戦闘シーン描写オリュンポスでも屈指の暴れん坊であるポセイドン。気性が荒くすぐ激昂するたちの海王である彼だが、最近はオリュンポスも何かと細々した規制が増えてきた。
ゼウスの兄たる自分より、ゼウスとその子供達の方がオリュンポスにおける発言権を増している。姉達はそこまで気にしてはいないようだが(気にするも何も、元々そこまで積極的に発言するのはヘラくらいだが)、三王のひとつを受け持つ自分としてはこの軽視は気に食わない。最近はアテナのお小言も増えてきて益々気に食わない。
「……俺達の方が立場上なんだぞ?!ゼウスの娘とはいえなんだあの態度!」
「それを態々言う為だけに来たのか……」
冥界。三王のひとつにして兄弟の長男たるハデスが治める世界。
地上と地下はあまり軽率に境界を超えないで欲しいんだけど、という兄の苦言は何処吹く風といった感じに、ポセイドンは兄の仕事場に居座っている。周囲にいた霊魂や冥界の使い魔達が怯えたように距離を取っている。
「割と死活問題だろこれ。兄貴に至っちゃ天上での話題には出さないのが暗黙の了解みたいになってるし。兄貴居ねぇと世界の秩序が保てねぇってそれくじ引きの時から決まってんのによ。」
「別に…特別そっちで話題にされても嬉しくないし…」
「嬉しいとかいう問題かよ〜兄貴忘れられてんだぞ」
「むしろ過度に干渉されなくてせいせいする。」
ハデスは、オリュンポスに席が欲しいとは思っていない。だが、"死者の国"という冥界の在り方にはハデスの力が関わっている。そこには誇りを持っているつもりだ。生があるから死があるのであり、生がある以上確実に死は隣にある。だが、最近のゼウスはどうもその当たり前の事を意識しているのかいないのか、軽率に戦争を起こして人間を大量に死なせたり、かと思えばその中のごく一部にはかなりえこひいきをしたりと、増長気味にあるのは否めない。監督者であるハデスの意見を聞き入れない時もある。そこだけはどうも気にかかった。
とはいえ、基本的に天界とはそこまで関わりのないハデスには関係の無いことである。
「そんなに言うなら、ポセイドン一人で言いに行けば良いじゃないか…仮にも海王なんだから説得力あるだろ…」
「それは嫌だ。なんか負けた気ィする。」
「負けた気って…それに、別に孤立している訳じゃ無いんだろう?良いじゃないか…」
そう、別にポセイドンだけが孤立しているといったことがある訳では無い。普段ならアポロンは良く一緒にいるし、アレスだって悪い奴では無いから時々遊ぶことはある。ヘルメスの口の上手さにはポセイドンだって助けられたことがある。ゼウスの子供達と距離があるという訳では無い。
問題は、そこにゼウス自身がどこまで関わってくるのかということにあった。
最高神であるゼウスは、自然と世界全体に関わる全てのものを統括しなければならなくなる。かつて兄弟で決めた世界の線引きが、時代を経て変化しつつあるのはどうしようも無い事実だった。
ポセイドンの管轄は陸と海。地上で、尚且つ他の神の管轄も混ざっているから明確な線引きが難しい。その"他の神"がゼウスに全面的に従うようになったら、ポセイドンの管轄は自然と狭くなる。
つまるところ、肩身が狭い気がするのだ。
「はぁ……もう、お前って奴は…」
オリュンポスでは殆ど見られない光景だが、別段ポセイドンは常日頃から怒り狂っている訳では無いし、周囲に当たり散らすことしかしない訳では無い。ただ、やる相手が限られるだけだ。
数少ないポセイドンの大人しいいじけ方を見ることが出来るのは、大体ハデスかヘスティアのような兄弟の長にいた者。
ポセイドンが「弟」である事をさらけ出せる相手のみ。
執務室のソファに寝っ転がって不貞腐れるポセイドンは、それでも普段のような殺気は孕んでいない。純粋に、いじけている。
ヘスティアであればここで「よしよし」なんて慈愛に満ちた宥め方も出来るのだろうが、生憎ハデスは仕事から手を離せないしそもそもそんな柄ではない。精々が愚痴を聞き流してやれる程度だ。自分以上に力のある弟を手なずけるのは中々骨が折れる。
「しょうがない、この仕事終わったら遊んでやるから。それで機嫌直せ。」
「ほんと?!」
バネか何かで反動をつけたかのような飛び起き方。ポセイドンの瞳がキラキラと輝いている。
「ちょっとだけ、ちょっとだけだぞ!こっちは仕事が山積みなんだから、休憩なんだからな!」
「分かった!早く終わらせてくれよ!」
大型犬もかくやと言うような上機嫌っぷりを見せるポセイドン。それを見て、ハデスは内心冷や汗をかいた。
ポセイドンに言った"遊ぶ"とは、つまりは組み手のようなもので。
そこら中を破壊するくらいならそのストレス発散に付き合ってやると、ハデスが言ったのだった。
厳密に何をしては駄目、と言ったものは特にないがその後に支障が出る程関節を潰すとか急所を突くようなことはしないと何となく決めている。あと、あまり周辺を破壊しないこと。あくまでも体を温める程度の運動であって、喧嘩ではない。
だが、一応本気は出す。というより、自然と本腰が入り力が出るポセイドンに合わせようと思ったら、ハデスも相応に全力を出さないとそもそも相手にならないのだ。
「(明日は筋肉痛だな……)」
「兄貴!仕事終わったか?」
冥界の片隅。危険だからと周囲にいた魂達を避難させるとお互いに向き合う。
「終わってはいない。片付けられるものだけ片付けてきた。だからあんまり長いことは出来ないぞ。」
「充分!」
屈伸をしながらポセイドンは叫ぶ。本当に分かっているのだろうか…とハデスは内心思うが、言ったところで時間を気にする弟では無い。やりたい様にやらせておくしかない。
「よし…じゃあいくぞ。よーい、」
どん!
ハデスが、そう合図をした瞬間。
ポセイドンの姿が消えた。
一拍置いてハデスの眼前にポセイドンの脚がある。
初手で顔を狙う辺り完全に殺しにかかっているが、ハデスとて無抵抗では無い。
視界の左から飛んでくる横蹴りを自身の右手でそっと受け止める。蹴りの威力を受け流すというには力が入っていないが、威力はその手に吸収される。
ポセイドンはそのまま、左脚でハデスの上半身を蹴る。が、これも蹴りの威力に反してハデスはノーダメージだ。
だが、ポセイドンはそれに疑問を持つ事なく片手をついて一回転。
そして1歩踏み込むと左アッパー。
ハデスの右手は下腹部を狙うその腕を逸らし、そのままポセイドンの左腕を掴む。
「よい、しょっ」
「お?」
ポセイドンの左脚に足払いをかけ、力を流してポセイドンを後ろへ投げる。
勢い余って一回転。そのまま距離を取ったポセイドンが振り向きざまにトライデントを出す。
「よっしゃ、もっかい!」
ポセイドンが軽く地面を蹴る。たんっ、という軽快な音とは裏腹に、その一蹴りでハデスとの間合いを詰められた。上から振り下ろされる槍を掴んで少し位置を捻る。そのまま力強く落ちる槍の矛先から身を逸らして、空いた手でポセイドンの体を突き飛ばす。
が、
「軽い」
「?」
ポセイドンの体幹は揺らぐこと無く、そのまま槍を横に薙ぎ払う。吹っ飛ばされたハデスは地面に叩きつけられ、そのままゴロゴロと数メートル転がった。
「……ッ、たぁ……!」
ろくに受身を取れなかったハデスは強かに全身を打ち付け、よろめきながら立ち上がる。
「だいじょーぶか?」
「だいじょーぶじゃない」
ゲホゲホと咳き込むハデスを心配する素振りも見せず、ポセイドンはそのまま槍を振りかぶった。
「ほっ」
軽く飛び上がって、一回転。槍の遠心力で飛距離を伸ばし、速度で威力を上げた槍がハデスに襲いかかる。
およそ受け止めようとは思えない威力のそれを、ふらついた視界で捉えたハデスは、平然と両手を差し出して。
槍を掴んで、その勢いに対抗するのではなく、その力をそのまま自分の横に流し、槍を握っていたポセイドンを剥がすかのように、蹴りあげた。
「ごっ?!」
これは完全に想定外だったのだろう。思わずトライデントを手放したポセイドンは後ろへ飛ばされた。その隙に、ハデスはトライデントの間合いから下がる。
「ってー……、兄貴、やるじゃん」
ポセイドンの眼がぎらりと光る。
スイッチが入った。