夜食の会で会いましょう(うどん偏)深夜。賑やかだった本丸はひっそりと息を潜める。
その一つの部屋で、ひとつ。
ぐぅうう。
腹の虫が鳴く音がした。
「……寝れません…」
布団のなかで五月雨江は小さく呟いた。
本丸に顕現されで幾日か経ち、この肉体にもだいぶ慣れたと思ったが。まさかこんなことで目が覚めるとは。人間の身体というのはなかなか不便だ。
だが寝る前に歯を磨いてしまったので、何か食べ物を口に入れるのも躊躇ってしまう。それに燭台切が亥の刻を過ぎてからは、食べてはいけないと言っていた。
明日は出陣の予定があるから、なんとかして寝てしまわないといけないのだが。
「…仕方ない」
水でも飲みに行こう。そうしたら幾分かマシになるかもしれない。
隣の部屋の仲間を起こさないように、そっと襖を開けて廊下に出ると少しだけ冷たい風が頬を撫でる。
この本丸には多くの仲間がいる。彼も、いつかここに来るのだろうか。
「…雲さん」
小さく呟いた言葉は暗闇の中に溶けていった。
できるだけ足音を立てないように廊下を進むと、厨の電気がついている。
皆寝ていると思ったが、夜戦から帰ってきた誰かだろうか。
扉に手をかけると、ふわりと出汁のいい香りがした。
「おっ、五月雨じゃあないか」
「なんだ、お前も腹が減ったのか」
暖簾を上げて入ると、そこには御手杵と山姥切国広がテーブルに座っていた。
「あの、水をもらおうと…」
思いまして。そう言うよりも先に、またも腹の虫が大きな音を立てる。それを山姥切たちにも聞こえてしまったようで。
「腹が減ってるならお前も食べると良い。今同田貫が作ってくれてるから」
「なんだぁ?もう一人前追加かぁ?」
同田貫、と言われて台所に一人立っていた彼が顔だけこちらを向けた。彼らはあまり話したことがなかった男士だ。
それでも促されるまま、椅子に座る。
「五月雨、お前卵はいるか?」
「卵?」
「そう。うどんに卵、いる?」
「ああ、では…お願いします」
どうやらこの香りはうどんだったようで。御手杵はやっぱり卵は必須だよなァ、と言いながら冷蔵庫から卵をひとつ取り出して同田貫に渡している。
「立ったついでに冷凍庫からもう一つうどん出してくれ」
「へぇ~い」
そう言われて彼が開けたのは普段使用している業務用の冷蔵庫の隣にある、こじんまりとした冷蔵庫だった。少ししか見えなかったが、大雑把に食品が入っているのがわかる。
きょろきょろと周りを見回していると山姥切がお茶を淹れてくれていたようで、湯呑を置いてくれた。
「あの、この集まりは一体…」
「お前は初めてか。別に夜中に腹が減ったやつらが勝手に飯を食ってるだけだ」
名前なんてないさ。という山姥切はいつもより少し楽しそうだ。そう見えるのはいつも被っている白い布がないからか。
彼らが言うには、自分たちのような燃費の悪い男士や出陣や諸事情で夕食を食べそびれた者が夜な夜な厨を使っては夜食を作って食べていると。初めは黙認されていたが夜食を作るものが想像以上に多く、朝餉に使う材料を使って足りなくなることが続出したことから、主が夜食時用の冷蔵庫を別に誂えてくれたそうだ。
「卵はたくさんあるから共有から使ってもいいが、冷凍うどんとかは数が足りねぇからな」
あり合わせで作ることが多いようだが、材料は持ち寄りなので食べられたくない時は名前を書いておくべし、だそう。多く使いすぎた場合は後日使用した人が買い足しておけばいい。
「燭台切に怒られませんか」
「ああ、それは黙認されてる。腹減って寝れなくなるよりはマシだろ?」
俺はほぼ毎日参加してるぜ!と御手杵は笑う。空腹で眠れないのは自分だけではなかったことに、少しだけ安堵した。
「そら、できたぞ」
そんな話を聞いていると、黙々と作業をしていた同田貫が大きな丼を持ってきた。
湯気を上げているそれには、ネギと卵、そして焼餅が乗っている。ふわりと香る出汁の匂いに食欲が刺激されて、口の中から唾液が溢れてくる。
「今日は力うどんだ」
丼が四つ並んで、それぞれが箸と香辛料などを取り出して並べる。ただ自分は目の前のうどんに釘付けだ。
「こ、こんなに食べていいのですか」
「あ?いいに決まってんだろ。腹減った時に食う飯意外美味いもんはねぇよ」
どうせ明日も出陣なのなら、食べれるうちに食べておけ。というのが彼の信念なのかもしれない。
感心している間にも三振りはああでもないこうでもないと袋を持ちながら言っている。
「鰹節いる?」
「あ、ええ。頂きます」
「天かすいっぱい入れちゃお」
「てっ…!?」
目の前の御手杵の器に思わず目を向く。というのも彼の丼に天かすが山を成しているのだ。
「こ、こんなに入れて大丈夫なんですかっ」
「大丈夫だって。またなくなれば買ってくるし」
食べすぎは太る元だと、歌仙兼定が言っていたのを自分はその通り守っていたのに。目の前の三振りはそんな言いつけは知らないとばかりのカロリーの暴力を作り出している。
「とりあえず食ってみろ」
伸びるから、と手を合わせる山姥切に自分も倣う。言われるがままに鰹節を一掴みに天かすは大匙三杯、そして七味唐辛子を一振り。
「い、いただきます」
ふうふうと湯気を飛ばしながら、一口すする。
「っ!」
「お、良い顔だな」
気に入ったようだな、と言われるくらい自分の顔は綻んでいるのだろうか。優しい出汁の味が五臓六腑に染みわたる。あれだけ入れた天かすが麺に絡みついて、もちもちとしたうどんの生地とさくさく感が追加されてどんどん口に運んで行ってしまう。
「硬くなる前に餅も食ってみな」
言われるがままに餅を箸で挟めば、まだ温かいそれはみょんと伸びて。口に含めばもちもち感と焼けた部分の香ばしさに包まれる。
「…美味しいです」
「だろお?同田貫の作るうどん好きなんだよなあ」
「別に素使ってるだけだぜ。誰が作っても一緒だ」
「いや、お前のうどんは美味い」
口々にそう二振りがそう言えば同田貫はぽりぽりと頭を掻く。それが照れている証拠だというのを知るのはもう少し先になるのだが。
「そんなこと言って、また俺に作らせてえだけだろ」
「いえ、美味しいです。突然押しかけてしまったのに、すみません」
「別に三人作ろうが四人作ろうか変わらねぇよ」
気にするな、と言われて素直に受け取る。少し肌寒い夜に温かい汁は五臓六腑だけでなく、心にもじんわりと染みていくようで。
ずるずると勢いよく啜っている三振りの丼の中身は残り僅かになっていて。自分も遅れないように、しかし味を噛みしめていく。
「替え玉いるか?」
「俺いる!」
「俺もいる」
替え玉、つまりおかわり、だと。こんな真夜中に、まだ食べるというのか。
「五月雨もいるか?」
「いえ、私は大丈夫です」
「あ、残り二玉だから三振りで分けるぞ」
普段から茶碗に大盛りの飯を食らっている姿は見ているが、あの後にまたこれだけ食える余裕が腹にあるとは。
「皆さんよく食べますね」
彼らの食いっぷりは真夜中ではあるが、いっそ清々しいほどだ。
うどんは消化にいいとは聞くがこれほど薬味を入れると満腹中枢を刺激されるようで。もう少し天かすの量を減らせば、彼も食べられるだろうか。よく腹を痛めている彼でも。
雲さんにも食べさせてあげたい。
「雲さんって誰だ?」
お茶を飲みながら御手杵が訪ねてきた。どうやら口に出してしまっていたようだ。
「昔の馴染みです。まだ顕現はしていませんが」
篭手切江から始まって順番に江のものが顕現しているのなら、彼もきっとここに来るかもしれない。少し僻みっぽくて、それでも負けず嫌いな。
「彼がこの本丸に来たら、と考えてしまうのです」
肉体を得て、毎日が新しいことだらけで。足があるから色々な景色が見れる。季語を見つけることができる。花が咲くことを嬉しく思ったり、散ることを名残惜しく感じる心も。
自分が感じたこの感情を、景色を彼と一緒に見れたら、感じることができたら。きっと何倍も素敵なのだろう。
「彼が顕現したら、またうどんを作ってくれますか」
彼と食べたいです。彼と一緒に。
「おお、いいぜ。こんなので良ければな」
「ありがとうございます」
また楽しみが増えました。とりあえず伸びる前にこれを食べなければ。ちゅるちゅると音を立て食べていると、横から「お前可愛いな」と声が聞こえた気がしたが気にしないことにした。
「ところで五月雨まだ卵残してんのか?うどんと食うと美味いぜ」
「いや、俺も卵は最後に食べる派だな」
「どっちでもいいだろ。啜ってたら気付いたら割れてることもあるしな」
麺が残り僅かになった頃合い、彼らの丼の中には新しいうどんが入っている。私の丼の中の卵はまだ割れておらず健在で。
なんとなく残していたそれを、ゆっくり箸でつつけば透き通る汁の中に黄色の絵の具が混ざっていく。
残った面をそれにからめて、一口。
「…お前、ほんと良い顔するよな」
【同田貫作うどん】