15年越しのJune bride 大魔王バーンとの大戦が終わってから半年後のこと。カール王国では、再建と共に大きな計画が進んでいた。
それは、カール王国女王フローラの結婚の義である。
三十路と言われる年齢になるまで独身を貫いた女王がようやく結婚する。しかも、相手はかつての勇者だと言う。
そのうえ、フローラは王位をアバンに譲位すると公表している。そう、カールの新国王の誕生である。
カール王国はいまだ再建の最中ではあったが、女王の結婚と新国王誕生という喜ばしいニュースに国中はお祭りムードであった。
六月某日、雨が続くこの時期に珍しく晴天となったこの日に、性急に建て替えられた大聖堂で一組の男女が夫婦となる。
新郎はかつての勇者アバン。新婦はカール王国女王フローラである。
フローラは大聖堂の控室で式が始まるのを待っていた。
彼女が身に纏っているのは、上質な生地で作られたウエディングドレス。ビスチェタイプの上着の縁は真珠が飾られ、繊細な刺繍が施されている。スカートはシンプルなデザインだが、バックスタイルが長く、裾は上品なフリルが幾重にも重なっていた。
いつもは緩く結っている美しい金髪は、綺麗に結い上げられて、頭上にはティアラが輝いていた。
「フローラ様。ようやく長年の想いが叶いますね」
「ええ……」
同室していた侍女のティリスの言葉に幸せそうに微笑みを浮かべる。
「お父様にもお見せしたかったわ……」
寂しげにまつ毛を下げるフローラの肩に、ティリスがそっと手を添える。
「きっと前国王陛下もお喜びですよ」
「そうね……」
お互い微笑み合うと、部屋の外から足音が聞こえてきた。
その足音は一人ではなく数人のものであった。「お待ちください」「どうしても嫌です!!」「先生待ってー!」「センセー!」などと声が聞こえて廊下が何やら騒がしい。
「何事でしょうか……こんな日に……」
こんな日に騒ぎ立てることができる人物は一人しか思いつかない。フローラは小さくため息をついて立ち上がった。
「あ!フローラ様。わたくしが……」
「いいわ。きっと、私じゃないと止められないわ」
と、フローラが控室のドアを開けた。
「騒がしいわ!何事なの?」
声を上げたフローラの視界に髪を乱したアバンが入ってきた。その後を、彼の弟子たちが追いかけて、そのまた後ろから従者の男性が追いかけてきている。
「あ!フローラ様〜〜!」
自分の結婚式の時くらいは大人しくできないものか……そんなことを思いながらフローラは小さくため息をついた。
「これはこれは、いつにも増して今日はさらにお美しい!」
そんな思いは口にもせずに、花嫁姿を誉めてくれた新郎にフローラは微笑んだ。
「有難うアバン。それにしてもどうしたの?これはなんの騒ぎ?」
「それがですね、聞いてください〜」
着ているものは、上等な物なのに、髪はボサボサで情けない。これが大勇者と呼ばれた男の姿なのかと言いたくなるほどである。
「従者の方が私の髪を解こうとするんです」
その姿を見ればそうだろう……と言うのは分かるが、予想通りの答えなのにフローラは目を点にした。
「そんな奇天烈な髪型で式に出させるわけにはいきませんって言うんですよ。自慢の髪型なのに酷くないですか」
その言葉にポップが盛大に吹き出すと、アバンが無言でにっこりと微笑む。ポップは思わず「ヒッ……!!」と息を詰まらせた。
「ねぇ、アバン」
「は……はい?」
「あなたの言い分はわかったわ。確かに、いつもの髪型も素敵だけど、髪を解いた姿も素敵よ」
「本当ですか!」
「ええ。だから今日は髪を解いて欲しいの。駄目かしら?」
「わ、わかりました!」
頑なに髪を解くのを嫌がっていたのに、嬉しそうに返事をするアバンを見て従者はほっと胸を撫で下ろした。
「さあ、あまり時間がありません。行きますよ。アバン殿」
否応も無く二人の従者からがっしりと腕を掴まれて、アバンがズルズルと引き摺られていく。フローラはにこやかに微笑みながら手を振っていた。
そんな様子を見てポップが頭の後ろで腕を組んで苦笑しながらボソッと呟く。
「ありゃぁ、尻に敷かれるぜぇ」
その言葉にその間にいた皆が苦笑する。
「聞こえたわよ。ポップ」
フローラから発せられた鋭い言葉に、ポップは再び詰まった声を上げて背筋をピンと伸ばす。
そんな後ろ姿を見て、「ポップは一生この夫婦には敵わないのだろうな……」と、他の弟子たちは思ったのだった。
「フローラ様、本当にわたくしで宜しいのですか?」
「ええ。貴女にお願いしたいの」
式が始まる前、チャペルの扉の前でフローラとティリスが向かい合う。フローラはティリスにベールを下ろして欲しいとお願いしていたのだ。
「貴女はずっと私のそばにいてくれたから……お母様の代わりよ」
「勿体無いお言葉……有難うございます。それでは、僭越ではございますがわたくしがベールを下させていただきます」
「ええ」
そう言うと、フローラが腰を落とす。
「では、失礼します」
ティリスがそっとベールを下ろし、形を整えた。
「フローラ様、本当にお綺麗です」
「ありがとう」
心からの言葉にフローラが柔らかく微笑む。
政略結婚が基本である王家の人間が想い人と結ばれることなど稀だ。フローラも随分と家臣から婚姻については口を挟まれた。それでも、彼女はただアバンを待っていた。愚かなほどに。
ティリスは侍女兼教育係としてフローラが幼い頃からずっとそばで仕えていた。
彼女がアバンだけを一途に思う姿を誰よりも近く見てきたのだ。復活したハドラーと再び戦い自己犠牲呪文を使って帰らぬ人となったと聞いた夜、彼女が部屋で一人涙を流したことも知っている。
フローラの強い想いを彼女が一番知っているのだ。アバンに対して思うことは沢山あるけれど、フローラが幸せを掴んでよかった。
ティリスの瞳には涙が滲んでいた。
「フローラ様……本当によかった……」
感無量となっているティリスの頬にフローラが手を添える。
「泣いては駄目よ、ティリス。まだ式は始まっていないのよ」
「はい……そうですね」
すん……と小さく鼻を啜り、二人はお互い笑いあった。
「それでは、フローラ様。ティリス様。扉をお開けします」
チャペルの扉が静かに開くとフローラとティリスが一礼する。
ティリスにエスコートされてバージンロードを静かに一歩一歩進む。
バージンロードは花嫁の一生を表していると言われている。扉から聖壇までは今までの人生だと。フローラは緩やかに進みながらこれまでの事を思い返した。
好奇心が勝り家臣の目を盗んで城を抜け出した幼かった頃。思えばあの時から始まった。
モンスターに襲われた時に、助けてくれて優しく微笑み手を差し出した少年に恋をした。
十五年待った。いや、アバンに恋心を抱いた時から考えればそれ以上だ。
少女の頃から想っていた男性が、自分の隣に立ってくれる。眩暈がしそうなくらいに幸せだ。
二人が聖壇の前まで進むとパイプオルガンの音が止まりアバンが振り返る。その表情は少し緊張しているように見えた。
アバンが恭しく手を差し出すと、ティリスがフローラの手を彼の手に重ねる。そして、慎重な面持ちで一礼したあと席に着いた。
アバンはもう片方の手をフローラの手に重ねて愛おしげに見つめた。
「フローラ様。本当にお綺麗です」
「有難う」
言葉を交わす二人を諌めるかの如く、神父がコホン……と小さく咳払いをする。
アバンが少しだけ眉を下げて僅かに微笑んだあと、フローラの手を引き聖壇の前に二人並んで立った。
「これより、結婚の儀を行う」
静まり返ったチャペルに新婦の声が響く。結婚の儀の司式者はアリアム……かつての仲間、レイラの父であった。
アバンとフローラの結婚が決まり暫くしてからのこと。一度、二人でネイル村にお忍びで赴いたことがある。レイラへの報告と司式者をアリアムに頼むためだった。
思ってもいなかった申し出に「女王様の結婚の儀の司式者に、このような小さな村の神父である私など分不相応です」と、恐縮するアリアムをフローラとアバンがどうしてもと説得して、アリアムの方が根負けしたのだ。
式は恙無く進んだ。誓いの言葉を交わし指輪の交換をする。この指輪にはフローラのものに聖石、アバンのものに輝石がはめ込められていた。
「それでは、誓いの口づけを」
二人は向かい合い、アバンがそっとベールを上げる。
少女の頃から美しいと謳われたフローラは、年齢を重ね更に美しさが増した。特に今日は、ウェディングドレスとティアラで飾られているためにその美しさに磨きがかかり、ため息が出るほどであった。
アバンはフローラの肩に手を添えて、静かに口付ける。
こうして、神様の前で二人は夫婦となった。
「フローラ様、アバン様。次は国民にお披露目でございます。もう既にたくさんの国民が外に集まっておりますよ」
「わかりました。それでは、行きましょうか」
「ええ」
アバンがフローラの手を引きバルコニーに向かう。
「ねぇ、アバン」
階段の途中でフローラがアバンを呼び止める。
「はい」
「譲位式はまだだけど、あなたが新国王よ?ちゃんと国民に挨拶できるのかしら?」
じっと見上げてくる瞳を見つめたあと、アバンは得意げに握り拳をぐっと挙げた。
「お任せくださいフローラ様!新国王として恥ずかしくない挨拶をやって見せますよ」
「じゃあ、まずそのフローラ「様」って呼び方をどうにかしてちょうだい」
少し唇を尖らせて言うフローラに、アバンは困った表情になる。
「あー、そ、それは……まだ……もうしばらくお待ちください」
「あら?どうして?」
「まだ、貴女を呼び捨てにするのが慣れなくてですね……」
人差し指で頬を掻きながらそう言うアバンに、フローラは小さくため息をついた。
「仕方ないわね。早く慣れてくれるのを楽しみにしてるわよ?国王陛下」
そう言って意地悪く笑うフローラに、アバンは少し困ったように眉を下げてたはは……と笑った。
結婚の儀を済ませ、ウェディングドレス姿のフローラがバルコニーに姿を表す。大聖堂の外には連日の雨で地面が濡れたままなのも構わずに、大勢の国民たちが集まって二人が現れるのを今か今かと待っていた。その中には式に参列していた者もいる。
「国民の皆さん!よく集まってくれました!」
その声に、わあああ……!と歓声が起こった。
「まだ魔王軍からの傷跡も癒えない中、このように集まってくれて有難く思います。カール再建のために、私と夫も力を尽くします!共に邁進しましょう!!」
「フローラ様!」
「カール王国万歳!!」
「ご結婚おめでとうございます!」
国民は思い思いの言葉を発していたが、フローラが手を上げるとピタリと静まり返る。
「このカール王国に新たな王が誕生します!ご紹介しましょう!」
フローラがバルコニーに続く窓に向かって手を差し出すと、そこから純白の婚礼衣装を身に包んだ大勇者アバンが現れる。アバンはフローラの隣に立つと右膝をついて跪いた。
「国王陛下が地面に膝をつくなんて有り得ないわよ。アバン」
「私が跪くのは貴女の前だけですよ」
諌めるフローラを物ともせずに、右手を差し出し軽くウインクをして悪戯っぽく笑う。そんなアバンにフローラは肩をすくめてアバンの手に自分の手を添えた。
「全く……貴方って人は……」
仕方ない……という風にフローラが小さく笑うと、アバンはフローラの手の甲に口付けて立ち上がる。
「皆さん!私が女王フローラから王位を譲位し新たな国王となります。王として恥ずべきことがないよう、妻フローラと共にこの国の発展に尽力することを約束します!」
その言葉に歓声が沸く。
フローラはアバンの手を取りその手を挙げた。
「皆さん!新たな国王陛下に大いなる祝福を!」
フローラの言葉に上がっていた歓声がさらに大きくなる。
耳を劈くような国民の声を聞きながら、二人は国民に応えるように手を振った。
「アバン」
「はい」
「新国王としての最初のお仕事、お疲れ様」
「有難うございます。これからフローラ様と国民から認められるように頑張りますよ」
「カール再建もまだまだ今からよ。貴方の力が必要になることも多いと思うわ。慣れないことばかりで大変だとは思うけど、宜しくお願いするわね。頼りにしているわ、旦那様」
「はい。新参者の国王で至らないことも多いでしょうが、こちらこそよろしくお願いします。愛しい奥様」
アバンが微笑みながらそう言って、フローラの白い頬に触れる。
フローラも微笑み返し、瞳を閉じるとそのまま二人の距離が縮まった。
国民たちの祝福の中、二人は長い口付けを交わした。
国民へのお披露目が終えると、式に参列した各国の王や要人への挨拶がある。
女王の結婚の義だ。それに新国王のお披露目でもある。本来ならば要人たちを城に呼び披露会を開くのが当然の運びだろうが、実際は簡素なものであった。
カール城はまだ建て直しの途中だったので、各国の王や要人たちは大聖堂の広間に集まり、婚礼衣装からいつもの正装に着替えた二人と言葉を交わす。
もてなしが不十分だと不満を口にする者、逆にこんな大変な時に結婚式など……と苦言を呈する者は誰一人としていなかった。
それは、善政を敷いていたフローラの功労であるのだろう。それに加えてアバンも各国へ飛び回り、自国だけではなく他国の復興にも尽力した。そうした二人の働きが功を奏した。
会話を交わして暫くしてからの要人たちは帰っていく。それでも、二人が落ち着いたのはもうすっかり空が暗くなってからだった。
「お二人ともお疲れ様でした。お湯の用意が出来ております」
数人の侍女を引き連れティリスが二人にそう言うと、フローラが安心したかのように息をついてアバンを見た。
「アバン。先に湯浴みをさせてもらうわね」
「はい。ゆっくりされてくださいね」
「ええ」
フローラはティリスたちと共に浴室に向かい、ゆっくりと湯に浸かった。
「今日はお疲れ様でございました。フローラ様」
「有難う。ティリス」
「それでは、フローラ様。今夜はこちらを……」
ティリスが用意していたのは上質な白い生地でできたナイティ。シンプルだが、胸元はレースで飾られ背中は大きく開いている。ふくらはぎのあたりまである長いスカートの裾は繊細なレースが施してあり透け感も相まってセクシーさを感じるが下品さはない。それはフローラによく似合うナイティだった。
「今日は初夜でございますから……」
「え……ええ、わかっているわ」
その言葉に思わず頬が染まってしまう。そんな様子にティリスは優しく目を細めた。
「やはり、緊張されますか……?」
「あ、当たり前でしょう……初めてだもの」
少女の頃から閨事の教育は受けていたし、アバンとキスは何度かした。だが、まだその肌に触れたことはない。
今日、本当にアバンの妻になるのだ。
「大丈夫ですよ。アバン様に全て委ねられれば……」
「ええ……」
そんなフローラにティリスはふふ……と微笑み、ガウンを羽織らせた。
「それでは、参りましょう」
「ええ」
ティリスに促され寝室に入り、ベッドに腰をかける。アバンが来るまで、ティリスが付き添い話し相手になっていた。
しばらくしてドアがノックされた。
「それではフローラ様。わたくしはこれで失礼致しますね」
ティリスがスカートを持ち上げ頭を下げ、アバンと入れ違いに退室する。
「ま、待たせてしまってすみません」
「……か、構わないわ」
言葉を交わしているだけなのに、もう既に心臓が早鐘を打つ。
「フローラさ……フローラ」
アバンが名を呼びそばまで歩み寄る。フローラは高鳴る鼓動を抑えるために、一度瞳を閉じて小さく深呼吸をする。
「こちらに来て……アバン」
そして、アバンに手を差し出した。