支えられてベッドに座らせられれば、隣に腰かけた彼が顔を覗き込んで、そっと頬に触れる。
「っ、」
「…」
たかが頬に触れられただけでこれだ。ビクッと肩を揺らすと、今まで見たことがないような視線で小次郎はこちらを見て、その色っぽい色めきにくらくらと眩暈がしてくる。しかしそんな反応を見せておいて、彼はスッと、意外にも頬に触れていた手をあっさり離し、いつも通りの冷えた瞳に戻って微笑みかける。
(いま、手…引いた…?)
なにかに抑えられたように、彼はスッと手を離していった。まだその先も、触れられそうだったのに。わたしは…触れて、欲しかった のに。
(あ…。どうしよう、わたし…)
抱き締められた。キスもされた。でもそれじゃあ物足りない。物足りないと、思ってしまった。
(で、も…この先って…?)
この先は?一体何をする?これ以上のことは一体どういう行動になる?少し考えればわかるのに、分かりたくないような気もして頭からその考えを振り払う。けれどもドキドキと期待していた胸はまだ収まることを知らず、恋仲になったのだから…この先だってしようと思えばできるはずだ。
(どうして、手を引いてしまったんだろう)
どうして。どうしよう。恋人になるだけで十分だと思っていたのに。したいことも特に浮かんでいなかったのに。小次郎に触れられたら、もっとしたいことが…わたしがしてみたいことが、浮かんできてしまった。
「……」
「はは。立香には、少々刺激が強すぎたかな?」
「…そ、んなことは…」
「驚かせてすまなかったなぁ」
申し訳なさそうに語る声はいつものように優しく頭を撫で、唇をかみしめて真っ赤になった顔を俯かせる。
(…キスだけじゃ、足りない。抱きしめるだけじゃ足りない)
もっともっと、深く触れ合うことを、したい。
小次郎の身体に触れて、みたい。
◆
…そんなことを、自覚してから早一週間。一度小次郎の方から触れてきたあの時以来、彼は一切触れてこなくなってしまった。
(手ぐらいは、繋ぐようになったけど…)
もしかしたら最初のあの時に、わたしが真っ赤になって大変だったから控えているのかもしれない。むしろ手を繋ぐことから慣れさせようとしている…とか…?
(小次郎はあの時以来、わたしに触れたいと思わないんだろうか)
むしろわたしはあの時以来、彼に触れたくてしょうがない。とはいえ、だからと言って「手を繋ぐ以上のことをしたい!」とはなかなか言えないから…。結局、今日も今日とて手を繋ぐだけにとどまってしまうのだけど。
「はぁ…」
「ため息をついてどうした?」
「あ、ううん。なんでもない」
「…。ここ最近忙しそうだったからなぁ。お疲れ気味か?」
「大丈夫だよ」
「笑顔に元気がない」
「そ、……き、」
「そき…?」
「キス してくれたら元気、出るかも……」
「―――――――」
…言ってしまった。おねだりしてしまった。これってはしたないとか…思われないだろうか。大丈夫なんだろうか。しかし、言ってしまった言葉はもう飲みこめない。チラリと横目で彼を見ると鳩が豆鉄砲をくらったような表情で目を見開いて、視線がぶつかるとふいっとそらされてしまう。でも繋ぐ手はむしろ逆にぎゅっと握られて、一息ついたのち、真っ直ぐと鋭い視線がわたしを射貫く。
「して欲しいのなら、まぶたを閉じて」
「……うん、」
こわい。呆れられていないだろうか。はしたないと思われていないだろうか?言われた通りまぶたを伏せればふわりといい香りが鼻をくすぐり、そっと頬に触れる固い皮膚を感じて、唇を塞がれる。以前よりも長く、長く口づけを交わしたわたし達は離れた後なんとも言えぬ気持ちになり、二人の間に妙な空気が流れる。
「…これで元気になったのか?」
「あ、ありがと…」
少し照れくさそうに頬を掻く小次郎が新鮮だった。見たことがない反応に、この先を求めても大丈夫なんじゃないかと、”勘違い”を、した。
「小次郎、」
「…どうした?」
「……わたし、キス以上のことも、したい」
「―…立香、それは…」
「この先もしたいって…思っちゃダメ…?」
言わなければよかった。キス以上もしたいって言った、すぐ後の彼の反応に…わたしはすべてを察する。彼は、これ以上は求めていないこと。これ以上のことはするつもりもないこと。あくまでここまでしか元々するつもりがなかった、ということを…察してしまう。
(なんでしたいことに気づいちゃったんだろう)
あのまま気づかなければ。あのままわたしの欲なんて出なければ。きっと、今みたいにならなかったのに。
「……それは、立香、…それはまだ早いだろう」
「…本当に、”早いだけ”って、思っている…?」
「…」
「嘘つかないでほしい」
「…。すまん。それは出来ない」
「……理由は、聞いても…いい…?」
「…。私がもう死人であるサーヴァントだからだよ」
◆
今さらになって身に沁みる、オリオンの「でもサーヴァントだろ?いいのか?」と言う類の、セリフ。
「―…はぁ~~…」
ばしゃん とお風呂のお湯に口元まで浸かれば、ぽちゃん と水の落ちる音が響く。わたしはその辺、特に気にしていなかった…というより、付き合えたのが嬉しくて考えていなかったのだけど…そりゃ、そういう壁にもぶつかるだろう と。
(体までもらったところで責任持てない…かぁ…)
小次郎はわたしに、自分を刻み付けるのは申し訳ないと言った。生きている人間で、この先もずっと生きていかなければならないのに、死人の腕に抱かれてどうする、と。
(…死んでいる人ならあんなに温かい腕していないよ…なんて、詭弁かな…)
小次郎は、わたしに自分のことを覚えていて欲しくないようだった。通り過ぎて、そんなこともあったかもしれないと、そういう風に思ってくれるのがちょうどいいと。…そう、思っているように感じた。
(じゃあなんでオッケーしたんだろう)
そこまで言うならわたしの想いを受け取らずにいればよかったのに。どうして受け取ってくれたんだろう。
「……。聞いてみようかな」
我ながらなかなか折れないところは強い と思う。このままメソメソ泣き寝入りはしたくない。…だって、小次郎のきもち、まだ全部知れていない。おそらくまだ彼は何かを隠している。きっと半分以上も心の中を知れていない可能性の方が高い。知らないのに知ったふりになって落ち込むなんて、あまりにも馬鹿らしすぎる。
「…。夜だけど…行こうかな」
本当は夜に部屋なんていかない方がいいと思う。特にあんなことを聞いた後なのにこの時間帯に行くなんて、下手をすると呆れられる可能性もある。…けれども、わたしは思い立ったら即行動する人間なのだ。だから翌朝まで待つとか考えられない。出来ない。
「よしっ」
…ちょうどお風呂に入っているときにこの考えが浮かんでよかった。でなければ、多分小次郎の部屋に行くのにもっと時間がかかって、さらに夜遅い時間になってしまっていただろうから。
◆
「…というわけで、お話したいんですけど!」
「………夜に来るか…?」
「思い立ったら即行動したいたちなので」
「…はぁ…」
「嫌なら追い返してもいいから」
「…立香にそんなこと出来るわけないだろう。仕方ない。ほら」
てっきり追い返されると思っていたので、「そんなこと出来るわけない」と言う言葉に、不覚にもドキッと嬉しくなった。無下には出来ないというのは…こう……一応、愛されてはいるという考えで、いいんだろう…か。
(小次郎の部屋、すごいシンプル)
招かれた部屋の中に入ると、わたしの部屋よりも物が少なく、そして寂しかった。ここに本当に人が住んでいるのか?というぐらい物寂しすぎて、思わず部屋の中をぐるっと見回してしまう。
「そんなに物珍しいか?」
「え、あ…ごめん。そうじゃなくて」
「まあよい。…それで、どうしたんだ」
「うん。あのね、昼間話したことで…聞きたいことがあって」
「…。なるべく傷つけたくはないんだが」
「傷つくかつかないかはわたしが決めるよ」
「…そうだな。ああ。…遮って悪かった」
…一応拒否してしまったことを気にしているようだった。小次郎の部屋に来てからの彼の反応もあって、これだけでわたしは聞きたいことの半分以上は知れたと思っている。とはいえやっぱり言葉で聞くのはまた違うだろう。もう聞かなくてもいいかな という気持ちをどうにか押しのけて、わたしは重たい口を開く。
「小次郎はさ、わたしとそういうことはしたくないというか…そんな感じだったじゃん…?」
「ああ」
「…じゃあ、なんでわたしの気持ちに応えてくれたのかなって」
「…」
「…もしかして、同情…?」
「そんなことはない。それはないと断言できる」
「じゃあ、なんで…?」
おずおずと、聞きにくいことをストレートに聞いてしまう。もしかしたら聞きたくない言葉も出てくるかもしれないのに、それでもわたしは聞かずにいられなかった。どうしてもはっきりさせたかったのだ。
「――…そうだとしても、お前のことを傍に置いておきたかった」
「え、」
「狡い男だろう?そんなことするべきではないと拒絶するつもりでいたのに、他の男のものになるのは…今だけでも見たくなかったなどと」
「…」
「立香、」
「小次郎、それは、ずるくないと思う、よ」
「は、」
「わたしは、ずるくないと思う。…むしろ今そうやって言ってくれたことで、ずるいってことはないと思う」
「しかし…」
「わたしだって、小次郎と同じ気持ちあるもん。…小次郎が他の人といるのが嫌で、だから告白だってしたし、こういう関係になれたの…嬉しかった。小次郎が他の人と一緒にいても、”でもわたしはまだ特別だし”って、思いたかったから…」
「…」
「ごめん。たぶん、小次郎はこういう独占欲みたいなの迷惑だよね」
わたしは小次郎の言ったことをずるいと思わなかった。だって、付き合ったり恋人になったりするのってみんなそういう意味合いを含んでいるものじゃない?自分のものにしたいとか、他の人が安易に近寄れなくしたいとか…。そういう”証”と、”お守り”みたいなのが欲しくて、こういう関係になるんじゃないのかなって。…わたしは、そう思っていた。
「…」
ちらり。目の前に立ちすくむ小次郎を見る。そう言えばすぐに本題に入ってしまったために気づかなかったけど、今の小次郎は寝間着?のような浴衣を着ている。髪も下ろしてあるし、とてもラフな格好だ。…こういう関係じゃなかったらきっとずっと見ることが出来ないであろう、彼の一面。
「…ずるくは、ない…のか…」
「わたしは、そう思うけど…」
「…先ほどの言葉を聞いて、嫌ではなかったか?」
「ううん。小次郎こそ、わたしの言葉を聞いて嫌じゃなかったの?」
「…いいや」
「じゃあ、それでいいんだよ。お互い嫌じゃなかったなら、これでいいんだと思う」
「…。立香」
「ん?なに?」
「――…。…お前は、どこまで、私にして欲しい?」
「し、てほしい…とは…?」
予想外の言葉につい声を詰まらせて答えてしまったけど、小次郎の言いたいことはきちんとわかっていた。昼間、あの時。拒否をした彼なりに、わたしとの距離感を…許せる範囲を探ろうとしているんだと。
「私にして欲しいことはあるか?」
「…。それは、もう昼間に言ったよ」
「…ああ、そういえば…そうだったな…」
「逆に、小次郎はどこまでならしたいの?」
「逆に…?」
「うん。わたしだって、一方的な押し付けは嫌だよ。小次郎が嫌なら無理にして欲しいなんて思わない。だから、小次郎が許せる範囲を、教えて」
…本当にわたしが聞きたかったことはきっとこっちなんだと思う。小次郎がなぜわたしの気持ちを受け取ったのか というのももちろん大事だったけど…。それよりも、きちんと触れあえる距離感を、知りたい。わたしは我がままだ。どうしようもないぐらいがめつい。欲深い。だから今の会話をしてこのまま触れ合えぬままの関係でいいとは、思えない。…思いたくなかった。
(触れ合える距離があるのなら、わたしはそっちの方がいい)
小次郎の許せる範囲でもいい。それでも全然構わない。手を繋ぐだけでも、キスをするだけでも。…あなたの赦せる距離感を、教えて。
◆
「…繋がることは、したくはないんだ」
「うん」
「だが、立香はそういうわけでもないんだろう?」
「…ちょっといやらしいけどね」
「…。おいで、立香」
「へ?」
「いいから」
一瞬の間を置いてそう話した彼は、差し出す手で呆けるわたしの腕を掴み、ベッドへと向かう。確かにそういうことはしたいとは言ったけども…今日いきなりとか、心の準備がまだできていないんですが…⁉
「え、こ 小次郎、あの」
「…緊張しているのか?」
「だ、だって一応、未経験だからね⁉」
「…。そうだな。ああ」
一度もこのことはカミングアウトしたことがないのに、小次郎の反応から察するに、きっとばれていた。わたしがそういう経験が一度もないということを、彼はきっと知っていた。
(な、なんで知ってるんだろう…)
もしかして知らぬ間にそういう事を伝えてしまっていたのか。色々考えてみるもまったくそういうことをした記憶もなく、そうこうしているうちに、一緒に同じ布団の中へ…入ってしまう。
「ち、ちかい…」
「ああ、近いな」
「…いい匂いする…」
「…それは、どうも」
「…」
「立香は華奢だな…」
ふわりと布団に包まれる身体に、わたしはもぞもぞと彼の方へと身を寄せる。先ほどは近いと言って恥ずかしがっていたくせに、体が勝手に動いてしまったのだ。
「い、一緒に寝ていいの…?」
「添い寝ぐらい、私とてしてみたいさ」
「…。もっとくっついてもいい?」
「ああ」
もぞもぞ。身を寄せる。思ったよりも逞しい胸板を目の前に、ぎゅっと抱きついてみる。耳元では衣擦れの音が響いて、サラサラと小次郎の長い前髪が頬を撫でる。布団の中では背中に絡みつく腕を感じ、言葉にはしないものの、ものすごく…ドキドキとしている。
(…あったかい…)
小次郎の身体は思ったよりも暖かかった。
(いい匂いする…)
小次郎はなんとなく無臭だろうと思っていた。
(…心臓、動いてる…)
小次郎の胸元からは、リズムよくとく とくと、動く心臓の鼓動が聞こえる。
(…やさしい)
小次郎が抱き寄せてくる腕は、壊れものに触れるかのように、柔く優しかった。
「……」
ぎゅっとまぶたを閉じる。恥ずかしいからではない。…嬉しいからだ。嬉しくて、舞い踊りたいぐらい気持ちが昂り、やっぱりわたしはこの人のことが好きだと、そう…思い直してしまう。ぎゅうっと苦しくなる胸を噛みしめて、好きすぎてどうしようもない自分に歯を食いしばる。気持ちがたくさん溢れそうになるのを堪えて、キラキラと輝くような気持ちを、押しとどめる。いつも傍にいて背中を見せて戦い、守り刀としていてくれる人の身体にしては…あまりにも、優しすぎたのだ。
「…立香?」
「……」
「眠ったのか?」
「……ううん、起きてる…」
「…。そうか。…暑くはないか?」
「平気。…小次郎は?」
「…暖かくて、ちょうど良い」
「―――うん」
穏やかな声。落ち着いた優しい声。まるでわたしのことをあやすように発したその声は、耳の横を掠めて視界がフッと暗くなる。胸元に寄せていた頭をあげてその影になっている人物を見上げると、固いおでこがごつ とくっついた。至近距離で、上目遣いで群青色の瞳の奥をじーっと見つめれば、彼もまた同じように、わたしの瞳の奥を探るように見つめる。そっと頬に手を添えて視線を交わらせていると、伏せたまぶたが近づき触れるだけの口づけを落とす。
「…」
「……おやすみ」
「…うん。おやすみ、小次郎」
頬に添えていた手を離そうとすればぎゅっと掴む大きな手があって、そのまま手を繋ぎながらお互いまぶたを伏せる。暖かい布団の中では足がほんのちょっとだけ触れ合い、絡むほどではないにせよ、絡めとれそうなほどに身を寄せ合った。
(きもちいいな…)
少し触れ合う足先。きっと今のわたし達にはこれぐらいが、ちょうどいい。
◆
「小次郎、おはよう」
「ああ、おはよう。立香殿」
当然のように今廊下で出会ったばかりですか?という風に装い、お互い朝の挨拶を済ませ、誰も見ていないのをいいことに…柔く指先を絡め合う。
「昨日は、ありがとう。…嬉しかった」
「…いいや。よく眠れたようでよかった」
「うん。…添い寝までなら、小次郎的にはオッケーってことでいいのかな」
「…そうだな。だが、まだわからん。私自身も自分で確かめている途中なんだ」
「そうなの?」
「ああ。…だから、もし立香さえよければ…今宵も其方と共に添い寝をしてもいいだろうか?」
「―うん。もちろんだよ。小次郎がどこまで許せるのか、わたしも知りたいし」
「すまんな。…じゃあ、また後ほど」
絡み合った指が離れていく。当たり前のように澄んだ空気を纏って、小次郎が傍を離れていく。揺れる長い髪の毛と陣羽織を見つめ、もう見えていないと分かっているのに、その背に小さく手を振る。たぶん、すぐにまた招集してしまうだろうけど…その時までは、少し距離を置かないと。
(…朝から頬が熱いなー…)
自分の頬を両手で包み込んでムニムニと弄りながら、そんな事を考えてトボトボと廊下を歩く。以前の小次郎と距離が縮まったのかというと、どうなのかはまだ分からないけれども…。わたし的には彼との距離は、ほんのちょっと縮んだと思っている。
(小次郎の指先長かったな…)
寸前まで絡めていた指先を見つめてぎゅっと手のひらを握りしめると、遠くからマシュの呼ぶ声が聞こえる。頭をあげれば手を振って管制室に入ろうとしている可愛い後輩が見え、わたしは慌てて駆け寄った。
「おはようマシュ」
「おはようございます。先輩」
「もうミーティング始まっちゃうね」
「そうですね。急いで入りましょう」
いつもと変わらない会話。いつもと変わらない管制室。何もかもが変わったわけではないけれども、見える景色は微妙に輝いて見える。おそらく変わったのはわたしの気持ち。わたしの心の中で変わったことがあったから、こんなにもすべてがキラキラと輝いて見えてしまうのだろう。
「オッケー集まったね。じゃあ今日の予定を話すけど―」
気持ちが変わるとこんなにも見えるものが変わってしまうものなのか。小次郎が好きだと気づいた時も…こんな感じ だったような気もする。
(なんか、澄んだ気持ちになった気分)
わたしと小次郎の距離感はきっとそんなに変わっていないし、これからも変わっていくとしても…ほんの数ミリずつだと思う。それでも二人の間にあるボーダーラインがちょっとずつ縮まっていくのなら…これでいいのだと、思う。
わたしと彼の距離感は今もなお少しずつ縮まっていっているのだ。
少し日にちが経った頃、相変わらずわたしと小次郎の距離感は牛歩のような歩みで縮まっている。それでもわたしは一度それでいいと思えたので、もう悩むこともなかった。なにより、少しずつでも距離が縮まっているのなら、それは喜ばしいことではあるし。
「おやすみ」
「ああ、おやすみ」
いつもの通り添い寝をして、身を寄せ合う。今日はなんだか少しだけ小次郎の身体が暖かい。もしかしたらお酒を飲んでいたからなのかもしれない。
(あったかい…)
頬をすり寄せてくっつくと、背中に回った腕がよしよしと撫でてくれる。以前まではこれもなかったのだから、やっぱりわたし達の距離は確実に縮まっているのだ。
「ちょっとくすぐったいかも」
「ん、くすぐったい?」
「うん」
身を捩ってそんな事を言うと、撫でていた手がほんのちょっと、戸惑ったように離れる。嫌とかそういうわけではなかったので、離さないで欲しいと、素直にそういうことを言えば、小次郎はちょっとだけ瞳を細めた。
「ごめんややこしかったかも」
「いや…」
「…どうしたの?」
「…。口づけても良いか?」
「え?…いいけど…?」
珍しい。いつもならさっさと眠ってしまうのに、こんな事を言ってくるとは。首を傾げつつもまぶたを閉じれば、頬に触れる指先がそっと撫で、触れるだけのキスを交わす。啄むように何度か離れてくっつけ、そんな甘いキスを交していると、なんとなしまぶたを開いてしまう。
(あ…)
口づけているとき、一度もまぶたを開けたことがなかったので、知らなかった。まさか小次郎がこんな顔をしていたなんて。
「こ、じ」
「…すまん。少々酒が入っているゆえ、気が大きくなりすぎているようだ」
「…。少し離れた方がいい?」
「…なぜ?」
「だって、小次郎…手出したくないでしょ?」
「…まあ、そうなんだが…」
「?」
「……今宵は、少し触れて、みたい」
「え、」
「いつ言うべきか、少し迷っていたんだ。…ああ、情けないな。酒で気が大きくならんと言えんとは」
「で、も…いいの?」
「…触れるだけ…」
そう話した小次郎の指先は、衣服の上から肩の線をそっとなぞる。一枚布を隔てているというのにわたしは妙に緊張してしまって、きっと彼にもガチガチに固まっていることが伝わっていたのだろう。大丈夫だから。と優しい声が耳を掠める。
「さわる、だけ…?」
「ああ」
そっと覆いかぶさってくる体を受け入れ、再び口づける柔らかい感触に浸れば、パジャマの上から、小次郎の大きな手のひらがお腹を撫でた。この布の下の肌の感触を確かめるように、何度も何度もゆっくりと触れて、徐々に這い上がってくる手のひらにまぶたをぎゅっと閉じる。
「っは、…すまんな」
「だいじょうぶ、だいじょうぶだから…」
衣服の上からとは言っても、背中を撫でたり、手を繋いだり…それ以外の部分に触れられるのは初めてだった。目を伏せて、触れてもいないのに素肌に直接触れてもらっている ところを考えて、指先が胸のふくらみへとそっと食い込む。
「っぅ、」
「…」
胸の中心部に当てられた手のひらが、熱を帯びている。暖かい人肌の体温にそっとまぶたを開くと、パジャマの胸元のわずかな隙間から、素肌が触れ合う。カサついた指先と触れ合い、ドキッと心臓が跳ねた。
「……」
「…心臓、ずいぶんと鼓動が早いな」
「だって、ドキドキ…しているから」
「…」
見下ろす顔は微笑むように口元を緩めると、今度は指先で鎖骨をなぞる。首筋に触れて顔の輪郭をなぞり、顎をくいっと掬い上げて、また唇を重ね合わせる。…小次郎から触れてみたいとは言っていたけど、わたしよりも彼の方が緊張しているように思えた。
「……小次郎も、緊張してる?」
「…少し」
「触れてみた感想、聞いてもいいですか?」
「む、そんなこと聞きたいのか」
「だって気になるし…」
のしかかっていた体はほんのちょっとだけ名残惜しそうにわたしの上から避けると、困ったように眉を下げた小次郎と視線がぶつかる。唇を尖らせてじーっと群青色の瞳を見つめていれば、根負けしたように、彼は口を開く。
「…思ったよりも、」
「思ったよりも…?」
「……柔らかかった」
「…ど、どのへんが?」
「それも聞くのか」
「聞かないと、わたしがぽっちゃりってことになっちゃうんだけど…」
「……」
「小次郎?」
「いや、すまん。訂正だ。肌が思ったよりも柔らかかった」
「…本当?」
「ああ」
妙に歯切れ悪く答えた彼に疑いの視線を向けると、明日も早いのだろうと、誤魔化されてしまう。…まあ、このまま睨んでいてもきっと小次郎は答えてくれないだろうし…そういうことにしておくしかないのだけど…。
(本当はなんて言おうとしたんだろう…)
そこだけがどうしても気になって、この日はなかなか寝付けなかった。
「胸が柔かったなど口が裂けても言えんな…」
…なんて、そんな事を小次郎が呟いていることも知らずに、わたしは気になったことを、ずっと頭の中でぐるぐると考えていたのだった。
(でも触ってもらえたの…嬉しかったな…)
これから少しずつでもいい。小次郎のペースでも構わない。…もっともっと、彼との距離を縮めていきたいと…そう思えたのだった。
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